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『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』

2024年07月11日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

人間の細胞には、46本染色体があり、
遺伝情報を担い、


2本ずつのペアになっている。
(ちなみに、ショウジョウバエの染色体は8本、
 ハトの染色体は16本、オオムギは14本、
 ネコは38本、チンパンジーは48本と
 植物種、動物種によって、異なる。) 
精子と卵子が結合する時、
父親から23本、母親から23本の染色体を受け継いで、
命は誕生する。

しかし、何かの原因で、
染色体が2本ずつのペアではなく、
3本になってしまうことがある。
「トリ」とは、「3」を意味する。
3人組を「トリオ」と言うように。

染色体は顕微鏡で観察した時、
大きいものから順に
1番染色体、2番染色体と数字が付けられているが、


13番染色体が3本になった状態を13トリソミー
18番染色体が3本になった状態を18トリソミー
21番染色体が3本になった状態を21トリソミーと言う。
特に13番、18番、21番が染色体3本になりやすいというわけではなく、
それ以外の番号の染色体が3本になった場合、
担当する遺伝情報の特徴により、
流産してしまうので、表に現れないのだ。

13トリソミーは、5千から1万2千人に一人の割合で生まれ、
18トリソミーは、3500から5500人に一人の頻度で、
21トリソミーは、1万人に一人の割合で生まれる。
母親が40歳過ぎの場合、その確率は百人に一人に上がる。
21トリソミーとは、ダウン症のことだ。
ダウン症の子どもは長く生きるが、
13トリソミーと18トリソミーの子どもは
様々な臓器の奇形を伴うため、命は短い。
半数以上が生後1か月までに命が果てる。
一歳を越えて生きる子は全体の10パーセントだ。

病院は13トリトミーと18トリトミーの赤ちゃんには、
治療をしないという。
手術もしない。
短命で終わることが分かっている赤ちゃんにそれをしても、
苦しませるだけだと。
それに反して、手術を敢行する医者もいる。

トリソミーの子供が生まれることを予測する方法がある。
出生前診断で、羊水を取り、胎児のDNAを調べるのだ。
染色体異常が発見された時、妊娠中絶する親もいれば、
「与えられた命だから、産んで育てる」という親もいる。
その判断・決断の困難を避けるため、
出生前診断そのものを受けない人もいる。

以上が、基礎知識。

2011年9月、
前に「開業医の正体」で紹介した
松永正訓医師に大病院から一本の電話が入る。
13トリソミーの赤ちゃんが
近いうちに退院して在宅医療になるので、
その面倒を診てほしいというのだ。
赤ちゃんの名前は朝陽(あさひ)君。
生後7か月で、口唇口蓋烈(いわゆる「三ツ口」)を始め、
複数の奇形があり、
一番危険な無呼吸発作がある。
逡巡はしたものの、松永さんは引き受け、
朝陽君と面会し、両親とも会う。
父親は展利(のぶとし)、母親は桂子(けいこ)。

松永さんは疑問を感ずる。

「短命」と定まっている赤ちゃんを育てることで、
家族はどのような幸せを手にすることができるのであろうか。

障害児を授かるとは一体どのようなことなのだろうか。
その不条理な重みに
人は耐えられるのか?
受け容れ、乗り越えることは、
誰にでも可能なことなのだろうか?

こうした疑問を持ちながら、
本書は、両親、朝陽の兄(小学1年生)、展利の父母(朝陽の祖父母)が
どのように障害児に対したかの記録である。
まさに、副題のとおり
「短命という定めの男の子を授かった家族の物語」だ。

細かいことは辛くて書けないが、
展利と桂子の両親の朝陽に対する愛情の深さに感動する。
目も見えない、耳も聞こえない、口もきけない、
寝ているだけの我が子に対する愛。
酸素供給装置と酸素モニターにつながれ、
栄養を補給する胃管が入り、
喉の痰を吸引する器具がつけられ、
1時間に1回くらいの頻度で吸引するため、
寝る間も惜しんで面倒を見なければならない。
それが毎日続くのだ。

祖母はこう言う。
「あの夫婦の子どもだから、
朝陽は幸せなんだと思いますよ。
あの夫婦のところに生まれて、
朝陽は本当によかった」

桂子は朝陽を初めて抱っこした瞬間に、
心の中で何かがわかった気がした。
朝陽の命らには何か意味がある。
何かの役割を持って
我が家に産まれてきたのだと。
それが具体的にどういうものなのか
今の段階ではよくわからないが、
いずれ明らかになるように思えた。

松永さんは、ゴーシェ病やミラー・デッカー症候群の子どもを持った親、
心身障害者ワークホームも訪ね、話を聞く。
松永医師は「医者の基本は相手の話を聴くこと」という姿勢なのだ。
18トリソミーの子どもを出産し、
すぐに亡くなってしまった母親の話も聞く。
赤ちゃんは1時間24分の命だった。
お母さんと赤ちゃんは1日16万円の特別室に移動になった。
「病院の都合ですから料金はいただきません」。
その部屋に看護師が一人、また一人と集まってきて、
「可愛い赤ちゃんですね」と声をかけてくれる。
「抱っこさせてください」と言って抱いていく。
やがて師長が現われて、一つのことを提案した。
「産湯に浸かって、赤ちゃんを沐浴させてあげたいんですけれど、
いかがでしょうか?」

本当に医者と看護師には頭が下がる。

この母親は、赤ちゃんに有希枝(ゆきえ) と名付けた。
人間というものは希望の生き物だ。
それを入院中に嫌というほど感じた。
希望があるのは、ないとでは、
まったく生き方が変わってしまう。
赤ちゃんには希望があるようにという気持ちを込めた。
枝が伸びていくように、
これからも希望が育ってほしい。

最初の松永さんの疑問に桂子さんは、こう答える。

「これだけは間違いないと思ったことがあるんです。
それは、普通が一番大事だということです。
家族全員が家の中に集まって、
家族全員が笑っていることが
どれだけ素晴らしいか。
それをつくづく思い知らされました。
何か一つが欠けてしまうと、
普通の状態はすぐに崩れてしまうんです。
私たちの日常の普通って
ものすごくもろい所でぎりぎりにバランスをとっているような気がします」
「それを朝陽から学びました。
だから、そういうことを教えてくれるために
我が家に来てくれたのかなと思います」
「私は両親を病気で亡くしています。
その時に健康の大事さを痛感しました。
だけど、朝陽はそれとはまた違った健康のありがたみや
命の尊さを教えてくれました。
赤ちゃんが、
健康で普通に生まれてくるって、
それ自体が奇跡みたいなものなんだなって」

その時、松永さんは、
先に触れた、誕生死を経験した母親の言葉を思い出す。

「生きているだけで幸せとはなかなか実感することは難しい。
だけど、障害児を育てていく人生では、
生きることの尊さを感じ取ることができる。
そういった命を守って育むのは素敵な生き方だ」

本書の出版は2013年。
もう11年も経っている。
朝陽君がどうなったか、
読者は知りたいだろう。

「あとがき」で松永さんは、こう書く。

二歳の誕生日から8か月が過ぎた。
酷薄な言い方になるかもしれないが、
朝陽君は短命という宿運から逃れることはできない。
だが、私は朝陽君の最期を皆さんにお伝えしたくない。
今後も、読者やメディアの方から、
いま、朝陽君はどうしていますかという質問を受けるだろう。
私はこの「あとがき」を最後に、
その質問には一切答えないことにする。

賢い人だ、松永さんは。

生命の尊さ、家族の大切さ、
幸福とは何か、
いろいろ考えさせる、
魂が洗われるような読書体験だった。

小学館ノンフィクション大賞受賞作

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