空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

映画『BLUE GIANT』

2024年05月02日 23時00分00秒 | 映画関係

[旧作を観る]

「旧作」と言っても、昨年公開の作品。
確か公開時、新宿歌舞伎町タワーの
料金が高いプレミア映画館でしか上映していなかったので、
見逃した記憶がある。(間違っていたら、すまん)
実は、私の所属する映画鑑賞サークル「CCS」のベスト・テン投票で、
4名の方がかなりの高評価をつけており、
たまたまWOWOWでも放送されていたので、
観た次第。
(後で分かったが、Netflixでも配信していた)

観て、驚倒した。
アニメでここまで音楽が表現できるとは

中3で出会ったジャズに魅了され、
テナーサックスを始めた宮本大(だい)は、
来る日も来る日もたったひとりで、
河原でテナーサックスを吹き続けてきた。
高校卒業を機に、
「世界一のジャズプレーヤーになるんだ」と上京し、
同級生・玉田俊二のアパートに転がり込んだ大は、
仙台にいた時と同様、
毎日、誰一人観客のいない
隅田川の川端で演奏を続けていた。

ある日訪れたライブハウスで
同世代のピアニスト・沢辺雪祈(ゆきのり)と出会う。


雪祈の卓越した演奏に惚れ込んだ大は、
雪祈をバンドに誘う。
はじめは取り合わない雪祈だったが、
大の演奏を聞いて、
聴く者を圧倒するサックスの音色に驚愕する。
二人はバンドを組むことになり、
大に感化されドラムを始めた玉田が加わり、
三人はトリオ“JASS”(ジャズ=JAZZの語源とも言われる) を結成する。

楽譜も読めず、ジャズの知識もないのに、
ひたすら、全力で吹いてきた大。
幼い頃からジャズピアノに全てを捧げてきた雪祈。
初心者の玉田。
トリオの目標は、日本最高のジャズクラブ「So Blue」に出演し、
日本のジャズシーンを変えること。
無謀と思われる目標に挑みながら成長していく“JASS”は、
次第に注目を集めるようになるが・・・

2013年に石塚真一が「ビッグコミック」で連載した漫画が原作。


感動的なストーリーや、
音楽シーンの圧倒的表現力などで読者を魅了し、
“音が聞こえてくる漫画”とも評され、
文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞および
小学館漫画賞など受賞多数。
コミックスのシリーズ累計部数は890万部を超える大ヒットを記録した。

そのコミックをアニメによって映像化
監督は立川譲
脚本は、連載開始前からの担当編集者だったNUMBER 8
アニメーション制作はスタジオ・NUTが手掛けた。
音楽監督は、世界的ピアニストの上原ひろみ
サックスはオーディションで選ばれた馬場智章
ピアノは上原ひろみ自身が担当し、
ドラムは石若駿

その音楽シーンがとてつもなく素晴らしい。
演奏も映像も。
ジャズ版「ファンタジア」は言い過ぎか。
全編の約4分の1程度をライブ・シーンが占める。
熱い
演奏者の熱が伝わって来る。
特に、最後のライブシーンは泣かされた。
俳優によらず、アニメで表現したからこそ
リアリティを獲得した。


アメリカで上映したら、
ファンタジーアニメばかりに慣れた
アメリカ人をびっくりさせ、
アカデミー賞のアニメーション部門にノミネートされたのではないか。

CCSのベストテンの締め切りは既に終わったが、
昨年観ていたら、1位か2位にはしただろう。

プロの目から見たら、
いろいろ意見はあろうが、
私のような普通の観客を
音楽で巻き込み、
泣かせるのだから、
それで十分成功したと言えるだろう。

なお、私は普通のジャズファンで、
ニューヨークでは、ブルーノートやヴィレッジ・ヴァンガード、
ニューオーリンズではバーボンストリートの
プリザベーションホールに足を運んだ程度。
東京でもライブハウスはいくつか。
でも、好みは、やはりビッグバンド。


映画『我、邪を邪で制す』

2024年04月28日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

冒頭、ヤクザの葬式での銃撃戦。
犯人を追う刑事との壮絶な格闘が描かれる。

それから4年。
何とか逃げおおせた逃亡犯の陳桂林は、
祖母を病気で亡くし、
自身も肺ガンで長くて半年、
短かければ3か月の余命を宣告される。
ある人から、このままネズミのように死ぬのではなく、
誇れることをしろ(自首しろ)、
「死して名を残し尊厳を守れ」と忠告され、
自首しに訪れた警察で、
「台湾三大指名手配犯」の張り紙を見て、
自分が序列第3位の指名犯だと知る。


陳桂林は、死ぬ前に、名声を遺すために、
手配序列1位と2位の犯罪者の駆逐を決意する。

一人は、義理の娘に美容院を経営させて潜伏する許偉強。
その駆逐は、娘の解放も意味していた。
それを片づけた後、
序列1位の林禄和を探す陳は、
南方の島の宗教団体で、陳の墓を見つける。


宗教団体で黒い液体を吐いた陳は、
教祖の薫陶を受け、
所有していた全財産を捧げて悔い改め、
法悦の境地に至るが、
宗教団体と教祖の正体を知って、
陳の最後の使命が炸裂する・・・

という、バイオレンスストーリー。

香港人であるウォン・ジンポー監督の台湾初作品。
主演はイーサン・ルアンベン

途中から全然話が別な方角に向かい
えっ、そういう映画なのか、
と驚いていると、
最後は、元の路線に戻り、
すさまじい暴力と殺戮が展開する。
そして、最後はほろりとさせる。

バイオレンスシーンが容赦ない乾いた描写
魅力的。
実は、陳自身も騙されていた、
という落ちもビターな味わい。

台湾の死刑がああいうものだと初めて知った。
後片付けが大変だろうに。

後を追う刑事との友情のようなものがあり、
薬局のおばちゃんも魅力的。

原題の「周處除三害」は、
次のような故事による。

中国のあるところに周処という若者がいた。
村の人が嘆いているのを見て理由を聞くと、
「三つの害」が原因だと言う。
その三害とは、
白虎、大蛇、そして周処自身だと知った周処は
「俺が三害をすべて取り除いてやる」と出かける。
まず虎を退治し、次に大蛇と死闘を繰り広げて、
川に流されて行方不明となる。
やっとの思いで村に戻って来た周処は、
三害がいなくなったと大喜びする村人たちの姿を見る。
自分はどれほど人に迷惑をかけていたのかに気づいた周処は
賢人を訪ね、
自分の過ちを知り、改心したいと思う気持ちがあれば、
まだ間に合う、と励まされて、
猛勉強をして、人格者となり、
優れた業績を残す名将となったという。
その昔話にまつわる題名。

映画の中に次のような漢詩が出て来る。

一失足成千古恨
再回頭已百年身
捨棄貧、瞋、癡
來世再做新的人

明代の「明良記」という書物に出てくる言葉で、
一部は「仏教聖典」に記されているという。
「貧、瞋、癡」というのが、仏教用語で、
人間の持つ根源的な三つの悪徳のこと。
三毒とも言われる。
「貧」欲を貪(むさぼ)り、執着すること⇒「鶏」(鳩)
「瞋」怒り、憎しみに支配されること⇒「蛇」
「癡」真理に対して無知であり、愚かであること⇒「豚」
英題の「The Pig, The Snake and The Pigeon 」は、
この「心の三毒」を表してる。

この詩は、本作では、
「過ち一つで悔い一生 貪欲 怒り 無知を脱し 新しい人間に」
と訳されている。

と、暴力描写の向こう側に、
いろいろと味わい深い台湾映画だった。

Netflixで配信中。

 


ドラマ『神と交わした約束: モーセの物語』

2024年04月24日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

旧約聖書「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」や
イスラム教のコーランにある、
ヘブライ人(ユダヤ人の先祖)を
エジプトでの奴隷生活から解放した
民族的指導者モーセの生涯を描く
ドキュメンタリードラマ。

3つのパートからなり、

パート1「予言者」は、
モーセの誕生から、王子として暮らし、
ヘブライ人を酷使するエシプト人を殺害して、
砂漠に逃れ、シナイ山で神と出会い、
「民を解放せよ」との使命を与えられて、
エジプトに戻るまで。

パート2「災い」は、
民の解放を迫るモーセに対して、
心をかたくなにして、拒むファラオ(エジプトの王)に対して、
ナイル川を血に変えたり、蛙やイナゴ、アブなどの襲撃、
家畜に疫病を流行らせたりという、
10の災厄を与える闘争を描く。

パート3「約束の地」は、
エジプト人の初子を撃つという、
最後の災厄に、ファラオがついにヘブライ人の解放を許し、
出発するが、ファラオの気が変わって追い詰められた末、
紅海を割って、対岸まで渡り、
追って来たエジプト軍が水に飲まれるという奇跡が描かれる。


そして、シナイ山にモーセが登って、
十戒を授かる間に、
偶像を作って拝んでいたヘブライ人を撃ち、
その後、40年間荒野を彷徨った後、
モーセを残して、
ヘブライ人が目的地カナンに入るまで。

それぞれ、81分、86分、88分と長い。

基本的に再現ドラマとして描かれ、
途中にユダヤ教のラビ、イスラム教徒の女性、
キリスト教の牧師、神学者や歴史家たちの解説が入る。
再現ドラマといっても、
本格的なもので、
豪華なセットやCGもていねいに作っているので、
ドラマそのもので独立してもよいようなもの。

解説で面白かったのは、
ヘブライ人は移住後400年もたっているので、
奴隷生活が当たり前になっていて、
疑問には思っていなかったという点。
なるほど、人権意識も労働運動もない時代だから、
そうなのかもしれない。

奴隷解放で困るのはエジプト人
というのも面白い見解。
アメリカの奴隷解放で、
じゃあ、誰が綿花を摘むのか、
と白人が困った、というのに比較されている。

荒野の生活で、
不平不満を言う輩のことが描かれるが、
3日で行けるところを40年も放浪したのだから、
指導者モーセへの不信感が出るのは当たり前。
そのあたりの指導者の苦悩がもう少し描かれたらよかったのに。
また、モーセがいつ自分がヘブライ人だと自覚したか
の描写も不足しており、
モーセの、民に対する責任感と愛情を抱く部分なので
手を抜かないでほしかった。
割れる紅海の描写は、映画「十戒」↓の踏襲だが、

過ぎ越しの描写は、初めて見る光景だった。


十戒の石板は、映画「十戒」は神の手が彫るのに対し、
本作では、モーセ自身が彫る。

ところで、紅海を割ってモーセが民を解放した、
というのは、後のユダヤ人の民族的記憶になった。
それほど強烈な経験だったと言えよう。

申命記26章には、次のように唱えよという言葉がある。
「わたしの先祖は、
さすらいの一アラムびと(祖先ヤコブのこと)でありましたが、
わずかの人を連れてエジプトへ下って行って、
その所に寄留し、ついにそこで大きく、強い、
人数の多い国民になりました。
ところがエジプトびとはわれわれをしえたげ、
また悩まして、つらい労役を負わせましたが、
われわれが先祖たちの神、主に叫んだので、
主はわれわれの声を聞き、
われわれの悩みと、骨折りと、しえたげとを顧み、
主は強い手と、伸べた腕と、大いなる恐るべき事と、
しるしと、不思議とをもって、われわれをエジプトから導き出し、
われわれをこの所へ連れてきて、
乳と蜜の流れるこの地をわれわれに賜わりました。
主よ、ごらんください。
あなたがわたしに賜わった地の実の初物を、いま携えてきました」

これがユダヤ教の信仰告白と呼ばれるもので、
このような民族的記憶によって、
紀元1世紀からの世界への離散の果てに、
20世紀になって、
イスラエルを建国し、帰還した。
それが、今の紛争の種となっている。
つまり、今のパレスチナ紛争は、
聖書的課題なので、
解決の目途はないと言える。

モーセの物語は、スケールの大きな話なので、映画の題材となり、
セシル・B・デミル監督による「十誡」(1923年) 、
デミル監督による再映画化「十戒」(1956年) 、


アニメの「プリンス・オブ・エジプト」(1998年)、


リドリー・スコット監督による「エクソダス: 神と王」(2014年)などがある。


ミュージカルとして、フランスで「スペクタクル十戒」(2000年)が上演され、
2005年には来日公演があった。


海が割れるシーンは、ドライアイスの煙でお茶をにごしていた。

ついでだが、私は学生時代に、友人の作曲家と組んで、
「合唱叙事詩 モーセ」という合唱組曲を作詞したことがあり、
1973年7月3日、
早稲田大学の大隈講堂で初演、
東京芸術大学の昔の奏楽堂その他で演奏したことがある。
更についでだが、
私が所属していた団体が
その上部団体から脱退した時の経緯を記した報告書の題名は
「EXODUS」だった。


映画『赦し』

2024年04月20日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

女子高校生が同級生に殺された事件から7 年。
最初の裁判では、懲役20年の判決が下されたが、
加害者に再審の機会が与えられ、
再び裁判が始まったことから、
被害者の両親に起こる心の葛藤を描く裁判劇。

7年の歳月の間に、
被害者家族には、大きな変化が起こっていた。
事件直後に二人は離婚
小説家の父親・樋口克は、新作が書けず、酒浸りの日々
母親の澄子は再婚し、過去に見切りをつけて生きようとしている。

弁護士は「更生」を重視する人権派で、
前裁判の判決は裁判長の感情的な判断によるもので、
犯行当時17歳だった加害者を
世の中に返してやることこそ
正義だと信じている。
そのためには、証言台に立った両親を追い詰めることもやぶさかではない。

加害者・福田夏奈は自分の罪には正面から向き合い、
刑務所を出て、自分と同じ立場に立つ人々を助ける仕事をしたいと思っている。
実は、事件の背景には、
クラス全員によるいじめがあり、
その首謀者を刺し殺したのが真相だった。

いじめの状況は、加害者の回想フラッシュバックで描かれるが、
なぜか一審の時は、そのことを述べなかったらしい。
今度の裁判で、いじめの実態を初めて述べ、
被害者の父親は衝撃を受ける。

そして、加害者は被害者の母と面会し、
父は加害者と面会を望むが・・・

いろいろと疑問が。
殺人事件だから少年審判ではなく、
刑事裁判にかけられるのはいいとしても、
17歳の未成年に懲役20年の判決とは、ちょっと重すぎないか。
7年も経っているが、
してみると、控訴はしなかったのか? 
再審を求めるくらいなら、控訴すればよかったのではないか? 
再審が開始されるだけの合理的な新証拠はあったのか? 
前回の裁判ではいじめの件は言わず、
今度に至って初めていじめが動機だったことを言及するが、
一審で、事件の背景を弁護人が探ったなら、
情状証拠としたはずだったのではないか? 
よほど弁護人が無能だったのか? 
いじめよついての証言で、父親が激高し、
発言したり、退席したりするが、
それに裁判長が「樋口さん、お戻り下さい」と言うが、
裁判長が傍聴人に声をかけたりするだろうか? 
加害者と被害者家族との面会など許可されるか? 
まして、父親とは仕切りなしの面談だという。
刑務所は絶対に許可しないだろう。

もちろん、脚本段階で法的な問題は検討しただろうが、
おそらく「ないわけではない」くらいのもので、
観客に疑問を起こさせてしまうのは、まずいだろう。

「赦し」という題名からして、
被害者両親の心の問題だと思うが、
解決したのかどうか、はっきりしない
娘のいじめ首謀者の発覚だけでそうなるのか。

その他、妻の再婚相手も犯罪被害者の親族だと匂わせるが、
はっきりしない。
また、裁判の帰りに両親が肉体関係を復活させるが、
そんな描写は必要だったか。

と、色々疑問はあるが、
描写そのものは、大変ていねいな作り
以前に観た「ゆるし」は素人の作品だったが、
(3月29日本ブログで紹介)
本作は、ちゃんとした監督の手腕でコントロールされていた。
殺人者は刑務所で罪を償うべきだという“正義”に固執する被害者の父親、
一刻も早く過去を拭い去りたいと願う元妻、
そして獄中で自らが犯した罪の重さを自問自答する夏奈。
設定は平凡だが、これしかなかったのだろう。

演技陣では、加害者を演ずる松浦りょうが、
特異な顔つきと表情で、存在感をあらわす。


彼女の言っていることは、まともだし、
苦悩も伝わって来る。
母親役のMEGUMIは、意外な好演。


再婚相手のオリエンタルラジオの藤森慎吾は、
こんな演技も出来るんだという発見。
ただ、父親役の尚玄は、言葉が棒読みの上、不明瞭で、
素人かと思ってしまった。


裁判長の真矢ミキは、目が笑っていて、
厳格な裁判長には見えなかった。
こういう役に有名女優を起用するのは、よく考えた方がいい。
弁護士役の生津徹は、正義を建前に、裁判の勝利のために、
被害者遺族を法廷で追究するいやらしい役。
そんな感じがよく出ていた。
賠償金が取れないと知って、思わず落胆する描写がリアル。

インド人で日本に帰化したアンシュル・チョウハン監督
日本の司法制度に果敢に挑戦した意欲を買いたい
ただ、7年後の「再審」ではなく、
第1審の裁判、
譲っても控訴審として描いた方が自然だったのではないか。

 


映画『アイアンクロー』

2024年04月16日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

アイアンクローとは、「鉄の爪」という意味で、
プロレスで、相手の顔面を手の平全体でつかみ、
5本の指先の握力を使って締め上げる、
フォン・エリック・ファミリーの得意技。


フォン・エリック・ファミリーとは、
アメリカ合衆国のプロレスラーであった
フリッツ・フォン・エリック(本名:ジャック・バートン・アドキッソン)と、
その息子および孫など親族にあたるプロレスラーの総称。

映画は、フリッツが
息子たちをプロレスラーとして育てあげる様子を
次男ケビンを中心に描く。

普通のスポーツ根性ものと思っていると、
一味違う。
というのも、
インディペント系エンターテインメント会社、
A24の製作によるものだからだ。
「ルーム」、「AMY エイミー」、「エクス・マキナ」、
「ムーンライト」、「フロリダ・プロジェクト」、「ザ・ホエール」         と作品名を挙げれば、そのユニークさが分かるだろう。
昨年アカデミー賞作品賞を取った
ヘンテコ映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」も
A24の配給だ。

元AWA世界ヘビー級王者のフリッツの下で育ったケビンは、
世界王者になることを宿命づけられていた。
彼に続いて三男デビッド、四男ケリー、五男マイクもプロレスを始めるが、
不幸が彼らを襲う
まず三男デビッドが日本での試合の前に内臓破裂で死亡(25歳没)。
四男ケリーが交通事故で片足を失って、その後ピストル自殺(33歳没)。
リングデビューした五男マイクも試合中の負傷から後遺症を患い、
精神安定剤の過剰摂取により服薬自殺(23歳没)。
ファミリーは「呪われた一族」と呼ばれた。
(長男のジャック・ジュニアも幼くして事故死、
 映画は5人兄弟として描いているが、
 実際は6人兄弟で、
 末弟のクリスもピストル自殺している(21歳没)。
 監督のショーン・ダーキンは、
 6人分の悲劇を描くと
 多くの観客の心が耐えられないと判断し、
 1人減らす脚色を加えたという。)

ケビンにとって一番大切なのは家族であり、
その家族に次々と不幸が襲う原因は父親にあると、
最後は父親と対立する。
そのケビンの内面を描いて切ない。

ケビンは二人の息子を得て、
「昔、自分には4人の兄弟がいた。
 でも、今は誰も残っていない」
と言うと、
息子が「じゃあ、ボクたちが兄弟になってあげる」
という場面は泣かせる。

自殺したケリーの死後の世界も描かれ、
彼岸でデビッド、マイクと再会し、
幼くして亡くなったジャック・ジュニアを加えて
抱きあうシーンも涙をそそる。

プロレスシーンは、主にケビンのものが描かれ、
演ずるザック・エフロンの肉体改造ですさまじい。
まるで別人。

最後に、
一人だけ残ったケビンは1995年に引退して牧場主となり、
沢山の子供と孫に囲まれている姿が描かれて、
ホッとする。

1997年、フリッツ自身も癌で死去(68歳没)。
2009年、WWEはフォン・エリック・ファミリーの功績をたたえ、
殿堂に迎え入れた。
セレモニーにはケビンが出席したという。
2012年にはケビンの息子でありフリッツの孫にあたる
ロス・フォン・エリック(長男)と
マーシャル・フォン・エリック(次男)が
プロレスラーとしてデビュー。
日本にも来ている。
これにより、フォン・エリック・ファミリーは
親・子・孫の三世代にわたりプロレスラーとして活動することとなった。
更に、ケリーの娘であるレイシー・フォン・エリックも
ファミリー初の女子プロレスラーとして2007年にデビュー。

プロレス界を舞台に、
一つの家族を描く骨太なヒューマンドラマ

5段階評価の「4」

拡大上映中。