ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

150.あの店のことが心配だ

2021-04-22 22:33:07 | 時代 世の中 人生いろいろ
 このブログ142号に掲載した「創業62年のバー」のマスターご夫婦のことが気がかりだ。今、この店のある繁華街は、時短要請の中で街が死んだようになっている。私は、店の常連でもマスターと親しい間柄でもない。マスターの作るハイボールの旨さと店の雰囲気、そしてバーテンダー一筋の生き様に感銘を受けた多くの客の一人だと思っている。
 
 昨年11月に久しぶりに訪れた際、マスターはいつものように淡々とお酒を作っておられた。奥様は人懐っこい笑顔で接客しておられた。ただ、その日マスターは、手が空くと時々店の片隅の椅子に座り込んでいた。お歳のせいか、少し疲れた様子も見えた。春になって、そろそろお元気なうちに行こうと思っているうちに、世間の状況が変わり行けなくなった。

 店を閉めて、どうしているのだろう。仕事が生きがいのように見えるマスターと、長年連れ添ってきた奥様。夫唱婦随で客の憩いと社交の場を守り続けてこられたお二人だから、常連さんらの応援もあって、きっと店を再開されると思う。バーテンダー人生の引き際をこんな状況の中で迎えるようなことにはならないでほしいと、勝手ながら願っている。

 最近、「医療には人の命がかかっている、経済には人の首がつながっている。」という、ある元官僚・医師の言葉が胸に響いた。
 政治家、自治体や医療のリーダーやトップら、一部メディアは、「命を守ることが最優先」という当たり前のことを今さらながらに唱えるのもいいが、それなら守るべき命の重さは平等であることをどう考えているのか「お示し」してもらいたい。穿ち過ぎだと思うが、誰もが反対できない大義名分の裏には、独善や私利私欲や何か不都合な事が隠されているのではないかとさえ感じる。皺寄せを受けている人たちからは、守られた世界で傷つくことのない者たちが、現場の声も聞かずに一方的に不利益を押し付けているという恨み節も聞こえてきそうだ。

 有事にすべての人が納得する施策を打つことはまず無理だろう。優先順位や最大公約数を求める中で、どこかに皺寄せや犠牲が生じるのはやむを得ないことかもしれない。それでも、今度こそ緊急時の医療キャパシティーを増強する対策、金を配るだけではない血の通った具体的方策、バランス感覚のある冷静な報道。国民や住民に負担や不自由を要請するなら、要請する側こそがこれらを命懸けで追求しないと、地域社会や国が弱って行く。事態は自然とおさまって行くかもしれないが、そうして喉元過ぎて熱さ忘れては、今の二の舞い三の舞いだ。弱い立場の人の心はますます傷んで行く。

 それにしてもあの店のマスター夫婦はどうしているのだろう。残りそう長くはないであろう人生の生きがいを奪われるようなこの状況の中で・・・。
 他にも気がかりな店はある。きちんと対策をして、まじめにがんばって仕事をしていたのにこんなことになって。仕方ないと割り切っているのだろうか。心折れていないだろうか。どんな思いでいるのだろうか。案外したたかに密かにやり過ごしているのだろうか・・・。
 早く店に行って心置きなく飲み、うまいものを食べ、楽しく人と話したい。そんな健全な心や行動が、少しでもまた店を元気づける力になればと切に願うこの頃だ。
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149.資格の品格

2021-04-11 08:43:44 | 仕事 キャリア ライフキャリア
  私は「国家資格キャリアコンサルタント」の資格を持ち仕事の一つの柱にしているが、 資格は仕事をする際の「必要条件だけど十分条件ではない」と思う。
 「キャリアコンサルティング」を仕事として行うには、この資格が必要であある。キャリアカウンセラーなどと呼ばれる類似のものもあるが、それらとは異なり国(厚生労働省)の認定の名称独占資格である。合わせて、スキルアップを目指す場合の目標として「1級、2級、キャリアコンサルティング技能検定」がある。私は自己研鑽と他のキャリアコンサルタントとの差別化のために1級と2級の技能検定を目指し、各級とも複数回受検して合格した。受検にあたっては、テキストや過去問題集の勉強もしたし、実技試験対策講座にも参加した。地元には講座も少なく、受験会場もないので、県外まで時間とお金をかけて何度も行った。
 そこまでしなくても、キャリアコンサルタントとしての仕事はできるのだが、合格して改めて考えるようになったことが「品格」についてである。
 「国家資格」とか「国家検定」とか、「国」がやっている資格を持っているから品格があるというものでもない。服装や言葉づかい、立ち居振る舞いなど、見掛け倒しだったり、逆に砕け過ぎていたりということがないか。どんな仕事においても、ふさわしい見た目や態度というものがる。ふさわしいかどうかは、自分ではなく相手がきめることだろう。かつて、実技試験にサンダルとTシャツというような試験をなめた態度で来ていた者や、資格があってもホステスさんのような場違いな服装で学生相手の講師をするような者もいた。

 そう考えると、品格の一つの目安は相手目線の考慮や事情や心情への配慮があるかどうかということだと言える。キャリアコンサルティングの倫理綱領の中に、「人間尊重」という基本理念があり、職務遂行上の行動規範には「相談者の自己決定権の尊重」と言う項目もある。難しく考えなくても、時々、独りよがりになっていないかと自分を振り返る謙虚さを持っていればよい。

 もう一つの品格の目安は、やはり現場で仕事に向き合う姿勢から身につくものだ。「やってる感」やアピールは盛んだけれど、自己満足だったり、実績が伴わなかったりしていないか。ちょっと逆風が吹くとすぐに逃げたり心折れたりしないか。基本に忠実に進めているか。臨機応変もいいが、必要に応じて教えを請い助けを求めることができるか。真摯に相談者や仕事に向き合っているかということだろう。

 先日、ある技能検定対策講座の受講生が、働きながら数年かかって合格した感想をくれた。「ぎりぎりで合格できました。勉強はとても苦しかったけれど大切なものになりました。」
 やはり、努力し苦労したからこそ大切なものに気づくことができると思う。自己研鑽とは、講習会などに参加することだけでなく、合格までのプロセスや実務経験を積むことも含まれる。そうして、資質の維持や向上の姿勢を保ち続けることも品格につながると感じた。
 私も、技能検定の実技についてはぎりぎりに近い点数だった。それでも、技能士というレベルをクリアして新たなスタートに立ったことで、キャリアに関する視点や視野が広がった感覚もある。

 キャリアコンサルタントについては、資格取得者が増えてきたことで、これからは増やしながら淘汰して行く流れになるだろう。履歴書に書く資格を一つ増やしたいという程度の、金で資格を買うような感覚なら受けてもうからない。資格を取るか取らないかは自由だが、資格がなくても十分に仕事はできているという考えは見直した方がよいかもしれない。資格も仕事も、真摯に向き合ってみないとわからない事もあるのだから、講釈はやってみてからにした方がいい。キャリアコンサルタントは、様々な「人」を相手にする仕事なのだから。
 そうして、相談者に寄り添い伴走し、誠実に仕事のできるキャリアコンサルタントが残り、着実に増えて行けば良いと思う。品格は自然と備わってくるものなのだろう。自分自身も品格を備えて保持するように努めたいと思う。

(参照:80.キャリアコンサルティングの作法と型)
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148.桜が目に沁みる

2021-04-03 22:33:01 | 時代 世の中 人生いろいろ
 「おはよーございます。」と、大きな太い声。「あっ、おはようございます。」と、明るい女性の声。社員6人ほどの小さな営業所に、本社から部長がやって来て、新年度新発式が始まりました。会社の新年度方針や目標などの説明の後、全員で経営理念や社訓の唱和。その後、個別の打ち合わせが済むと、「よっし、じゃあみんなで弁当食べようかっ。」と部長の掛け声。すると、女子社員が注文した弁当の美味しさと安さをアピール。お茶の準備が整うと、電話番の社員を残して広い会議室に移動しました。会議室の外にはなごやかな笑い声も漏れ聞こえてきました。市内の桜の名所や、食べ物の名物の話などをしているようでした。
   
 私が昼食に寄った食堂は、安くてうまいと評判です。一つのテーブルに大体2名までとしているので、券売機の前に少し列ができています。壁面の大型テレビには高校野球の様子が映し出され、アナウンサーのメリハリのある声が聞こえてきます。野球を見ながら食べる人、スマホを見ながら食べている人、職場の同僚数名で一緒に食べている人たちもいますが、あまり会話は聞こえてきません。それでも、人が共に食事をするという日常が静かに流れています。
           
 桜を見に、近所の公園に足を運んでみました。芝生やベンチの上には、桜の下で弁当やお茶をしている家族連れや学生がいました。歩きながら、自転車に乗ったまま、桜の木の下で立ち止まっていました。今年は、写真を撮っている人が多い気がします。誰かに見せるためでしょうか。それとも、2年ぶりの記念でしょうか。

 昨年の春は、こうした人の動きや集まりはほとんどありませんでした。それを思うと、この1年で世の中の状況はずいぶん変わったと思います。まだまだ元に戻っていないという見方もありますが、戻りつつあるとは言えるでしょう。それに、元に戻らなくてもいい。元に戻ることは時の流れに逆行することになる。そのように考える人もいるのではないでしょうか。先行き不透明で不安定だと嘆く人もいますが、これまで常に先が見通せて安定した状況の中で生きてきた人がどれほどいるのでしょう。不安や保身も人情なら、安心したい、人と共にいたいと思うのも人情でしょう。
   
 「あれはダメだ」、「それはしてはいけない」、「こうするべきだ、こうあらねばならない」。こう言った、白黒思考、禁止や否定のメッセージ、完璧主義。私もこうしたものの広がりに一時期翻弄されそうになりました。もう緩和した方がいいと思います。人の回復力をそぐからです。「ここまでならいい」、「こうすればできる」、「こんな考えもある」。人それぞれの意見、事情、価値観の相違はあるにしても、こうした寛容で柔軟な思考や行動に重心を移した方がより健全でいられると感じています。そして、私の周りの多くの人は、多少の揺れや浮き沈みはあっても、日々働き暮らす中で新たな日常を自然と受け入れつつあるように見えます。自分や家族を守ることだけでなく、他者や周囲への気くばり、心づかいも大切という良識を、それぞれに取り戻しています。

 この1年の振り返り。今の自分を支えてくれている人への感謝。1年後への希望や目標。日々を地に足つけて生きている普通の人々の、弱さ、やさしさ、逞しさ。桜はやがて散っても、大地に根を張っていれば、また春が来れば咲く。そんなことを思いながら空を見ていると、桜が目に沁みてきました。
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