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音を感じる・音を聴く その違いが見えてくる。2021-11-12

2023年08月18日 | 音を聴く耳

2019年の受付再開の時だったと思う。

何度か、問い合わせがあった。

と、いうのが、

以前、CDX10000のOHを考えていて

受付が開かなかった?

(逃したというところだと思う)

と、いうことで、

待ちきれず、某先生の推奨の機器に替えた。

と、いうことだったのだが

正直、その機器については

CDX10000に追いつかない機器だったので

何故、CDX10000を手放されたかを尋ねた。

すると、先の某先生の名前が出てきてしまって

代理としては、正直、「困惑」だった。

もうひとつは、曰く、受付に入れてもらえなかった。

と、いうことも大きかったのだと思う。

あまり、お勧めの機器ではないのと

すでに、某先生の評価というのが、

当てはまらなくなっている、と、いうところもあり

正直、

「この機器の音が好きなので、先々も聴きたい」

とか

「もっと、良い音質にしてやりたい」

とか

機器への「思い入れ」を感じられたら

納得したと思う。

ところが、某先生・・という

他人の耳を確かめる?あるいは、鵜のみにして

CDX10000を、手放したのかと思うと

どういうのだろう・・・

音を追従したいのではなく

某先生を信仰するがための「実験道具」のような

(うまく、いえない)

そんな風に、機器が扱われている気がして

あまり、印象良く受け止めていなかったところがあった。

が、

そうはいっても、機器を何とかしたい・・という気持ちは

誠だろうと思うので

受付再開告知を行った由をつげて

早いと1時間くらいで定員に達してしまうので、

時間に気を付けてほしいと送った覚えがある。

ところが、

19年の受付再開の時は

0時00分00秒という単位で送信されてきた方が

25名

あとは、0時30分までで、40名くらいとなった(確か・・・台数は50台をこえていた。)

そこから、ピタリと送信がなくなったのだが、

念のため、(0分00秒で、すでに予定数オーバーであったが)

1時まで受付をあけておいた。

1名、滑り込みで入ってこられたあと、

受付を閉じた。

その状態で先の方のエントリーはなかった。

考え直されたのかな?

と、思ったりしながら、

依頼メールへの返信を書き終えた。

ところが、

翌朝、7時ころに

「エントリーします」と、依頼メールが送られてきた。

受付を開けたとたん、定員オーバーになっていたわけで、

皆さま、遅い時間に、頑張って依頼メールを送ってきてくださっているのだから

「保管場所はなんとかする」

と、いう高橋の後押しもあり、

1時までに入ってきた依頼は全部、受けた。

*********

なんといっていいか・・・・

CDX10000のエントリーの時も、

じつは、こんな調子だったのではなかろうか?

と、思ってしまった。

本人曰くの「受けてもらえなかった・・・」と、いうことでなく

間に合わなかった・・ということではなかろうか?

このことで、代理側の勝手な思惑であるが、

もしかしたら、

たいして、依頼などきていないだろう。

と、いう風に、思われていたのではないだろうか?

と、いう思いがかすめていた。

そうなると、皆様、0時00分00秒という同着で

送ってきてまで、受け付けに入りたい。と、

必死になるほど、機器への愛着をお持ちである、と、考えてしまう。

そう考えると、

「受けてもらえなかったので、CDX10000は手放した」

と、いう言葉は、

やはり、愛機ではないのだろう。と、思わざるを得なかった。

実際、受付を逃してしまい

やっと、2年待ってエントリーできました。

と、いう方がいたのも思い出される。

この機器をなんとかしたい・・という思いを

ふるいにかけたくはないが

なんとしてでも、治したい、OHしたい、改善したい。

と、もともとからいえば10年以上、

きっと、いつか、治せるところが出てくる。

出てきてほしい。

と、一縷の望みをつないで大切に保管していた方も居た。

そういう「愛機への思い」を糧に

高橋もどんどんスキルを上げていった。

なんとしてでも、復活させたいと、

と、必死であったと思うし、

何かの折に、機器のウイークポイントをみつけ、対処方法を確立すると

これで、みんなの機器が治せる。と、喜んでいたり・・・

そういう影の思いを計りにかけるのも、いやなことだが

「受けてもらえなかったので、手放した」

と、いう人のせいみたいに聞こえる言い方もどうかと思うが

手放しても良い機器だっただけだろう。

と、いう言い方になってしまう代理もいる。

此方の必死さに対して

手放しても良いような機器を治させるというのは

真摯な姿であろうか?

それらは、あくまでも代理の勝手な思惑でしかないが

受付を閉じてしまってから、

あえて、早く閉じることもある、と、伝えていたにかかわらず

エントリーします。

と、いうのも、妙な言い方だと思う。

そこまで、ぐちゃぐちゃ、言いたくはないが

まだ、まにあいますか?

とか、も、なく

閉じたという記事を確認もせず

エントリーします・・といわれてしまうと

正直、この先も、意志の疎通が叶わなかったり

自分で決めたことを、押し通すというパターンになったり

かえって、もめごとになりかねない。

と、不安を感じたりもした。

 

それだから、と、いうわけではないが

ここは、厳しく対応することになった。

すでに、閉じたとブログに公開したのだし、

CDX10000を手放した理由を、こちらのせいにしているような言葉からも、

なにか、腑におちない思いが沸いてきていて

なにか、あったら、

また、こちらのせいにする、と、いうことになるのだろう。

つまり、

依頼してきた機器は、そのままでは、全然だめですから

音質改善などされて・・やっと、何とかなのですよ。

と、ずばりと告げても、

OHだけで良い・・・という風だったので

そこからして、こちらのいうことを信用していない。

と、思えた。

信用してないが、

OHするところが他にないし

某先生が良いといってたので

OHで十分だ。

と、いう風だった。

当方の耳・技術・スキルをして

「良くない」と、いうこと自体を信じられないということであるのだろうし

こちらは、某先生の家来でも助手でもないわけで

某先生の評価を信じるという裏は

まったく、こちらの「価値」など顧みていないということになる。

 

此方を信じない状態で

良い音など、手に入るわけがないのだが

それで、良い、と、いうのに等しい考えにみえて、

正直、断りたい、と、は、思っていた。

が、こちらから

受付再開の案内をして、

後から、諸事情・内情が判ったからといって

断るわけにもいかなかった。

 

結局、本人が間に合わず、

断ることになってしまったが、

なにか、いろいろ、考えさせられたというか

こちらのスタンスを本当にわかってくださっている方と

金とって直してるんだろう・・

だったら、

お客様は神様だろう・・・

と、いう風に、こちらを、家来のように考える人とが

いるのだな・・と、思ったし

そこを、説明しようとするのは

むつかしい所だな・・と思った。

 

と、いう言い方になるのは

傍でみている人間としての思いだとは思う。

 

金を払ったのだから・・・

という言い方は

どこか、「抜けている」物事がある。

その金は、

施工や技術など、実際の「価値」を得るために

支払ったものであり

事実はGIVE&TAKE・・だと思う。

なにも、せず、金をもらったのだったら

ー金を払ったーといえるだろうけど

対価としていただいているわけで

その施工や技術に対して「価値買い」をしていないと

ー金を払ったーという言い方になるかもしれない。

 

一番、わかりやすいのは

だったら、自分でそこまでできますか?

と、いう問いへの答えだと思う。

自分では、できないからこそ

金を支払う と、いうことで、

形は金とは違うものに、(施工・技術)なっているが

当方は、それを渡しているわけで

払ったからと優位にたつのも

逆に

渡したからと優位にたつことも

必要のないことだと思う。

 

なかには、私はもン百万も支払ってますよ。

と、いう方もいらっしゃった。

それに、見合うだけのものを

此方は渡しているわけで、

例え、5万くらい?であろうと

ン百万であろうと

すべて、その額に見合うものを渡しているのであるから、

どれだけ、使ったから

ありがたく思え、というような考えを押し出してくるのは

おかしなことであると思う。

此方が、それこそ何も渡さずお金をもらったなら

言ってもらいたい。

 

どうも、金のかけ甲斐ということを

考えていない。

と、思うことがある。

「よい音」というものに対しての価値観が

それぞれ、違うせいかもしれない。

例えば、先のたとえのように

自分の耳で「愛機」として選んでいない

と、

「もっと、この機器をよいものにしてやりたい」

と、いう思い方が薄くなる。

 

そして、当方としては

金のかけ甲斐がある機器にする

ーつまり、良い音にするー

と、いうことで、

改善は任意であるが

その機器は、まだまだ良い音になりますよ

と、いうことを、具体的にお伝えする。

 

正直、金のかけ甲斐のない機器は

お断りするし

それでも、請われれば

場合によっては、改善案をお伝えするが

時にそこまでの金(つまり、技術や工夫)をかけて

WADIAの旧音質改善程度の音が

最上の状態ということもある。

 

そこまでしかならない機器に

あたら、金をかけて

そこまでの音で

耳がとまってしまう・・・

と、いうことになってほしくない、と、いう思いがある。

 

と、いうのも、

耳の怖さというか・・・

一か所良い部分(と、感じる?)に

耳がエージングされてしまい

不足を感じなくなる。(わからなくなる)

 

と、いうことがある。

聞きしに勝るものはない。

と、いうところが、真実だろう。

 

過去、真空管アンプとトラアンプの違いとして

鐘の音が、ご~~~ん~~~ん~~~ん

と、籠るかのように響いていくことをたとえにして、

そのん~~ん~~~、というところの「~~~~~」の部分

これが、真空管アンプでは出ないのですよ・・・

と、説明したのだが

「でてますよ」(真空管アンプで)

と、返されてしまった。

これは、今となると、6LBとトラアンプでこそわかることであり、

ー昨晩気がついたのですが、低域の出方がとても良くなっています。
 はっきりスッキリの音色に耳を奪われていたのですが、この低域があってこそ生きて
 いる音ですね。ー

ーそして無音だったと思っていたところに「気配」を感じたり、本当に無音で「闇」を
 感じたり。
 音楽表現のレベルが何段階も上がった感じで、今日も寝不足になりそうですー

当初、代理も的確に表現できず、

「~~~~~」などという、判り難い説明しかできなかった。

音を把握して、文字に置き換える、と、いうことは

難しいと思った。

実際に聴いてみないと、

あるいは、複合耳でないと、

「~~~~~~」の部分は、聴き取れないということも判らなかった。

だから、

「真空管アンプでも、でてますよ」

と、いう同じ言葉になりながら

その言葉の意味が、まったく違うということも

説明できず、

また、ご本人も(どうやら)聴こえていないということを

自覚できていなかった。

ー多分、今でも、判っていらっしゃらないと思う。

どこかで、書いたが、真空管アンプ耳の弊害

もしくは、純音耳(絶対音感)などにより

音の中に豊かな共生があり(複合音)

それを聴き取ることが出来ない。と、思われるー

つまり、

ーそして無音だったと思っていたところに「気配」を感じたり、本当に無音で「闇」を
 感じたり。ー

と、いう4次元?5次元的音感が損なわれているように思えるのだが

今でこそ、こういう推理ができるが

当時は、

「真空管アンプでも、でてますよ」

と、いわれてしまうと、どういう風に言えば伝わるのだろうかともがいた(大げさ)

が、逆に、上記の推理があたっていたとしても

ご本人に告げれば、

「認めない」

「怒り出す」

「ショックを受ける」

と、いうことになる。

***********

このことから、逆に

聴きしに勝るものはない。

と、いうところが、真実だろう。

と、いう仮定も崩れる場合があるということになる。

例えば、当方で聴いていただいても、

音の成分自体が、「聴こえない」耳の方も居る。

と、いうことになる。

音の成分が聴こえない・・・という言い方も

どちらかというと

不正解だと思う。

以前、高橋が言っていた事ではあるが

「耳で聴いている人と体全体・5感で感じている人とがいると思う」

と、いう言葉を思い出す。

先のインプレもそうだと思う。

ーそして無音だったと思っていたところに「気配」を感じたり、本当に無音で「闇」を
 感じたり。ー

文字にも出ているが

「感じている」のである。

よくたとえに出しているが

ヘレン・ケラーが音楽に合わせダンスを踊った。

と、いう。

このあたりは、周波数のあたりでも書いているが

皮膚や骨や体・5感(聴こえないなど(三重苦)の人であるが)が

音を「感じている」わけである。

所が、あたら、耳で聴いていると

「感」で受け止めにくくなるのだろう、と、思う。

 

この個人差としか言えない部分は

いくら、良い機器をもってしても

どうにもならない。

 

そして、特に6LB・6SBになってくると

上記のようなインプレ(感じていると判る)を良くいただく。

多くの方は

そのような音世界がCDPから出てくるとは思っておらず

あるいは、

まさか、自分が聴き取れない

あるいは、感で受け止めていない・・と

いうことまで判らない。

耳は聴こえているのだから・・・

 

多く、日本人(人間は)

複合耳の方が多く

代理にとっても、

純音耳?との聴こえ方の違いまで、

考えさせられることになるとは思っても居なかった。

 

だが、その前に、

歴然とした「音世界」を構築・再現させることが出来た6LB

そして、それを作った(監修した)高橋あってこそだと思う。

 

これが、無ければ

代理もまた

「耳で聴いているだけに終わったかもしれない」

が・・・

若かりし頃に

ベッドに座って

ピック・フロイドのおせっかいを聴いていたときだった。

高域は、ベッドの上の窓ガラスが揺れる・・

中域はベッドが揺れる・・・

低域は、ベッドの下が揺れる・・・という

音には「振動」があるという

強烈な体験をしたことがあった。

そのあたりから、整った音でなく

身体の芯に響いてくる音

心のうちに結ばれていく音

を、求めていく素地が出来上がったのかもしれない。

 

そういう一人の音楽マニア?にとっても

高橋の再現する世界と

寄り添えることは

まさに

「運命的出会い」だったのかもしれないと思う。

人は

それを

ー邂逅ーと呼ぶのだろうけど

代理にとっては

まさか、高橋が叶えるとは!!・・というような

瓢箪から駒をえたような思いが強い。



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