いろいろ、整理していると、
父親の時の葬儀費用を書き記したノートがでてきて・・・
ちょっと、驚きでした。
かれこれ、20年ちょい前のことですが・・・
お布施が45万円・・・・
全体的な費用が100万円ほど。
これは、町内の組内の人がいろいろ、やってくれて
集会所をかりたのですが・・・
通夜に組の人(14,5人)がずっと、いてくれたり
こちらの食事は、組内の婦人会の人がつくってくれて
ーな~~んも、せんでええさかいのー
と、いう調子だったのです。
当時、子供4人はみんな学生。
高橋は、薄給覚悟で仕事を覚えたいと、
制御関係の仕事をやっていて
二人の給料で、生活はかつかつ。
代理の初ボーナスがまともに出る状態になり
50万ほどだったか。
実家には、金はない。
この地域は香典返しをしない、取り決めになっていて
ボーナスと香典で、葬儀を賄うことができた。
で、今回(いやな、言い方だ・・)は
コロナのこともあって
家族葬にした。
最初は、全国チェーンの葬儀屋さんを頼むことになった。
と、いうのも、
病院で、遺体になってしまうと、
すぐ、引き取らなければならなくなる。
の、だが・・・・
どこにどう頼めばよいか、わからないので、
ネット検索で、最初に出たところに連絡したのが
全国チェーンの葬儀屋さんだった。
近くの葬儀屋さんを手配してくれ
葬祭会館についたのが 11時ころだったか。
そこで、いろいろと段取りを決めて
一端、家に帰り、翌日 通夜。
控えの部屋があり・・
葬礼の場所も、続き間の形で隣にある。
控えのほうで布団を敷いて寝たのだけど
風呂もあるし、小さなキッチンもついていたり・・・
食事なども、持ち込み可能で、
集まってくれた家族とともに食べた。
地域の葬儀屋さんのほうは、
独自のプランがあり
全国チェーンの提示するものとは、少し
割高になったりしていたけど
結局、実際にサービスになってくる実働部分が多く
(例えば、湯灌とか化粧とか)
全国チェーンのほうだと、追加料金になるのが
気持ち・・・の問題というか。
(例えば、湯灌とか化粧とか)を
金を払って(金をとって)するのか、みたいな
殺伐とした気持ちになる。
お布施も決められていて
20万円弱
地元の葬祭屋さんは、
それよりも少なくても大丈夫です。
と、50%~75%くらいの金額を伝えてくれた。
ざっとだが、お布施込みで70万円ほど。
部屋は連れてきた日と通夜と本葬と、約3日押さえてくれていた。
こちらに、きて、
菩提寺を探してはいたのだけど、
調子の悪かった母上であったので、
寺を決めてしまうのが、
何か、縁起が悪い気がして、
檀家にもなっていなかった。
福山からなら、来てくれるだろうと
教えられたのだけど
こちらの寺を教えてもらっていたこともあり
縁は切れてる、と、思った。
ところが、
以後のことがあり、
檀家になる必要があるとのことだった。
今時なので、代理が死んだときでも、
(死期がちかくなったら)
永代供養してもらえるところに納めて
墓守は終わらせようと考えている。
父の実家は、もうなくなっていて
兄弟とも縁が切れている。(養子に行ったり、嫁いでいたり)
なので、檀家になる・・というのは、正直困る。
高橋も、自分の代については、同じ考えで
それこそ、空から散骨とか?
子孫に墓の面倒をみさせるのは、いやだ。という考え。
なので、墓ももってないけど
墓をたてる気はない。
そうなると、
後々、檀家になれというところでは、面倒だということで、
今回の葬祭一式(49日法要)だけを見てくれるところを
探してもらった。
母は、曹洞宗なのだが
高橋、実家は 法華宗だったか?
別に、宗派にはこだわらないということで、
(以後も、こだわらないわけだし)
真言宗の僧侶が
引き受けてくれることになった。
あとは、仏壇を新調するかなあ、と、思っている。
代理が20歳くらいの時に、
仏壇を買いたいが、金ないか?と尋ねられて
30万ほど出した覚えがある。
(実際はいくらしたか、知らないが)
小さいうちに亡くなった弟と
父の母と、実父(戦死したとか)のためのものだったと思う。
最近は納骨せず、砕骨して、仏壇にしまう?という
家庭内供養も増えてきているらしい。
そして、自分たちのことを考えた時、
仏壇がもう一ついるようになるのか?
よくわからないが・・・
子供らに、
ふたつも、面倒みさせるのも
考えてしまう。
実際、近所の人も
跡取り娘だったこともあり
実家の墓守と仏壇
嫁ぎ先の墓守と仏壇
宗派も違う。
で、子供らに、面倒見させるのも・・・
と、ため息をついていた。
不謹慎なことをいっているのかもしれないが・・・
高橋のほうの実家の母。
すでに、墓も用意して
山の上だから、景色がいいよ。
と、笑って話していたが
ここが、本家で、高橋兄は地元の名士でもあるから
今の世とはいえ、墓じまいはしないだろう。
代理の母が、弟の墓を建てた時
「金を貸すにせよ、借りるにせよ。墓を持ってない人からは、良くない」
と、言っていた。
転々していた夫婦だったから、
金を借りるに、信用もなかったと思う。
「墓があったら、いずれは、墓参りに来る」
地元に顔向けできないことをして、逃げたとしても
墓があったら、戻ってくる。
(墓があったら、顔向けできないこともしない・・とも)
と、いうことを言っていたのだろう。
父の時は、多くの人の厚意で、
無事に葬儀を出せた。
母は、あるいは、コロナのおかげかもしれない。
家族葬がほとんどになり
人数こそ少なかったけど
立派な斎場で、スタッフの心遣いもありがたく
やはり、無事に送り出せた。
代理個人の気分としては
父方の親戚は不明だし
母方の兄弟も、ほとんど亡くなっている。
代理の従妹も、もう、何十年前に顔を合わせたくらいで
遠方だし・・・付き合いはない。
なにか、天涯孤独になった。
そんな気分を味わう。
とは、いうものの
女は三界に家無し
《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。
もともと、天涯孤独だったのに気が付いただけかもしれない。
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