今年ももう11月に入り年の瀬が近づいてきておりますが、いろいろ振り返ってみると、去年から今までずっと公私共にたくさんの変化がありました。
今思えば、よくもまあここまでやってこれたなという感じです。その時間を経て自分が成長できたかどうかは分かりませんが、少なくともメタルキング、いやスライムつむり数匹分の経験値を獲得できたと思います。
近頃、そんなようなことを考えふけることが多いです。スライムつむりじゃなくてマリンスライムだったけなとか、いやむしろスライムベスだっけなとか、色盲の人の前にスライムとスライムベスとメタルスライムが現れたら区別できるのかな、とか。
まあ、簡単に言うと携帯電話を新規契約した人と解約した人の差し引きで純増数はどれぐらいか、ということです(分かりにくい)。
ここでレインボー発クローズアップ現代できることは、やっぱ家族と友人の存在。何者にも代え難い存在であり、その人たちがその人たちでなければ今のように正気を保っていられなかったなあと痛感しているわけです。普段から半狂乱なことも間違いないですけど。へけけ
ロマンをつかみとれ!天下一!
もしかしたら、今、自分が考え得る困難な状況よりもさらにワンランクもツーランクも読売新聞よりも上の、難しい状況になっていたかもしれません。
何を得て何を失ったのか。
幸せってのは普段は感じない、意識しないからこそ幸せなんですよね。当たり前だったことがそうではなくなるとき、初めてそのありがたさを実感するのはよくある話です。
たとえ自分が不幸せだと感じることがあっても、良かったときを知っているからこそ幸せを得たことがあるからこそ、不幸せだと感じることも可能なわけです。
良くも悪くも少なからず自分に影響を与えて、記憶の片隅に去っていった人たち、もう二度と交錯することはないけど今頃何してるんだろ。
確実にいえることはまだまだ自分の時間は進んでいくということ。
これまで自分と何かしら関わった人がいて、これからも関与していくであろう人もいて、そして自分はその人たちにあるいは自分自身に何が出来て何が出来ないのか。
たくさんありすぎて、多くを得ていくには人生は短すぎます。
でも、てんかんで泡吹いて前のめりで倒れそうなくらい、気が遠くなるようなものすごい長い時間が過去から未来へ続いていて、星の数よりもドラゴンボールよりも多くの人たちが過去・現在にいて、その中でほんのわずかな時間を借りて、たくさんの人たちの中の一人としてこの世に生を受け、生きている。これって、宝くじで何億って当てるよりもずっとずっとラッキーなことでしょう。
自分で自分であるという意識は自分にしか分からないし、感じること、考えること、行動すること、そういったさまざまなこと・たくさんの出会いを通じて自分の人生を構築していくのは自分だけに与えられた権利なわけです。
楽しいことばかりじゃなくて、つらいこととか苦しいことともあるんでしょうけど、そういう時間もまた、いずれは形を変えながら経験となって自分の中に積みあがっていく財産となります。
絶対であるということは絶対にないということが唯一の絶対。
いつ終わるか神のみぞ知るですが、まだまだ楽しんでやっていけそうです。
ってか、
まさにつれづれなるままに思ってること書けたなあ。ああーすっきりした!!
全然関係ありませんが、コーヒーを飲んだ後の尿のにほいがコーヒー臭くなるのは気のせいでしょうか?!
とりあえず、M樹奈々とAIRとシルクドソレイユを知ったことは自分にとってかなりラッキーなことです!
まあ、そんな感じで。
2番・セカンド・白井
今思えば、よくもまあここまでやってこれたなという感じです。その時間を経て自分が成長できたかどうかは分かりませんが、少なくともメタルキング、いやスライムつむり数匹分の経験値を獲得できたと思います。
近頃、そんなようなことを考えふけることが多いです。スライムつむりじゃなくてマリンスライムだったけなとか、いやむしろスライムベスだっけなとか、色盲の人の前にスライムとスライムベスとメタルスライムが現れたら区別できるのかな、とか。
まあ、簡単に言うと携帯電話を新規契約した人と解約した人の差し引きで純増数はどれぐらいか、ということです(分かりにくい)。
ここでレインボー発クローズアップ現代できることは、やっぱ家族と友人の存在。何者にも代え難い存在であり、その人たちがその人たちでなければ今のように正気を保っていられなかったなあと痛感しているわけです。普段から半狂乱なことも間違いないですけど。へけけ
ロマンをつかみとれ!天下一!
もしかしたら、今、自分が考え得る困難な状況よりもさらにワンランクもツーランクも読売新聞よりも上の、難しい状況になっていたかもしれません。
何を得て何を失ったのか。
幸せってのは普段は感じない、意識しないからこそ幸せなんですよね。当たり前だったことがそうではなくなるとき、初めてそのありがたさを実感するのはよくある話です。
たとえ自分が不幸せだと感じることがあっても、良かったときを知っているからこそ幸せを得たことがあるからこそ、不幸せだと感じることも可能なわけです。
良くも悪くも少なからず自分に影響を与えて、記憶の片隅に去っていった人たち、もう二度と交錯することはないけど今頃何してるんだろ。
確実にいえることはまだまだ自分の時間は進んでいくということ。
これまで自分と何かしら関わった人がいて、これからも関与していくであろう人もいて、そして自分はその人たちにあるいは自分自身に何が出来て何が出来ないのか。
たくさんありすぎて、多くを得ていくには人生は短すぎます。
でも、てんかんで泡吹いて前のめりで倒れそうなくらい、気が遠くなるようなものすごい長い時間が過去から未来へ続いていて、星の数よりもドラゴンボールよりも多くの人たちが過去・現在にいて、その中でほんのわずかな時間を借りて、たくさんの人たちの中の一人としてこの世に生を受け、生きている。これって、宝くじで何億って当てるよりもずっとずっとラッキーなことでしょう。
自分で自分であるという意識は自分にしか分からないし、感じること、考えること、行動すること、そういったさまざまなこと・たくさんの出会いを通じて自分の人生を構築していくのは自分だけに与えられた権利なわけです。
楽しいことばかりじゃなくて、つらいこととか苦しいことともあるんでしょうけど、そういう時間もまた、いずれは形を変えながら経験となって自分の中に積みあがっていく財産となります。
絶対であるということは絶対にないということが唯一の絶対。
いつ終わるか神のみぞ知るですが、まだまだ楽しんでやっていけそうです。
ってか、
まさにつれづれなるままに思ってること書けたなあ。ああーすっきりした!!
全然関係ありませんが、コーヒーを飲んだ後の尿のにほいがコーヒー臭くなるのは気のせいでしょうか?!
とりあえず、M樹奈々とAIRとシルクドソレイユを知ったことは自分にとってかなりラッキーなことです!
まあ、そんな感じで。
2番・セカンド・白井