数年前まで、FPとして「終活」に関するセミナー講師をする機会があった。エンディングノートの書き方、相続、葬儀やお墓、終末医療や介護の事など、一般的な内容だった。
ところが、この数年「終活」というテーマですることはなくなった。超高齢社会となった日本で、マスコミで取り上げられることも増えて、世間の認識やその必要性は高まっていると思う。高齢者の方を中心にセミナーなども賑わっているが、私には積極的に取り上げたいテーマではなくなった。
「終活は必要と思うか?」と問われたら、「自分にもいつか必要になるだろうが、まだいい。」「必要と思う人はやればいいし、必要と思わなければあえてやらなくていい。」という正直な思いだ。
病で余命宣告をされた方や余生を心静かに送りたい方など、人生の終焉が感じられるようになった方々が、自らの意思表示の可能なうちに、家族や信頼できる人に財産分与などに関する意思を形にする「遺言」やリヴィングウィルが大切なことはよくわかる。誰しも人生いつどうなるかわからないから、相続トラブル防止のためにも、なるべく早めに準備や整理しておく方が良いだろう。それによって気づくこともある。
では、「終活をすれば安心か?」と問われたらどう答えるか。「今の自分には終活の安心よりこれからの生活や人生の安心の方が大事。」「安心は、人それぞれの人生観や内面の問題なのでわからない。」というのが率直なところ。
人生100年といわれる時代。それでも人生の長さは自分で決められないならば、私自身や人の日々の生活や仕事、そして生涯現役のキャリアを、最後まで心身ともにできるだけ健やかにして行く、いわば「健活」を考えて行きたいと思う。人の一生に余計な時間はないと考えるなら、「終わりの時よりも終わりまでの時間」をどう豊かに、どのように深めて行くかという思いの方を大切にしたい。
ところが、この数年「終活」というテーマですることはなくなった。超高齢社会となった日本で、マスコミで取り上げられることも増えて、世間の認識やその必要性は高まっていると思う。高齢者の方を中心にセミナーなども賑わっているが、私には積極的に取り上げたいテーマではなくなった。
「終活は必要と思うか?」と問われたら、「自分にもいつか必要になるだろうが、まだいい。」「必要と思う人はやればいいし、必要と思わなければあえてやらなくていい。」という正直な思いだ。
病で余命宣告をされた方や余生を心静かに送りたい方など、人生の終焉が感じられるようになった方々が、自らの意思表示の可能なうちに、家族や信頼できる人に財産分与などに関する意思を形にする「遺言」やリヴィングウィルが大切なことはよくわかる。誰しも人生いつどうなるかわからないから、相続トラブル防止のためにも、なるべく早めに準備や整理しておく方が良いだろう。それによって気づくこともある。
では、「終活をすれば安心か?」と問われたらどう答えるか。「今の自分には終活の安心よりこれからの生活や人生の安心の方が大事。」「安心は、人それぞれの人生観や内面の問題なのでわからない。」というのが率直なところ。
人生100年といわれる時代。それでも人生の長さは自分で決められないならば、私自身や人の日々の生活や仕事、そして生涯現役のキャリアを、最後まで心身ともにできるだけ健やかにして行く、いわば「健活」を考えて行きたいと思う。人の一生に余計な時間はないと考えるなら、「終わりの時よりも終わりまでの時間」をどう豊かに、どのように深めて行くかという思いの方を大切にしたい。