10月9日、加藤綾子さんの「形式を呼吸する」へ。かなり早いうちに日時が発表されておりましたので、バッチリ空けて楽しみにしていたコンサートでした。
・加藤さんの演奏が聴ける
・加藤さんのデュティユーが聴ける
・大瀧さんの伴奏が聴ける
・灰街令さんの作品が生で聴ける
なんと素晴らしいコンサートでしょうか。
バッハのBWV1015から始まり、バッハのBWV1001をベースとした灰街さんの新作、西村朗さんの「炎の文字」、デュティユーの「夢想の樹」。いやぁ〜プログラムを見ただけでもお腹いっぱい(笑)全てがメインとなりうるプログラムです。
バッハの1015はチェンバロとピアノのための作品。なんとなくどことなく漂うヴィヴァルディの香り。チェンバロをモダンピアノで弾くこととオーケストラパートをピアノで弾くことについてプログラムノートでは言及されていました。しかしまぁ…演奏でそれは非常に分からせられます。
アンサンブル、ソロ、コンチェルトの形式でしょうか。プログラムを1つ1つ取り出しても絶品なのですが、1つのなにか見えないながらも確実にそこに在る形式によってまとめられていく会でした。
音を発している楽器というのは目に見えていても、空気を震わす音というのは見えないのですよね。しかしそこに在るというのは紛れのないものなわけで。そこに灰街さんが作曲された新しい「かたち」が表れるのです。
西村さんの作品については流れに乗り切った加藤さんの演奏。初めて聴いた曲でしたが、演奏同様作品が素晴らしくぜひまた聴きたいと思いました。
後半のデュティユーは色々な理屈など抜きに本当に凄い演奏でした。「凄絶」という言葉がピッタリでしょう。伴奏というにはおさまらない、大瀧さんの演奏も凄かった。時に協奏し時に殴り合い、「形式を呼吸する」というコンサートなのに呼吸するのを忘れてしまうほどの圧倒的な演奏でした。
会場の温度も上がったのでは?と思うほどのコンサートでした。
加藤さんのソロコンサートへ行くのは3回目になります。毎度様々な刺激を受けると同時に、回を重ねるごとに加藤さんの考えがより立体的になっていっているように感じます。次回のソロコンサートも楽しみですが、しばらくは今回のコンサートを反芻したいと思います。
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