ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

自分の過去を振り返る6

2008年09月30日 16時36分05秒 | Weblog
社員600人位のコンピューターメーカーで温かい人間関係に恵まれ、女性でも地位に着き仕事をまかせられるような良い環境の中にいたが、広報の仕事に興味をもつようになったところ、支店拡大路線が良くない状況で、その会社が倒産した。
その子会社だったM社は、今は上場する大手の会社となったが、倒産した後の優秀な営業マンは、東芝、丸紅、そのM社などの会社に移籍した。
入社して2年位の愛嬌だけのキャピキャピ女子社員であった自分は、ひたすら引きこもって読書と睡眠の生活を1ヶ月送っていた。
ある日、先輩からの紹介で、その会社が販売していたソフトを導入していた出版社でデータ入力のアルバイトをしてみないかという話に、すぐに乗って、面接に行く。
その出版社は英語教材や海外生活・留学の情報誌を制作販売していたので、総務の方が私の履歴書をみて、英語力があると判断し、出版局でも人手が足らないので、そちらの入社試験を受けてみないかということで、試験を受ける。
ここでも、難しい英語力と常識問題の試験はあまり出来なかったが、小論文が面白い、笑顔と体力がありそうだということで、編集の雑用をさせてもらえるように入社が決まった。

その出版編集部では、英語力も大切だが、集中力とコミュニケーション能力と文章力が求められていた。東大などの有名大学実力派と留学経験者の世界で、欧米人スタッフと普通に仕事の会話がなされていた。
私のおしゃべりを皆は楽しんでくれたが、私を採用した編集局長は、おまえは漫才の世界に行けばよかったね、と半分採用したことを困ったように感じていたように思う。ただ、個性を認めてくださって、編集部でのレクレーションには必ず主要メンバーとして誘ってくださった。
編集の仕事は、厳しかった。誤字脱字や、字ずらがずれていても、大変な落ち度という扱いだった。
ここでも正直で楽しい自分を可愛がってくださった。当時の副編集長は、関西商法の方で、私がいつも企画を話すと、それで何が儲かるか、簡潔に伝えよと、いつも厳しく見てくださった。後で、秘書の友人が、副編集長が期待の新人と局長に話していたよ、と伝えてくれたが、それはその出版社を辞めると決意をした後だった。

その出版社に3年いて、自分が読者カードからマーケティングをし、企画資料を自分から作成して上司に渡していたが、自分がおもしろおかしく立てた企画は、全てボツだった。しかし、自分が辞めた後に、その企画でスポンサーがついて出版化されたことがわかり、ほっとした。

自分は、フリーのライターが書いてくる原稿を見て編集する作業で、自分が書いた原稿のほうが、面白くて要点をついていると誤解していた。自分で記事を書きたいと決意して、コピーライターとして修行しながら、専門学校へ通うことを了承してくれる編集プロダクションに転職することにした。

明日は、この後を語ります。
感謝


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