ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

143.元気な高齢者

2021-02-15 07:04:21 | シニア 人生100年
Kaさん。60代後半の男性。時々行く日帰り温泉施設でたまに会う。先日、半年ぶりくらいに湯舟で会った。湯気でよく見えなかったのだが、白髪筋で肉質の男性が軽く右手を挙げて「おっ、久しぶり」と声をかけてくれ、湯船に入ってきた。少し離れたところに体を沈め、すぐに目を閉じた。私も目を閉じてしばらくすると、いつの間にか先に出ていた。Kaさんは、確か7,8年前に、設備工事関係の会社を定年退職し、再就職のために職業訓練を受けに来られていた時に、私がその訓練生の就職支援を担当していたことから知り合った方だ。それ以来、会うこともなかったのだが、数年前にソバ屋で偶然声をかけられて以来、時々温泉施設で会う程度だ。風呂の中ではマスクをしないので、今はお互いに気を使って、あいさつ程度で会話はしない。

Naさん。来年から後期高齢者。首都圏在住。サラリーマン時代に世話になった取引先の社長。長く掛けている保険に関しておよそ30年ぶりに電話がかかってきた。声も話し方も変わっていなかった。当時は、気性が激しい面もあったが、いつも前へ前へと、上へ上へと向かおうとされていた記憶がある。かと言って、決して順風満帆だったわけでなく、いろいろな衝突や挫折もあったように思う。ただ、一つ言えることは、今も仕事をしているということだ。そして、Naさんは、いまも勉強してチャレンジしようとしている仕事の話を、あの頃と同じような口ぶりで話してくれた。まさにリカレントだ。そして、「私に言わせりゃ、60、70歳なんて小僧だよ」と喝破して笑った。あの頃の生き方を今も貫いているのかと思うと、胸が熱くなった。

Kuさん。身近なところの後期高齢者の知人Kuさん。大手企業を定年退職した後も、自力で再就職先を次々と見つけ出し、一昨年まで働いていた。そこを辞めるときには、もう仕事は疲れたからしないといって、たまに会うと認知症予防パズルの話などを聞かされたものだった。ところが、最近になって家にいても暇だからと再就職先を探し始め、今度私が講師をする再就職支援のセミナーにも参加されるという。仕事が見つかるかどうかわからないが、それでも何かできる仕事を探そうという心意気には敬服する。

 他にも、おととしこちらに遊びに来られた大都市圏に住む古希を過ぎたMiさん。(当ブログ109.再会)大変な時期なのに、年賀状には「お元気ですか?また行きます。」とひとこと書き。一回り以上も年下の私に、離れて何年たってもこの気遣いだから、若いころは結構モテた。
 Moさんは、60代後半で小さなシステム関係の会社を経営されながら、日本各地を飛び回っておられる。それだけでなく、四国八十八か所巡礼ももう何週も繰り返し、もうすぐ「先達」の資格が得られるそうだ。服装には嫌みのないおしゃれ感がある。
 
 私の年齢で、キャリア支援や研修講師などの現場で仕事をしていると、自分より年下のスタッフや関係者と協働したり連携したりすることが多い。だが、最近、時節柄「特に高齢者に配慮を」と言われていることに、どこか違和感を感じることがあるのは、周囲に元気なシニアが少なくないと感じていたからだろうと思う。確かに、医療・介護や福祉の支えや、自立した生活や経済面での配慮が必要な高齢者は今後も増えるだろうが、「配慮」という点では相手の年齢は本来関係ないはずだ。シニアに「高齢者」というレッテル貼りをして、配慮が遠慮になったり、敬意が敬遠になったりしては、時代の流れに逆行するのではないか。社会が息苦しくなるだけではないかと思う。

 人生の先輩方の中にもいろいろな人がいて、様々な生き方をされている。元気なシニアでも、同じ人間である以上、個人差はあれ誰も老いには逆らえない。若い頃にできたことでも、できなくなることもある。ミスや時間がかかることも増えるだろう。最近のニュースを見て感じたことだが、仮に相手が社会的地位があって嫌いなタイプの高齢者だとしても、本人の悪意や故意がない一部の失言や態度を敵意を持って非難したり、その人格や人生までも容赦なく否定したりするようなことを、それが正義であるかのように振る舞うのはやり過ぎで、誰も何も得るものはない。おそらく、そういうことをする人物の方が、いずれ「迷惑老人」とか「勘違い人間」と批判されるべきはないか。

「多様性」という言葉が注目されつつある現在、高齢者が社会のマイノリティーだった時代は終わっている。日本の高齢化率(65歳以上)は、約28%。地方では3人に一人以上が高齢者という現実もある。サザエさんが生まれた時代、磯野波平は54歳という設定らしいが、現在、54歳で波平のようなキャラクターやイメージ人はどのくらいいるのだろうか。 

 上記の私の周りの人生の先輩方は、今は昔の肩書や地位がなくても、失礼な言い方だが、世間周知の功成り名を遂げたと言われなくても、地に足つけて自分の人生を生きている市井の人々だと思う。皆に共通しているのは、ご苦労を乗り越えられたこと、そして年を重ねることで他者に寛容になったことではないかと思う。お顔にそう書いてある、声にそれがしみ込んで
いるような気がする。

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110.再集合

2019-07-06 21:23:24 | シニア 人生100年
 先月下旬、大学時代のサークルの友人5人と再会した。同級生全員が揃うのは、多分私の退職直後以来だからほぼ10年ぶり。東京駅八重洲の居酒屋に集合した。私以外は皆、会社や役所に所属して今も現役で働いている。ただ、その中で卒業直後に入社した会社に勤めているのは一人。他の3人は、転職や再就職している。

 話題は、今の仕事や家族の事、先輩や後輩の近況、健康や世間の話題になっていることなど。皆、まだまだ現役で今を生きているから、学生時代の懐かしい話は少ない。誰からともなく話したいことを話して、誰かがそれに反応する。ただ聞いているだけの者もいる。身辺の大きな変化を発表する者がいても、皆あまり驚かない。愚痴っぽい話が出ても、あまり掘り下げない。誰かがお代わりや追加注文を頼んで間ができると、いつの間にか話題が変わっていたりする。それでも、話していた者もこだわらないし、皆次の話題に耳を傾ける。雰囲気は悪くならないし、居心地は良い。無理はしないし卑屈にもならない。この場では昔のように対等だ。

 お互いに「変わらないなあ」などと冗談めかして言いながらも、年相応の変化はある。いろいろ紆余曲折もあっただろうが、概ね良い年の重ね方をしてきたようだ。皆の「顔」や物腰を見てそう思った。家族の状況や仕事の内容、これからの働き方や人生観などそれぞれであるし、人に話していない問題や悩みも抱えているのかもしれないが、おそらく自分に正直な生き方をしてきた中で、人を気遣う姿勢も身につけてきた友人達と思う。

 毎年の年賀状の一言書きを実現したひととき。帰りは皆一斉に一軒で帰ることになった。「せっかく東京まで来たんだからいいよ」と割り勘からはずしてくれた。「じゃあ、体に気をつけて、還暦までにはまた皆で集まろう。」と、店の前でそれぞれの乗る地下鉄の駅の方へ別れた。後日、皆から私にねぎらいの短いメールが来た。

 

 
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99.一緒に働きたくないシニア

2018-11-13 23:21:52 | シニア 人生100年
 「シニア」には、年長者、先輩、上級者、高齢者などの意味がある。先日の新聞に、政府が70歳就業に向けてシニアの転職の環境整備を図るとの記事が出ていた。いつごろどのくらい実現するのかわからないが、いずれ環境や法の整備ができたとしても、誰もが無条件に70歳まで働けることにはならないだろう。シニアの側に働く意思と必要な能力があることはもちろんだが、受け入れる職場の理解や協力も欠かせないからだ。
 
 私のサラリーマン時代の同期や同級生は、そろそろ出向や役職定年になったり、定年前の早期退職を考える者もいる。そんな世代だ。それでも、多くの先輩たちが70歳まで働く時代になれば、まだまだ年長者とも一緒に働くことになる。そう考えたとき、正直なところ一緒に働きたくないシニアはいる。好き嫌いを言ったらきりはないが、私が一番嫌悪するのは、「人生の先輩でありながら、年少者や周囲への寛容さや敬意に欠ける唯我独尊的なタイプ」。次に、「立場や地位にあぐらをかいて、役割や責任から逃げてばかりの無気力タイプ」。

 このようなタイプの人物はシニアに限ったことではないだろうが、私としては特に一緒に働きたくないタイプだ。そう思う背景には、私がこれまでの人生で、そんなタイプの年長者や上司などに嫌な思いをさせられてきた記憶の影響もあるだろう。一方、自分が嫌う人物には、自分自身の嫌な面が映し出されているという心理学の話も聞いたことがある。

 誰もが毎年、歳を重ねて行く。私も当然、どんどん「人生の後輩」の方が多くなって行く。
私は定年がない仕事をしているので、働けるうちはいつまでも生涯現役でいたいと思っている。思うだけでなく実現するためには、心身ともに健康であることに加えて、年少者や周囲への寛容さや敬意、役割や責任を進んで引き受ける姿勢を忘れないようにしたい。長く一緒に働きたいシニアと思われるためにも。
 
 
 
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90.手つき、手さばき

2018-05-03 15:39:56 | シニア 人生100年
手つきや手さばきには、その人の人柄や生き様が表れる。ちょっと大げさかもしれないが。
 
 乾杯の盃を交わす時、最年長のKさんはお猪口を持つ右手をすっと下げた。Kさんは、同じ職場で嘱託の立場で一緒に仕事をしていたが、基本的に上下関係はなかった。元は大手企業の管理職。偉そうぶらず、立場をわきまえて人を立て、70過ぎてもこちらが心配になるくらい動き回ってきっちりと仕事をしておられた。こちらもリスペクトしていた方だ。
        
 よく行く焼き鳥屋の店主。年齢は40前後だろうか。「串うち3年、焼一生」と言われる焼き鳥職人の世界で10年はやっている。これまで、何本の串を焼いたのだろう、これからあと何年、焼き続けて行くのだろう。塩を振る時に添える左手。炭火から立ち上る熱気や煙で塩が飛ぶのを防いでいるのだろうか。変わらないまじめで丁寧な仕事ぶり、目配り、そして味が、お客を離さないし新たに呼んでいるのだろう。
     
 時々行くお好み焼き屋のアルバイトスタッフ。軽快な手さばきでネタをこねる、片手で卵を割る、鉄板に具を広げ手早く丸く形を整える。金属製のへらが当たるたびにカチャカチャと、焼けたお好み焼きにソースをかけるたびにジューッと、音がする。パフォーマンスの要素もあるのだろう。ここまでできるようになるには、どのくらい修業をしたのだろう。でき上ったお好み焼きを両手で力強く二つに割いて、「お待たせしました。」と、ほっと笑った。いつか、正社員になるのだろうか。
           
 ショットバーの雇われ店長の知人。元々バーの経営をしていたが、一度店を閉めて一般企業で働いたそう。その後、やはり好きな仕事をもう一度やりたいと、業界に復帰した。愛想が良いほうではないが、黙々と果汁を搾り、氷を割り、シェイカーを振り、注文したお任せカクテルをグラスに注いだ。シェイカーを置くと、少し小指を立てた左手ですっとショートカクテルを送り出した。ちょっとクールに「どうですか?」と聞く。「うん、おいしいです。」の言葉に「ありがとうございます。」と控えめに笑った。

 特別に凝視したり観察したりしているわけではないが、仕事や人に対する思いや姿勢が、手つきや手さばきから自然と伝わってくることがある。そんな心地良さの中、ちょっと自分自身の手を見てみる。
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89.働くおじさんたち

2018-04-25 23:11:00 | シニア 人生100年
 事務所の近所の道路に、自転車や原付バイクが多数停めてある。近所の店舗や事業所に勤める人や学生のものだろう。休日ともなると、周辺の商店街に買い物に来た人や街中に遊びに来た学生のものも増えて、置き場もないくらいだ。地方都市の街中は、動きやすいし駐車場代もかからないから自転車を使う人が多い。一方、駐輪場が足りないから路上駐輪も仕方ない。

 そんな自転車やバイクをせっせと並べ直す、作業着の数組の高齢者ペアがいる。道路にはみ出している自転車やバイクを、手分けしてきれいに隙間なく並べ直している。自転車はまだよいが、バイクの中には一人で動かすのが大変なものもある。「せーの」と腰を入れて二人がかりで動かしていることもある。そして、ずらっときれいに並んだ時点で写真を撮っている。ちゃんと仕事をした証拠だろう。その後すぐに出入りがあって整った列が崩れることもあるのだが。

 彼らは、市の委託事業に従事している。市道美化、通行の安全という目的だろう。時々、「この場所は通行の迷惑なので長時間の駐輪はご遠慮願います。」と書かれた注意喚起の紙をハンドルに付けて回っている。

 既に置かれている自転車やバイクを全部移動させることは困難だし、駐輪禁止となると近所の店の客足に影響が出るのかもしれない。しかし、公道である以上、駐輪を放置する訳にもいかないという事情の中で仕事をしているのだろうか。実働は一日数時間。雨の日は自転車が少ないので、仕事している様子は見かけない。

 彼らは、担当エリアを回り、並べ直し、写真を撮り終えると、よく近所の寺の境内で一服し雑談している。たばこの煙をくゆらせたり、缶コーヒーをすすったり。日に焼けた皴のきざまれた顔は、結構いい表情だ。「今日も一仕事したぞ、俺たちもまだ社会の役に立ってるぞ。」と言いたそうに見える。そんな時は、おじさんたちから見えない所に、自転車を停める。

 
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72.誰のために働くか

2017-03-28 23:11:57 | シニア 人生100年
 Kさんは、長年の商売をやめた。諸事情で事業継続が困難になったからである。やめるまでの苦悩もあったし、やめてからも後片付けに苦労した。再スタートを切るまでの紆余曲折もあった。そして、50代にして単身、縁もゆかりもない土地で卒業以来の就職活動を始めた。

 私は、就職支援関係のセミナー講師をしていたので、Kさんのことを知った。Kさんは、就職活動の進め方を知らなかった。若い頃に転職歴はあったが、人のつてで再就職しその後独立して商売を始めて続けていたから無理もなかった。

 Kさんは、早く仕事を見つけたいと一生懸命だった。しかし、悲壮感はあまり感じられず、どこか泰然としながらも謙虚だった。
Kさんは言った。「何もかも無くしましたから、もう一回生きて行くだけです。」「自己PRや応募動機とか、あまり文章を書いたことがないので教えてください。」「これからは、自分のような人間でも誰かのお役に立てる所で長く働き続けたい。」私はKさんに、ノウハウも必要だけど自身の生き様や覚悟を大切にするようにと伝えた。

 Kさんは客商売をしていたので礼儀正しかった。目尻の皺はやさしそうで、眼力には力強さも感じた。年齢の割に体力もあった。そんなKさんは、介護福祉関係の仕事の求人が多いことに注目して図書館などで自主的に情報収集を行い、資格取得のために研修を受講することにした。そうして目標どおり研修を修了して、介護福祉関係の企業に再就職した。

 Kさんはこうも言っていた。「仕事は確かにお客様や誰かのためにやるものだけど、まず自分を大事にして自分のためにやると覚悟しないと、どこかでしんどくなって続かなくなるものかもしれない・・・。」

 Kさんが再就職先で働き始めて10日後、電話の伝言があった。「報告が遅くなって申し訳ありません。無事仕事が決まり、働き始めました。その節はお世話になりました。」

 

 
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69.引き際

2017-03-16 23:04:21 | シニア 人生100年
 定年後も長く働くことや、生涯現役を目指すシニアが増えている。内閣府の「高齢期に向けた『備え』に関する意識調査」によると、4人に1人は「働けるうちはいつまでも」と考えており、約半数が70歳以上まで働きたいと考えている。また、シニアの働く動機には、健康や社会とのつながりを保つための他に、「生活のため」という本音も少なくない。
 
 定年後をどのように送るかは人それぞれの自由であるし、個人の価値観や事情もあるだろう。健康や社会とのつながりのために働けるうちは働くという考えも、理解できるし共感できる。一方、いつの世もどこの世界もそうなのかもしれないが、「まだまだ働いてほしい」と思うシニアと「そろそろ引退してほしい」と思うシニアがいることも現実だろう。その違いは何か。一概には言えないが、「自己中心」か「自利利他」かの違いが大きいと思う。
 
 創業者や政治家ならともかく、一組織人や個人事業主などの立場でいつまでも後進に道を譲らず、自分に都合のよい主張ばかりを頑固に押し通そうとすると、周囲から敬遠されてますます孤立するだけだ。勿論、そのような立場になるまでにはそれなりに努力や貢献もされてきたのだろうが、それはその人にとっての過去であり周囲の者の将来にとっては障壁となることもある。一方、「自利利他」の精神には、積み重ねて来られたキャリアの厚みが背景にある。歳を重ねてもなお粉骨砕身、自らの役割や責任を全うしようとされる姿勢には敬意を感じる。

 自分にもいずれ引き際がやってくる。まだまだ先のことと思うが、いつになるかはわからない。そろそろかと思うようになったら余裕を持って後進に道を譲り、すーっと跡を濁さず第一線から引き、見守り役になれたらいい。それまでは、いろいろな相手と協力し切磋琢磨しながら共に成長して行く謙虚さを大事にしたい。そんなことを想うこのごろである。
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68.人生の先輩Kさん

2017-02-05 22:20:55 | シニア 人生100年
 Kさんは御歳70を超えている。かつての政府系企業に定年までお勤めになり役職も経験された後、民間企業や公的機関等から声がかかり、嘱託社員などとして数年毎に再就職されて仕事を続けている。今も、私がキャリア支援の仕事をしている所の担当者から懇願されて、シニア層の再就職支援や再就職先開拓の役割を担っている。

 Kさんは、とにかくよく動く。小柄で細身の体ながら元気だ。電話の声は大きくよく話す。フロアや廊下を小走りで動く。資料作りは手書きだが、鉛筆で書く文字がきれいで丁寧だ。赤鉛筆も使う。表の罫線も定規を当てて作られる。PC操作は苦手のようだが、文書に乱れはない。勿論、仕事に対する責任感は強く、任された仕事はやり切ろうとする。残業も厭わない。

 そんなKさんだが、決して偉そうに振る舞ったり、上から目線で物を言うことはない。ご自身の経験や信念からの意見を言うことはあるが、押しつけがましくない。若手の意見や担当者の指示も聞くし即応する。かと言って、全く隙がないわけでなく、今やろうとしたことを度忘れしたり、つい話が長くなったり、書類をめくるときに指をなめる癖がなおらなかったりする点はご愛嬌だ。だから、一緒に仕事がやりやすい。できる限り協力したくなる。

 Kさんが忘年会のときに言った。「私、70も過ぎたんで仕事はもういいと思ってたんじゃけど、○○さんにどうしてもと頼まれましたから、私でよければもう少しだけご奉公させてもらおうかと思ってやっとりますのよ。やるからには、きっちりやらんといけませんけん、いろいろ教えてくださいや。」日本酒で乾杯の時、担当者に対するお猪口を持つ手をちょっと下げた。

 Kさんは実に半世紀以上、周囲からも必要とされて勤勉に働き続けている。そんなに働いて大丈夫かと少し心配になることもある。人生の先輩を見習い、年長者を敬う気持ちを大切にしたい。
 

 

 
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60.還暦過ぎた人の再就職支援に思うこと

2016-11-01 22:38:19 | シニア 人生100年
 還暦を過ぎた人の再就職相談や支援のための面談の仕事をしている。大企業や公務員のように、定年後の再就職先がある程度確保されているシニアとは事情が異なり、中小零細企業に長く勤めたり転職を繰り返してきた人、自営業をやめた人、ブランクのある人など、雇用保険や年金も十分ではない人の相談が多い。再就職先がなかなか見つからず悩んでいる人や、あきらめかけている人も少なくない。最近では、家族や子供の支援も得られず独居生活で、最終的には生活保護に頼らざるを得なくなる人もいる。

 そのような人たちとの面談を行う際に、まず心がけていることがある。それは、その人の半生(歴史)を聴くということ。キャリアとは、過去、現在、未来のつながりだから、次に踏み出す勇気も、壁を乗り越える胆力も、自分の居場所を見つける気力も、これまでの人生を肯定的に捉えることから始めないと本物になりにくいと思うからだ。勿論、相手によっては過去のことを話したがらない場合もあるし、関係構築が不十分な段階で人生や本心を聞き出そうとしても逆効果となる。

 「これまで、お仕事中心でがんばってこられたんですね。振り返ってみてどう思いますか?」「へえー、そんなご経験があるんですか。よかったら、もう少し聞かせてください。」「いろいろご苦労されたんですね。」など切り出し方は相手にもよるが、こちらが話を聴く姿勢を見せると、少しづつ話し始める人が多い。そして、ひたすら聴いているうちに時間が来て、「あっ、すみません、しゃべりすぎました。普段あまりこんな話ししないので。ありがとうございました。」とすっきりした表情になる。

 「年齢的に無理ですよ。」と訳知り顔でアドバイスしたところで、相手の役には立たない。相手の持つ宝を引き出し、ささやかでも希望につなげてゆくことが役割だとつくづく思う。人生の先輩方のいろいろなお話は、おもしろくためになる。
 
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55.五十五歳からのシニアワーク

2016-09-20 20:06:53 | シニア 人生100年
 厚生労働省労働局主催事業の中に「シニアワークプログラム地域事業」というものがある。これは、ハローワークに登録している55歳以上の求職者を対象とした再就職支援事業で、各種技能講習と就職支援セミナーおよび面接会がセットされた6~8日程度のプログラムとなっている。技能講習には、清掃、ビル管理、介護職員初任者研修、介護送迎運転手、フォークリフト運転、調理補助などの座学と実技講習がある。

 私は、このプログラムの就職支援セミナーを担当しているが、先日、清掃の実地講習の様子を見た。50代後半から60代と思われる男性7人と女性1人が、床清掃のモップのかけ方、雑巾の搾り方、机の拭き方などを指導されながら、慣れない手つきで真顔で実習していた。指導員の方も、時折厳しく、丁寧に、やってみせたり、させてみたり、声をかけたりしながら教えていた。

 休憩時間に受講者の男性二人が、手洗いで話していた。「やっぱり、元気なうちは働かないといかんな。毎日家にいても何もすることないしなぁ。」「雇ってくれる所あるんやったら、何でもやってみないかんな。」

 多くのシニア層にとって、特に地方の中小・零細企業等の出身者にとって、再就職は容易なことではない。受講者のこれまでのキャリアはわからないが、技能講習を受講するからには未経験の職種にチャレンジするのだろう。受講者全員の再就職が保障されているわけではないが、キャリアチェンジにチャレンジすることは早期に再就職を決める上で大切なことである。たまたまハローワークで勧められたからという軽い気持ちで参加した受講者もいるだろうが、それでも何がきっかけになるかわからない。
 
 求職者も企業も、お互いを必要としたりされたりする気持ちが、働き続ける(続けてもらう)ためには大切なことだろう。シニアにとって、自分らしく働ける居場所が見つかれば・・・と願う。
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