空飛ぶ自由人・2

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マニラの旅・その5 ミンドロ島から

2025年02月20日 23時00分00秒 | 旅行関係

昨日の続き。

大雨強風の天気予報に、
船が欠航するのではないかと危惧され、
寝付かれない夜を過ごし、
ホテルを早目に出て、とにかく港に行こうと焦ります。

丁度いいタイミングで
港から来たトライシクルが到着し、
すぐに乗ります。

雨が吹き込みます。

船は出るようで、
来た時とは違う、
この会社の9時の分のチケットをゲット。
620ペソ(1670円)。
シニア料金ではないのか、と訊くと、
フィリピン政府が発行したIDでないと駄目だと。


往路の会社は何も言わずにシニア料金(437ペソ)にしてくれたのに。

ターミナル・フィー10ペソを支払い。

この待合室で待機。


売れるのでしょうか。

時間が来て、雨の中、船へ。

中はこんな。


アメリカのホラー映画をやっていました。

港を出発


ホッと一息。

欠航した場合に、
翌日のツアーのガイドへの連絡文などを検討していましたが、
出航した途端に全て忘れました。

雨なので、室内で過ごします。

バタンガスの港が見えて来ました。

上陸

後は、マニラに戻るバスをつかまえます。

このバスがPITX行き


ところが、「満席なので、次のバスにしてくれ」と。
うろうろしていたら、
運転手が再び呼んでくれて、
運転手脇の補助椅子のようなものに座るように言われました。
次のバスは1時間後なので、有難い。

でも、その席は集金係のお兄さんの席だったようです。
お兄さんは、2時間、立っています。
そのうち立ったまま寝始めました。

というわけで、一番前の席なので、
運転手気分に。

始め少なかった車線が、

マニラに近づくにつれて、増えて来ます。

マニラの渋滞。


途中2箇所ほど止まり、
客が降りましたので、
席をお兄さんにお返ししました。

PITXに着きました。


「冒険」は、終わりです。

運転手とお兄さんに、
ていねいにお礼を言っておきました。

PITXの中には日本食レストランがあり、
そこで昼食を食べましたが、
それは後日、まとめて掲載します。

それにしても、
これは何語なのでしょうか。

この後、PITX近くの
オカダマニラに向かいます。

 


マニラの旅・その4 ミンドロ島へ

2025年02月19日 23時00分00秒 | 旅行関係

3日目。
朝早く起きて、タクシーで


ここへ。

パラナケ総合ターミナル
Paranaque Integrated Terminal
略称PITX(ピーテックス)。
ここからフィリピン各地へのバスが発着します。

今回の旅行、1週間の日程にしたのは、
せっかく寒い日本から暖かい国にいくのだから、
ゆっくりしたい。
マニラから足を延ばすのもいい。
いろいろツァーを探しても、適当なものがなく、
マニラのあるルソン島から
少し離れたところにある島に
ホワイトビーチというリゾート地があることを知り、
そこに行ってみることにしました。

それには、
バスでルソン島の南にあるバタンガスという港に行かなければなりません。
そこで、ここPITXを訪れましたわけです。

すごい大きな施設で、
人が一杯です。


バタンガスへのバスのチケットは、
ここ、4番ブースで購入。


↓のような紙を渡されますが、


これは、予約票のようなもので、
料金はバスの中で支払います。

2階のブース4で発券されることも、
予約票の仕組みも、
事前に他の方のブログやYouTubeで予習済みなので、
戸惑うことはありませんでした。
ネットの情報はありがたいですね。

5番ゲートの

35番停留所へ。


窓際は取れなくて、最後部座席へ。


ほどなくして、
乗車料を集めに来ました。


↓が料金支払い後の乗車券。

285ペソ(770円)。

7時32分に出発。
席は半分くらい埋まっており、
テレビで「ゴーストバスターズ2」をやっています。

高速道路を飛ばしますが、
ガタガタと乗り心地は良くない。
バスが古いからか、
道路が悪いのか。
道路に所々亀裂が入っているのが原因のようです。

トイレが整備されており、安心。

2時間ほどでバタンガスに着きました。

バスターミナルで止まりますが、


ここで降りてはならず、
そのまま座っていれば、
港まで行ってくれる
というのが予習の成果。

10分ほど走って、
港のターミナルの入り口に。

予習したのとは違い、
建物が新しくなっているようでした。

船会社ごとのチケット売場があり、


私はこの会社でプエルトガレラ行きのチケットを買います。


シニア料金が適用されて、
437ペソ(1180円)。


他にターミナルフィーを30ペソ(80円)支払うのも予習済み。

10時発の高速船にすぐ乗れました。

客席はこんな風ですが、


私は2階のデッキへ。

 

バタンガス港を出発して、


船はミンドロ島を目指します。

島と海をを眺めてすごしました。


途中、イルカと遭遇しました。

1時間半ほどでミンドロ島、
プエルトガレラのバラテロ港に着きました。

ここでは、入島料シニア・100ペソ(270円)を支払い。


これも予習済み。

↓はフェリー。運航に時間がかかります。

待っていたのは、トライシクル


150ペソ(400円)でホワイトビーチに向かいます。

ここから入り、降ろされて、ビーチへ。

土産物屋の中から、


ビーチへ。

確かに名前のとおり、砂が白い。

ここがホテルかと思ったら、


レストランで、
その奥に同じ名前のホテルがありました。

このホテル、
私の海外経験で最低最悪のホテル。

まず、お湯が出ない
インドでそういう経験はしましたが、
インドだからね、と許せます。
しかし、ここは、リゾート地。
お湯の出ないホテルなど、論外です。
配管そのものが、お湯が出る仕様になっていません。
バスルームに置いてあった石鹸は、
丸型の包装を解くと、中は溶けてなくなっていました。
もしかして、この部屋には数カ月も人が泊まっていないのでは、と要らぬ心配を。
泊まるのは分かっているのに、
トイレットペーパーも置いてない。
受け付けの女性は、友達とペデュキア塗りにいそしんでおり、
やる気のなさがありあり。
更に、夜中に水が止まりました。これは困った。
(朝、係が来たので言うと、下でなにやらしていて、水が出るようになりましたが。) 
前日、ホテルからメールをいただき、
島へ着いてからのあれこれが詳細に書かれており、
丁寧で分かりやすく、期待できるホテルかも、と思いましたが、
現実は上記のとおりです。
フィリピンの恥のレベルです。

右の鍵兼用の電源。

今時珍しいブラウン管テレビ。しかし、映りません。

窓外の眺めも最悪。

良かったところは、海岸に至近なところ。

水着に着替えて、海へ。
海で泳いだのは、15年ぶりか。
(泳いだというより、浸かったというのが正しいですが。)

その後、浜辺を散策。

細い通りを通ります。

町にも出かけました。

小高い場所からビーチをのぞむ。

夕方から雨になり、
天気予報を調べると、
翌日は大雨強風とのこと。

もし船が運航停止になったら、
翌日以降の計画が崩れてしまいます。

そういう危機をはらんで、
ホワイトビーチの夜は更けていきました。

 


マニラの旅・その3 交通事情

2025年02月17日 23時00分00秒 | 旅行関係

ここで、マニラでの交通事情を紹介しましょう。

マニラ市内を走る鉄道は3路線あります。
高架鉄道LRT1号線LRT2号線、 
首都圏鉄道MRT3号線


LRTは、マニラ・ライトレール・トランジット・システム
     (Manila Light Rail Transit System)の略称。
MRTは、マニラ・メトロレール・トランジット・システム
     (Metro Manila Rail Transit System) の略称。
ベルギーや日本の支援によって建造されました。
LRT1号線は、1984年から運航開始。
MRTは、1999年から運行開始。
LRT2号線は、2003年に全区間の運航開始。

3つの路線は、
3か所の駅において接しており、
そこで乗換えが可能。

今回のホテルを選んだのは、
エドサ駅とタフト駅に挟まれた場所で、便利だから。

入口は、いつも行列。

荷物検査があります。

チャージ式のSUICAのようなものと、
片道乗車券が発売されています。


窓口で行先を告げて、
料金を支払うと、
その都度、キーボードを操作して、
カードを発行してくれます。


自動券売機もあります。


乗る時はカードをかざし、


降りる時はカードが回収されます。

行先別に料金が異なり、
MRTは、最低13ペソ(35円)から、
LRTは最低15ペソ(40円)から。


料金が安いからか、
いつも混んでいます。

着くとエスカレーターで上へ。

今回の旅行期間、5回お世話になりました。

大型乗り合いバスは、
エアコンバスは初乗り12ペソ(32円)から、
エアコン付でない通常のバスは10ペソ(27円)から。

乗客を乗り降りさせるバス停は決められてはいますが、
遵守されないことが多く、
どこでも乗せて、どこでも下ろす営業形態。

市民の足になっているのは、ジープニー

第二次世界大戦後に在比米軍が払い下げたジープが元となった
いわゆる乗合タクシーで、
天井が低いので、
体をかがめて乗ります。

ジープニーは、決まったルートを走行します。

初乗り:子供7ペソ(19円)、大人8ペソ50(23円)。
16人乗りのものが多いです。

マニラにおいては
幹線を路線バスが受け持ち、
ジープニーはその他のルートを受け持つ形を取っています。
各ジープニーは決まったルート(路線)を往復し、
車体にそのルートの出発地・主な経由地・終点が掲示されています。


時刻表はなく、始発地において
ある程度乗客が集まり次第発車、
走行中も、天井を叩いて運転手に知らせれば
希望の場所で降車することができます。
公式な路線図は存在しません。


運賃は運転手に直接支払いますが、
満席等で直接手が届かないときは
運転席寄りの乗客にお金を渡し、
手から手へと運転手までリレーされ、
釣りがある場合には逆のルートできちんと返ってきます。
切符もありませんので、
運転手がネコババしないかと思いましたら、
ほとんどのジープニーには
車両のオーナーがおり、
運転手はオーナーに決まった車両借用料を支払い、
客から受け取った運賃は自分の取り分となる、という仕組みだそうです。
運転手が少しでも稼ぎを増やそうとするために客の争奪戦になりやすく、
運転マナーは決して良くなく、
車線を無視した走行・無理な割り込み、
道路の中央で停車するなどの行為が多く見られ、
渋滞や事故の原因となっています。


何らかの規制を加えようという動きもありますが、
ジープニーに関わる就業人口が多いため容易ではないようです。

2017年、フィリピン政府は
旧型車両の廃止などを盛り込んだジープニー近代化計画を策定しましたが、
抵抗する運転手たちが1週間に及ぶストライキを画策し、
政府は計画の見直しを表明してストライキの早期収束に至りました。
つまり、何も変わらない。

トライシクルというのも、沢山走っており、
三輪のものや、
オートバイにサイドカーを付けたものなど、


料金交渉制の簡易タクシーで、
庶民の交通機関としての役割を担っています。
初乗り15ペソ(40円)。

タクシーもありますが、


メーターは付いているものの、
メーターを使わず、
数倍相当額をボッタクリ要求したり、
敢えて遠回りして高額の料金を請求するタクシーが多いそうです。

私は3回乗りましたが、
3回ともメーターは使わず、
料金は交渉
300ペソ(810円)や400ペソ(1080円)でした。

タクシー会社の売り上げ管理はどうなっているのでしょうか。


日本との違いは、
大抵ラジオが大音量でかかっていて、
ドライバーが一緒に歌ったりしています。
日本では考えられませんね。

始めの数日、フィリピンのSimカードがうまく機能せず、
4日目になってようやく開通し、
それ以降はGrabを使うようになりました。
これは、アメリカでのUberと同じ方式で、
行先を入れると、
料金を自動計算、
近所に存在する契約車(タクシーや白タク)が名乗りをあげて、
やってきます。
乗り場所はGPSが自動検出。
あと何分という表示も正確で乗り場所に到着。

利点は料金が事前に決まっているので、
面倒な料金交渉する必要がなく
カード決済なので、
金銭のやり取りもない点。
これを使ってみると、
300ペソや400ペソというのが、
大体倍でボッたくられていることが判明しました。

運転手さんは、スマホで常に情報を入手。

時々外と会話もします。

それと、多いのがバイク

そういうわけで、観光バス、大型バス、タクシー、
ジープニー、トライシクル、バイク、自転車と混在して、
いつも渋滞
相当な経済的損失だと思います。

インドみたいに、牛がいないだけましでしょうか。

 


マニラの旅・その2 モール

2025年02月14日 23時00分00秒 | 旅行関係

ホテルの6階から見た朝の通り。


向こうに見えるのは、鉄道のMRT。
交通手段については、後日述べます。

その鉄道に乗って、


アヤラ地区へ。

高層ビルが林立しています。

経済の発展は著しいようです。

少し離れたところには、
グリーンベルトと呼ばれるところがあり、

緑豊かな景観。

ところどころ、が「落ちて」います。

マニラの町には
いたるところに野良猫か地域猫が沢山います。
(このことも、後日述べます。) 

グリーンベルト内にある教会


フィリピンは人口の90%以上がキリスト教徒で、
82.9%がカトリックです。

面白いオブジェ。

駅近くのモール。

開店前には国歌が流れ、全員起立します。

中の様子。

日本のコーナーもあります。

カップヌードルが300円くらい。

コーラのペットボトルは110円くらいで、日本より安い。

東京がブランドのようです。

イベントも行われています。

このあたりは不思議な構造で、
違うビルに入っても、
中でつながっているらしく、
同じ場所に行き着きます。
麻布台ヒルズみたいですね。

日本式食べ放題の焼肉屋「相撲・肉」。

「食べ放題」は「UNLIMITED」といいます。

値段は1700円くらい。

移動して、ここは、海沿いのSMモール・オブ・アジア


フィリピン最大の大型商業施設です。
世界のショッピングモール床面積ランキングでは3位

2006年5月21日に開業。
ショッピングセンターだけでなく、
シネマコンプレックス、会議場、展示場、
観覧車、アリーナなどが存在しています。

多目的アリーナも。

オープニングは、レディ・ガガのコンサート。


2012年6月に開業し、
バスケットボールやボクシング、テニス、コンサートなど
多様に使われています。

IKEAもあり、このコンラッドホテルは3万円から泊まれます。

ここで初めて自動販売機を見ました。

モール内。

巨大な猫のオブジェ。

これは、円筒型の映像オブジェ。

日本の店も沢山入っています。

人が沢山。


モールで買い物したり、飲食したり出来るだけの
経済的豊かさがあるということでしょう。

ここから海岸に出ることが出來、


カップルや家族連れでにぎわいます。

実は、マニラは観光資源が少なく
イントラムロスと呼ばれる歴史地区
それに沢山のモール
そして、夕日

ラオスのルアンパバーンや
ミャンマーのバガンもそうですが、
観光資源が少ないため、
夕日の力を借りるのです。
誰が言ったか、
「世界三大夕日」の一つだとか。
その三つとは、
マニラ湾とバリ島、それに釧路だそうです。

私が行った時は、曇っていて、
夕焼けは現れなかったので、
ネットから拝借した写真を。

 


マニラの旅・その1 飛行機とホテル

2025年02月12日 23時00分00秒 | 旅行関係

それでは、マニラの旅を開始しましょう。

浦安から成田空港へのバスは
本数が減り、
うまく時間がつながらないので、
京葉線で海浜幕張まで行って、
そこでバスに乗ります。

実は、今度の飛行機はLCC(低価格航空会社)のため、
第3ターミナルからと思い込んでいましたが、
前日になって、第2ターミナルと判明。
あやうく下車場所を間違えるところでした。

5年ぶりに観る光景。

セブパシフィック航空はすごい行列。


機械でチェック・インして、


搭乗券をもらい、
荷物は預けないので、
地上係員に、これで中に入れるかと訊くと、
搭乗券のある箇所を指さし、
行列に並ぶ必要があると言います。
行列はものすごく長く、途方に暮れていると、


先程の係員がぐるりと回ってやってきて、
「私がやります」とカウンターに誘導してくれました。
そして、チェック・イン完了。
優しい職員さんでよかった。

これも久しぶりに観る光景。

長い通路を歩きます。

機内食は出ないので、腹ごしらえ。

吉野家です。

カツカレーを注文。

機内預け荷物は有料なので、
今回は手荷物を機内持ち込み。
ところが、チケットを取った会社から、
「東京発の手荷物は5キロまで」という連絡が。
荷物はどうしても5キロを越えそうです。
「帰りは7キロ」と書いてあるので、
セブパシフィック航空に問い合わせると、
「5キロではなく、7キロ」といい、
ホームページにも
「機内持ち込み手荷物は2個合計7キロまで」
とちゃんと書いてあります。
チケットを取った会社は何を間違えたのでしょう。
荷物重量検査はどこでするのかと訊くと、
搭乗ゲートでといいます。
そういえば、以前国内線のLCCで高松に行った時、
ゲートの前で計量していました。
ただ、2個合計で7キロを越えそうなので、
ヘンドホンやiPad や本は
ダウンジャケットに入れて、
7キロをクリアするつもりでした。

しかし、搭乗口では、そんな検査はありませんでした。
考えてみれば、何百人という客を並ばせて
荷物の重量を測るなどという手間をやるはずがありません。
(高松便はどうしてやったのでしょう)
誤情報に継ぐ誤情報。
人の話はあてになりません。

座席の場所でいくつかのグループに分けて搭乗。
3・3・3の並びで、
私の席は真ん中の席。
席の希望は有料でかなえられるそうです。

LCCですから、椅子はリクライニングせず、


パーソナルテレビもありません。


確かに、テレビの装置や
映画のプログラムなど、
かなりの経費が削減されての低価格なのでしょう。


水のサービスさえなく、
食べ物、飲み物は全て有料

LCCですから、我慢我慢です。

というわけで、我慢を重ねて、
5時間01分でマニラに到着。

この空港は、
「ニノイ・アキノ国際空港」と申します。
Ninoy Aquino International Airport、略称: NAIA(ナイア)。
ニノイ・アキノとは、
マルコス大統領の独裁時代、
国民に人気がある政治家だった
ベニグノ・ニノイ・アキノ・ジュニア上院議員


マルコス政権にとっての脅威であるとみなされ、
逮捕の上、死刑を宣告されます。
しかし、人気のあるアキノ氏を死刑にすることは
更なる反感を買うため、
アメリカ合衆国へ国外追放されます。
そして、亡命先のアメリカ合衆国から帰国した
1983年8月21日に
タラップから降りた直後に射殺されました。
この暗殺によって、反マルコス運動の勢いが爆発的に加速し、
1986年、
ニノイ・ アキノ氏の遺志を受け継いだ
妻のコラソン・ アキノ氏は、
大統領選挙に出馬します。
彼女は、徹底して反マルコス態勢を貫き、
大多数の国民の支持を集めます。
実際には80万票の差でコラソン・ アキノ氏が勝利したにも関わらず、
選挙管理委員会がマルコス政権の勝利を発表したため、
抗議運動が爆発し、
その運動が、マルコス政権崩壊へとつながります。
その後、奥さんのコラソン・アキノさんと、
息子のベニグノ・アキノ3世さんが大統領に就任しています。
500ペソ紙幣には、
アキノ夫妻の姿が描かれています。

というわけで、
空港の名前には、
フィリピンの歴史が内包されているのです。

一時期、空港の名称を変える動きがありました。
みんなの空港なのに、
個人名がついているのはおかしい、というのですが、
だったら、ニューヨークの「JFK空港」や、
パリの「シャルル・ド・ゴール空港」はどうなのでしょうか。

ニノイ・アキノ国際空港には、
4つの空港ターミナルビルがありますが、
ターミナルビル間はそれぞれが離れており、
連接性が全く考慮されておらず、
各ターミナル間の移動は
一度空港敷地外の一般道路に出なくてはならないので、
注意が必要です。

セブ・パシフィック航空は第3ターミナル

この空港は、
2011年から2013年まで、
Sleeping in Airportsの国際空港に関する利用者投票で
「世界最悪空港ワースト1位」
を3年連続で獲得しています。

まず両替。
1万5千円が5475ペソ。
1ペソ=2.74円

空港には公共交通機関が入っていないため、
空港からホテルへはタクシーに頼らなければなりません。
しかし、UBEエクスプレスというバス路線の一つが
宿泊ホテルに行くので、


そのあたりをウロウロしていると、
タクシーの客引きが群がってきます。
ホテル名を告げると、
スマホを操作して、
1000ペソの料金を提示します。
(実際のタクシー料金は400ペソもかからないので、
 ニセの一覧表です) 
断って、UBEエスクプレスを待ちます。
(来る前は1時間に1本、
 ということでしたが、
 実際は30分ごとも。
 これも誤情報)


乗って、運転手に150ペソを支払います。
切符も何にもない。
運転手はお金を胡麻化さないのでしょうか。

20分ほど走って、
「KABAYAN HOTELだ」
と言われて降りると、
ホテルの前ではありません。
そこから10分程歩いて、
ようやくホテルに到着。


とんでもなく遠いところで降ろされたらしい。


なぜか。不思議。

チェック・インを済ませ、


長い廊下を歩いて、私の部屋へ。


ご覧の通りの狭さ。


3畳間くらいでしょうか。

私の海外体験で2番目に狭い部屋です。

掛け布団はシーツが1枚だけ。

スリッパではなく、ゴム草履。

エアコンが古く、
ものすごくうるさい。

このホテルは部屋の格差が激しく、
私の部屋は最低レベルで、
1泊4600円
まあ、寝るだけですからね。

この後、夕食に向かいますが、
そのことは食事の件をまとめて伝えます。

とにかく、
6年ぶりの海外の第一夜は、
狭い部屋で過ぎていきました。