[映画紹介]
「八犬伝」にまつわる映画だが、
曲亭馬琴の書いた「南総里見八犬伝」本編ではなく、
山田風太郎の書いた「八犬伝」が原作。
「南総里見八犬伝」は、
室町時代後期を舞台に、
安房里見家の伏姫と
愛犬の八房(やつふさ)の因縁によって結ばれた
八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説。
共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、
それぞれ、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある
数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、
八房の体にあった模様・牡丹の形の痣が身体のどこかにある。
関八州の各地で生まれた彼らは、
因縁に導かれて互いを知り、
里見家の下に結集する。
この物語を背骨としながら、
本映画は、「八犬伝」を書いた馬琴の創作活動を描くという
二重構造を持っている。
馬琴は葛飾北斎に「八犬伝」の構想を語り、
北斎に挿絵を依頼する。
馬琴から筋を聞いた北斎はさらさらと情景を描いてみせ、
それが馬琴の創作意欲をかき立てる。
馬琴はこの物語の完成に、48歳から76歳に至るまでの後半生を費やした。
従って、映画の中で馬琴はどんどん歳を取っていく。
やがて視力を失うと、
息子・宗伯の妻であるお路の口述筆記により
最終話まで完成させる。
その二重構造から次第に見えて来るのは、
“虚”と“実”のせめぎ合いだ。
8人の剣士たちの戦いを描く物語の“虚”と、
その物語を生み出す馬琴の創作の苦悩に迫る“実”。
馬琴が執筆する“架空の物語”と
その創作過程の“実話”の世界。
その対立は、鶴屋南北を登場させることにより
クライマックスを迎える。
「仮名手本忠臣蔵」に「東海道四谷怪談」を複合させた南北に、
どちらが“虚”で、どちらが“実”かを問わせる。
勧善懲悪、善因善果、悪因悪果を描こうとする馬琴に対し、
善と悪が逆転する四谷怪談の世界を見せる南北。
馬琴は、正しいものは本来報われるべきと考えるが、
南北は正義が報われる話など非現実的だという。
この時、呈示された、善因悪果、悪因善果が
馬琴の心を悩ませる。
生涯を通じて悪事をはたらなかった馬琴に、
息子の病死、失明という悪果がなぜ襲って来るのか。
それは、渡辺崋山の言葉によって氷塊していく。
正しいと思うものを命尽きるまで貫けば、
それが「実」になると華山は言うのだ。
「八犬伝」のパートはCG満載。
「馬琴」のパートは対話劇。
鶴屋南北との対峙は、
芝居小屋の薄暗い奈落で、
暗がりに逆さに顔を覗かせた南北との対立。
うまい演出。
時代を超えて、
物語を創作する意味を問う内容で、
奥が深い。
死の床にある馬琴を
八犬伝の8犬士たちが迎えに来るラストに
創作者の夢が詰まっている。
曲亭馬琴を役所広司(さすが)、
葛飾北斎を内野聖陽、
馬琴の息子・宗伯を磯村勇斗、
宗伯の妻・お路を黒木華、
馬琴の妻・お百を寺島しのぶ、
八犬士の運命を握る伏姫を土屋太鳳、
怨霊・玉梓(たまづさ)を栗山千明が演ずる。
歌舞伎「東海道四谷怪談」の舞台では、
伊右衛門を中村獅童、岩を尾上右近が演ずる。
監督は「ピンポン」「鋼の錬金術師」の曽利文彦。
それにしても、想像力満載の「八犬伝」を
江戸時代の庶民が好んで愛読したとは。
何と当時の日本人の教養レベルの高いことよ。
なお、馬琴と義娘・お路との関係は、
西條奈加の小説「曲亭の家」に詳しく描かれている。
2021年11月8日のブログ「1」で取り上げているが、
今はアクセスできないので、
私のパソコンの内部に保存されているものを再録する。
再録
[書籍紹介]
「曲亭」とは、「南総里見八犬伝」を著した、
江戸時代の戯作者(今で言う小説家)、
曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)のこと。
滝沢馬琴と表記するものがあるが、
これは明治以降に流布した表記で、
誤った呼び方であると
近世文学研究者から批判されている。
「椿説弓張月」(ちんせつゆみはりづき)、
「南総里見八犬伝」、
「近世説美少年録」など、
81歳で亡くなるまで旺盛な執筆力をあらわし、
ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた
日本で最初の著述家であるという。
代表作である「南総里見八犬伝」は、
日本文学史上最大の長編小説で、
28年をかけて完結した、全98巻、106冊の大作。
本書は「心淋し川」で直木賞を取った、
西條奈加の直木賞受賞後第一作の書き下ろし長篇。
馬琴の息子に嫁いだ、医者の娘・お路の目から
馬琴の姿を描いている。
父は作家、夫は医者、という
望外の良縁と思って嫁いだ家は、
何事にも細かく口を出して支配しようとする横暴な舅・馬琴、
病弱で藩医のつとめも果たせない上、
癇癪(かんしゃく) 持ちで、
一度怒ると手が付けられなくなる夫・宗伯(そうはく)、
傲慢で冷たい姑(しゅうとめ) ・お百・・・。
修羅の家庭だった。
お路が身を粉にして尽くしても、
馬琴はもちろん、義母のお百も、宗伯からさえも、
ねぎらいの言葉ひとつかけてもらえない。
「どうしてこんな家に嫁いでしまったのだろう」
と後悔しつつも、
お路は耐え忍び、家を切り盛りする。
当時は戯作隆盛で、
山東京伝や式亭三馬、十返社一九、柳亭種彦など、
なだたる作家の作品であふれていた時代。
その中でも、旺盛な筆力を誇る馬琴は異彩を放っていた。
なにしろ、印刷や挿絵にも口を出し、
製本されたものの中に、
たった一つの誤字脱字を見つけても、
刷り直しを求める。
戯作という大きな創造に身も心も捧げている義父、
そしてその父の偉大さに劣等感を抱く夫。
その狭間でお路は家事に精を出し、三人の子をなす。
馬琴は大らかさに欠け、
些細なことも四角四面に始末をつけなければ納得せず、
その一方、繊細で傷つきやすく、
自らは人と争うことを厭う。
そういう義父にお路は反発する。
やがて馬琴の目に障害が置き、
まず右目が光を失う。
医者の忠告で仕事を減らすことをせず、
前にも増して執筆に打ち込む。
そして左目も見えなくなっても、
八犬伝だけは完成させなければ、と、
執念を燃やす。
宗伯が亡くなり、
馬琴はお路に後述筆記を依頼する。
版元が派遣した筆耕者は、
馬琴の厳しい叱責に耐えられず、
何日と持たず、次々と人が変わる。
お路は固辞するが聞かず、ついに引き受けるが、
それがお路の新たな地獄の始まりだった。 なにしろお路には学がない。
馬琴の口にする重厚な言葉を
文字に変えるのは大変な作業だった。
たった数行だけで疲れ切ってしまう。
その上、馬琴の叱咤は苛烈を究める。
いちいち挟まれる説教も長い上に嫌味ったらしい。
何度も衝突し、職務を放棄するお路。
ドストエフスキーも後述筆記をしたが、
アルファベット(ロシア文字)と違い、
漢字である。
困難は比較出来ない。
しかし、道端で耳にした大工たちの
八犬伝を読んだ喜びの声に、
自らの使命を感じ、
放棄を恥じ、職務に戻る。
こうして八犬伝は完結する。
最後に馬琴はお路にねぎらいの言葉を残す。
馬琴が没した後、
お路は、女子供のための
「仮名読八犬伝」の執筆を勧められる。
版元は、
あなたこそ馬琴先生の唯一の弟子だったと言う。 「仮名読八犬伝」は、
幕末まで、およそ二十年に渡って続いた。
作者は曲亭琴童(きんどう)。
お路の筆名である。
縁あって作家の家に嫁いだ嫁の、
偉大な作家の創作を巡る
数奇な運命。
なかなかの興味深い本だった。