ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

89.働くおじさんたち

2018-04-25 23:11:00 | シニア 人生100年
 事務所の近所の道路に、自転車や原付バイクが多数停めてある。近所の店舗や事業所に勤める人や学生のものだろう。休日ともなると、周辺の商店街に買い物に来た人や街中に遊びに来た学生のものも増えて、置き場もないくらいだ。地方都市の街中は、動きやすいし駐車場代もかからないから自転車を使う人が多い。一方、駐輪場が足りないから路上駐輪も仕方ない。

 そんな自転車やバイクをせっせと並べ直す、作業着の数組の高齢者ペアがいる。道路にはみ出している自転車やバイクを、手分けしてきれいに隙間なく並べ直している。自転車はまだよいが、バイクの中には一人で動かすのが大変なものもある。「せーの」と腰を入れて二人がかりで動かしていることもある。そして、ずらっときれいに並んだ時点で写真を撮っている。ちゃんと仕事をした証拠だろう。その後すぐに出入りがあって整った列が崩れることもあるのだが。

 彼らは、市の委託事業に従事している。市道美化、通行の安全という目的だろう。時々、「この場所は通行の迷惑なので長時間の駐輪はご遠慮願います。」と書かれた注意喚起の紙をハンドルに付けて回っている。

 既に置かれている自転車やバイクを全部移動させることは困難だし、駐輪禁止となると近所の店の客足に影響が出るのかもしれない。しかし、公道である以上、駐輪を放置する訳にもいかないという事情の中で仕事をしているのだろうか。実働は一日数時間。雨の日は自転車が少ないので、仕事している様子は見かけない。

 彼らは、担当エリアを回り、並べ直し、写真を撮り終えると、よく近所の寺の境内で一服し雑談している。たばこの煙をくゆらせたり、缶コーヒーをすすったり。日に焼けた皴のきざまれた顔は、結構いい表情だ。「今日も一仕事したぞ、俺たちもまだ社会の役に立ってるぞ。」と言いたそうに見える。そんな時は、おじさんたちから見えない所に、自転車を停める。

 
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88.離れる力

2018-04-14 22:59:32 | 仕事 キャリア ライフキャリア
キャリア支援の仕事をしいると、段々と意識するようになる事がある。「いつ離れるか」。特に、様々な事情で就職困難となっている方の就職・就労支援の場合、先が見えてこないことが多い。関係構築はできても、その後の自己理解や仕事理解を踏まえ、啓発的経験を経て意思決定をし・・・というステップに沿って進むことは稀である。もちろん、本人の経験、能力、希望などを踏まえて求人とマッチングさせることもあるが、就職後に長続きしない事も多い。本人の意欲の問題かもしれないし、支援する側のスキルの問題かもしれないが、原因究明にあまり意味はない。なぜなら、行政からの紹介で〝支援″を受けに来る対象者が次々といるからだ。そもそも他の機関ではマッチングがうまく行かないから来ている。

 もう何年も、何十回も面談している方もいる。基本的には傾聴の姿勢で相手を尊重し、ステップを意識しながら相手の自己決定を促すのだが、教科書通りに物事が進むことは少ない。うまくいっていると感じている時こそ、こちらの独りよがりになっていないか注意する必要もある。焦りや苛立ち、ストレスを感じることもある。

 そんな中で、意識するようになったのが「いつ、離れるか」ということ。「相手の自己決定を促す」ことは、見方を変えると、人はこちらの思い通りには動かないということと痛感している。そして、自己決定のタイミングは、その人の性格や能力、経験値、心身の状態や置かれた環境によっても違う。寄り添うことや伴走することも大事だが、こちらが負担や限界を感じたり、なれ合いになってきたりしたら、時機を見てうまく離れて行くことが必要と思う。情が移ることもあるが、なおさら自分でなければ・・・などと思わない方が良い。まして自分のスキルアップのために支援を続けるなど論外だ。何人もの転機にいつまでも寄り添い、他人の人生に責任を持つことなどできないのだから。
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87.ワークキャリア スタート

2018-04-06 23:10:09 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 街中を真新しいスーツ姿の若者グループが闊歩する。男女数人から十数人。談笑しながら歩いている者、緊張した面持ちの者。入社式や新人研修の帰りだろう。

 自分の入社式を思い出した。約30年前のこと。同期入社は百人余り。式の内容や訓示など忘れたが、社会人生活への不安と、会社生活に束縛されて「同期の〝仲間”と競争する」ことへの抵抗感を覚えている。いわゆる安定した大手企業に就職したことの誇らしさもあっただろうが、早く辞めようと思った記憶もある。望んでいた仕事ではなかったのだ。結局、20年余り勤めることになるのだが。

 先日、あるサービス業の店舗の入社式に立ち会った。社長を含めスタッフ8名。二十歳前の男女1名が新人だった。場所は殺風景なミーティングスペース。雰囲気作りは、ホワイトボードに「入」「社」「式」と色画用紙に描いて貼ってあるくらい。仕事柄、皆カジュアルな服装だが緊張していた。新人の1年先輩スタッフが言葉を贈った。「入ったころは何もできなくてつらいこともあったけど、皆が助けてくれたのでやってこれました。」と感極まって涙した。新人が挨拶した。「憧れていた仕事につくことができて嬉しいです。早く仕事を覚えて皆さんとがんばっていこうと思います。よろしくお願いします。」目が輝いて堂々としていた。クールな印象の女性店長が色紙を二人に渡した。「来てくれてありがとう。嬉しいです。一緒にがんばっていきましょう。」固かった表情がゆるんだ。最後は皆で記念写真。笑顔がはじけた。社長が言った。「こういうこと初めてでどうなるかと思ったけど、本当にやって良かった。ありがとう。」涙を堪えているようだった。

 いろいろな形のそれぞれのスタートがある。皆に、自分のやりたい仕事につけて助け合える人が周りにいる有り難さを忘れないでほしい、今の純粋な気持ちを持ち続けてほしい、と思いながら温かな感動で胸が詰まった。
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86.実るほど頭を垂れる稲穂かな?

2018-04-01 20:31:58 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 キャリア支援関連の仕事に携わるようになって、8年近くになる。最初の頃は、職業訓練の就職支援に関する講義で、仕事の選び方や履歴書の書き方などを話すことが主な内容だった。それも月に数回程度、1回数時間程度だった。当時は、まだ仕事が少なかったので、依頼のあった仕事はありがたく引き受けていた。地方で仕事をしていると、大きな仕事が新米のキャリアコンサルタントにやってくることはない。小さなことからこつこつと積み重ねて行くことが、自分に合ったやり方と考えていた。

 それでも、リーマンショックの余波による不景気の中で失業者や求職者が増えていた影響で、職業訓練や再就職支援のニーズは高い状況だった。おかげで、少しづつ仕事は増えて行った。FP資格を目指す職業訓練コースも設定されて、ファイナンシャル・プランナーとして講義することもあった。その後、就労支援に関わることになったことが仕事の幅を大きく広げることになった。それまでの講師中心の仕事から、個別面談のウェイトが大きくなっていった。主に、様々な事情から長期離職していたり就職困難となっていたりする人の話を、ひたすら聴きつづける日々が続いた。無力感や腹立たしさを感じることもあったが、人の人生の格差や多様さを垣間見たり、人の本音や人情に触れることもあった。特にこの5年くらいは、現場経験を通して自らのスキルを高めるだけでなく、研鑽にも努めた。その結果、仕事も増えたし目指していた資格も取得できた。

 振り返ってみると、地方のキャリアコンサルタントとしては、よくやってきた方だろうという自負もある。これからも、パートナーや陰ながら支えてくれた関係先のスタッフのおかげという思いを忘れずに、人の転機や再出発を支えられるように、志の高い同士との研鑽も続けたいと思う。「自分は頭を低くしているかな?」と振り返りながら。
 
 


 

 
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