のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

バロック歌曲コンサート

2025-02-27 07:46:19 | 日記



2月21日、バロック歌曲のみのコンサートの伴奏をさせていただきました。「え、伴奏やるの?珍しい」と案の定いろんな所から言われましたが、「モダンピアノの伴奏で歌いたい」という内容に共感して引き受けさせていただきました。

前半はパーセルの歌を5曲。後半はカッチーニ作曲のアマリッリを色々な編曲でというマニアックでもありかなひ尖った内容。うーん…好き(笑)
そもそも、声楽科入門のようになっているイタリア古典歌曲集…たしかに美しいですが、ほとんどが中期~後期ロマン派のパリゾッティさんが編曲した伴奏です。しかし、どうもそれを原曲と思われる方も多い印象があります。さすがにカッチーニのアヴェ・マリアに関しては浸透してきた感じはありますが(笑)

さて、だいぶ前にパーセルはResonanCeで取り上げましたが、こんなにまとめて演奏するのは始めてです。ピアノで演奏するのも1曲しかやったことありませんでしたし。曲は全てソプラノの八木下さんにお任せ。曲を受け取って驚いたのは、パーセルのグラウンド。ソロの作品にもグラウンドはいくつかありますが、まさか歌ものまでそういう構造になってるとは驚きでした。
ウェルギリウスについて考える時、いつもパーセルがよぎります。今回の演目には入っていませんが、パーセルの根底にはそのような文学知識があったのだろうと思います。それはオペラなどに限らず、です。

合わせを重ねる度に、リコーダー欲しいなぁとか弦欲しいなぁとか思うようになりましたが、そこら辺がカバー出来ねばと思い奮闘しました。スコアを見たり色々聴いてみたのですが、パーセルの奥深さには驚きの連続でした。それは思想的な意味ではなく音楽的な意味においてです。あと20年長生きしたらどんな音楽家になっていただろうとつい思ってしまいました。

さぁ、後半はカッチーニのアマリッリ祭り。その前にイギリスからイタリアへの架け橋として私がソロでファーナビーの「古いスパニョレッタ」を。イギリスの作曲家が書いたシチリアーノということで繋げました。

それからまずはパリゾッティ版のアマリッリ。アマリッリとしては一番耳にする版ですね。次に原曲に近いアレンジのものを。たしかにリュートやギターで爪弾く方がいいのでしょうが…そこはピアノの力を信じて(笑)奥さんの解説もだいぶお客さんに伝わっていたように思います。

次にピーター フィリップスというこれまたイギリスで活躍した作曲家が編曲したアマリッリをピアノソロで。この時代、すでに歌ものを器楽に編曲するというのはあったんですよね。当時の装飾の一例にもなりますね。そういう意味でも取り上げたかった曲でした。

最後に取り上げたのはパリゾッティより少し後のフロリディアという作曲家による編曲。これがまぁ色んな意味で面白い編曲でして…覚えたての和声を使いたがる若者のような編曲(笑)もはやピアノソロじゃない?ってくらいのやり込み度。それに合わせる奥さんの歌い方に、本番もニヤニヤが止まりませんでした(笑)

全体を通して、お客さんが楽しめる会だったように思います。要所要所でお客さんの頷きが大きく、言いたいことを伝えられているんだなぁとピアノ側から見ておりました。若い歌手の方々がこういった活動をされるの、とても嬉しく感じます。自分の勉強にもなりました。
ご来場くださいました皆様、ありがとうございました!
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初めての大阪公演

2025-02-24 09:14:39 | 日記

初めて大阪でコンサートを開きました。尊敬する音楽家の方やSNSで繋がっていた方、オンラインレッスンの生徒さんにお会い出来たのはとても嬉しく、今後も定期的に同じ場所でコンサートをしていこうと思いました。
総持寺という駅から歩いてすぐの会場は静かで響きも良いところでした。
バッハ以前、バッハ以後というテーマのコンサートでしたが、主にバッハ以前でほとんどがオルガンのための曲でした。中でも最初に持ってきたリューベックは演奏するにあたってとても頭を悩ませました。ブクステフーデのオルガン曲を弾くのと同じように、やはり足鍵盤までカバーしてフーガを弾くことの大変さ!かなり前から練習していましたが、手の内に入るのに時間がかかりました。北ドイツの風味を持ちながらイタリア的な様式を持つプレリュード。これは最後のリスト、またはアンコールのバッハへと繋がりを持たせたい意味でどうしても最初に演奏したかったのです。

2曲目のブクステフーデはある意味孤高な曲。ブクステフーデのプレリュードの典型的な形ではありますが、他の作曲家にはほとんど見られない。キリストの降誕ということを考えましたが、リューベックという異端の地で果たしてブクステフーデは何を考えて作曲をしていたのか?バッハはブクステフーデの何に惹かれたのか?ブクステフーデの音楽を奏でる度にそのようなことを考えてしまいます。代表作「我らのキリストの御身体」の作曲経緯…手紙のやり取りを見る限りリューベックでは一度も演奏されていません。なんならブクステフーデは教会に黙って作曲し、複写もせずスウェーデンの宮廷に送っています。スウェーデン大使館に問い合せたのですが、出納記録は残っていませんでした。謎が深まります。大阪で弾いている時も集中しつつも常にそんな謎がどこかにチラついていました。

ブットシュテットとバッハはドミソとレファラ繋がりで。この著作について、マッテゾンの話を出せば少しは笑い話にでもなったかなぁと後々反省。平均律はやはり重たいテーマ。先ほどのブクステフーデの「我らのキリストの御身体」と重なる曲と考えています。「神秘主義として演奏したいわけだ(ニヤリ)」と恩師に言われたのを今も強く覚えています。まさにそのように考えています。

前半最後はオブーホフの「互いに愛し合いましょう」。ある意味十二音技法と言える曲をあえて平均律の後にくっつけました。そしてオブーホフは神秘思想家であったというのも自分の中では繋がりだったりもします。本当に美しい曲です。

後半はヴァイス、パッヘルベルのシャコンヌ。ビーバーとリストのパッサカリアというシャコンヌ祭りですね。シャコンヌとパッサカリアの違いというのははっきりは言えないのでしょうが、演奏する人間からすると感覚としてではありますが、パッサカリアのほうが厳格です。常にテーマがいます。シャコンヌは気まぐれに消えたり戻ったり…自由な感じを受けます。
ヴァイスは次の時代に向かっているような印象がありますが、それでも「シャコンヌ」を書いたことに意味があるように思っていました。何故かギターのために移調された楽譜(イ短調)ばかり…いや、これは絶対に移調しちゃいかん…と思い、自筆譜から自分で書き起こした譜面です。一昨年のことです。タブラチュアからの書き起こしは大変でしたが、同時にピアノで演奏する可能性も感じながら書いたのを思い出しながら演奏しました。それにしてもヴァイスの自筆譜は綺麗!

パッヘルベルとビーバーは同じテーマですね。モーツァルトやベートーヴェンにも顔を出すテトラコルド。何度弾いても(特にビーバー!)精神的に疲れる曲を続けて演奏。ビーバー終わったらもう帰りたい!となる(笑)何年経っても変わらない…慣れない。ビーバーのパッサカリアでの神経衰弱は凄まじいです。

ラストにはリストのバッハ変奏曲を。久しぶりに大曲に取り組みました。リストの見方を180°変えてくれた曲です。10年前、恩師の「リストだってバカじゃないんだよ。バカみたいな曲をバカみたいに弾くからバカみたいに思われてるだけで。大変誤解されてる作曲家だよな~」という言葉。その恩師と最期に会った時の会話もリストでした。亡くなる少し前の講義ではまさにバッハ変奏曲についての話も。ゲマトリアで分析したらバッハとの思想の違いが出るかもしれないね、と。この度、一から丁寧にゲマトリアで譜読みをしてみました。たしかにド頭から色々ありました。リストの宗教的作品にはゲマトリアがよく使われているように感じます。それはリストがフリーメイソンだったことと関わるのか…それは分かりませんが、そういった考えを知っていたことは間違いないでしょうから(周りの交友関係などから)、慎重に読めば演奏する手がかりになると思っています。派手なイメージのリストですが、この作品を演奏するにあたって本当にリストという作曲家の見方が変わりました。

アンコールはバッハ生誕340年にちなんでヘンデルとスカルラッティ。どちらも美しい歌であり流麗なダンスです。そして、プログラム最初のリューベックに還るトッカータ風プレリュードの平均律1番。最後にオマケでバードのフルートとドラムを🪈🥁

約2年ぶりのソロ公演でした。今年は約3年ぶりに東京でもほぼ同じ内容のコンサートをやる予定です。一応音律やなんかを詳しく調べた上でピアノで演奏できるかを吟味しているつもりです。違和感なく聴いていただけたら私にとっては嬉しいです。オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、今ではヴァイオリン、リュートのものまで演奏するようになりました。どの面に注目するかでピアノでの演奏の可能性が広まるように感じるとともに、たくさんの方にピアノでの古楽を聴いてもらいたいという気持ちが常にあります。細々としかしコンスタントに活動出来たらなと思う大阪公演でした。





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レッスン募集します!

2025-01-08 01:25:00 | CD/DVD 音楽
突然ですが、生徒さんを募集します!
このタイミングになったのは理由がありまして…。

卒業と同時にスクールに勤め、様々な生徒さんと触れ合って来ました。中には一度だけ、という方もいらっしゃいました。一年と少しで60人ほどの方と接したでしょうか?その中で、もっと生徒さんと密になりたいと思うようになりました。
スクールというのは決まりがあります。連絡先の交換などは出来ません。つまり、生徒さんは疑問に思ったことがあっても次のレッスンまでモヤモヤしたまま過ごさなくてはならないのです。それが私には心苦しく思いました。

スクールを辞め、個人でレッスンを始めたところ、やはり一人一人大事にレッスンが出来ますし、成長が目に見えるというのは生徒さんも私もとても実感し、大変嬉しいです。

また現在までに様々な生徒さんと触れ合いました。趣味としてピアノを弾く方、演奏会のための方、コンクールのための方、幼稚園の先生を目指す子、たまにはポップスも。習う理由は様々です。幼稚園児から自分の倍以上年上の生徒さん達と接し、様々なレッスンを経て、今ならどんな方でも対応できる!と思い、このタイミングでの募集となりました。

とは言え、こんなご時世です。対面でのレッスンに不安がある方もおられることと思います。そんな方のためにオンラインレッスンもご用意してあります。オンラインレッスンのやり方としては、
演奏動画を送っていただく→ポイントをまとめて、文章のファイルと動画をお返しする→通話やテレビ電話でまとめをする。
というような形を考えております。また、ご興味があれば楽曲の解析なども承ります。ですが、これは私の専門になる部分でもありますので、楽曲など要相談となります。

対面でのレッスンは私の自宅(清瀬市)か出張になります。出張は生徒さんのご自宅かスタジオになります。その場合、交通費とスタジオ代はご負担願います。
何の曲を持っておいでになるか、事前にお知らせ下さい。また、事前に質問などがございましたら、出来る限り資料をまとめて行きたいと思います。場合によっては私の手書きとなります。ご了承ください。

レッスン料につきましては要相談になります。レッスン毎になるのか、月謝になるのかでも変わりますが、基本的にはレッスン毎になるかと思います。

一度のレッスンで劇的に変わるということはなかなか難しいかもしれませんが、なにかのきっかけとなるようなレッスンが出来ればなと考えております。何より楽しく面白い(笑えるという意味だけでなく)レッスンを第一に!

まずはお気軽にご連絡ください!
お問い合わせ先はGmail、またはTwitterのDMにて受け付けております。
Gmail→barock.piano@gmail.com
Twitter↓



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本年も大変お世話になりました。

2024-12-31 21:15:19 | 日記
2024年も残りわずかとなりました。
直接お会いした方も、ネット上だけの方も1年間ありがとうございました。

来年はすでにいくつか演奏会が決まっており(情報解禁次第お知らせいたします)、ソロにも力を入れたいと思っております。

さて、私はバッハ以前の音楽(チェンバロ、クラヴィコード、オルガンのための音楽)をモダンピアノで演奏する、という活動をしています。ありがたいことにブクステフーデ、パッヘルベル、ラインケンのCDを出させていただくなど細々ながらも活動出来ていること、本当にありがたく思っています。

昔から「人前で何かをする」というのがあまり好きではない自分ですが、ブクステフーデを中心にモダンピアノでのプレ・バッハを聴いてもらいたいという一心で続けてきました。
先日、ふと立ち止まって色々考えてみました。ここ数年、古楽器の奏者の方にも聴いてもらいたい、と考えていたように思います。しかし、元々は「ピアノ弾き」に聴いてもらいたいというところがスタートでした。

なぜピアノ科の一番古い作曲家はバッハなのか?というのが音大に入った時一番感じたことです。入試課題にはどの学校も平均律。しかしその根拠が分からなかったものです。バッハはたしかに様々なスタイルで作曲しました。イタリア(風)、フランス(風)、イギリス(風)...だからといってバッハを弾けば全てを掴めるわけではありません。バッハ以前を弾こうとした時、周りからは「いや、その時ピアノは無かったから」と言われました。いやいや...バッハもじゃろがい。もっと言えばその理屈ならショパンだって今のピアノじゃダメじゃろ。偏屈かもしれませんが、私にとってそれは納得のいく理由ではありませんでした。

私に居場所を最初に与えてくれたのはResonanCe(レゾナンス)でした。ご存知ない方がほとんどでしょうけれども(笑)ピアノ×ソプラノ×ピアノという変なグループです。YouTubeぜひ見てね。ResonanCeは最初、古い音楽と新しい音楽でコンサートをやりたい、と私のワガママを叶えてくれたグループです。私が勝手に恩を感じているグループであり、なんだかんだもうすぐ結成7年になります。このグループが無ければ今のソロ活動は無かったでしょう。よほどのことがない限り、私は他のグループに加入したり結成することは無いです。まぁ逆に言えば、何か組んだらよほど心が動くことがあったってことで(笑)巡り巡ってレゾのおかげでCDを出すことも出来ました。レゾには感謝でいっぱいです。

本当に弾きたい曲を弾いてきているんですよね。しかし、ピアノで演奏できるかどうかは吟味しています。やはりモダンピアノとの相性と言いますか、その曲のポテンシャルを最大限に発揮出来るのはオリジナル楽器だけでは?と感じるものも少なからずあります。また、自分の演奏の軸となる「ゲマトリア」が反映されるかどうかも曲を選ぶポイントとなっています。聴いた方がこれらの中でどこかに共感してもらえれば、それ以上嬉しいことはないですね。ぜひ一度はその耳で体感してください!とは思うけれども、全ての人に受け入れられるとは毛頭思っていません。ただ「お、ブクステフーデ良いじゃん」だったり「バッハより前の曲もピアノで弾けるんだ」だったり「え、ゲマトリアってなに?」と思ってくれる人が少しでも増えてくれたらありがたいです。

ちょっと長くなりました。なぜピアノの一番古い作曲家はバッハなのか?という疑問を持った初心に帰って活動していきたいと思います。同時に生徒さん達と一緒により音楽を深めていけるよう、音楽活動とレッスンをもう一度見直して2025年を歩めればと思います。
どうぞ良いお年をお迎えください。
また来年もよろしくお願いいたします。
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実家のピアノ発表会

2024-12-09 14:17:31 | 日記





毎年恒例、実家のピアノ教室の発表会。
今年はいつもと違う会場でした。フルコンのスタインウェイに500人も入る大きなホール。実家の教室の生徒さんの中にはこのピアノに触れるのを楽しみにしていた子もいたそう。そりゃたしかに、フルコンどころか家にピアノがあること自体普通ではないのですよね。

私が東京で教えている生徒さんも3人、わざわざ郡山まで来て出演してくださいました。ありがたいです。3人は先月開催した私の発表会にも出てくださったのですが、3人ともその時よりずっと素晴らしい演奏をしてくださいました。長い移動などで疲れもあったことと思いますが、そんなことを感じさせない演奏でした。

ベートーヴェン:ピアノソナタ第28番の1.2楽章
ショパン:ノクターンOp.55-1
リスト:伝説2番

レッスンでは少し口うるさかったかもしれません。しかし、皆さん喰らいついてくださいます。そのような方にレッスンをさせていただけるというのは本当に幸せなことなのだと思います。

1人の作曲家を深めるのは本当に大変ですね。その人の数十年を数時間本を読んだり曲を見ても何にもなりません。今日、「分析」というものは曲の形式や和声について費やされているように思います。しかしそれは単なる「譜読み」にすぎません。つまり「分析」というものがあまりにも浅く空虚なものになっているように感じるのです。

レッスンをするにあたり、上記の曲の譜読みをしていくとそれぞれに大変な問題が浮かび上がりました。ベートーヴェンもショパンも晩年と言われる年代に差し掛かっていますし、リストは宗教的な面が強くなりつつある時代です。しかしその思想や哲学、宗教観を知るだけではやはり音楽にはなりません。ではどうやって音楽としていくのか。そこが問題でレッスンで伝えていくところだと思っています。譜読みや分析は教えるための根拠なので、わざわざそれを説くことはしませんが、質問などがあればお話します。

しかし、結局のところそれを超えた響きを目指してほしいのですよね。もちろんそれはとてもとても難しいことなのですけれど。意見が合わないことや反論なんかはもちろんあって構いませんし当然のことと思っています。それならもちろんその方向で一緒に考えます。

演奏なんてものはものすごく時間をかけて練習したものがあっという間に終わってしまうものですが、好きで弾いている方には演奏者本人も心に残る演奏が出来るようにしてあげたいなといつも思っています。もちろんその過程もたのしんでもらいたいですが、やはり人前で弾くことの感覚というのは新鮮であってもらいたいです。慣れは良いですが、それが麻痺にならないように。

発表会を終えると「先生のおかげで…」という流れがありますが、それは何より本人が頑張ったからそのような結果が生まれたのだといつも思います。
ピアノはその鍵盤を押せばその音が出ますよね。なので楽譜が読めるようになり、ある程度の理論なんかが分かれば独学でも出来るものなのだと思います。ですので私は、独学では到達出来ない演奏が出来るようにしてあげられなければいけません。やり甲斐はありますが、同時に責任を改めて感じた発表会になりました。その人にとって何が楽しみで幸せに繋がるか、これからもしっかり考えて生徒さんたちに接していきたいです。
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結局、自分の音を聴くのが一番難しい

2024-11-24 16:41:47 | 日記


今日の生徒さんはとても良いベートーヴェンとリストを持ってきてくださいました。
ある程度まで弾けていれば、あとは一言だけで大きく変わるもんですよね。聴いていて「あ、ここが…」というのをこちらは見つけてあげて、アドヴァイスするだけ。もちろんそれまでの積み重ねがあるから一言で済むわけですが。レッスンする側はそれを冷静に且つ客観的に聴けるから直すべき点を言えるんです。

しかしいざ自分の練習となるとなかなかそうはいかないもので…練習を録音するというのは1つの手ではあるでしょうが、やはり自分の演奏というのは自分の好みに寄せているものなので、なかなか完全な客観視というのは難しいものです。

弾きにくいパッセージなんかも、人のは見たり聴いてて「あそこああすればすぐ弾けそうだなぁ」なんて思うくせに、いざ自分になるとその冷静さがなくなったりしてます。ふとした瞬間に弾けるようになったりして、「あ、そうですね」ってなります(笑)

そんな私ももうすぐ自分のレッスン。いつも生徒さんに言ってることを言われないように、自分の音に耳を傾けて練習したいところです。
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初めてのピアノ発表会

2024-11-20 10:31:13 | 日記





初めて私の生徒さんだけで発表会を開きました。全生徒さんのうちおよそ半分の方々が参加してくださいました。
幼稚園から大人まで。会場は私のお気に入りのパシュタート。シュタイングレーバーを生徒さんたちに弾かせたかったというのもあります。
ただ狭い会場のため、基本親御さんのみとしてしまったのが残念。今度はもう少し大きな会場にし、祖父母やお友達なども呼べる会場にしようと反省しました。

さて、だいたい初めてする何かというのはハプニングが付き物なわけでして(笑)順番を待つ幼稚園児が緊張し過ぎて泣き出してしまいました😭まぁね、本人には悪いんだけどかわいい(笑)順番を変えて前半の一番最後に。それでも結局泣きながら、お母さんを壁にして弾ききりました!演奏はしっかりしたものでした!順番も大事ですねぇ。

発表会初体験の子がほとんどでしたが、緊張しながらもみんなしっかり弾けてました。普段のレッスンでは見せてくれない顔で、感心しておりました。

高校生以降は曲も難しくなり、本番前のレッスンでも心配していましたが、皆さん良く演奏されました。そんなもんで、講師演奏も中途半端なものは弾けないなぁと思いまして(笑)残り時間などを見て弾くものを決めようと思っていたのですが、予定よりサクサク進みましたので、バッハ=ブゾーニのシャコンヌを弾きました。

親御さんたちには、「たくさん褒めて美味しいものでも食べさせてください!」とお伝えしました。

演奏者なんてのは周りがどんなに褒めようとも、本人には反省ばかりなもんです。万が一自分の演奏に満足したらその先はないでしょう。終わってから聞こえてくる、「あそこが〜ここが〜」というのは伸び代ですね。

たまには緊張する瞬間というのはあってもいいのだと思います。自分が弾くだけでなく、人の演奏をしっかり聴く、人の良いところを探して聴く。悪いところなんかは誰だって分かるんですよね。そこを指摘するなんてのは自分の愚かさを露呈するだけです。それを伝え良い方向にしていくのが私の仕事でしょう。生徒さんたちには人の良いところを見つけ、素直に褒められる人になってもらいたいです。

専門的なり自分の楽しみなり、音楽との関わり方はそれぞれで良いので、苦になるものでなく続けてもらいたいです。それを支えてくださる親御さんたちには本当に感謝でいっぱいです。

これからも生徒さんたちが音楽をしていくお手伝いが出来ればと思います。そのためにも自分が常に学んでいかなくてはいけませんね。
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「音学×音楽」、無事終演いたしました!

2024-11-19 19:57:54 | 日記







とても遅くなりましたが...「音学×音楽」、無事終演いたしました!ご来場くださいました皆様、ありがとうございました!

前半のバッハ、パッヘルベル、ブクステフーデを「音学」とし、後半の動物コンサートを「音楽」としました。
動物枠にはクイズも練り直し、ソプラノ・ヴァイオリン・ピアノで演奏するシューベルトの「岩の上の羊飼い」も追加しパワーアップ😂シューベルトが亡くなる直前の作品。動物枠に入れるべきではなかったかな?とも思いましたが、いざ本番を終えてみるととてもフィットしていたように感じました。お客様の反応も印象的なほど大きかったように思います。

大変にお恥ずかしいことではあるのですが、プログラムを全て終え、ゲストのお2人に一言頂いた後、感極まって涙ぐんでしまいました。なぜ「学んで楽しい」というテーマにしたか、というお話を簡単にしようと思ったのですが、そのことが一瞬で頭の中を駆け巡りました。

今年の7月、とあるメールが届きました。「ギリシア哲学や文化、古代ローマの哲学などが音楽とどのように結び付くかを知りたい」と言った内容でした。一度電話でお話すると、彼は80代後半で余命3ヶ月の末期ガンとのこと。こう言っては失礼ですが、病人とは思えないほどハキハキと話される聡明な方でした。お医者様と相談の上、一度に30分程度の通話という条件で私の知っている範囲でお話することになりました。全部で7回だったでしょうか、小さな話し合いをやらせていただきました。通話をするときは本棚の前に座り「さぁなんでも来い!」という気持ちで緊張してましたね(笑)本当に「え、そこ?」っていう角度で質問が来たりしてました。彼は通話を切る時、「次までまた勉強しておきます」といつも言われるんです。いやいや!勉強しておくのはこっちです!というやり取りが毎回ありましたね。

残念ながら9月の末に亡くなられたとご遺族の方からメールをいただきました。なんでも、通話した日はとても機嫌良く楽しそうに感想を語っていたそうです。30分という短い時間ですから、雑談などはほとんどありませんでした。その中で印象的だった一言が「この歳になっても学ぶことが楽しい」という言葉でした。私より55以上歳上ですが、そんなことを言える、思えるということにただただ頭が下がる思いでした。

私がお伝えしたことが彼の欲するものだったかは分かりません。そうであってほしいですが...。しかしながら私にとっても楽しいひと時でありました。演奏以外の面で音楽と向き合えていたように思います。初め彼は「ピアノは弾けないのだけど」と申し訳なさそうに言っていました。しかし、演奏するだけが音楽ではないし、音楽との接し方は十人十色本当に人それぞれで良いのだと思っています。

今回のコンサート、表向きは親しみやすそうなファミリーコンサートですが、中身はそれ一辺倒ではないのが想像できるかと思います。もちろん親しみやすさについては十分考えました。その結果がクイズという形でした。もちろんクイズも全て私が考えました。子供から大人まで参加できる、しかし音楽に何かしらの形で結び付く問と答えを意識しました。

終演後、アンケートには「知っている曲も解説を聞いてから聴くと全く違って聴こえた」、「クラシックのコンサートには縁がないと思ってたけど楽しかった」、「子供が最後までちゃんと聴いて、クイズを楽しんでいた」、「楽しく学ぶことができた」というような内容のことばかりで、大変嬉しく思いました。

論文のようなプログラム、あまりにも偏った説明、解説が伴わない演奏のコンサートには私も賛同できかねます。しかし、曲への手引きや解説はあってよいのだと思います。個人的にアンケートで嬉しかったのは「ゲマトリアによる音楽の見方が面白かった」というのがいくつか見受けられたことです。ゲマトリアでもっと音楽を見たいということを書いてくださる方までいらっしゃいました。ゲマトリアについては本当に少し触れる程度でした。しかし、それに興味を持ってもらえたのはありがたいです。

シューベルトは亡くなる寸前まで対位法のレッスンを受けていたといいます。私は自然とその生徒を重ねて見ていたように思います。彼とよく話したのもシューベルトでした。今回のコンサート、形こそ決まっていましたが、生徒との出逢いによって「学ぶ」という面が無意識に大きく出ていたように思います。しかし、お客様の反応から「楽しく学ぶことができた」という声を戴き、とても嬉しく思いました。
...まぁ一度もあったことのない人でしたが、色々なことを思い出してしまい、恥ずかしながらステージ上で言葉を詰まらせてしまいました。

さてさて、次は植物シリーズかお国柄シリーズか...クイズコンサートはしばらくお休みになりますが、そのうちまたやろうと思います。
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好きを追究した最高の形

2024-10-22 18:59:01 | 日記

榎本智史さんの「十二音の色彩~シェーンベルク生誕150年によせて~」に行ってきました。シェーンベルクの他はベルク、ヴェーベルン、ハウアー。

聴き終えた直後の率直な感想として「好きを追究した結果生まれた最高の形」ではないかと思いました。自分が演奏するスタイルの音楽ではないので、ご本人的には反省点があるのかも分かりませんが、榎本さんが伝えたいことは今日集まった聴き手の方々には確実に伝わったのではないかと思います。

プログラム構成は聴く側への配慮が大きく、美術館をガイドさんと一緒に周っているよう。榎本さんの「当時この音楽は理解されるのに100年かかると言われていました。今100年経ちました!」という言葉に笑いが起きましたが、本当にその通りだなぁと思いました。まぁ当時そう言った人達は自分が100年後生きていないからそう言ったのでしょう。榎本さんの話したように「それが今でも議論になる」というのはこれ如何に。

十二音技法についての本や著名なピアニストによる演奏は多くあります。しかし、魅力を伝えるためのその中間が無かったように思います。たしかに研究しつつそれを演奏で表現するというのは大変なものでしょう。しかしそのようなことが少なかったというのがこの100年後の結果ではないかとも感じました。

榎本さんがこのコンサートに向けて開催していた「私的演奏協会」やSNSでの発信は面白くて分かりやすく魅力的です、が、それらと同じくらい演奏が素晴らしいです。研究したものが血肉となりイキイキとした音楽となっているようにいつも感じるのです。

コンサートは1本を通してシェーンベルクとその周辺の作曲家たちの十二音への道を旅するものでした。たしかにしっかり理解するのは難しいかもしれませんが、そこに在る響きは紛れもない「音楽」そのものでした。

良いコンサートを聴くと興奮でとてもドキドキします。これは大きな会場のコンサートでもそうですし、直近で言えば加藤綾子さんのコンサートでも同じ感情を味わいました。今日のコンサートでも同じ気持ちになりました。

アンコールにはオブーホフの「互いに愛し合いましょう」。これは私が榎本さんに習った曲でもあり、今もちょくちょく弾いているお気に入りの1曲です。最初の音でなんの曲か分かった瞬間、本編最後のジーグで鳥肌が立っていたのになぜか涙目になるという😂アタシの情緒行方不明(笑)
帰りには思わず拍手したまま榎本さんに「凄かったです!」というはたから見たら変人に。

このような取り組みが遅れた100年を取り戻していくことと思います。100年経って理解され始めていく、その口火となったようなコンサートでした。
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加藤綾子さんの「形式を呼吸する」

2024-10-21 19:06:18 | 日記
10月9日、加藤綾子さんの「形式を呼吸する」へ。かなり早いうちに日時が発表されておりましたので、バッチリ空けて楽しみにしていたコンサートでした。

・加藤さんの演奏が聴ける
・加藤さんのデュティユーが聴ける
・大瀧さんの伴奏が聴ける
・灰街令さんの作品が生で聴ける

なんと素晴らしいコンサートでしょうか。

バッハのBWV1015から始まり、バッハのBWV1001をベースとした灰街さんの新作、西村朗さんの「炎の文字」、デュティユーの「夢想の樹」。いやぁ〜プログラムを見ただけでもお腹いっぱい(笑)全てがメインとなりうるプログラムです。

バッハの1015はチェンバロとピアノのための作品。なんとなくどことなく漂うヴィヴァルディの香り。チェンバロをモダンピアノで弾くこととオーケストラパートをピアノで弾くことについてプログラムノートでは言及されていました。しかしまぁ…演奏でそれは非常に分からせられます。

アンサンブル、ソロ、コンチェルトの形式でしょうか。プログラムを1つ1つ取り出しても絶品なのですが、1つのなにか見えないながらも確実にそこに在る形式によってまとめられていく会でした。

音を発している楽器というのは目に見えていても、空気を震わす音というのは見えないのですよね。しかしそこに在るというのは紛れのないものなわけで。そこに灰街さんが作曲された新しい「かたち」が表れるのです。

西村さんの作品については流れに乗り切った加藤さんの演奏。初めて聴いた曲でしたが、演奏同様作品が素晴らしくぜひまた聴きたいと思いました。

後半のデュティユーは色々な理屈など抜きに本当に凄い演奏でした。「凄絶」という言葉がピッタリでしょう。伴奏というにはおさまらない、大瀧さんの演奏も凄かった。時に協奏し時に殴り合い、「形式を呼吸する」というコンサートなのに呼吸するのを忘れてしまうほどの圧倒的な演奏でした。

会場の温度も上がったのでは?と思うほどのコンサートでした。
加藤さんのソロコンサートへ行くのは3回目になります。毎度様々な刺激を受けると同時に、回を重ねるごとに加藤さんの考えがより立体的になっていっているように感じます。次回のソロコンサートも楽しみですが、しばらくは今回のコンサートを反芻したいと思います。

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