空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

『DIE WITH ZERO』

2024年07月31日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

題名の意味は、
「働いて得た金は、使い切ってゼロにしてから死ね」ということ。

せっせと働いてお金を貯め、
老齢になって、使い道が分からず、
残して死ぬことは愚の骨頂だという。
日本人の大部分が、
死ぬ時が一番金持ちだ、とはよく言われること。
せっせと老後の備えとして貯金しながら、
いざ定年になった時には、
体はガタガタ、気力も萎えており、
結局、子どもに残すだけとなる。

同じ100万円でも、
30代、40代の時の100万円の方が価値が高い。
あれもしたい、これもしたいと思いながら、
我慢して貯蓄に回し、
さあ、使おうという時には、
体も動かず、感受性も鈍くなっている。

生きているうちに金を使い切ること、
つまり「ゼロで死ぬ」を目指してほしい。

莫大な時間を費やして働いても、
稼いだ金をすべて使わずに死んでしまえば、
人生の貴重な時間を無駄に働いて過ごしたことになる。
その時間を取り戻すすべはない。

誰もが生きるために働かなければならない。
それでも、心では、それ以上のことをしたいと望んでいる。
経済的に豊かになるだけではなく、
人生を豊かにするための方法を考える。

明日も生きているだろうと思うから、
つかの間の楽しみをしないし、
大切な人への感謝の気持ちも先延ばしにしてしまう。
もし明日死ぬとわかっていれば、
お金を貯めるなんてことはしない。
いくら金持ちでも、死後の世界にお金を持ってはいけないからだ。

人生において大切なのは富の最大化ではなく、
経験の最大化だと著者はいう。
喜びを先延ばしにするのではなく、
やりたいことを我慢するのではなく、
今しかできないことにお金をつぎ込み、
人生を豊かにすべきだと説く。

限られた時間の中で幸福を最大化するためには、
人生の早いうちに良質な経験をすることが大切である。
人生をよりよいものにするには、
お金、健康、時間という人生の3大要素の
バランスをいかに取るかが重要になる。
物事には賞味期限がある。
家族との関係においても、
子どもは成長するので、
その時にしか味わえない関わり方がある。

私が20代のときに
上司からバカだと言われたエピソードを紹介しよう。
安月給をやりくりして
金を貯めていることを誇りに思っていたら、
上司のジョー・フレルに
「これから収入は増えるのだから、
今稼いでいる金を使わないのは愚かだ」
とたしなめられた。

著者が20代の頃、
ルームメイトが旅行をするために多額の借金をした。
当時の著者には、その行動がはなはだ理解できなかった。
そのルームメイトは単身ヨーロッパへ旅立ち、
数カ月後、戻ってきたその彼は、
旅によって人生がいかに豊かになったかを著者に説き、
「返済は大変だったが、旅で得た経験に比べれば安いものだ。
だれもあの経験を僕からは奪えない」と語った。

このエピソードからわかるのは、
「経験がいかに大切か」ということだ。
人生は経験の総量によって決まる
生きて、最後に残るのは思い出だけだ
だからこそ、早いうちに様々な経験をすることが重要だ。
人生の早い段階で最良の経験を積めば、
思い出の配当をより多く得られるのだ。

仕事をすればお金は手に入るが、
それだけ時間を費やさなければならない。
また、いくらお金を稼いだとしても、
使い切れないほどため込むのは、決して賢い行動とはいえない。

大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、
その経験に惜しまずお金を使うこと。
経験の価値を信じる。
節約ばかりしていると、
その時しかできない経験をするチャンスを失う。
その結果、世界が小さな場所になってしまう。

あなたが誰であるかは、
毎日、毎週、毎月、毎年、
さらには一生に一度の経験の合計によって決まる。

人生でしなければならない
一番大切な仕事は、思い出作りです。
最後に残るのは、
結局それだけなのですから。

お金から価値や喜びを引き出す能力は、年齢とともに低下する。
身体は間違いなく衰えていく。
お金があっても、家族と一緒に過ごせず、
経験の共有ができないなら、
子供から大切なものを奪っていることになる。
お金の価値は、加齢とともに、低下する。
時間はお金よりもはるかに希少で有限。
時間をつくるためにお金を払う方が人生の満足度は上がる。

等々。

著者のビル・パーキンス氏は、
1969年テキサス州、ヒューストン生まれ。
当年55歳。
コンサルティング・サービス会社のCEO。
ヘッジファンドマネージャーとして大成功を収めた人。

成功者だから言える、という印象も受ける。
日々生きるためだけで精一杯で、
貯蓄も浪費も出来ない人に対しては、
酷な要求だろう。

もう一つの問題点。
──では、何にお金を使うか

自分が好きなこと。
旅行や芸術やモノ作りや
スポーツや音楽。
その“好きなこと=趣味”を見つけることが出来なかった人、
出会えなかった人にとっては、酷な要求でもある。
自分が何をすれば幸せになるかを知るのは、
意外と大変なのだ。

日本人は、仕事自体が好きな人は多い。
それはそれで幸福ではないか。

読者によっては、
生き方を変えるほどの示唆に富んだ内容だが、
私自身は、特に新しい発見はなかった。
というのは、この人の言うことは、
既に私は実践しているからだ。

定年の65歳まで勤めた。
だが、その間も人生を楽しんだ。
私の「好きなこと」は、
映画、演劇、ミュージカル、オペラ。
読書と音楽、旅行、美術鑑賞
それにはお金を使うのを惜しまなかった。
だから、勤めていた時も、
機会を使って旅行に出かけた。
連休があれば、有給休暇をくっつけて、
3泊5日で海外に出かけた。
ゴールデンウイークや夏期休暇には、
家族で5泊7日の旅に行った。
ヨーロッパや中東、アジアの遺跡。
アメリカではミュージカルやオペラ三昧。
やがて、ラスベガスのショーまで幅を広げ、
新しいショーがベガスで始まったと聞けば、
2泊4日の強行軍で太平洋を越えた。
勤めている間に、
海外渡航は100回を数えた。

そして、定年。
退職金のいくらかをカミさんに分けてもらい、
毎月のように海外に出かけた。
おかげで、モンサンミッシェル、サグラダファミリア、
ピラミッド、ペトラ遺跡、タージ・マハル、
アンコールワット、万里の長城など、
訪れた世界遺産は158に至る。


外国に行ったら、必ず博物館、美術館に行き、
美しい芸術に触れた。
メトロポリタン美術館もルーヴル美術館も
エルミタージュ美術館、プラド美術館、大英博物館も
隅々まで観た。
ツタンカーメンの黄金の仮面も、モナリザも
ミロのヴィーナスもサモトラケのニケも見たし、
フェルメールは全37点中、23点を見た。


それらは記憶に留まると共に、
ブログに記録した。
「空飛ぶ自由人」がそれだ。
ブロバイダーのサービスが終わった「1」は、
パソコンにコピーし、いつでも見ることができる。

あとは、コーカサス三国、再びイスラエル、と思っている時、
コロナ禍となり、海外は行けなくなった。
結果、78カ国166回

それと、ミュージカル
新作が出れば、ブロードウェイとウエストエンド、ソウルで
はしごした。
「オペラ座の怪人」も「レ・ミゼラブル」も「ミス・サイゴン」も
全部、現地で観た。
メトロポリタン・オペラはルートを生かして、
良い席で新演出のオペラを鑑賞した。
ラスベガスでは、「O」や「KA」をはじめ、
ショーはみんな観た。
マカオに出かけて、
史上最大のショー「HOUSE OF DANCING WATER」も
最高の席で観た。
これらは、全部、頭の中に記憶として残っている。

考えてみれば、
旅行もミュージカルも全部子どもの時に獲得した興味だ。
小学生の切手少年だった頃、
世界には沢山の国があることを知り、
一度は行ってみたいと夢みた。
中学生の時、ミュージカルに目覚め、
ブロードウェイという、
夢のような場所があることを知った。


それらは、全て実現した。
読書と音楽は、高校生の時、
知らない間に身についていた。

65歳で定年を迎えて、すぐ旅行生活に入って、
本当によかったと思う。
顧問だの相談役だのに残って(しがみついて)、
70過ぎてリタイアしたら、
体力も衰え、感性も鈍っていただろう。
コロナ禍が始まる直前の2019年、
夏はニューヨークで毎夜ミュージカルを観、
ワシントンDCで博物館巡りをし、
冬はディズニーランドの新スター・ウォーズのエリアを
娘と楽しんだ。
そして、コロナ禍がやって来て、海外旅行禁止。
その前に済ませて、絶好のタイミングだった。

今は毎日は、読書、映画、音楽、名所めぐりに費やしている。
この歳で、裸眼で新聞を読める、良い目を与えられたので、
読書は欠かさない。
映画も映画館だけでなく、
Netflixやディズニープラスで楽しんでいる。
配信で映画を観ることが出来るようになるなど、
誰が想像しただろうか。
今では映画は映画館と配信を含め、
年間150本を越えている。
読書は年間100冊。
その中からブログに記録している。

家族との記憶も豊かだ。
娘が小学校2年の時、
訪れたカミさんの田舎と、私の故郷伊豆での家族旅行で
娘があまりに幸せそうだったので、
翌年から夏休みや正月は海外で過ごすようになった。
ロンドン、パリ、ニューヨーク、ハワイ、オーランド、ラスベガス、
ロサンゼルス、ソウル、イタリア周遊、ニュージーランド周遊、
トルコ周遊、インドネシア周遊、インドネシアと、
家族の旅行の記憶は心にも頭にも残っている。


カミさんと二人旅、娘との二人旅も数多く、
国内での家族旅行も多い。

そうした結果、貯金は思ったほど溜まらなかった。
使ったからだ。
幸い、定年後は、
年金と貯金の取り崩しで
安定した生活を送れている。
働かないでもお金をいただける、年金制度は素晴らしい。
後は、娘に迷惑をかけずに、どう老いるかだ。
介護施設は、多分、年金でなんとかなると思う。
だから死ぬ時には多分ゼロだろう。
娘は既に自立しているので、
お金は残せないが、
マンションは残してあげたい。

行きたい所に行き、
観たいものを観た。
思い残すことは、もうない
ゼロになって、死んでいこう。

これが私の「DIE WITH ZERO」である。


映画『デッドプール&ウルヴァリン』

2024年07月30日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

「デッドプール」シリーズは、
どうやら下品でバカバカしい映画らしいのと、
主人公のコスチュームが趣味に合わなかったので、未見だった。


しかし、今回、ウルヴァリンと共演するというのだから、
これは観なけりゃ、と、
ディズニープラスで「1」(2016)と「2」(2018)を予習して臨んだ。
二十世紀フォックスがディズニーに買収されたおかげで、
ディズニープラスでの視聴が可能になった。
登場人物の関係性があるので、
予習しておいた方がいいだろう。

「ウルヴァリン&デッドプール」ではなく、
「デッドプール&ウルヴァリン」であるのが、ミソ。

「2」の後、ウェイド・ウィルソン(デッドプール)はヒーローを引退し、
中古車セールマンとして暮らしている。
ある日TVA(時間変異取締局)のエージェントが自宅に現れ、
ウェイドを連れ去る。
TVAの管理者ミスター・パラドックスから
ローガン(ウルヴァリン)が死亡したため、
その時間軸に住む全ての人間の存在を消す計画を知らされる。
ウェイドは時間軸移動装置を奪って、
数々のマルチバースを訪れ、
代わりとなるローガンを探す。
ようやくローガンを見つけて、
(ただし、「LOGAN/ローガン」 (2017) とは別の世界線のウルヴァリン)
TVAに連れ帰るが、
ウェイドとローガンはパラドックスによって
虚無の世界(ヴォイド)に送られてしまう。
そこでは、元の時間軸から枝打ちされた存在たちが暮らしている。
ウェイドとローガンは住民のミュータントたちに捕獲され、
カサンドラ・ノヴァの要塞に連行される。
カサンドラはヴォイドに君臨し、
沢山のミュータントたちを従えている。
ローガンとウェイドは共闘してカサンドラに反撃し、要塞から脱出する。
現実世界のニューヨークに戻ったウェイドたちは、
カサンドラまで連れ戻ってしまい、
カサンドラは世界を崩壊させようとし、
ウェイドとローガンはそれを阻むために、闘うが・・・

と、あらすじを書くのも面倒な、
想像力が作った世界に連れていかれる。
なにしろ、マルチバースとタイムループが登場して以来、
映画のストーリーは、何でもありになってしまった。
まあ、その何でもありを楽しむのが
この手の映画なのだが。

二十世紀フォックスがディズニーによって買収されたため、
下品なデットプールシリーズは変質するのではないかと
危惧されたが、
元通りのR指定のまま続行。
ディズニー、懐が深い。
むしろ、買収の件が笑いのタネにされている。
ヴォイドでは、
二十世紀フォックスのロゴが廃墟になっているという自虐ネタも。
当方、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)には詳しくないため、
ヴォイドに登場するキャラクターたちが
誰が誰やら分からない。
なにしろブレイドまで登場するのだ。
俳優クリス・エヴァンスが現れ、
ウェイドは彼をキャプテン・アメリカと早とちりするが、
本作でクリスが演じているのは
ファンタスティック・フォーのメンバー、
ヒューマン・トーチであることがわかる。
なんていうのも、観ている時には何のことか分からなかった。

ただ、CGとライブを合成したアクションはアイデア満載で、
100人のデットプールが複数のマルチバースから現れたり、
バスの中の戦闘を横移動のカメラワークで捕えたり、
どんな絵コンテを描き、
どうやってそれを視覚化したのか驚嘆する。

下品なセリフは、日本語では、それほど卑猥には感じられなかったが、
多分英語では相当問題な言葉なのだろう。
なにしろ、日本語は英語ほど汚い言葉が多くないので。

最初のローガンの骨を巡ってのタイトルなど、
アメリカで観たら、観客が大騒ぎだったのではないか。
この映画、アメリカでおバカなアメリカ人と一緒に観たら、楽しかろう。

監督はショーン・レヴィ
ライアン・レイノルズがデッドプールを演じ、


ウルヴァリンはもちろんヒュー・ジャックマン


こんな役でもしっかり血の通った演技をするヒュー・ジャックマンはさすがだ。

5段階評価の「4」

拡大上映中。

アメリカより日本の方が公開が2日早い。

 


王子神社

2024年07月29日 23時00分00秒 | 名所めぐり

東京十社めぐり、8社目、王子神社を訪問。

ゲリラ豪雨雲が発生していましたが、
王子駅に着いた時には、
通り過ぎた後でした。
さすが晴れ男。

駅の側にある音無親水公園

このあたりが渓谷だったことをうかがわせる公園。

石神井川の旧流路に整備されたもの。
石神井川は、北区付近では“音無川”と呼ばれており、
古くからの春の桜・夏の青楓と滝あび・秋の紅葉など
四季の行楽の名所、景勝の地でした。

↓歌川広重画「名所江戸百景 王子音無川堰棣世俗大瀧ト唱

             
昭和30年代から始まった改修工事で、
緑の岸辺は厚いコンクリートの下へと消え、
残された旧流路に、
「かつての渓流を取り戻したい」として
音無親水公園ができました。

地形をそのまま利用しており、
石垣に囲まれたせせらぎは、
自然の川で遊んでいる感覚で水遊びが楽しめます。

この坂を登って王子神社へ。


丘の上にあることが分かります。

坂の途中にあった大イチョウ

樹齢は600年。
戦災で境内の殆どを焼失する中で
1本だけ奇跡的に生き残った貴重な銀杏です。
東京都の天然記念物に指定されています。

大銀杏の下には句碑が立っています。

暮際もなく 夜にうつる さくらかな
              八十三翁 大谷暁山

往年の飛鳥山の桜花の情景を詠んだ、
元王子町長大谷氏の句碑。

正面の大鳥居

高さ約8.6m。


石造りの鳥居としては都内有数のもので、
茨城県稲田産の御影石を使っています。

中へ。

本殿

御祭神は
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、
伊邪那美命(いざなみのみこと)、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)、
速玉之男命(はやたまのおのみこと)、
事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、
総称して「王子大神」と呼ばれています。

創建は不明ですが、
源義家(1039 -1106) の奥州征伐の折、
社頭にて慰霊祈願を行い、
凱旋の日に甲冑を納めた故事も伝えられ、
古くから聖地として崇められていたと思われます。

その後、元亨2年(1322年)、
領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、
改めて「若一王子宮」と奉斉し、
それよりこの地は王子という地名なりました。
「王子権現」の名称で江戸名所の一つでした。

狛犬

「子育て狛犬」として建立されています。
社殿向かって右側の狛犬が父親で、
子どもをあやす鞠を持っています。


向かって左側の狛犬が母親で、子どもを守っており、
ご夫婦揃って子育ての守護となっています。

本社神輿・神輿蔵

関神社

全国でも珍しい「髪の祖神」
御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、


髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君「逆髪姫」のために
「かもじ・かつら」を作ったという伝説により、
髢、鬘や床山業界の方々の信仰の対象です。

説明板は、

タッチパネルになっています。

夏祭りの準備中。

 


小説『御庭番耳目抄』

2024年07月27日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

村木嵐「まいまいつぶろ」の別篇。


徳川家重(とくがわいえしげ)の
将軍継承を巡る物語を、別の視点から描く。

本書を紹介するには、
徳川家重の将軍継承の問題点に
始めに触れなければならない。

江戸幕府第9代将軍・家重(幼名長福丸)は、
8代将軍・徳川吉宗の長男として生れたが、
誕生時、へその緒が絡まっての難産だったため、
生まれつき脳に障害を持ち、
半身が麻痺、言葉も不明瞭、
膀胱に損傷があって、尿をもらし、
歩いた後に小便の跡が残ったため、
まいまいつぶろ(かたつむり) と陰口をたたかれ、
民衆からは小便将軍と揶揄された。

異母弟の宗武が優秀だったため、
家重を廃嫡(嫡子の権利を廃すること)して
宗武に将軍を継がせようという動きがあり、
父・吉宗を悩ませた。
というのは、長子継承は家康の家訓であり、
能力を見て次男に家督を渡すことは
相続における長幼の順を乱すことになり、
徳川御三家などの親族や
家臣らによる後継者争いの火種になるからだった。

家重自身は、肉体の損傷にもかかわらず、
頭脳が明晰であることは吉宗は理解しており、
ただ、言葉を話せず、文字も書けない状態では、
老中らを指導することもかなわないため、
実際に将軍に就任した後のことが懸念された。

しかし、家重の不明瞭な言語を理解する人物が現れた。
幼名兵庫、後の大岡忠光である。
鳥の声を聞き分けることが出来るなど、
特別な聴覚の持ち主で、
不明瞭な家重の言葉を理解したことから、
通訳として小姓に任じられる。

しかし、幕閣の中には不安視する者もいた。
忠光が勝手なことを言っているのではないか、という疑いだ。
もし家重が将軍になった場合、
忠光を通じてしか将軍の意志を確認できない、                   ということは、側用人制度が復活してしまうのではないか、と。
側用人は、5代将軍家綱の時に始まって3代続き、
老中といえども将軍と接見できず、
側用人が将軍の意志を代弁することで、
権勢が高まり、賄賂が横行するなどの悪癖を生んだため、
吉宗によって廃止されたばかりだったからだ。

このような状況を背景に、
いろいろな人物の視点で描いていく。

まず吉宗の母・浄円院の立場。
吉宗は元・紀州藩主。
その和歌山から江戸に上った浄円院は、
孫の長福丸(後の家重)と弟・小次郎丸(後の宗武)に初めて面会し、
長福丸の聡明さを見抜く。
兵庫が間違いなく長福丸の言葉を通訳していることも知る。
それでも、長福丸を不憫だと思った浄円院は、
家重が将軍を継ぐことを阻もうとする。

吉宗の覚え目出度い松平乗邑(のりさと)は、
翻訳者の忠光が最後まで信じられず、
側用人に化けるることを危惧して、
家重の将軍継承に反対し、
老中の職を解かれる。
その後、乗邑は、忠光の父親に面会し、
その実直な人柄に触れ、
もっと早く会っていれば、と悔やむ。

家重の尿洩れについて会話にのぼった際、
「そなたはそれを、汗や涙と思うたことはないのか」
と吉宗が言う言葉に、乗邑は、はっと胸を打たれる。

家重の息子・家治
乗邑が吉宗に
「家重様が将軍となられますならば、忠光は遠ざけてくださいませ」
と言った時、
家重の言葉を忠光は途中までしか訳さない。
「忠光を遠ざける、くらいなら、私は将軍を・・・」
の続きを家治が代弁する。
「忠光を遠ざけよう、権臣にするくらいなら。
 私は将軍ゆえ、と。
 御祖父様、父上はそう仰せになりました」
若干12歳の家治に、
こんなことを言う胆力があったか、疑問。

その後、家治は、
もし忠光が側用人のようになった時は、
家重を諫めよと、吉宗から命を受ける。

家治の母、お幸
家重の正室・比宮の願いで家重の側室となり、
家治を産んだ。
家治が10代将軍になれるなら、
9代は宗武でもいいと思っている。

忠光の妻・志乃と息子の兵庫(忠光の幼名と同じ)は、
遠縁の大岡忠相に会って、
忠光から家重のことを家では何一つ話していないことを
改めて確認する。
また、知人の子どもから折り紙の人形をもらったことを
忠光が知った時、返して来いと、命令される。
「大岡では紙一つ受け取れぬと申して、返してまいれ」
それは、側用人と疑われないために、
恩師から言われ、忠光が自分に課した掟だった。
長じて、忠喜(ただよし)となった兵庫は、
家重に拝謁し、
家重と忠光の麗しい関係を理解し、涙する。

家重は、美濃国郡上藩の百姓の訴えを
田沼意次を上手に使って見事に裁く。
その結果、意次を老中に押し上げる。

これらの各話を貫く人物として、
吉宗の御庭番・万里、別名半四郎の視点を置く。
これが本書の題名の由来。
吉宗も逝き、家重も亡くなり、忠光もみまかり、
万里も老境を孫と平安に過ごす場面で、
本書は閉じる。

順調に継承されてきた徳川将軍家の危機を巡る人間模様。
同じ題材で2度書くほど、
作者にとって、魅力ある物語だったのだろう。


METオペラ「チャンピオン」

2024年07月26日 23時00分00秒 | オペラ関係

[オペラ紹介]

METライブビューイングの上映作品は、
WOWOWが熱心に配信してくれるので、
1年ほど待てば、家のソファーに座って、
ヘッドホンのいい音で鑑賞することができる。
これもこの1本。
2022- 23シーズンの上映作品で、
2023年6月16日から22日までの1週間上映。
舞台の上でボクシングをするというので、
どんなことをしているのか興味があったが、
うっかりしている間に上映が終了していた。

題材は、実在の黒人プロボクサー、
エミール・グリフィス(1938 -2013)。
アメリカ領ヴァージン諸島のセント・トーマス島出身。
世界2階級(ウェルター級、ミドル級)制覇王者で、
総試合数は112、
勝ち85(うちKO勝ちは23)、
敗け24、引き分け2、無効試合1
というから相当な強者(つわもの)だ。

島から出て来て、帽子職人だったエミールは、
ちょっとした行き違いからボクサーの道に進む。
1958年デビューし、
じきにウォルルター級チャンピオンになるが、
その時対戦したベニー・パレットとの試合(実際は3回目の試合)で、
ベニーをKOし、ベニーはリング上で昏睡状態となったまま病院に搬送されるも、
意識が戻ることなく、10日後に死去した。


エミールは病院に見舞に訪れるが、
親族から面会を拒否され、
エミールの心の中に原罪意識が埋め込まれる。
(この試合を放送したABCは、
 ボクシング放送から撤退を決め、
 他の地上波放送局も後に続いた。
 地上波テレビ局がボクシングの中継を再開するのは1970       年代になる)


最後の頃は負けが混み、1977年引退。
引退後はニュージャージー州の少年鑑別所の看守として働いていた。
晩年、自分が同性愛者であることを告白。
1992年、ニューヨーク市のゲイ・ バーを出てきたところを
暴漢に襲われ瀕死の重傷を負う。
2013年7月23日、
ニューヨーク州内の介護施設で死去
全面介護が必要なほど重度の認知症を患っていた。
75歳没。

という生涯を
介護施設の1室のベッドに座る
エミールの回想の形で進む。
舞台上方にエミールの部屋が置かれ、
そこから下の舞台で展開される回想を見下ろす形の演出。
時には、子ども時代のエミールが登場し、
それを老人のエミールと青年のエミールが共に見るという凝った場面も。
エミールの部屋に、亡くなったベニーの亡霊も現れ、
エミールは、ベニーと介護師の区別も分からず混乱する。

このように、リング禍で40年以上エミールは罪悪感にさいなまれていたが、
最後にエミールはベニーの息子に会い、抱きしめられ許しを得たことで
長年の罪悪感から解放された。
(しかしベニー夫人からは面会を拒否され続け死ぬまでかなわなかった。) 

最後、登場人物全員がエミールの背後に現れ、
罪の許しと癒しが交わされるラストは感動的。
現代オペラの作品として、
初めて胸打たれ、感動した。

台本はピューリッツァー賞受賞者の劇作家マイク・クリストファー、(さすが)
作曲はジャズ演奏者のテレンス・ブランチャード
題名上に「オペラ・イン・ジャズ」と書かれている。
オーケストラピットにジャズ演奏者も入っていたという。
老年のエミールをエリック・オーウェンズが哀愁をもって演じ、
青年のエミールをライアン・スピード・グリーンが演ずる。
子ども時代のエミールを演ずるイーサン・ジョセフ・エミールは、
まさか歌うまい、と思っていたら、
すごい美声で、観客を驚かせた。
指揮はヤニック・ネゼ=セガン
演出はジェイムズ・ロビンソン
振付はカミーユ・A・ブラウンで、
素晴らしい舞台を作り上げる。

ボクシングシーンは、本気で殴り合うのではなく、
振り付けされている。


それでも、音楽と相まって、迫力ある場面。
対戦する二人のオペラ歌手は、
本物のボクサーではないかと思うほど、
筋肉隆々の引き締まった姿を見せる。
役に合わせて、肉体改造したのだという。