先日、ある企業セミナーの受付で、マスクをしていない人にマスクが配布された。講師は最初マスクをしていなかったが、講演が始まると「失礼ながらエチケットとしてマスク着用でお話しさせていただきます。なるべく大きな声で話すように心がけますが、お聞き苦しいことご容赦下さい。」と断って話を始めた。会場は、スタッフも含め全員がマスクをしている異様な光景だっただろう。
平常時に、講師は勿論、行政窓口も含めて、サービスや接客など人と顔を合わせる仕事においてマスクを着用することに、私は原則反対だ。医療等の現場など、職場環境や健康管理のためやむを得ない場合もあるが、過剰な自己防衛の印象があって違和感は拭えない。相手に対する配慮なく、当然のようにマスク着用で人と接するのは失礼という意見に賛成である。しかし、今回の様に、こちらに対しての説明や気づかいがあれば、事情の察しがついていたとしても、納得感があり違和感もない。エチケットとは、礼儀作法、社会のマナー、他人への気づかいだから。
昨今の報道で、感染した教師を攻め立て、生徒全員の検査を要求する保護者の様子があった。本人が特定できないよう音声を変えているから、余計にヒステリックに聞こえて不快だった。不安や怒りはわかるが、いわば不慮の事故に遭った人を非難して、自らの権利ばかりを正義のように主張する風潮が広がりはしないかと、嫌悪感すら覚えた。
誰でも自分や家族の健康や安全を第一に考えて用心や対策をすることは必要だが、他人を気づかう余裕も大切だ。行政や医療の適切な対応も大事だが、自己管理も欠かせない。地域社会で生きて行く以上、自分も家族も一人では守れないのだから、冷静に状況を見守り、できれば周囲に手を差し延べる胆力も肝要と思う。
私は、明日からもいつも通りのくらしや仕事をするだろう。結局、自分の健康に用心して責任持てるのは自分だと思う。