空飛ぶ自由人・2

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映画『八犬伝』・小説『曲亭の家』

2024年10月29日 23時00分00秒 | 映画関係+書籍関係

[映画紹介]

「八犬伝」にまつわる映画だが、
曲亭馬琴の書いた「南総里見八犬伝」本編ではなく、
山田風太郎の書いた「八犬伝」が原作。

「南総里見八犬伝」は、
室町時代後期を舞台に、
安房里見家の伏姫と
愛犬の八房(やつふさ)の因縁によって結ばれた
八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説。


共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、
それぞれ、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある
数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、
八房の体にあった模様・牡丹の形の痣が身体のどこかにある。
関八州の各地で生まれた彼らは、
因縁に導かれて互いを知り、
里見家の下に結集する。

この物語を背骨としながら、
本映画は、「八犬伝」を書いた馬琴の創作活動を描くという
二重構造を持っている。
馬琴は葛飾北斎に「八犬伝」の構想を語り、
北斎に挿絵を依頼する。
馬琴から筋を聞いた北斎はさらさらと情景を描いてみせ、
それが馬琴の創作意欲をかき立てる。

馬琴はこの物語の完成に、48歳から76歳に至るまでの後半生を費やした。
従って、映画の中で馬琴はどんどん歳を取っていく。
やがて視力を失うと、
息子・宗伯の妻であるお路の口述筆記により
最終話まで完成させる。

その二重構造から次第に見えて来るのは、
“虚”と“実”のせめぎ合いだ。
8人の剣士たちの戦いを描く物語の“虚”と、
その物語を生み出す馬琴の創作の苦悩に迫る“実”。
馬琴が執筆する“架空の物語”と
その創作過程の“実話”の世界。

その対立は、鶴屋南北を登場させることにより
クライマックスを迎える。
「仮名手本忠臣蔵」に「東海道四谷怪談」を複合させた南北に、
どちらが“虚”で、どちらが“実”かを問わせる。
勧善懲悪、善因善果、悪因悪果を描こうとする馬琴に対し、
善と悪が逆転する四谷怪談の世界を見せる南北。
馬琴は、正しいものは本来報われるべきと考えるが、
南北は正義が報われる話など非現実的だという。
この時、呈示された、善因悪果、悪因善果が
馬琴の心を悩ませる。
生涯を通じて悪事をはたらなかった馬琴に、
息子の病死、失明という悪果がなぜ襲って来るのか。
それは、渡辺崋山の言葉によって氷塊していく。
正しいと思うものを命尽きるまで貫けば、
それが「実」になると華山は言うのだ。

「八犬伝」のパートはCG満載
「馬琴」のパートは対話劇。
鶴屋南北との対峙は、
芝居小屋の薄暗い奈落で、
暗がりに逆さに顔を覗かせた南北との対立。
うまい演出。
時代を超えて、
物語を創作する意味を問う内容で、
奥が深い。
死の床にある馬琴を
八犬伝の8犬士たちが迎えに来るラストに
創作者の夢が詰まっている。

曲亭馬琴を役所広司(さすが)、
葛飾北斎を内野聖陽
馬琴の息子・宗伯を磯村勇斗
宗伯の妻・お路を黒木華
馬琴の妻・お百を寺島しのぶ
八犬士の運命を握る伏姫を土屋太鳳
怨霊・玉梓(たまづさ)を栗山千明が演ずる。
歌舞伎「東海道四谷怪談」の舞台では、
伊右衛門を中村獅童、岩を尾上右近が演ずる。


監督は「ピンポン」「鋼の錬金術師」の曽利文彦

それにしても、想像力満載の「八犬伝」を
江戸時代の庶民が好んで愛読したとは。
何と当時の日本人の教養レベルの高いことよ。

なお、馬琴と義娘・お路との関係は、
西條奈加の小説「曲亭の家」に詳しく描かれている。
2021年11月8日のブログ「1」で取り上げているが、
今はアクセスできないので、
私のパソコンの内部に保存されているものを再録する。

 

再録
                                        [書籍紹介] 

「曲亭」とは、「南総里見八犬伝」を著した、
江戸時代の戯作者(今で言う小説家)、
曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)のこと。
滝沢馬琴と表記するものがあるが、
これは明治以降に流布した表記で、
誤った呼び方であると
近世文学研究者から批判されている。

「椿説弓張月」(ちんせつゆみはりづき)、
「南総里見八犬伝」、
「近世説美少年録」など、
81歳で亡くなるまで旺盛な執筆力をあらわし、
ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた
日本で最初の著述家であるという。
代表作である「南総里見八犬伝」は、
日本文学史上最大の長編小説で、
28年をかけて完結した、全98巻、106冊の大作。

本書は「心淋し川」で直木賞を取った、
西條奈加の直木賞受賞後第一作の書き下ろし長篇。

馬琴の息子に嫁いだ、医者の娘・お路の目から
馬琴の姿を描いている。

父は作家、夫は医者、という
望外の良縁と思って嫁いだ家は、
何事にも細かく口を出して支配しようとする横暴な舅・馬琴、
病弱で藩医のつとめも果たせない上、
癇癪(かんしゃく) 持ちで、
一度怒ると手が付けられなくなる夫・宗伯(そうはく)、
傲慢で冷たい姑(しゅうとめ) ・お百・・・。
修羅の家庭だった。

お路が身を粉にして尽くしても、
馬琴はもちろん、義母のお百も、宗伯からさえも、
ねぎらいの言葉ひとつかけてもらえない。
「どうしてこんな家に嫁いでしまったのだろう」
と後悔しつつも、
お路は耐え忍び、家を切り盛りする。

当時は戯作隆盛で、
山東京伝や式亭三馬、十返社一九、柳亭種彦など、
なだたる作家の作品であふれていた時代。
その中でも、旺盛な筆力を誇る馬琴は異彩を放っていた。
なにしろ、印刷や挿絵にも口を出し、
製本されたものの中に、
たった一つの誤字脱字を見つけても、
刷り直しを求める。
戯作という大きな創造に身も心も捧げている義父、
そしてその父の偉大さに劣等感を抱く夫。
その狭間でお路は家事に精を出し、三人の子をなす。
馬琴は大らかさに欠け、
些細なことも四角四面に始末をつけなければ納得せず、
その一方、繊細で傷つきやすく、
自らは人と争うことを厭う。
そういう義父にお路は反発する。

やがて馬琴の目に障害が置き、
まず右目が光を失う。
医者の忠告で仕事を減らすことをせず、
前にも増して執筆に打ち込む。
そして左目も見えなくなっても、
八犬伝だけは完成させなければ、と、
執念を燃やす。

宗伯が亡くなり、
馬琴はお路に後述筆記を依頼する。
版元が派遣した筆耕者は、
馬琴の厳しい叱責に耐えられず、
何日と持たず、次々と人が変わる。
お路は固辞するが聞かず、ついに引き受けるが、
それがお路の新たな地獄の始まりだった。                     なにしろお路には学がない。
馬琴の口にする重厚な言葉を
文字に変えるのは大変な作業だった。
たった数行だけで疲れ切ってしまう。
その上、馬琴の叱咤は苛烈を究める。
いちいち挟まれる説教も長い上に嫌味ったらしい。
何度も衝突し、職務を放棄するお路。

ドストエフスキーも後述筆記をしたが、
アルファベット(ロシア文字)と違い、
漢字である。
困難は比較出来ない。

しかし、道端で耳にした大工たちの
八犬伝を読んだ喜びの声に、
自らの使命を感じ、
放棄を恥じ、職務に戻る。

こうして八犬伝は完結する。

最後に馬琴はお路にねぎらいの言葉を残す。

馬琴が没した後、
お路は、女子供のための
「仮名読八犬伝」の執筆を勧められる。
版元は、
あなたこそ馬琴先生の唯一の弟子だったと言う。                  「仮名読八犬伝」は、
幕末まで、およそ二十年に渡って続いた。
作者は曲亭琴童(きんどう)。
お路の筆名である。

縁あって作家の家に嫁いだ嫁の、
偉大な作家の創作を巡る
数奇な運命
なかなかの興味深い本だった。


『ゲームの名は誘拐』

2024年07月02日 23時00分00秒 | 映画関係+書籍関係

[ドラマ紹介][映画紹介][書籍紹介]

WOWOWで6月9日から30日まで放送されたドラマ。

敏腕広告クリエイター・佐久間駿介は、
それまで順調に進めてきた新車発売の宣伝プロジェクトを、
日星自動車の副社長・葛城勝俊の鶴の一声で潰されてしまう。
しかも、代替プラン提案のメンバーからも
わざわざ葛城の指示で外されるという屈辱。
憤懣やるかたない佐久間は、
直談判しようと、葛城の豪邸まで出向くが、
そこで家出しようと塀を乗り越えてきた葛城の娘・樹理と遭遇する。
実は樹里は葛城の愛人の娘で、
母親が病死したために、葛城家に引き取られたが、
正妻と次女の千春からの露骨な差別扱いを受け、
葛城家に対する恨みを募らせていた。
葛城から金を巻き上げたいという樹理と
葛城に一矢報いたいと願う佐久間は、
狂言誘拐の計画を立て、
葛城から3億円を奪い取ろうと画策する。
綿密な計画を立て、葛城との連絡手段を工夫し、
身代金受け渡し現場という、
最も危険な状況を乗り切り、
まんまと3億円を手にするが、
事件が完結するためには、
樹理が自宅に帰らねばならない。
しかし、葛城の方から、
樹理が戻っていない、という苦情の連絡を受け、
警察を探ると、
樹理が行方不明、誘拐されたらしいという情報が流れて来る。
更に、樹理の死体が発見されたという報道がなされる。


と、ここで、事態は急展開
思いもよらぬ方向に話が進んでいく。

原作は、東野圭吾のミステリー。
雑誌『Gainer』に「青春のデスマスク」の題で
2000年から2002年にかけて連載され、
2002年に、現在の題名で単行本が刊行された。

私は東野圭吾は苦手。
着眼点とストーリーの組み立ては天才的だと思うが、
いかんせん、文章に味がない。
登場人物も好感が持てない。

本作も同じで、潤いのない文章に辟易した。
しかし、話の作りはさすがで、
後半の展開には息を飲んだ。

2003年に「g@me」のタイトルで映画化された。
脚色は尾崎将也、監督は井坂聡
佐久間に藤木直人、樹理に仲間由紀恵、葛城に石橋凌という布陣。


佐久間の名前が駿介から俊介に変更され、
樹理も高校3年から大学3年に。
葛城の会社も自動車会社からビール会社に変更。
連絡手段も自動車売買サイトからドール交換サイトに変更されている。
変更の理由は謎。
上映時間の制約から、
佐久間の仕掛けるゲーム的要素が少なくなっている。
最も大きな改変は、二人が恋に落ちることで、
原作のラストに更にもう一つひねりが加えられている。
この最後の部分はなかなかの出来。
姉が薬物中毒で、そこに引きずり込んだクソ男が
誘拐犯に仕立てられる、というおまけもつく。

WOWOW版は、4回連続計3時間28分という余裕のある作りなので、
たっぷり佐久間の計画のゲーム性が描かれる。
また、原作は佐久間の視点だけで描かれるが、
葛城側の要素を加えることで、
両者のゲーム対決が際立つ。
脚色は小峯浩之、監督は鈴木浩介

最後は葛城をも罠にかける佐久間のゲームが勝ちで終わるが、
仕掛けられた葛城のうろたえは、
そんなことはないだろう、の印象。
葛城ならやすやすと状況を打破できるだろう。

映画版もWOWOW版も、
どちらも最後の部分を改変しているが、
その原因は、東野圭吾の原作が中途半端な終わり方をしているからで、
これは今後の映像化のたびに、終わりの部分は改変される運命。

映画版の配役は要所要所に力のある俳優を配役しているので、
見ごたえがある。
やはり樹理役の仲間由紀恵は謎めいた感じが、話に味を加える。
佐久間役の藤木直人と恋に落ちる必然を感じさせる。
葛城役の石橋凌は、ゲーム感覚はほとんどない。

WOWOW版の出演者はもう少し何とかならなかったか。
佐久間役の亀梨和也、樹理役の見上愛も適役とはいえず、
モゴモゴ言って、セリフが聞き取れない。


まず、魅力がない。
葛城役の渡部篤郎はさすがで、話を引き締める。

秘密の解明の部分の演出がどうしようもなくヘタクソ
あそこは、刑事が事情を訊くということで、
妹の千春のもとを訪ね、
始め後ろ姿だった千春を
カメラがぐるりと回って千春の顔を捕える、
という描写がマスト。
断言してもいいが、アメリカ映画の監督なら、
必ずそうする。
映像が全てを語るからだ。
そういう点で、日本の映画監督は本当にセンスが悪い

 


ドラマとエッセイ『すべて忘れてしまうから』

2024年05月18日 23時00分00秒 | 映画関係+書籍関係

[ドラマ紹介]

Bar 「灯台」に入り浸っている作家の“M”。
ハロウィンの晩に、5年付き合った恋人の“F”が
「灯台」に、キャットウーマンの扮装で現れ、
ドアを開けるなり入らずに去って、行方をくらませてしまう。
Mは、その行方を探すが、
どこにいるかは分からない。
年賀状を受け取りに部屋に行ってもらいたい、
など、要望をしてくるから、
どうやら生きてはいるらしい。
Fの姉という女が現れ、
Fは祖母の遺産を一人で相続したが、
私にも権利があるはずだから、
とりあえず恋人のMにリフォームの費用を負担してくれと言われ、
むざむざ金を渡してしまう・・・

というMの日常を描く。
舞台は主にBar 「灯台」と
喫茶「マーメイド」。
そこの常連たちとの何ともない日常。
ゆるーい、ゆるーい話が10話に渡って展開する。
主演の阿部寛のとぼけた味で、なかなか見せる。
ところどころ、人生の機微を伺わせて、味わいもある。

やがて、Fの相続を巡る真相が明らかになり、
二人はお別れの能登旅行をする。

Fを演ずるのは尾野真千子
Bar 「灯台」のオーナーにChara
「灯台」で働く料理人に宮藤官九郎
喫茶「マーメイド」のオーナーに見栄晴
Fの姉に酒井美紀
謎の美女に大島優子
Fの祖母に草笛光子など
出演者は豪華。

毎回、「灯台」でのライブが終わりについているが、
どれもこれも音楽性のかけらもない曲で、
石原慎太郎が「へたくそな日記のような歌」と言ったとおりのもの。
いつからこんな音楽がもてはやされるようになってしまったのだろうか。

2022年9月からディズニープラスで配信し、
2023年10月からテレビ東京他で放送もされた。
全編16ミリフィルムで撮影されている。

一話30分程度で、全10話計5時間20分


原作にあたってみた。

 [書籍紹介]

原作を書いたのは、
燃え殻」という、変わった名前の作家。
「週刊SPA」に連載したエッセイをドラマ化したものだという。
燃え殻は、元々テレビ美術制作会社の社員。
WEBで配信された初の小説がSNS上で大きな話題となり、
「ボクたちはみんな大人になれなかった」がベストセラーに。

原作を読んでみると、
ドラマは全くオリジナルのストーリーだったと分かる。

「ちょっとトイレに行ってきますね」
と行って帰って来なかった人の話、
浅草の演芸場で手品師に舞台に上がらされ、
舞台2人、客席1人という状況がで来たな話、
亡くなったプロデューサーとAD時代に出会った思い出話、
テレビ制作のブラックな現場の話、
昔の同級生に誘われてエロを期待して行ったが、
実はマルチ商法の勧誘だった話。
SNSで、「あなたの関節を全部折ります」と宣告されて、
サイン会でおびえる話、
ビジネスホテルで古いTシャツを捨てたら、
次の時、清掃員の老人が着ていた話、
北の旅は「駆け落ち」、南の旅は「バカンス」と呼ぶ人の話、
などなどが脈絡なく取り合出られている程度。
Bar 「灯台」も喫茶「マーメイド」も、
かけらも出て来ない

脚色は岨手由貴子・沖田修一・大江崇允ら。
別物だが、原作のテイストはよく取り込んでいる。

祖父に「鼻を上にあげてみろ」と言われて、
そうしたら、「その体勢、疲れるだろ?」と言われ、
続いて、
「いいか、偉そうにするなよ、疲れるからな」と言われた。

「逃げていいんだよ」というSNS上の呪文。
本当に逃げていいと思う。
逃げても世の中はすべて平常運転だ。
よく芸能人のお悔みで、
「二度とあのような才能を持った人は出てこないだろう」
と涙するシーンが流れるが、
二度と同じような人が出てこなくても、
世の中が困っている様子を見たことがない。
この世界は誰が抜けても大丈夫だ。
だから潰れるまで個人が我慢する必要なんてない。
心が壊れてしまう前に、人は逃げていい。

片意地張って生きても何にもない。
ゆるくゆるく生きた方が気楽、
という一貫した音色が通奏低音のように流れている一篇。

ラストの一行は、これ↓
良いことも悪いことも、
そのうち僕たちは
すべて忘れてしまうのだから。