のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

生徒が紡ぐリストの音楽

2024-09-17 17:27:45 | 日記



【生徒が紡ぐリストの音楽】
師の言葉で私に深く残っているものがあります。10年以上も前の会話です。
「リストだってバカじゃないんだよ。ただバカみたいな曲をバカみたいに弾くからバカみたいに思われているんであって(笑)」
その師と最後に話したのもリストのことでした。
「リストは本当に大きく誤解されている作曲家だよなぁ」

運命と言いますか、不思議なもので今私が昔からの師に習っているのもリスト。生徒さんが本腰を入れて学んでいるのもリスト。しかも私が勉強している曲とほぼ同時期に作曲されたもので、やはり共通点は多いです。生徒さんが勉強しているのは伝説の2番。「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」という曲ですね。

譜読みの前段階から簡単な分析を一緒に。写真は初版の扉と序文です。この扉は全て詰まったような絵で、細部まで目を通し、持っている物や書いてあるものの意味の解説から要所要所のゲマトリアでの分析をしました。曲からしてもリストの信仰心というのはうかがえますが、ゲマトリアでの分析はそれを裏付ける結果となったのには驚きました。リストが求めたカリタス!の響きとはなんだったのか…?ある意味の神秘思想みたいなものですよね。ベルナールやヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような。伝説1番のアッシジの聖フランチェスコについての文献はたくさん見つかるのですが、パオラの聖フランチェスコについては日本語で読めるのがほぼ皆無でした。どんな伝説なのか、この舞台はどこでどんな波が来るとこなのか、聖書との関連etc...
それを基に丁寧に丁寧に一緒に作ってきました。完成にはまだ時間がかかるでしょうが、本当に素晴らしい演奏になりそうで、私が今からとても楽しみです😂
弾けなくて奇声をあげるのがまた面白かったりもする(笑)

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敬老の日

2024-09-16 18:46:22 | 日記

今日は敬老の日です。
祖父母に電話をし、少しの時間音楽について考えていました。今日祖父に言われた一言を私は生涯大事にすることと思います。

「レッスンは1つ1つ丁寧に。」

祖父は音楽をやる人間ではありません。音楽を知っているわけでもありません。しかし、全ての仕事に当てはまることですよね。
この一言は当たり前でありながら時に忘れてしまうことではないでしょうか?
教わる側が「いや、これは違う」と判断するのは難しいことだと思います。私だって子供のころは「違う」と思うことはほとんどなかったように思います。それだけに教える側の「責任」というのは大きいです。我々の場合「1つの正解」は無いですよね。ですが色々な正解がありつつも「間違い」はあります。もし生徒さんが「間違い」へ進んでいたらどのように言われても返せなければなりません。そうなるとやはり常に自分も勉強していなければならないんですよね。

数日前、少し音楽についての会話をしました。音楽とはなんぞ?ということでした。レッスンでの会話ではありませんのでここに書いてもいいのですが、なかなかに深く考えることでしたので、レッスンで生徒さんと話してみたいと思います。

デカルトに「我思う故に我あり」とありますね。様々な角度から疑うことによって、自我はあることが分かるという…原文はラテン語で「Cogito, ergo sum」
cogito-考える(単数・1)
ergo-だから
sum-ある、いる、である(主格)
繋げると「私は考える、だから私はある」となります。
散々色々なことを考えた結果が単語3つで言えてしまうんですよね。

音楽について色々考えます。しかし案外まとめると短いことなのかもしれませんね。そんなことを思う敬老の日でした。祖父は93歳。まだ元気に過ごしてもらいたいです。

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地道な勉強

2024-09-12 10:39:00 | 日記

絶版だったので中古で買いました。
まだ目次と索引に目を通しただけですが、注意して読めば面白そうな内容。
中身はお見せ出来ないのですが、かなりの書き込みがあります(笑)こういう場合の書き込みは「あ、前の持ち主にとってはここが大事なんだな」と系統と言いますか、趣味が浮き出てきますね。見る限り私とは狙いが違いそう。

オンラインレッスンの生徒さんは楽曲分析が中心の方が多いので、常に勉強していないと質問された時にサッと返せない😂最近じゃ生徒さんが色々な知識を得ているので、それを見極めなくてはならなくなりました。どこで読んだかなど注意しなくてはなりません。
この本の索引を見ると「バッハ」、「タトロー」、「ピカンデル(ピカンダー)」の名がありましたので、おおよその中身は検討がつきます。が、この著者は音楽学者ではなく数学者です。鵜呑みにしてしまっては危険です。ネット情報より幾分良いものの、本も注意が必要です。

例えばゲマトリアの説明時に、聖書に出てくる人名を数字化した時の数と、聖書内のとある数が一致するということや、カンタータとの一致について話したりします。しかし、ヒトラーの名やビル・ゲイツの名が666になる、というのはオカルト過ぎると思う。ゲマトリアというのは意図的か偶然かという線引きは大事で、何でもかんでもを結び付けるのは危険です⚠️

そこから音楽へ繋げようとするのはもっと注意し、客観的に見ていかなくてはなりません。地道に勉強して研究していかなくてはですね。
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自己啓発と他者啓発・共感と支持

2024-09-10 19:01:59 | 日記
最近やたら自己啓発系の投稿を目にするようになりました。それ自体を否定する気はないし、その人がそれによってより良い生活を送っているのならそれは結構なことだと思います。

しかしながら、それを他者に押し付けるようなことについては考える部分があります。自己啓発は結構だけど、「他者啓発」はやめてくれ、ということです。そもそも自己啓発系の動画ってのは、人がその動画を見てる人への他者啓発でしかないと思うんですよね。私が嫌悪するのは「他者啓発動画を他者啓発すること」です。

「私はこのような行動をしてより良い生活ができるようになりました!」は自己啓発でありその報告ですよね。
しかし、「これをするとこんなに良くなるんです!試してみてね!」になると他者啓発に。いや、これ自体はべつに良いんですよ。人によって合う合わないはあるし、その情報のおかげで助かる人もいる。そしてこの動画を見て「共感」するのも良いんです。しかし、「支持」になると話は別です。「この人がこうしたらこうなったんだって!だからみんなもやろうよ!」と善意で拡散しているのでしょう。しかし、人によってはありがた迷惑でしかないこともあります。

近年、SNSの普及といいますか、様々な形で自分を発信できるようになりましたね。旧TwitterやYouTubeを始め、短い時間の動画で自分の考えを発信出来るようになりました。だからこその現象なのでしょう。昔から「自己啓発」自体はありましたし、それこそ多種多様だったはずです。流れてくる動画を見ても、それぞれのニーズがありますね。ですが、よくよく見ると根本はほぼ同じで、しかも言ってることは一般的に「当たり前」なことばかりです。そういう部分だけ抜き取って考えると、少し前なら怪しい宗教団体の火種となるものだったのではないかと思います。「元気に挨拶をしましょう」、「人を大切にしましょう」、「やり方ではなく在り方が大事です」etc...

分かった分かったもういいよ、と言いたくなるものばかり流れてきます。拡散する前に「共感」と「支持」について一度考えてみてほしいです。なんなら「えー!こんなに良い考え聞けてラッキー!独り占めしちゃお♪」ぐらいの気持ちでいてもらってかまいません。

もう本当にそういうのを求めるんだったら聖書を読んだら十分だと思います。決して薦めないけど(笑)私はキリスト教の人間ではありませんが、音楽のために読んでいます。面白いですよ?絵画を見てもアニメを見ても「あ、あの部分のオマージュだなぁ」とかけっこう発見があるものです。だからほら、読も?

まぁ冗談はさておき。自己啓発は昔からあったと書きましたが、誰しもが持っているものなのかもしれませんね。十人十色と言いますか、万人に通ずる考えなんて滅多にあるもんじゃないです。もし通ずるのであればそれは「普通」のことです。
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推し活・児玉真子さんのコンサート

2024-08-10 20:00:27 | 日記
推しのフォルテピアノ奏者・児玉真子さんのコンサートに行ってきました。



数年前に偶然SNSでお聴きしてからすっかりハマってしまい、勝手に推している演奏家さんです。日本での活動は愛知や岐阜が中心のため、生演奏に接する機会はありませんでした。その児玉さんが東京でコンサートを開かれるのですから行かないわけにはいきません!(笑)

前半は1795年のワルターのレプリカ(2023年製)。後半は会場であるタカギクラヴィア所蔵の1825年製ヨハン・クレーマー。クレーマーは作曲家、ピアニストとしても活躍した方で、日本では「クラーマー=ビューロー60の練習曲」なんかで目にすることが多いかもしれませんね。

前半はCPEバッハ、ハイドン、モーツァルト。クラヴィコードによるCPEバッハはよく聴きますが、フォルテピアノでの響きは生では初めてでした。なるほどたしかにクラヴィコードの延長線上に在る楽器であることを改めて感じます。奏法、解釈によるとこももちろんあるでしょうが、モダンピアノからは漂うことのない香りがありました。あの楽器だからこそ生まれた幻想曲という雰囲気がしっかり感じられました。

モーツァルトのソナタは3番K.281。私の大好きな曲で、2楽章にはamorosoと付けられています。普段はやはりピアノの音で聴くことが多いですが、三度の響きや三連符の響きはピアノからは聴くことのできないものでした。やはりこのような楽器で聴くとamorosoのイメージも掴みやすいのかもしれません。3楽章にしても、モーツァルトの遊び心がモダンよりも存分に感じられる演奏でした。児玉さんがハイドンの時にお話していた「語り口」というのを強く感じた瞬間でもありました。

後半はクレーマーを使用してのベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン。テーマとなる「古典派と初期ロマン派」が感じられる並びと楽器の変遷ですね。
ベートーヴェンを聴き始めてまず驚いたのはクレーマーの音色。


ものすごい楽器だと感じました。矛盾するような言い方ですが、モダンピアノからは感じられない雑味が素晴らしく良い響きを持っているのです。そこに児玉さんの技術が乗り、本当に素晴らしいベートーヴェンを聴かせていただきました。個人的にはこの日のハイライトでした。幻想曲Op77は大好きな曲でグリンベルク、フィッシャー、ブフビンダー、ブレンデルを愛聴していますが、いずれもモダンピアノですね。こちらも初めてフォルテピアノで聴きました。音量とかではなく、あの楽器から出る熱量と言いますか迫力がありました。それを引き出したのは児玉さんのテクニックもまた凄い。同じ「幻想曲」というタイトルが3つありますが、そういった変遷も裏テーマとしてあったのでしょうか。本当に感動的なベートーヴェンでした。

ラストはメンデルスゾーンの幻想曲。「スコットランドソナタ」なんて呼ばれたりする曲ですね。モーツァルト、シューベルト同様今日モダンでよく聴く曲ですが、ベートーヴェンを聴いた感覚と同様、モダンピアノとは違う種類の迫力がありました。ペダルの効きなんかも、パッと思い浮かぶベートーヴェンのテンペストでしょうか。ベートーヴェンの指示がとても腑に落ちる瞬間が多々ありました。

今までは画面上でしか聴くことの出来なかった児玉さんの実演はやはり素晴らしいものでした。昨日のコンサートによって間違いなくファンが増えたことと思いますので、ぜひ今後も関東でのコンサートも積極的に行ってほしいところです。昨日行けなかった方も次回はぜひ。モダンピアノにしか触れる機会がないという方は必聴の演奏だと思います。
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生と死は大違い、しかし生と死は紙一重

2024-08-05 15:50:05 | 日記
ふと、今までに本気で「死ぬ」と思った瞬間があったかを考えました。なんの前触れも無く、です。なぜ私がそういう思いに陥ったかは分かりません。しかし私には「あ…今日なのか…」と思った日がたしかに在りました。

3月11日、東日本大震災です。
揺れ始めるとすぐに立っていられないほどの大きな揺れに。母とこたつに入ってテレビを見ていました。ちなみに午前中には大学不合格の通知が届き、はぁぁと落ち込んでいた時でした(笑)

カタカタと始まった揺れはあっという間に大きくなり、とんでもない揺れになりました。母は体調が良くなかったのか、どんなに揺れようともこたつから出ず、外に逃げようとした私を呼び止めました(いかがなものか‎🤔)。そして部屋にあったピアノの下に入るよう言いました(ダメ絶対!)。

さて、揺れはとても長かったように思います。実際の時間よりも長く感じました。その時に初めて「死」というものを感じました。
(あぁ…きっと家が崩れて色々な物の下敷きになって死ぬんだな…いやぁそれにしても大学落ちた日に死ぬ?やだなぁ〜痛いかなぁ〜えー痛いよね?やだなぁ〜まだ弾きたい曲いっぱいあるんだけどなぁ〜)
ということを本当に考えてました。車に轢かれる時のスローモーションみたいなものでしょうか?揺れに恐怖しながらものんびり考えていましたね。緩い!と思われるかもしれませんが、「死」が近付いてくる時はそんなものなのかもしれませんね。


写真は私の部屋です(ガラケーの画質!)。揺れがおさまってから行ってみると、色々な物が部屋の中央に集合していました。なんで扉開けたらテレビがいるの?と思ったものです。これは当時モバゲーに載せたものですが、前日の3月10日に「生と死は大違い、しかし生と死は紙一重」というタイトルの日記を投稿していました。

では東日本大震災が自分のなにか大きなポイントか?と言われればそういうわけではないようです。「死ぬかもしれない」と感じた唯一の瞬間ではあります。1000年に1度と言われる大きな揺れを体感しただけ、という感じ。実際その後の被害は私なんかよりもずっと大きな方がたくさんいたわけですし、ライフラインもそんなに影響はなかったです。

ただ、たしかに「死」を覚悟したことは大きいかもしれません。ほら、体調崩した後って健康に感謝するじゃないですか?それと同じで、ただピアノが弾けるだけで幸せを感じます。大袈裟ではなくて。

先日、大学の友人に久しぶりに会いました。彼は、出会った頃に私が言った「俺は俺の周りの人が幸せそうなのを見ると自分も幸せになるから、周りが幸せならそれでいい」と言ったのが印象的だったらしいです(言った覚えは全くないけど、たしかに昔からそう思ってはいる)。友人は非常に自己中心的な人間なので、私が言ったことは全く理解出来なかったらしいですが、最近それが何となく分かる気がする、と言っていました。
震災では幸いなことに身内の犠牲者は出ませんでした。もしかするとこのことが原因でそういう考えに至っているのかもしれません。彼に久しぶりに会ったことがトリガーとなって「死」について思い出し、そして考えたのかもしれませんね。

練習、演奏会、レッスンなどをしていると音符に追われることが多々あります。一度立ち止まり、たとえ苦い思い出でも噛み締めてみる時間は大事なのかもしれません。一度深呼吸をして今生きていることに感謝しながら大好きなピアノにもう一度向き合おうと思います。譜読み祭りです。ブクステフーデを始め、今はこの世にいない人間の創った音楽にただただ真摯に向き合っていきます。
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音楽との出逢い

2024-07-09 19:21:05 | 日記
少し前に載せたマイケル・ジャクソンのSpeechlessの動画を見た方から「こういう音楽も聴くんですね」と言われました。そこでふと振り返ってみました。

マイケル・ジャクソンの亡くなった日、私は高校へ登校する前にピアノを練習していました。練習を終え、朝食の前にテレビをつけるとどのチャンネルもマイケル・ジャクソンの訃報について。その頃の私はクラシックしか聴かない人間でした。なので、マイケルほどの大きな存在が亡くなった、ということはショッキングなことではありつつも「へぇ~そうか~」くらいなものでした。その日は定期試験でした。早く学校が終わり、友人達とゴルフの打ちっぱなしへ行き、軽い熱中症になり帰宅後ずっと寝ていました。頭痛の中、ドラえもんを見ようと19時にテレビをつけると(ということは金曜日ですね。ドラえもん、しんちゃんはその頃金曜日に放送されてました。)、マイケル・ジャクソン追悼番組…あぁそういえば番組変更になってもおかしくないか…と流してました。そこで流れていたのはライブ・イン・ブカレストのビリージーンのダンスソロ。なんだこの人間じゃない動きは!と釘付けに。

その瞬間から彼が何となく気になる存在に(小学生男子か笑)。
そこから沼にハマるまで時間はかからなかったです。床屋のおっちゃんにCDを借り、結局欲しくなったから買い、DVDも買い…クラシック以外にこんなにハマったのは初めてでした。クラシック0.5:マイケル9.5という割合だったと思います。当時モバゲーというコミュニティサイトがあり、そこで知り合った人達とよくマイケルについて語り合ったものです。

そんなある日YouTubeでマイケルの動画を見ていると、関連動画にThey don't care about usのカバーがひょっこり出てきました。何気なく再生してみたらなんとカッコイイことでしょう。目を見開きましたね。詳細を見ると「Northern kings」という4人のイケおじ達らしい。しかもジャンルはメタルと書いてあります。自分から一番縁遠いと思っていた音楽でしたから驚きました。当時の私のメタルへのイメージはデスメタルだったのですよね。メタルに色んなジャンルがある、ということなんか知りませんでした。「Northern kings」というのはフィンランドの有名なメタルバンドのヴォーカルを4人集めた企画モノでした。その中で私がグッと心を掴まれたのはCharonというバンドのヴォーカル「J-P レパルオト」でした。しかしCDはすぐに手に入らず…仕方なく別のバンドを探す…TSUTAYAで借りられたSonata Arcticaを聴いてみることに。なんの知識もなく借りたのがたまたま名盤と言われる1stアルバム「Ecliptica」でした。あっという間にどハマり(笑)浪人時代でしたね。その後は同じく「Northern kings」メンバーのマルコ・ヒエタラが在籍するNightwishも聴き始めました。

さて、これが2009年6月25日のマイケルの死から2011年の約1年半の流れです。2011年3月には東日本大震災がありました。私は福島県の郡山におりましたので、原発の問題もあり外に出られない日々が続きました。また私は12日から肺炎になり入院もできず寝たきりで過ごしていました。そんな中、私の精神的な支えとなったのはやはり音楽でした。マイケルも聴きましたしメタルも聴きました。ネットでメタルのCDレビューサイトを暇つぶしに見漁る。気になったものはYouTubeで聴き漁る…そんな毎日。そこで運命的な出逢いをしたのがLacrimosaでした。「Hohelied der Liebe」を聴いた時の衝撃は今も忘れません。クラシックとメタルの融合なんてレビューにありましたが、融合という表現には収まらない、クラシック音楽の延長線上にある音楽、という印象でした。それからLacrimosaにハマっていったわけです。

2012年に大学に入ってからは環境もあってクラシック4:メタル6というような割合になっていました。メタルは雑食で好みが広がった時期でもあります。そんな時に出逢ったのが「プログレ」というジャンル。参考にしていたメタルのCDレビューサイトを読んでいたのがきっかけでした。最初はキング・クリムゾンやイエスと王道から入ったでしょうか。Moon Safariに出逢ったのもこの頃。当時感動したのはマイク・オールドフィールドの「Ommadawn」というアルバム。涙が流れるほど感動しましたね。そして日本のARS NOVAとの出逢い。

クラシックの人間はメタルやプログレ好きが多い、なんてたまに聴きますが、自分には当てはまるようです。その中で自分は幅広く聴くタイプではないのかもしれませんが、自分としては色々聴いたなぁと思っています。そんな中で自分の好きな音楽の共通点のようなものを見つけます。それがバロック音楽でした。イングヴェイやストラトヴァリウスなんかが表面的には顕著かもしれませんね。ところが表面上だけではなく、精神性もそのようなことを感じる場面が多々あるのです。本人たちからすればそんなことは無いのかもしれませんが、彼らもまた脈々と続く音楽史の中の1人なのでしょう。

そこから今の私が形成されてきたように思います。クラシック→マイケル・ジャクソン(ポップと言わずあえて)→メタル→プログレ→クラシック…このように2009年-2019年の約10年をかけて「バロック音楽をモダンピアノで弾く私」というのが出来上がりました。「バロック音楽をモダンピアノで」というのは間違いなくLacrimosaの思想が一番影響しています。それは間違いありません。しかし、Lacrimosaに出逢うためにはマイケルから出発しなければならなかったのです。そしてLacrimosaから先へ進まねばなりませんでした。自分の「好き」を追求していった結果が今の私です。すべての音楽との出逢いに喜びと感謝と敬意があります。あの頃のようにたくさんの出逢いは今後ないかもしれませんが、これから出逢う音楽もすごく楽しみです。
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フォルテピアノと朗読

2024-07-02 20:01:12 | 日記





6月29日、SNSで相互フォローさせていただいている方のコンサートへ行ってきました。
フォルテピアノ(レプリカではなく1817年のオリジナル!)と朗読によるコンサート。演奏は小原道雄さん。朗読は岩下時和さん。

感想としてはただただ楽しかった!色々な種類の「面白い」を味わったような感覚で、あっという間の2時間でした。
曲目も思わずニヤリとしてしまう選曲。特に1817年製の楽器でクレメンティ、ハイドンを聴けるというのはそれだけでワクワクです。今日聴かれるクレメンティとは違う、長調の優雅さや短調の耽美さはモダンピアノでは味わうことの難しい響き。それだけでも面白いのに、朗読とセット。

朗読→演奏という感じなのかなぁと思っていたのですが、朗読に合わせて演奏することもあり、その後にソロという流れでした。この朗読と合わせる、というのがすごく良かったのです。と言いますのも、普通であればBGMになってしまうか、逆に少し邪魔なったりしてしまうようなものですが、演奏が朗読の内容をぐっと引き出すのです。BGMではなく朗読のその場面をよりリアルに感じられるようになりました。そればかりは体感していただかないと伝わりにくいのですが💦

前半の最後はバッハのフランス組曲6番からアルマンド。想像しにくいかもしれませんが、アルマンドに朗読を乗せるのです。演奏前に「実験的」と話されていましたが、すでに確立されたような内容でした。これも聴いていただくしかないのですが(笑)

後半は笑える内容も。笑えるお話に合わせた選曲が実にピッタリで、BGMにもなるというのがまた面白かったです。

最後のお話は一番長く、他とは違うファンタジーな内容。しかしながら朗読と音楽が一体となりあっという間の時間でした。組み込まれたスカルラッティ、現代ではピアノで華やかなイメージが強いかもしれませんが、お話の影響と楽器の力があってなのか、とても哀愁のある音楽でした。スカルラッティを改めて見直さなければなりませんね。

朗読の会を見に行ったことはありませんでしたが、朗読だけの世界にも興味が芽生えました。
今回とても感動したのは、人の身体と楽器の力のみであれだけの世界が創れるということです。最近ではスクリーンに映像を投影するのもありますが、人の声と演奏というシンプルな構成なのに、その情景は(もちろん人それぞれでしょうが)しっかり浮かぶ。でもスクリーンに写してしまうとそのイメージは限定されてしまうため、自由度が下がってしまうのかもしれません。

終演後、時和さんに第2弾も楽しみにしてますとお伝えいたしました。本当に素晴らしい会でした。準備は大変かもしれませんが、本当に次回が楽しみです。
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本当に頑張った生徒さんの話

2024-06-28 18:43:29 | 日記


写真はオンラインレッスンで使った本の一部です。
普段は1人の生徒さんを取り立てて書くことはしないのですが、あまりにも嬉しかったため書かせていただきます。

元々Twitterで繋がっていた方でしたが、私がCDを出したのをきっかけによくお話するようになりました。それからシューベルトをとにかく敬愛しており、レッスンではなく講義という形でシューベルトのD899-3について一緒に考えました。その後は同じ形で他の曲を取り上げ、色々な視点でシューベルトを見ていきました。

そのうちにご自身で演奏したくなったのでしょう。ピアノを使ってレッスンをすることになりました。私のオンラインレッスンは、生徒さんに動画を送っていただく→私が添削し文章と参考動画をお送りする→テレビ通話でレッスン、という流れです。

曲はもちろんずっと大好きなD899-3。聞けば幼稚園でピアノを習っていたそうですが、ちゃんと習うのはそれ以来だと言います。小さな練習曲、他の作曲家の小品をやりつつ、地道にシューベルトを続けてくださいました。私の言ったことをしっかり守って練習されているのが、送られてくる動画を見る度によく伝わってくるのです。時には一度のレッスンで6小節ということもありました。そのくらい丁寧に丁寧に練習を積まれてくださったんですね。1年半かけてついに1曲をまとめられました!

今日のレッスンではシューベルトが読んでいたものに注目し、ギリシア文化やプラトンの本のどの部分がシューベルトの音楽に影響しているか、ということをお話しました。きっと今後もどんどん素晴らしい演奏になっていくことと思います。1年半という長いようで、それでも1つの作品を汲むには短い時間。「努力が身を結ぶ」と言いますが、それを目の前で見せてくださったように思います。心から大拍手を送ると共に、私自身、身の引き締まる思いです。

今日、生徒さんは「シューベルトのイメージが変わった」と話されていました。それは私にとってとても嬉しい言葉でした。

遠いですが、ぜひ近いうちに生で聴かせていただく約束をしました。その日が待ち遠しいです✨
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生き物音楽大辞典、無事終演しました!

2024-06-18 19:47:14 | CD/DVD 音楽






大内暢仁のピアノによる生き物音楽大辞典、無事終演しました。
おかげさまでほぼ満席となり、お客様だけでなく演者も大爆笑のコンサートとなりました。

約1年半ぶりのソロコンサートでした。バロック音楽だけでまとめたコンサートでしたが、久しぶりのソロがまさかこんな内容になるとは…思ってました(笑)というより、1年半前にはすでに頭にあった企画でした。単純にこのふざけたチラシを作りたかった、というのが発端ですが、プログラムを考えていくとヴァイオリンも入れたい…お、歌も入れたい!となり、ヴァイオリンの加藤綾子、ソプラノの東城里奈に協力してもらい実現しました。

内容的には子供向け、しかし蓋を開ければマニアックといういかにも私らしい中身だったと思いますが、老若男女問わず楽しめることを目標にしました。ギリシア神話の世界から古代ローマ、ギリシア語とラテン語から音楽の結び付き、プラトンやヘロドトスが話に出てきました。結局行き着くのはそんなところなんですね。

しかしながら親しみやすさは失いたくなかったので、各動物についての3択クイズを用意しました。正直驚いたのですが、子供だけでなく大人のお客様もイキイキと手を挙げてくださったのです。嬉しい誤算でした。また、小さなお子様も来てくださったのですが、やはりヴァイオリンや歌が入ったことにより、飽きずに最後まで聴いてくださいました。

ブルグミュラーなんかも演奏しましたが、ワイルド編曲の4羽の白鳥の踊りや、シフラ編曲の熊蜂の飛行、ゴットシャルクのタランテラなど超絶コンサートになっていました(笑)演奏だけならいいのですが、合間のお話では少し息切れをしてしまいました。中でもヴォルフの「少年とみつばち」(歌)、フランソワ・シューベルトの「みつばち」(ヴァイオリン)、リムスキーコルサコフ/シフラ編曲の「熊蜂の飛行」(ピアノ)は「羽音」を作曲者によってどのように違うかという聴き比べが面白かったのではないかな、と個人的に思っています。

「修辞法」というと大それたように思われがちですが、このように小さなことから触れるというのが本当に入り口となるのではないかな?という思いが強かったりします。違った音楽の楽しみ方が出来たら幸いです。

そして、ゲスト出演してくれた2人には本当に感謝でいっぱいです。ずっとやりたかった曲を自分がファンである奏者に演奏してもらえるというのは幸せです。また演奏したい曲ばかりです。

さて、うっすら考えていたことですが、かなり好評でしたので本格的にシリーズ化しようと思います。コンサートの最後にお話しましたが、植物シリーズ、国シリーズを考えています。国歌を基にした曲や民謡をテーマにした曲なんかでまとめようと思ってますね。

その前にブクステフーデ、パッヘルベル、バッハを中心としたコンサートを考えていますので、そちらが先になりそうです。
そちらもどうぞ聴きに来てください。
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