空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『失踪当時の服装は』

2024年12月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

1952年出版の古典的名作

1950年3月。
マサチューセッツ州ブリストル郡にある
全寮生女子校パーカー・カレッジの一年生、
マリリン・ローウェル・ミッチェル・18歳が失踪した。
歴史の授業の後、
寮の自室に戻ったローウェルは、
気分がすぐれない、と
ルームメイトのペギーの昼食の誘いを断って自室に残った。
やがて昼休みを終えたペギーが
午後の授業のために教科書を取りに戻ってみると、
ローウェルの姿はなかった。
夕食の時刻になっても現れず、
部屋を調べてみると、
スカートに着替え、ハンドバックを持って外出したらしい。
しかし、午前0時の門限を過ぎても帰って来なかった。

通報を受けた警察で調べてみても、
ローウェルの姿を目撃した者はいない。
バスと鉄道を調べても、
ローウェルらしき学生が町を出た痕跡はない。
数日が過ぎても、手がかりはまるでない。
生きているのか、死んでいるのか、
自発的に消えたのか、犯罪に巻き込まれたのか。

物語は、
ブリストル警察のフォード署長
巡査部長のキャメロンの捜査を一貫して描く。

フォードは言う。
「女子大学の学生が失踪したのは、これが初めてではない。
なぜ姿を消すか。理由は一つではない。
成績がふるわない、級友とうまくいかない、
家庭内にいざこざがある、犯罪に巻き込まれた、
自立したい、そして男。
理由は六つ。
答はこの中にある」

フィラデルフィアから両親がやって来ると、
まともな家庭で、身持ちが固く、
成績も優秀、級友とも良好で、
ローウェルの場合、
最初の3つと自立は当てはまらない。
犯罪と男か。

ローウェルの交友関係が洗われる。
材料はローウェルの日記
日記の中に登場する男性を書き出し、
当たってみる。
(日記には、グレゴリー・ペックやゲーリー・クーパーの名前まであった。
 もちろん除外)
近隣の大学の男子学生、道を尋ねた警官、                     切手を買った郵便局の職員、
夜警、歯医者、花屋など。
しかし、怪しい人物はいない。

4日経った時、フォード署長は、
湖の水を抜く決断をする。
しかし、湖の底にローウェルはいなかった。

全国から集まった新聞記者がブリストン署に群がる。

「お嬢さんは近くに住む友人を訪ねているだけ。
 数日中には戻る」
と書かれた悪戯手紙も警察に届く。
シカゴ行きのバスに乗っていた、
という間違い情報に翻弄されたりする。

父親の建築家のミッチェル氏は私立探偵を雇うと共に、
懸賞金も発表する。
情報によりローウェルが生きてみつかった場合は5千ドル、
遺体が見つかった場合は2千5百ドル。

ローウェルが姿を消して2週間後、
橋の下の川底からローウェルの髪留めが発見される。
そこで、川を下って捜索すると、
下流の埋立地からローウェルの死体が出て来る。
解剖の結果、ローウェルが妊娠6か月だったことが判明する。
死因は頸椎の骨折
肺の中に水はなく、即死だった。

地区検事のマクナリーは、
ローウェルの日記の中に、
妊娠を自覚したと思われる記述があったことを指摘する。
地区検事を交えた審問会で、
妊娠を苦にして、橋から身を投げた自殺、
に決まりそうになる。
しかし、フォ-ドの提案した実験で、
その説は覆される。
橋から落ちたのでは、埋立地までは到達しない。
何者かがローウェルを殺し、
埋立地に運び、
捜査錯乱のため、髪留めを川に投げ入れた、と、
審問会の結論は「自殺」ではなく、「殺人」になった。

捜査はローウェルをはらませた男に絞られた。
日記だけでなく、
友人たちからローウェルが口をきいた男を聞いて総ざらえする。
その数の多さのにおののく部下にフォ-ドは言う。
「警察の仕事がどういうものかは、
わかっているだろう?
歩いて、歩いて、歩きまくる。
そして、あらゆる可能性について調べ尽くす。
一トンの砂を篩(ふるい)にかけて、
ひと粒の金をさがすような仕事だ。
百人に話を聞いて何も得られなければ、
また歩きまわって、
もう百人に話を聞く、
そういうものだ」

食堂で話しかけて来て、名刺を渡した
チャールズ・ワトソンという男についても
広範囲に調べる。

そして、フォードはローウェルの日記を再び詳読して、
ある符号を見つける。
男と会った日の符号
それにより、最初に男と会った日と場所を特定し、
ある人物が該当することを発見する。

そしてフォードは男の周辺を探索して、
わざと痕跡を残し、
じわじわと男の恐怖心に火を付けていく。
あとは立証の方法だ。
男の家の捜索で、ついにその証拠を見つける。
それは、題名のとおり、
ローウェル失踪時の服装にまつわるものだった。
フォード署長がキャメロンに
犯人を連れて来ることを命じる場面で
物語は終わる。

ヒラリー・ウォーによる
本書は「ミステリの歴史を変えた一作」だという。
それは、「警察捜査小説」というジャンルを生んだからだ。
その後のおびただしい警察小説は、
この一冊によって始まった。
とにかく脇道にそれることなく、
徹頭徹尾捜査だけを描いている。

ただ捜査するだけでなく、
フォード署長とキャメロン巡査部長の
人間描写が生きている点がすぐれている。
高校しか出ていない署長と
大学出の巡査部長の
今ならパワハラとなるやりとりが面白い。
捜査方法も容疑者の家を捜査令状もなしに
侵入するなど、
今では考えられないことをしている。

各種ベストでも評価は高く、
「サンデー・タイムズベスト99」
「海外ミステリ名作100選」に選ばれており、
「英国推理作家協会が選んだミステリベスト100」(1990)では12位に、
「アメリカ探偵作家クラブが選んだミステリBEST100」(1995)では74位、
「ミステリマガジン読者が選ぶ海外ミステリベスト100」(1991)では20位に選ばれている。

ミステリ小説の一大ジャンル、
警察小説の原点を知る上で、
興味深く、かつ面白い小説だった。
映画化されたという情報がないのが不思議。


小説『ある晴れた夏の朝』

2024年12月14日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

ニューヨーク郊外の町の15歳の高校生のメイは、
夏休みに級友から誘われて、
コミュニティセンター主催のカルチャーイベントの
公開討論会に参加することになる。
テーマは「戦争と平和を考える-原爆投下はほんとうに必要だったのか」
肯定派と否定派に分かれ、
4人人組でディベートを闘う。
回数は4回で、
聴衆の投票によって勝ち負けが決まる。

肯定派の4人は、
秀才の白人男性生徒ノーマン、ユダヤ系のナオミ、
中国系のエミリー、そして、
両親がアメリカ生まれ、アメリカ育ちの日系人ケン。

否定派の4人は、
平和運動家のジャスミン、
天才と呼ばれる飛び級で進級したスコット、
黒人男性ダリウス、そして、
アイルランド系の父親と日本人の母を持つメイ。
物語は終始、メイの視点で描かれる。

双方の論点。

肯定派ノーマンの主張

トルーマン大統領は、原子爆弾の使用について
悩み、決断した。
この爆弾を使わなかったら、
太平洋戦争は終わらず、
何百万人以上の日本人とアメリカ人が命を落としただろう。
大統領は戦争を一刻も早く終わらせたくて、
原爆を使用する決断を下した。
平和を実現するために原爆を使用したのだ。

否定派メイの主張

ポツダム宣言のために集まった連合国首脳。
その時、ソ連のスターリン書記長から
トルーマン大統領は
ソ連が参戦する話を聞いていた。
ソ連が参戦すれば、日本は降伏し、
戦争が終わることを知っていながら、
トルーマンは原爆の使用を決めた。
戦争を一刻も早く終わらせたかったという
大統領の言葉は嘘である。
否、原爆投下は人体実験の意味があったのだ。
その結果、罪もない一般市民が亡くなった。

肯定派ケンの主張

アメリカに戦争を仕掛けて来たのは日本だ。
しかも、宣戦布告前に真珠湾を攻撃するだまし討ちだった。
原爆投下は卑怯な日本に対する報復であり、処罰だった。

否定派スコットの主張

真珠湾攻撃はだまし討ちではなかった。
日本からの宣戦布告が遅れたのは、
在米日本大使館の対応の遅れが原因。
また、真珠湾攻撃は純粋に戦艦に対する攻撃であって、
日本軍の攻撃による民間人の死亡はなかった。

肯定派のエミリーの主張

戦争末期、国家総動員法によって
日本人全てが兵士だった。
だから、原爆で亡くなった広島・長崎の市民は
罪なき人々ではない。
また、忘れてはならないのは、
戦争中、日本兵に殺された中国人の数は
原爆で死んだ日本人の何百倍だったことを忘れてはならない。
アメリカの原爆投下は
罪のない中国人の受けた苦しみに対する報復であり、
それを支持した日本人に対する処罰であった。

否定派ダリウスの主張

自分たち黒人は、長い間、奴隷として迫害されてきた。
だからといって、黒人が白人を処罰していい、
ということにはならない。
広島・長崎の人々は実は軍の奴隷で、
単なる弱い人たちだった。
それに対する原爆投下は、弱いものいじめでしかない。
南京大虐殺の罪を
広島・長崎の人たちが
死をもってつぐなわなければならない、
という考えを受け入れるわけにはいかない。

否定派ジャスミンの主張

原爆投下の根もとにあったのは、人種差別ではなかったか。
アメリカは、もっと早い時期に
原爆が完成していたとしても、
ドイツには落とさなかっただろう。
これからも、白人国家には、落とさない
落としたのは、唯一、アジアの小国日本だった。
そして、在米の日本人移民は、迫害と差別を受けた。
戦争と人種差別は切っても切り離せない。

肯定派ナオミの主張

当時日本はナチス・ドイツの同盟国だった。
戦時下で、日本人移民がいじめにあったと言っても、
ガス室に送られたわけではない。
ナチス・ドイツの同盟を結んだ国を
叩き潰すために原爆投下は必要だったのだ。

否定派メイの主張

アメリカにいた日本人移民は米国市民だった。
だから、忠誠の誓いをし、
参戦し、欧州戦線に送られた。
第442連隊はアメリカ市民として、命がけで戦った。
彼らはテキサス州兵士を救出し、
お互いに抱き合って泣いた。
人種の違いなど、個人個人の間では意味がなかった。
日本に投下された原爆はそのものだった。
戦争を終わらせる方法は複数あったのに、
アメリカは悪を行使した。

肯定派ノーマンの主張

広島平和記念公園にある慰霊碑には、こうある。
「安らかに眠って下さい
 過ちは
 繰り返しませぬから」
英訳すると、こうだ。
「Rest in peace 
 For WE JAPANESE shall not repeat the error」
日本人自ら、
自分たちの犯した過ちを反省しているのだ。

メイはこの言葉について、母に問う。
(実は、メイは日本語を話さない。
 メイの母は翻訳家だ) 
母は日本語というのは、
主語がなくても、成り立つ言葉で、
過ちを反省しているのは、
日本人だけでなく、アメリカ人でもあり、
人類全体を意味する、と。
(だから、ノーマンが主語を
 「WE JAPANESE 」としたのは、
 意図的を語訳ということになるが、
 本書では、そう明白に延べていない。)

その後、相互の討論は、
憎しみの敵はわれわれの外側にではなく、
内側にいるのだ、
という展開となり、
われわれ人類は一致団結して、
共通の敵、
無知や憎悪や偏見と闘わなければならない
という方向に向かっていく。
ディベートの勝敗は明らかにされない。
結局は、原爆を考えることは
戦争を考えることであり、
人類を考えることになるのだ。

という原爆を題材とした、
アメリカの高校生の議論によって、
戦争の罪を多角的に捕えようという書籍。

ある晴れた夏の朝とは、
原爆投下された広島と長崎の朝のこと。

全国学校図書館協議会・選定図書(2018)
ホワイト・レイブンズ(ミュンヘン国際児童図書館・児童図書目録)選定(2019)
小学館児童出版文化賞(2019)
などを受賞した、良書である。

名古屋の劇団うりんこにより、
舞台化された。

人類の歴史を見ると、戦争の歴史である。
そのほとんどが領土や資源を巡る侵略戦争であり、
虐殺、強姦と、今よりも悲惨極まりない。
国際法など影も形もない時代、
戦争は純粋に殺し合いだった。
第一次世界大戦を通じて、
戦争が疲弊しかもたらさないことを自覚した人類は、
国際連盟を作って、戦争の抑止につとめたが、
ヒトラーのような狂人が現れて、
第2次世界大戦が勃発する。
その結果国際連合が作られ、
戦争の抑止がなされたかに見えたが、
安全保障理事会の常任理事国、
拒否権を持つ国=ロシアが
侵略戦争を始めるに至り、
その形骸化が露呈された。
もはや国連は戦争解決の力を持たない
戦争抑止の方策である核兵器も、
いつ暴発するかの危機の瀬戸際にいる。
中国は虎視眈々と台湾を狙って、
力による現状変更を目論んでいるし、
国民を犠牲にして核ミサイルをちらつかせる
北朝鮮のような国もある。
日本は第2次世界大戦で懲りたから、
侵略戦争は起こさないだろうが、
自衛力さえもぎ取られてしまった。
21世紀は中国が世界の動向を左右し、
平和を破壊するかもしれないのに。

 


『反回想』

2024年12月10日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

青山繁晴さんという人は、
「ぼくらの選択」三部作を読んで、驚いた。
本ブログでの感想に
「こんな気骨のある、
 世界と日本を正しく認識している国会議員がいたのか、
 と希望を新たにした」
と書いている。

政治献金を1円も受け取らず、
政治資金集めのパーティーも開かず、
地元も後援会も作らず、
団体支援もお断りし、
派閥に属さず、
独立した立場で議員活動をしている。
特別職の国家公務員である国会議員は
全体の奉仕者であるべきだからだ。
政治資金は原稿を書いて、自分で作る。

その代わり、誰に遠慮することも、
指示を受けることもない。
頭を下げるのは、ただ、主権者たる国民だけ。

派閥パーティー資金のキックバックという、
事柄で露呈された
今の国会議員の品性下劣さを見れば、
それとは反対の道を行く人だと分かる。
支援団体があると、
その意向を取り入れなければならず、
ひどい時には支援団体の利益代表として、
国会質問をせざるを得ないことも起こりうる。
企業献金、団体献金を受ければ、
その方向に政治を曲げざるを得なくなる。
その弊害は自明なのに、
企業団体献金一つ廃止できないのが
今の国会だ。

その中で、独自の路線を行く青山さん。
この人に入れなくて、誰に投票しろというのか。

反回想とは、                                  起きた事実を懐かしむのでもなく、
都合よく事実を再編、編集するのでもなく、
現在と未来を良くするために、
ありのままに記憶という財産を活かす、
という意味。
副題に「わたしの接したもうひとりの安倍総理」
とあるように、
青山繁晴さんと安倍晋三元総理との
友情の物語

冒頭、硫黄島に行ってきたという青山さんの話を覚えていて、
第二次安倍政権が発足してから、
硫黄島を訪問した安倍さんの話を読んで、
涙腺が破裂した。
安倍さんは、硫黄島の
アメリカ軍が作った滑走路の下にある
日本兵の遺骨を思い、
滑走路にひざまづいて、
両手を着き、何事かつぶやく。
今だ帰還できぬ遺骨に対して謝罪したのだ。
こんな総理がいただろうか

硫黄島とは、戦争末期、
米軍が上陸した島だ。
すぐに落ちるという米軍の見込みに反して、
日本軍の抵抗はすさまじく、
それによって米軍の本土進攻を遅らせ、
本土上陸後の抵抗の恐怖を米軍に与えたのだ。
硫黄島の日本兵たちは、
日本の本土を守るために、
食料もない、水もない中、戦った。
そのことを分かっていたからこその安倍総理の行動。
繰り返すが、こんな総理がいただろうか。

いくつか青山さんが語る内容に驚くようなものがある。
たとえば、総理官邸の執務室に行くための秘密の通路
たとえば、中曽根首相と霊園で
自分の墓を見せられた時のこと。
中曽根首相は、こう言う。
「青山くん、私はいずれ、ここに入るんだよ。
 きみはいつも、私をあれこれ追及するがね、
 私はこういう覚悟でやっておるんだよ」
政治記者時代に選挙への誘いがあった時、                     それを母親に言うと、
正座させられ、こう言われた。
「おまえなっ、
 政治家ごときけがわらしい者にするために
 育てたんや、無いっ」

私も今の政治家ほどけがわらしい職業はないと思う。
いつも票とお金のことを心配し、
国民のことは後回し。
そして、自分がした業績を
常に「あれもした、これもした」
と吹聴せざるを得ない。
人間として悲惨だ。
こんな惨めな、職業はないと思う。
なのに、なりたがる者は後を断たない。
よほどうまい話でもあるのか。
最初の清新の志であっても、
政治の長い間作り上げた悪習に染まって、
変貌して行かざるを得ない。

青山さんが出馬を要請する世耕弘成官房副長官に対して言ったことば。
「世耕さん、国会議員になるのを避けているんじゃないんです。
 選挙に出たくない。
 選挙に出ると、たすきに自分の名前を書いて、
 演説でも自分の名前を言って、
 要は、自分を売り込むのが嫌なんです」
また、選挙に出馬すると
「人生が壊れる」と確信していたからだとも。
ポスターを貼るのもいやだと言う。
よその家の塀に貼ったり、
道路に看板を立ててあったり、
そうやって自分の顔と名前を売り込むというのは、
育った家の「自分を売り込むな」という
家庭教育に反している
(ただ、ポスターが1枚もないと、
 立候補していることが有権者に分からない、
 という説得に応じて、1枚だけポスターを作り、
「選挙やったら、たすき掛けてるはず。
 これはテレビ番組だろ」
 という老女の声から、
 たすきはかけた。)
出馬の決意は、安倍総理の
「青山さんが来てくれたら、
外務省、経産省、自由民主党が変わる」
という言葉。
「総理が電話で、ひとことでも、
わが党のために出てくれと仰ってたら、出ませんでした」
と言う。

国会議員になる前は、独立総合研究所というシンクタンクの社長だった。
その社是がすごい。
「会社の利益は追求しない。
 国益を追求する。
 外交や安全保障、資源エネルギーを
 官だけに任せているから
 日本がおかしくなる。
 民間もそれをやる」
まさに、国会議員に通じる道である。

海洋資源について期待する。
日本の海の広さは世界第6位。
メタンハイドレードだけでなく、
レアアース、レアメタル、コバルトリンチクラフト、
マンガン団塊、金銀銅を含む熱帆水鉱床。
日本は隠れた資源大国です。
しかし、なかなか進まない。
邪魔する存在があるからだ。
それは、
高値の輸入資源だけをエネルギーにするエネ庁(資源エネルギー庁)と、
その高値でマージン(利鞘)を取る、
既得権益型の経済界と、
その経済界にカネと票を依存している自由民主党
しかし、資源開発課が設置され、
早田豪課長は、
「メタンハイトレートが実用化に進み出すまでは、
 この課長を辞めません」と。
自身の出世を捨てて、このように発言する人もいる。

予算委員会で質問に立った時、
財務省の局長クラスがやって来て、
紙を渡す。
そこには、「青山先生の質問イメージ」と書いてあり、
質問事項が並べてあった。
「何ですか、これは。
 他の議員は財務省にこんなものを渡されて
 そのまま質問するんですか」
と言って突き返した。
国会議員が官僚に踊らされている姿である。

2020年、2月、
二階幹事長が記者会見して、
「国会議員の歳費から
 一律5千円を天引きして、
 コロナ対策で苦労されている中国に贈ることにした」
と発表。
これに対して、二階幹事長に面会して、
「幹事長、歳費は国民からお預かりしているものです。
 ふつうの給料ではありません。
 国民の同意もなく
 一律に天引きして中国に贈ることは許されません」
と抗議して、「任意」に変更させた。
そんなことはあったとは知らなかったが、
それにしても、コロナの震源地である中国に
支援するなど、二階さんという人は、
どこまで親中なんだ、と驚く。
もう一人、不思議な政治家が登場する。
野中広務氏である。
「日本には戦争責任がある。
 中国、韓国、北朝鮮が望まない憲法改正はするな」
という長老政治家の代表格。
今でも自由民主党の中には、
親中、親韓、親北挑戦の議員は沢山いるという。

青山さんは、
GHQの置き土産としての憲法9条と並び、
財政法4条の改正を強く訴える。
それこそ、緊縮財政を生み、
国民に増税を迫る元凶である。

青山さんの言う、
「日本の総理には、五観が必要だ」というのも素晴らしい。
五観とは、国家観、歴史観、人間観、政局観、経済の相場観
国家観とは、仁徳天皇の故事にあるように、
国家は民のためにあり、権力者のものではないという国家観。
歴史観とは、日本の通史もさることながら、
戦後の80年をどう見るかという「観」。
人間観とは、赦しの「観」。
寛容であり、他者を裁かない。
政局観とは、時機を見誤らない「観」。
経済の相場観は、国民経済のために打つべき手を
打つべき時に打てる「観」。

歴代の総理に、この五観を持つ人がどれだけいるだろうか。

安倍元総理が暗殺されたことで、
青山さんとの友情は終わってしまった。
その日、羽田から伊丹に向かう飛行機で、
安倍元総理と乗り合わせたのは偶然ではないだろう。
機内で、後ろから肩を強く叩かれると、
嬉しそうに笑っているのは安倍さんだった。
まもなく狙撃されるとは知る由もなく、
短い会話を交わして別れた。
伊丹に着いたのは、10時05分。
その1時間後、
安倍元総理は凶弾に倒れた。

よく考えてみれば、
安倍さんの暗殺は不思議だ。
射撃に慣れた人でも、拳銃で人を撃つのは難しいという。
それが素人の作った改造銃の
たった2発の銃弾で命を奪うとは。
何か大きな力が働いたとしか思えない。
安倍晋三という、
本心から日本を憂い日本を再生しようとした政治家を
望まない一群の人々の怨念が
それを起こしたとしか。
安倍さんは、日本を戦後の呪縛から解き放とうとした。
そして、日本を強くしたいと思った。
だから、朝日新聞をはじめとする一群の人々は安倍さんを憎んだ。
その憎しみがあの奈良駅前の一点で収束したのではないか。

その時、宝塚駅前で応援演説をしていた青山さんに起こった
不思議な体験。

本書を読むと、安倍晋三という政治家が、
どんなに懐が深く、
器量が大きかったかが分かる。
その貴重な人を日本国民は失った

青山さんの著作を読みながら、
その思いを深くした。


小説『六人の嘘つきな大学生』

2024年12月06日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

就活生の誰もが憧れるIT企業「スピラリンクス」の
最終選考に残った六人の大学生。
彼らに課題が与えられる。
一カ月後までにチームを作り上げ、
ディスカッションをするというものだ。
その内容によっては、
六人全員を内定するという。
六人は会合を重ね、それぞれの性格も把握し、
長所も認め、
いい感じにチームが作られていく。
ところが、本番直前に課題の変更が通達される。
それは、「内定者は一人。六人で最適の内定者を選ぶ」
というもの。
その瞬間から、六人は仲間から
一つの席を奪い合うライバルになった

審査当日、部屋に六人が集められ、
議論をして、最良の内定者を選ぶことになった。
その様子は隣室でモニターされ、
ビデオに記録されている。
六人の一人から方法の提案がなされ、
30分ごとに最適内定者を投票し、
制限時間の2時間30分後までに
最多票を獲得した者が内定者になるというルールを定めた。

議論が進む中、
ドアに隠された大きな封筒が発見される。
その中には、六人それぞれに当てた小封筒が入っていた。
その中身は、それぞれの学生の過去の罪をあばくものだった。
高校時代の野球部で下級生をいじめて自殺させた者、
女学生を妊娠させて、捨てた者、
詐欺行為の一員だった者・・・
開封されるたびに新たな罪が暴かれ、
それは投票に確実に影響していく・・・

という異常状況を
前半は波多野という一学生の視点で描く。
そんな行為をした犯人は誰なのか。
どうやってそんな過去の罪を探り当てたのか。
最後に一人が行為を認め、
最多の得票を得た者が内定者となるが・・・

後半は、その8年後
六人のうち死んだ一人の残した
新たな問いかけ文書から、
内定された人物が残りの4人に接触して回る。
(その内容は「インタビュー」として、
 前半部分に織り込まれている。)
そして、あの時告白した人物が犯人ではなく、
新たな人物が犯人と判明し、
その動機も明らかにされる・・・

おそらく推理小説の新機軸
こういう小説は読んだことがない。
新しい発想で興味深い。

作者は浅倉秋成

その背景には、
就活における、
人の人生を決めてしまう、
面接の妥当性がある。
なにしろ、犯人の意図は、
最終選考に残った六人が
一人残らず全員、
最終選考に残すべきではなかった
ろくでもないクズということ明らかにするものだから。

犯人は言う。
「すごい循環だなと思ったよ。
学生はいい会社に入るために嘘八百を並べる。
一方の人事だって
会社の悪い面は説明せずに
嘘に嘘を固めて学生をほいほい引き寄せる。
面接をやるにはやるけど
人を見極めることなんてできないから、
おかしな学生が平然と内定を獲得していく。
会社に潜入することに成功した学生は
入社してから
企業が嘘をついていたことを知って愕然とし、
一方で人事も
思ったような学生じゃなかったことに愕然とする。
今日も明日もこれからも、
永遠にこの輪廻は続いていく。
嘘をついて、嘘をつかれて、
大きなとりこぼしを生み出し続けていく」

当時の面接の責任者であった人事部長は、
面接で相手の本質を一瞬で見抜くテクニックを問われて、
こう答える。

「これはれもうね、本当に簡単に一言で言い表せますよ。
そんなものはない。
これに尽きますね。
相手の本質を見抜くなんてね、
保証しますけど、絶対に、百パーセント、不可能です」
「五千分の一、真に最も優秀な人をたった一人採用するなんて、
そんなのどうです。
冷静になればわかるじゃないですか。
神様にだってできないですよ。
面接なんて長くたって一時間かそこらです。
そんな短時間で、
相手の何がわかるっていうんですか。
三回か四回繰り返したところで、
相対するのは三、四時間程度です。
何もわかりなんてしないですよ」
そして、こう続ける。 
「『落とした学生の中に、
もっと優秀なやつがいたんじゃないか?』
保証しますけどね、
一万パーセント、いましたよ」
「考えるだけ無駄です。
絶対にいました。
でも、どうしろっていうんですか?
どうしようもできないんですよ」
「だからね、やるしかないんですよ。
この馬鹿馬鹿しい、毎年恒例の、頭の悪いイベントをね。
『将来的に何をやらせるのかは決まっていないけれど、
向こう数十年にわたって活躍してくれそうな、
なんとなく、いい人っぽい雰囲気の人を選ぶ』                   日本国民全員で作り上げた、
全員が被害者で、
全員が加害者になる馬鹿げた儀式です」

事実、8年前、途中で落とされて最終選考に残らなかった人物が、
起業して、成功をおさめた事実も紹介される。

終盤、スピラリンクスに就職できた主人公は、
面接官に任命されて、おののく。

面接の間中、
私は人の人生を握っているんだ、
という思いで地獄のような時をすごす。

人を見極められるわけないのに、
しっかりと人を見極められますみたいな
傲慢な態度を取り続けて

では、どうしたらいいのか。
誰も回答できる者はいないだろう。

人間がいて、
社会を作っている以上、
避けられない課題を明らかにして、
興味深い小説だった。

最近、映画化され、公開中。

この極めて小説的な内容を
映像化できているのか、
それとも無理なのか。
また失望してしまうのか。
観ようか、どうしようか、
迷っている。


小説『子宝船』

2024年12月01日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

宮部みゆき「きたきた捕物帖」シリーズの第2作。

迷子の孤児で、
深川元町の岡っ引き・千吉親分のもとで育てられた北一と
湯屋の謎の釜炊き人・喜多次の
北・喜多=きたきた の事件簿。

未発達の青年・北一が
様々な事件に巻き込まれながら、
次第に大人になっていく成長物語。

「1」で扱う事件は、
ことごとく怪異めいた話だったが、
今作では一味違う。

第一話 子宝船

酒屋の伊勢屋の主人の描いた宝船の絵が子供に祟る、
という話が広まる。
何年か前、伊勢屋の主人に頼んで宝船を描いてもらったら、
子宝が授かった。
宝船の中の弁財天が赤子を抱いている絵だ。
しかし、その後、赤子は死んでしまい、
改めて宝船の絵を見ると、
弁財天の姿が消えていた、というのだ。
しかも、続けて2件。
絵をもらった人々が伊勢屋に詰めかけ、騒ぎに。

前作と同様、怪異談かと思ったら、
意外な形で真相が判明する。

第二話 おでこの中身

北一がよく知っていた弁当屋の一家三人が死ぬ。
はじめは一家心中かと思われたが、
現場検証の結果、毒殺されたと分かる。
北一は現場付近で、
怪しげなな女を目撃する。
捜査の途中で、
おでこが異常に突き出た人物の
特殊な記憶を頼るが・・・

第三話 人魚の毒

第二話の続き。
書下ろし。
弁当屋の妻に言い寄っていたやくざ者が捕まり、
拷問で白状したため、
その男の犯行だと断定され、一軒落着となるが、
北一はしっくりせず、
不審な女の似顔絵を配って捜査を続ける。
ある日、似顔絵を見たという
木更津から来た男が訪ねて来て・・・

宮部みゆきの小説には、
ごくごく異常な人間、
「人の皮をかぶった化け物」が登場するが、
この一篇もそれ。
はるか昔の田舎の漁村での一家6人毒殺事件と
弁当屋の事件がつながって来る。
犯人の正体は・・・

千吉親分のおかみさんの松葉、
深川一帯の貸家や長屋の差配人・勘衛門、通称「富勘」、
同じ町内にある武家屋敷の用人・青海新兵衛、
手習い所の師匠・式部権田左衛門など
様々な人々が北一を育てる役割を担うが、
今作では、新たな人物も登場する。

一人は正五郎
回向院裏に住み、本所深川一帯を仕切る大親分。
子宝船にまつわる騒動をその貫禄で終息させる。

栄花
椿山家別邸、通称「欅屋敷」に住み、
絵を描くことで、北一の文庫づくりに参加している。
美形の女性なのに、男装をしている。

おでこ
実の名は三太郎。
政五郎親分の元配下。
記憶力抜群という才を生かし、
町奉行所文書係の助手として働く。

栗山周五郎
検視の手練れで、誰もが一目置く与力。
弁当屋の現場の検証で
心中ではなく、毒殺だと見抜く眼力は素晴らしい。

(人の心に潜むやっかみについて)
そのやっかみは、
小雨のひと降りで芽を吹く憎しみの種だ。
人の心は畑みたいなもんでな。
いっぱい種が植わっているんだよ。
てめえで植えた覚えのない種もある。
だから、まめに草取りするのが肝心なんだよ。

(弁当屋の事件に遭遇した後、富勘の言葉)
遠慮しないで泣いたっていいよ、北さん。
泣けるのも若いうちさ。
歳をくうと、こういう辛いことでは、
泣くより先に打ちのめされちまうからね。

容疑者に拷問をかけて
自白を吐き出させ、
事件を落着させてしまう
お上のやり方。
それは、今の検察での自白偏重主義
冤罪事件につながる。

千吉親分の妻から語られる
岡っ引き制度の批判も驚かされる。
千吉親分の目指したものが
「岡っ引きの要らない町の仕組み」だったとは。

既に第三作が刊行されている。