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諦念・・   2020-04-02

2022年07月04日 | まったくの「わたくしごと」

訃報から3か月・・・

このことがあるせいかもしれない。

志村さんの訃報に

あまり、ショック?をうけなかった。

むしろ、

志村さんのまわりの人の思いに

自分とかさなるものをみつけてしまう。

面会にいけぬまま、遺骨を抱いたお兄さんが

「まだ、温かい」と、言ったこととか・・

普通なら会えるはずが会えぬまま

弟の死をうけとめるのが

骨壺のぬくみ・・とは。

なにか、うまくいえないが・・・

みんな、うけとめきれない死を

ほいっと、渡されてしまって、

本人のものでない

骨壺の温みとかから、

ありし日の姿とか

志村さんから受けた「なんらかの思い」を反芻しながら・・

受け止められない思いにもがきながら・・・

反比例するかのように

浮かび上がってくる実在感だけが

現実に居なくなったことを思い知らせる。

 

こういうのも、共有意識と呼ぶのかもしれないが

そこにいるのが、自分のようにも思える。

同時に、

自分だけじゃないんだな。

と、思う。

 

代理の父親は母とふたまわりほど、離れていたから

物心ついたときから、御爺さんだったと思う。

小学校の時、授業参観にきた父をみかけた同級生が

「あ、**ちゃん、おじいさんがきてくれたよ」

と、父をゆびさした。

その時に、はっきり

父が、御爺さんなのだと気が付いた。

それからは、いつもどこかで、

父の面倒をみなきゃならない、と、考えていた。

一人っ子だった代理は、15,16歳のころから

養子をとらなきゃいけない、と、考えていた。

だから、憧れの先輩から交際を申し込まれたときも

先輩が、夢をもっていることをしっていたから

自分ちの稼業を継がせたり

そんな夢を追うことすらあきらめてもらうことはできないとか、まで

考えて、申出を断った。

自分の心のままに、生きるというより

父の存在を思うと、嫁にでるなどできないと思っていた。

先を考えて諦められる気持ちなど、たいして重要ではないということでしかないのだろうけど

いつも、諦めなきゃいけないか、どうか?ということが

頭にあった。

 

それを、かえたのが、高橋だった。

「反対されたら、駆け落ちでもなんでもする」

「代理に店をやめさせたい」

そんな言葉が衝撃だった。

土地柄というものがあって、

親せきとか血縁とか先祖とか家とか土地とか・・・

いろんな財産?があって、それを誰かが継がなきゃいけない。

と、いう因習がきついところと

自分たちの好きなようにできる、自分たちファーストの土地柄もある。

 

そんな中で、訃報の友人と友人(嫁)が

そんな因習をけちらすでなく

その因習にのっとったうえで、

自分たちファーストを貫いた。

その生き様に撃たれるといっていいか。

 

兄弟のいない人間には

父母を支えるのは?、自分しかいない。

父母になにかあっても、寄り添ってくれる存在はない。

弟が生きていたら、と、思うことはなんどもあったが、

母の言葉の通りだと思った。

「死んだ子の年をかぞえても、はじまらん」

弟が生きていたらと思うことは、ないのか?と

尋ねたとき、母は

「生きていても、極道しとったかもしれん」

と、答えた。

それが、母の諦め方なのだと思った。

生きていたら「良かった」ことをみてしまいがちだが

本当に、生きていたら、逆にえらいことをしてくれると嘆いたかもしれない。

さばさばと答える母に、

諦め方の極意をみた気がした。


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