空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

ドラマ『ブレイクスルー』

2025年02月13日 23時00分00秒 | 映画関係

[ドラマ紹介]

スウェーデン発の事件ドラマ。

2004年、スウェーデンのリンシェービング、
通り魔殺人で8歳の小学生と52歳の主婦が殺される。
捜査官のヨンが捜査本部を立ち上げる。
現場に凶器のバタフライナイフもあり、
犯人の血液も残されており、
目撃者もいて、
すぐに解決出来ると思われたが、
周辺の年齢該当者の検体の提供を受けても、一致しない。
目撃者も犯人の顔の記憶がなく、
催眠術をかけられる始末。
1年がたち、2年が経っても事件は解決しない。
ヨンが捜査に没頭するため、
妻に離婚され、
生まれたばかりの息子との間も裂かれる。
16年経過した時、
未解決事件への移行を通告される。
それまで残された時間は2週間しかない。

そこへ、一人の学者が登場する。
DNAによる家系図で、
古い殺人事件の犯人を突き止めた系譜学者だ。
ヨンはその学者のパーに最後の望みを賭けるが、
データが不足している。
その上、記者が気付いて、
違法捜査の疑いを掛け、
報道するという。
パーの解任まで2日しかなく、
家系図は大詰めを迎えるが・・・

家系図解析で昔の事件の犯人を突き止めた前例が
アメリカにあるのは知っているが、
これはヨーロッパ初の例だという。

捜査行き詰まりによるヨンの苦悩や
被害者遺族の悲しみ、
ヨンの家庭破綻、
パーの家族の問題など、
かなりていねいに描かれ、密度は濃い
事件解決後の遺族の反応や、
犯人の家族、ヨンの息子との関係など、
しっかりと描かれている。
北欧ドラマらしい暗く味わいのある
「当たり」のドラマ

監督はリサ・シーヴェ
脚本はオスカル・セーデルルンド、(原作あり)
捜査官ヨンをピーター・エガースが、
パーをマティアス・ノルドクヴィストが演じ、
共に渋い。

検体を集めるうち、
ある人物から提供されたDNAが
犯人につながるきっかけになったのは、皮肉。

Netflixで視聴。
4話合計2時間37分

題名の「ブレイクスルー」の意味は、
これまでにない革新的な考え方で
目の前にある障壁を突破すること
16年間停滞した捜査が
家系図という新技術で解決したのだから、
題名のとおり。

 


映画『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

2025年02月06日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

小説家のイングリッドは、
書籍のサイン会に来た友人から
親友のマーサが癌に侵されたことを知る。
マーサは戦場記者として、華々しい活躍をしていた人だ。
二人は再会し、
会っていなかった時間を埋めるように
病室で語らう日々を過ごす。


新たな治療法が失敗、転移し、
治療に望みが失われた時、
マーサは自らの意志で安楽死を望み、
イングリッドにあることを依頼する。
人の気配を感じながら最期を迎えたいから、
“その日”が来る時に
隣の部屋にいてほしいというのだ。
悩んだ末に、彼女の最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、
森の中の小さな家で二人暮らしを始める。
マーサは「ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら
私はもうこの世にはいない」と告げ、
最期の時を迎える彼女との短い数日間が始まるが・・・

人が病気で死ぬ話は、
極力観ないようにしているのだが、
本作は、あの「トーク・トゥ・ハー」(2002)の名匠、
ペドロ・アルモドバルの監督(脚本も)なので、
観ることにした。


しかも、マーサをティルダ・スウィントン


イングリッドをジュリアン・ムーアが演ずるというのだから、


オスカー女優二人の共演を避ける理由がない。

違法な安楽死の薬を取り寄せ、
尊厳の中で死にたいと望む親友の
最後を看取る日々。
その二人の様子をカメラはじっと凝視する。
大部分が二人の会話。


特に後半は、
森の中の一軒家での二人きりを描く。
生きることを勧めるのはもはや無意味で、
いかにして親友が人生を閉じるかを見守る。
自殺幇助の疑いがかけられるおそれのある行為。
何が正しいかは、正解のない状況。
味わったことのない経験。
マーサは、死期が迫るほどに美しく、カラフルになっていく。
美しいまま死にたいという、
女性の願望だろう。
そして、服や食器の色彩、部屋に飾られたアートなど、
全てが美しい。

シーグリッド・ヌーネスの小説「What Are You Going Through」が原作だが、
原作小説の中の、わずかなエピソードに過ぎないのだという。
イングリッドが旧友と出会いをする小さな場面だけで、
結末は異なるから、
原作の厳密な映画化ではない。
だが、↓のように、映画に当て込んだ題名で出版。

ペドロ・アルモドバルは当年75歳
もはや死を見つめる年齢なのだろう。

ベネチア国際映画祭で金獅子賞受賞。
ティルダ・スウィントンはゴールデングローブ賞の
主演女優賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった。

途中で、あれ、音楽は「トーク・トゥ・ハー」と同じ人ではないか、
と気づき、エンドクレジットで確かめると、
音楽はやはりアルベルト・イグレシアスだった。
アルモドバル監督の映画作品の音楽を長く手掛けている人。
2007年にはスペイン映画国民賞を受賞。
「トーク・トゥ・ハー」は、
私の映画体験の中で、10本の指に入る映画音楽だ。

5段階評価の「4」

新宿ピカデリー他で上映中。


映画『妖星ゴラス』

2025年02月02日 23時00分00秒 | 映画関係

[旧作を観る]

「妖星ゴラス」がWOWOWで放送されたので、観た。


1962年(昭和37年)3月21日公開だから、
もう63年も前の映画
当時東宝は、
特撮映画を沢山世に出しており、
「ゴジラ」(1954)、「ラドン」(1956)、「モスラ」(1961) などの怪獣映画や
「美女と液体人間」(1958)、「ガス人間第一号」(1960)、「電送人間」(1960)
などの変身ものの他、
「地球防衛軍」(1957)、「宇宙大戦争」(1959)などの宇宙ものもあり、
少年たちの夢を育んだ。
私もその一人で、
よく観に行った。

中でも、「妖星ゴラス」は、
その着想のユニークさで記憶に残った。

当時、シネマスコープが売りもので、
東宝スコープ、大映スコープなど、
映画会社の名前を付け競った。
この映画、多元磁気立体音響だった。

当時はこういう書体が流行っていた。

製作は田中友幸

特技監督は円谷英二


私の父は円谷さんと軍隊で一緒だったと言っていた。

こういう映画の監督はこの人。

東宝の特撮映画は、この3人のトリオで作ったと言っても過言ではない。

出演者は池部良をはじめ、錚々たるメンバー。


東宝の力の入れ方が分かる。

CGなどない時代だから、
全て手作り
子供心にも「ミニチュアだなあ」と分かった。


ロケットなど飛翔物は直線移動しかしない。
それを克服するには、
「スター・ウォーズ」の登場まで待たなければならない。

宇宙船の中も、こんな感じで、


デジタルなんか概念さえない時代だから、
アナログばかり。

「着想のユニークさ」と書いたが、それは、次のようなもの。
直径は地球の4分の3だが、
質量は地球の6千倍もある黒色矮星・ゴラスが発見され、


地球に衝突する危険が指摘される。


ゴラスを爆破するか地球が逃げるか、
の選択肢が迫られるが、
ゴラスは周辺の惑星や彗星を吸収して、
質量が地球の6200倍に増加しており、
もはや爆破は不可能という結論が出され、
地球を救うのは軌道を変えるしかない。


そこで、ロケット推進装置を南極に設置し、
地球を40万キロ移動させて
軌道を変える「地球移動計画」が提案される。

南極に結集した世界中の技術によって


巨大ジェットパイプが建造されるが、

南極に眠っていた巨大生物・マグマが突如目覚め、


施設の一部に損傷を与えたため、
計画は遅れる。
地球の各地ではゴラスの引力によって天変地異が発生し、


東京などの都市群は水没してしまうが、


誰もが絶望する寸前で移動は成功し、
ゴラスとの衝突は回避される。

というわけで、
星と地球との衝突を回避するため、
地球の公転軌道を変えようというのが、
大変ユニーク。
ただ、これは映画のオリジナルではなく、
丘美丈二郎の原作がある。
後に、次代のSF作家によって踏襲されている。
たとえば、「三体」(2008)で世界的にヒットした
中国のSF作家・劉慈欣(リュウ・ジキン)が書いた
「流浪地球」などががそれだが、


劉慈欣が「妖星ゴラス」を観たかは不明。
多分観ていない。

南極に設置されたジェットエンジンや
天変地異の描写で東宝特撮陣が力を発揮。


もっとも、月がゴラスに吸収されるなら、
地球も同様なはずだが、
そこには目をつぶる。

セイウチに似た南極怪獣マグマは、
南極の地底で眠っていたところ、
建設された原子力ジェットパイプ基地の熱で温暖になったことで目覚めたという設定。
マグマの登場は企画当初は予定がなく、
クランクアップ前になって東宝上層部からの
「せっかくの円谷特撮だから怪獣を出してほしい」
との要求による。
監督の本多は抵抗したらしい。
脚本を担当した木村も最後まで反対した。
海外公開版ではマグマの登場シーンはカットされている。

実は、私は当時、本作を東宝本社
(今のシアタークリエのある所) にある試写室で観た。
1962年3月17日と記録にあるから、
公開直前。
衝突を回避するため、
地球自体を移動させる、
というアイデアに瞠目しつつ、
怪獣マグマが登場するに至っては、
東宝の怪獣映画のルーチンに
白けた記憶がある。

その後、特殊技術は長足の進化を遂げ、
今はCGで何でも可能。
当時の製作スタッフが今の映画を観たら、
目をむくだろう。

というわけで、
特撮技術の60年の歳月の変化を見るに、
貴重な映画だった。

 


映画『ラ・パルマ』

2025年01月29日 23時00分00秒 | 映画関係

[ドラマ紹介]

リゾート地での火山の爆発と
それが原因で起こった津波の災厄を扱った
ディザスター・パニック・ドラマ。

舞台はラ・パルマ島という
アフリカ西のカナリア諸島にある実在の島。


たびたび本当に噴火を起こしている。
1712年、1949年、1971年の火山活動でも溶岩流が海に達している。
2021年9月に東側山腹の複数地点から噴火が開始した。
噴火は50年ぶりで、約5千人が避難し、
同年12月に終息宣言が出されるまでに
溶岩流は家屋1300棟以上を破壊し、
バナナ園やブドウ畑など広い土地を覆った。
という現実的な舞台設定。

クリスマスシーズン。
毎年何百万人もの観光客でにぎわうカナリア諸島に、
あるノルウェーの家族がやって来る。


一家はラ・パルマ島にあるお気に入りのホテルにチェックイン。
ただ、夫婦で意見が衝突することが多く、
家族は危機をはらんでいた。

一方、島の地震研究所にいる若いノルウェー人科学者が、
島の中央に位置する火山に
警戒すべき兆候を発見する。
亀裂が拡大しているのだ。
既に、海中から吹き上げる熱湯で
観光船が転覆するという事件も発生している。
火山が噴火すれば、
マンハッタン島に匹敵する大きさの山塊が崩壊して海になだれ込み、
世界最大級の巨大な津波を引き起こす可能性が。
しかし、所長は警告を出すのを躊躇する。
以前、警告が空振りになった経験が足枷になっているのだ。
市長も警告を出すことに消極的だ。

しかし、現実に噴火が起こる。
情報をキャッチした外務省勤めの夫婦の兄が
密かに電話をかけてきて、島から至急脱出することを勧めるが、
既にパニックは始まっていた・・・

という、リゾート地に来た家族と
研究所の研究員との
二つの車輪で物語は進む。

当たり前過ぎる構成だが、
俳優の恐怖演技がなかなかなので、
見ていられる。
この種の映画特有の主人公の間抜けな行動も健在。
見どころは火山の噴火、
山の崩落、
津波の発生で、
CGの映像がなかなかの迫力。
自然災害の映像一見の価値あり。
どうせなら、大西洋を渡っての、
北米大陸大西洋岸の様子も見せてほしかったが、
まあ、贅沢というものだろう。

ラ・パルマ島はスペイン領。
それを舞台にノルウエー製作の映画という変わり種。
リゾート地に来たノルウェー人家族はともかく、
研究所にもノルウエー人がいるという都合の良さ。
バラバラだった親子の絆が、
災害によって繋がりを取り戻していくのだが、
終盤の展開はまさにご都合主義で、
もう少し辛口な展開はなかったものか。

連続ドラマだが、
リミテッドシリーズ4回完結で通算3時間1分と
コンパクトなのがいい。

監督はカスパー・バーフォード
出演者は名前は知らないが、
見たことのあるような顔もちらほら。

Netflixで視聴。


映画『アンソニー・ホプキンスのリア王』

2025年01月25日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

シェイクスピアの四大悲劇の一つ
「リア王」のBBCでのテレビ映像化。
「アンソニー・ホプキンスのリア王」というのは、
日本で付けた題名で、
英題は「ウィリアム・シェイクスピアのリア王」
しかし、アンソニー・ホプキンスが演ずるのがウリなことは確かだ。

ただ、舞台は中世ではなく、
21世紀の架空のロンドンとなっている。
従って、交通手段は車だし、
建物、衣裳も完全に現代。
しかも、世界は超軍備化が進んでいる。
戦車や大砲、ヘリコプターも登場する。

年老いたリア王は、退位するにあたり、
国を3人の娘に分割するとして、
娘たちがどれほど王を愛しているかを問う。
姉の二人が偽りの忠誠と甘言を弄して
王を喜ばせたのに対し、
王の一番のお気に入りだった末娘は、
王を愛するあまり言葉にせず、
それが王の怒りを買い、
末娘の分も二人の姉に与え、末娘は勘当される。
末娘をかばったケント伯も追放される。
しかし、王が二人の娘の領地を交互に訪れると、
警固の軍人たちを削減され、
冷たい扱いを受ける。
失望した王は荒野の嵐の中でさまよい、
次第に狂気にとりつかれていく。
これに大臣であるグロスター伯の二人の息子、
庶子のエドマンドの奸計で嫡子のエドガーが追われる話や
忠臣ケント伯の忠義が描かれる。

という大時代の話を現代に持ち込む。
このような時代の移し替えは、
私が最も嫌うものだが、
意外や新鮮な印象を受けた。
それも、時代状況は変われども、
俳優たちの演技がしっかりしているからだろう。
イギリス演劇界の底力だ。

リア王は、もちろんアンソニー・ホプキンス
長女ゴネリルにエマ・トンプソン
次女リーガンにエミリー・ワトソン


末娘コーデリアにフローレンス・ピュー
という豪華な顔ぶれ。
監督は、リチャード・エアー
長い作品を1時間55分にまとめ、
どこが省略されたかはにわかには分からない。
2018年の作品。
UNEXTで鑑賞。

末娘の頑なさ、王の頑迷固陋さが
悲劇の原因だということが強く印象付けられたのは、
時代背景を現代に持って来たことのマイナス効果だと、
初めて知った。
やはり時代の価値観が反映されてしまうのだ。

現代化したことで道化の扱いはどうかと興味深かったが、
始めの方で出て来ないので、
道化は思い切って割愛か、
と思ったら、老人の道化として出て来た。
あまりピンと来ない。
思い切って道化をカットするのも一案ではなかったか。
また、エドモンドは魅力に欠け、
二人の姉の心を奪うようには見えなかったから、
これはミスキャストではないか。

ちなみに、「リア王」が書かれたのは、
1605年から1606年にかけてで、
1606年12月26日に宮廷で上演されたという記録がある。
(初演はシェイクスピアの属するグローブ座、という説もある。) 
出版登録がなされたのは1607年11月26日。

しかし、悲劇仕立てが嫌われたのか、
1681年、ネイアム・テイトによって喜劇に仕立てられ、
話の筋も大幅にハッピーエンドに書き直された。
例えば、リア王は最後に復位し、道化も下品という理由で登場しない。
この改変された版は以降19世紀前半まで上演され、
1838年にウィリアム・チャールズ・マクレディ主演・演出による
オリジナルの「リア王」が上演されるまで続いたという。
シェイクスピアの受難

実は、私のシェイクスピア体験は、「リア王」だった。
故郷の伊豆の高校の文化祭で
「リア王」を観た。
ただ、まともな上演ではなく、
演劇部顧問の先生が手を入れた簡易型の脚本だったと思う。
錯乱するリア王を照明で表現したのが
子供心に残った。

本格的なリア王を観たのは、
東野英治郎の俳優座版(1972)を経て、
蜷川幸雄演出、市川染五郎(現松本白鸚)による日生劇場の公演(1975)で、
鑑賞後1週間は頭の中にその舞台が残るほど
強烈な演劇体験だった。
訳は小田島雄志版。
美術は朝倉摂、
照明は吉井澄雄。

舞台はかなりの傾斜の岩山のような感じ、
奥をドームが覆う。
登場人物は皆毛皮をまとった、荒々しい雰囲気。
そして、セリフを謳うのではなく、
わめき、がなる。
リア王の荒野の場面では、
叫び声をあげて真正面に倒れると、
その瞬間、背後のドームがまっ二つに裂ける。
リア王の狂気と共に世界が崩壊する予感を与えるすさまじい衝撃。
エネルギーと猥雑さにあふれた「リア王」で、
舞台からはすさまじいエネルギーが客席を差し貫く。
それまで観たどの「リア王」より斬新で視覚的だった。
それまでのものが、
セリフを聞かせようとする
常識の範疇だったのに対し、
舞台の上で肉体がぶつかりあうような、
観客の気持ちをかきむしって
ひきずりまわすような
すごい舞台。
これ以上のエネルギーを持って襲って来るものは観たことがなく、
こうして、私の演劇体験の一位に長く留まり続けた。