鬼というと、
ふたつ、思う事がる。
ひとつは、
九鬼文書。
しらべていくと、
九鬼の鬼の字は点「ノ」がないとのこと。
ついでをいうと
くかみ・・・と読みので、
「鬼」というわけにはいかないような。
次に思うのが
鬼道・・・卑弥呼の記述でてくる。
鬼道をよくして、人心を惑わし・・
だったかなww
あとは、「あらざるもの」
これは、良くも悪くも使われる言葉ではある。
超越した状態というか。
好き好んで、忌まわしい意味合いの言葉を苗字につかったりはしないだろう。
沢と文字もあるので、
大きな沢、深さがあって、底知れぬ恐怖の念をもたせてしまう。
鬼のような沢の近くに住んでいた?
確かに、地図で見える大きさでは、涸沼、北浦、霞ケ浦など、があるが、
近いとはいえず、
そんな大きな浦や沼があって、鬼澤と近くの小さな?沢を呼ぶだろうか?
だが、小さな沢のほうが、農業の灌漑用水に利用しようとして
水路を作ったり、沢自体を整備しようとして
かねり、てこずったとしたら、
手ごわい沢、人(の手)をよせつけない、たちうちできないという意味合いで
鬼沢だったかもしれない。
後世的な物かもわからないが
宮大工をやっていたとしたら
神輿などもくみ上げていたというのなら
その技術だけでなく
神社の巫内容にも精通していたことも有ったろう。
そのことから、
「鬼」の異名で、呼ばれたのかもしれない。
そういえば、離れてはいるが
鹿島神社の建御雷は雷さまでもある。
この雷様のイメージを「鬼のような姿」にしたのは、
俵屋宗達他・・であるが
鹿島神社の建御雷は人心にとっては、
「鬼」なのかもしれない。
その関連の神社の神輿、鹿島神宮の式年遷宮にあたる建て替えの時にも
祖父・先祖は参加していたかもしれない。
故に
「鬼にさわるもの」
鬼さわ・・・だったのかもしれない。
確たる証拠もないので、
苗字辞典でも、知らべてこよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます