Wind of Mind

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自作の音楽や美味しいものなど気ままにアップしていきます!^^ゞ

リック・スプリングフィールドRick Springfield

2007年05月07日 | 洋楽のルーツ
1981年の「ジェシーズ・ガール」が大ヒット!
そのカッコいいルックスもあって大ブレイク!
リック・スプリングフィールドはオーストラリア出身のミュージシャン。
音楽よりもアメリカの昼メロドラマ「ジェネラル・ホスピタル」に出演し、一躍人気者になりました。
当時は、そのルックスと人気ゆえミュージシャンとしてのリックをいろいろ言う人もいましたが、彼にとって俳優業は音楽で成功するための手段だったのかもしれません。
ちょうどこの頃、オーストラリア出身のロックバンド、メン・アット・ワークやムーヴィング・ピクチャーズといった元気のいいバンドが人気を集めていた時期でもありました。

日本での人気は爆発的なもので、その活きのいいシンプルなサウンドに私も熱中したものです。
シンプルで、キャッチーで元気が出るロック!
しかもカッコいい!!!
シンプルなロックンロールという点では後にはまる、ブライアン・アダムスに通じるものがあったように思いますが、リックのサウンドはもっと明るい感じがしました。
サミー・ヘイガーの「I'VE DONE EVERYTHING FOR YOU」のカバーも意外でしたが実にリックにあっていました!

その後、「リヴィング・イン・オズ」からはストレートで元気一杯のロックはやや影を潜め落ち着いたような気がします。
これにはルックスのよさゆえアイドル視されるリックの苦悩が表れていたような気がします。
でも、何をやってもかっこいいのがリックです。
一度は音楽活動を休止していたようですが、2005年には12年ぶりの来日公演を実現、現在も元気に活動中のようです。


ジョー・ジャクソンJoe Jackson

2007年05月06日 | 洋楽のルーツ
ジョー・ジャクソンは私の好きなアーティストの中ではかなり異質な存在です。
風貌は普通のおじさんという感じ。それもかなり冴えない感じ。。。
声は特別美声というわけでもなく、ちょっとこもったどちらかというと私好みではない。。。
音楽的にもニューウェイヴで特別メロディが良いわけでも。。。

いや~それがはまると病み付きになるんです!!!
ロック、ジャズ、ラテン、クラシックとあらゆる要素を含んだサウンド。
ジョーのバンドが演奏するとそれらの曲はゴージャスでかつお洒落でメチャカッコいい!!!
いつしかジョーの声は心地よいサウンドの一部に、ルックスまでがシャープに見えてくるから不思議!?

はじめて聴いたのは1982年の「Night and Day」でした。
そのお洒落でカッコいい曲とサウンドにすっかりファンになってしまいました。
その後の「Body and Soul」はモダンジャズの味付けがこれまた最高!!!
映画「タッカー」では全編に流れるモダンでジャージーなサントラを担当しました。
一時期クラシックに傾倒し、ちょっと聞き辛くなっていたジョーですが、最近また昔のサウンドに戻ってきた?という噂です。

私も1994年の「Night Music」から聴いていませんでしたが、その後のCDもなかなか評判がいいみたいです。
これをきっかけにまたCDを聴いてみたくなりました。
また、ひとつ楽しみが増えました~

Journey Open Arms 翼を広げて

2007年04月29日 | 洋楽のルーツ
1980年代に好きだったアーティストを辿っていきます。
ジャーニーといえば「Open Arms」
この曲は1981年にリリースされ彼らにとって初の全米№1を獲得したアルバム「エスケイプ(Escape)」のラストを飾るバラードの名曲です。
最近では映画「海猿」の主題歌にもなっております。

ジャーニーは80年代を代表するアメリカン・ロックバンドというイメージがあります。
デビュー当時はインストルメンタル中心のバンドであったようですが、1977年にヴォーカルのスティーヴ・ペリーの加入、1980年代に入ってニール・ショーン(ギター)、スティーヴ・ペリー(ヴォーカル)、ロス・ヴァロリー(ベース)、スティーヴ・スミス(ドラム)、ジョナサン・ケイン(キーボード)の5人体制となり、ついに大ブレイクします。

当時はそのメロディアスで洗練された売れ線のサウンドは産業ロックと揶揄されましたが、今はメロディアスで洗練されたバラード系を特色とするロックバンドの総称のように言われているようです。

アルバム「エスケイプ」で一躍トップに躍り出たジャーニーは続く1983年の「フロンティアーズ」でも「セパレイト・ウェイズ」など余裕の音作りでヒットを飛ばします。
しかし、頂点を極めたものの性かその後活動を休止、バンドのメンバーそれぞれが本当に自分のやりたいことを求めだしたようです。



これからサミー・ヘイガーでも触れますが、ギターのニール・ショーンがサミーとのコラボをやるのはこの休止していた1983年だったのです。

私的にジャーニーはこの2枚のアルバムであり、ブレイクしていた期間としては非常に短かった印象があります。
それでも、この「Open Arms」をはじめとするスティーヴ・ペリーのヴォーカルは非常に好きで、当時サミー・ヘイガーとともに肩入れしようかと思った時期もありました。しかし、肩入れするまでもなく彼らはトップバンドになってしまいました。

サミー・ヘイガーがその後ニール・ショーンと組むなんてジャーニーがブレイクしていた頃は思ってもいませんでした。

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー⑥ キャピトル時代の残像

2007年04月27日 | 洋楽のルーツ
このライヴ・アルバムはゲフィンでのサミーのプロモーションが最高潮に達する1984年の前年の1983年にキャピトルが発売したものです。
ゲフィンのサミー強力プロモーションに便乗した?ような時期に発売されたレコードですが、私にとっては嬉しい限り!

メンバーは
サミー・ヘイガー(Vo、G)
ビル・チャーチ(B)
チャック・ラフ(ds)
ギャリー・ピール(G)

ロンドン、ハマースミスオデオンなどのLIVEで音は結構荒い感じがします。
演奏はB面のほうがいいと思いますが、サミーのヴォーカルは全体的にいまいち切れが悪いような。。。
曲はキャピトル時代の後期の2枚のアルバム「ストリート・マシン」と「デンジャー・ゾーン」からの選曲ですが、な、な、なんと!
モントローズ時代の名曲「スペースステイション#5」がラストにエントリーされているではありませんか~!!!

こりゃー思いもかけないキャピトルの反撃!いや嫌がらせか!?
しかし私にとっては思いがけないサミー、キャピトル時代の残像ともいえるライヴ音源!まさにサプライズ・プレゼントでした!

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー⑤ キャピトル時代その3

2007年04月22日 | 洋楽のルーツ
サミーのキャピトル時代を辿っています。
ソロ第4弾は1979年の「STREET MACHINE」
ジャケットはちょっとおとなしめのサミー、なかの写真もちょっとおとなしめ。

メンバーは、
サミー・ヘイガー(Vo、G)
ビル・チャーチ(B)
チャック・ラフ(ds)
ギャリー・ピール(G)

このアルバムから私の好きなドラムのデニーとキーボードのアランが脱退。
しかし、前作から続くアメリカンロック路線は冴え渡っています。
今聴き返すと余裕すら感じられる演奏。
ギターの掛け合いもあり、サミーのヴォーカルも冴え、いいアルバムに仕上がっています。
ただ、B面の1曲目はいい曲なんですが、イーグルスの名曲に似すぎている!?

そして、第5弾の1980年に発表された「DANGER ZONE」では、夢の共演が実現しています。
ジャケットも前4作に比べると若干垢抜けているような気がします。


メンバーは、
サミー・ヘイガー(Vo、G)
ビル・チャーチ(B)
チャック・ラフ(ds)
ギャリー・ピール(G)
ジェフ・ワークマン(Key)

なんと、ゲストとしてニール・ショーン、スティーブ・ペリーが参加!!!
私は輸入版で購入し、よくジャケット等を見なかったためその事実に気がついたのは、ニール・ショーンとバンドを作るかも!?(HSAS)と噂されだした頃でした。
前作にもましてスケールの大きなトータル感のあるアルバムに仕上がっていますが、このアルバムのサミーのヴォーカルは前作や前々作のほうが好きです。
スティーヴやショーンの参加で気負い過ぎって感じもします。

このキャピトル時代の5枚のオリジナルは、いまいちブレイクしませんでしたが、こうして聴いてみると1作ごとにサウンドも洗練され少しずつトップアーティストへと昇っていく過程がよくわかります。
これから大ブレイクする可能性を秘めた未知のアーティスト。売り出す側から見ればなかなかに魅力的なロッカーだったのだと思います。
売り出すのは早い者勝ち!?
そして、翌1981年、ついにゲンフィンレコードがサミーを引き抜くのです。

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー④ キャピトル時代その2

2007年04月16日 | 洋楽のルーツ
ソロ第3弾は1977年「MUSICAL CHAIRS」
このアルバムに収録されている「ユー・メイク・ミー・クレイジー」は初の全米ヒットとなった曲ということでどんなハードロックナンバーかと期待して聞いてみると!
な、なんとあまーいスローバラードで、がっくり。。。
しかしこのアルバムは前作をよりパワーアップしたもので、バラードからハードなナンバーまでバラエティに富んでいるが、サウンドも洗練されている。しかし、ソフトな曲が多くなったような気がする。
シャウトとは違う歌い方の曲もすでにあり、サミーの音楽性の広さを物語っています。
ジャケットはヒプノシスの作品でサミーはなんと短髪!!!
ハード・ロッカーのイメージとは程遠い端正なマスクを披露している。

このアルバムのメンバーは
サミー・ヘイガー(Vo、G)
ビル・チャーチ(B)
アラン・フィツジェラルド(Key)
デニー・カーマッシー(Ds)
ギャリー・ピール(G)

え~サミー、ビル、アラン、デニーはモントローズでしたね~・・・ギターのロニーを除くメンバーのバンドになってしまいました。。。
キャピトル時代の前期3部作の最後を飾るともいえる作品。


1978年、いよいよLIVEアルバム「ALL NIGHT LONG」を発表します!
メンバーは前作と同じ。
このアルバムはアメリカではかなり売れたようです。
デニーのドラミングが最高!!!
この頃からサミーのライヴ・パフォーマンスは評判となっていきます。



セットリストです。
1.RED
2.ROCK‘N’ROLL WEEKEND
3.MAKE IT LAST/RECKLESS
4.TURN UP THE MUSIC
5.I'VE DONE EVERYTHING FOR YOU
6.YOUNG GIRL BULES
7.BAD MOTOR SCOOTER

キャピトルでのソロ3作からと3と7ではモントローズ時代の自作の曲も披露!
私は最後のBAD MOTOR SCOOTERが聴きたくてこのレコードを買いました。
しかし、この曲はモントローズのほうがよかった。やっぱロニーのギターはすごい

そして5は後にリック・スプリングフィールドが大ヒットさせるポップなナンバー!これがまたカッコいい!!!
これを聴く5年前、こんなに活発な活動をしていたのだと思うと嬉しくなってしまいました。

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー③ キャピトル時代その1

2007年04月15日 | 洋楽のルーツ
さて、ここで1976年から1980年までのキャピトル時代を振り返ってみましょう。
1974年、モントローズのセカンドアルバム「ペイパー・マネー」はヒットするもののロニーとの間に亀裂が入りサミーは脱退

サミーはその後、1976年キャピトルからソロ名義第1弾の「NINE ON TEN SCALE」を発表します。
1曲目の「KEEP ON ROCKIN’」を聴いてびっくり!こりゃ~アメリカンポップスじゃ!?
2曲目からはロックという感じがしますが、少し軽めのアメリカンロックが多い感じがしました。
それよりなにより、私が最初に驚いたのは裏ジャケットのサミーの写真でした。サミーに見えない!!!でしょ!


続くソロ第2弾は1977年の「SAMMY HAGAR(通称RED ALBUM)」

このアルバムからはバンドのメンバーもクレジットされています。
このときのメンバーは
サミー・ヘイガー(Vo、G)○
ビル・チャーチ(B) ○
アラン・フィツジェラルド(Key)○
スコット・マシューズ(Ds)
デヴィッド・レワーク(G)
○印が元モントローズです。サンニンモ!

1曲目の「RED」はドライヴ感が爽快なロック!ちょっと軽めですが、これがサミーの持ち味かも。
REDROCKER SAMMYの色を決めた?1枚。
1枚目に比べてメロディアスで、ヘヴィーな曲やアコースティックな曲が多くジャケットもかっこよく結構好きなアルバムです。

裏ジャケがまたカッコいい!

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー②  モントローズ脱退、キャピタルからゲフィンへ

2007年04月08日 | 洋楽のルーツ
1973年にリリースされたモントローズの1枚目は期待に反して売れませんでした。
モントローズは路線を変更せざるを得なくなり、セカンド・アルバム「ペイパー・マネー」を製作するも結局サミーは脱退。
しかし2枚目の「ペイパー・マネー」は日本でヒット!その理由が輸入版で1枚目を聴いたファンが買ったためだったとはなんとも皮肉な話です。

モントローズ脱退後のサミーは、キャピタルレコードからソロ・アーティストとしてアルバムを発表しますが、日本ではほとんど話題になりませんでした。
サミーはキャピタル時代の1976年から1980年までの5年間でライヴアルバムを入れて6枚のアルバムを発表します。特にライヴ・パフォーマンスは人気でキャピタル・レコードの中堅アーティストになっていましたが今ひとつブレイクはしていませんでした。
私が、このキャピタル時代のレコードを聴くのは1983年になってからです。

その前に、久々にサミーを聴くきっかけになったのが1981年のゲフィン・レコード移籍第1弾「スタンディング・ハンプトン」です。

サミー・ヘイガーを一気にトップアーティストにするため、当時キャピタルのドル箱的アーティストだったサミーをゲフィンが引き抜いたのです。
「スタンディング・ハンプトン」はプロデューサーにフリートウッド・マック、フォリナー、サンタナ、リック・スプリングフィールドなどで知られるキース・オールセンを起用。その洗練されたサウンドとサミーのハードなカッコイイヴォーカルがマッチした名盤となりました。時の産業ロックの流れに乗った作品でジャケットもそれまでの赤を基調にしたサミーの顔のアップからモシャ・ブラッカーのシュールでお洒落なものに代わりました。
私もこのレコードで久々にサミーの活躍を知り非常に嬉しかった。
この路線は続く1982年発表の「スリー・ロック・ボックス」(写真)へと引き継がれますが、あまり洗練されすぎたサウンドは本来のサミーのものではなかったと思います。
しかし、この2枚のアルバムは売れ(28位と17位)、さらに1984年の「HSAS」「VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)」へとゲフィンのサミーの売り出しプロジェクトはピークを迎えます。

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー① プロローグ

2007年04月07日 | 洋楽のルーツ
1981年ソロアーティストとしてキャピタルからゲフィンに引き抜かれたサミー・ヘイガー。
そろそろ私の大好きなサミーの軌跡を辿っていきましょう。

まずはモントローズ加入までの復習です。

1970年代に突如としてアメリカン・ロック・シーンに登場したハード・ロック・バンド、モントローズ
その初代ヴォーカリストがサミー・ヘイガー(当時はサム・ヘイガー)であります。
モントローズの項でも書いたように、私はこの希代類希なヴォーカルに強く惹かれますが、残念ながらモントローズではリーダでギタリストのロニー・モントローズと音楽性が合わず?たった2作で脱退してしまいます。
サミー在籍時のファースト・アルバム「ハード・ショック」は今でもマニアなハードロック・ファンの間では高い評価を得ております。
しかし、モントローズ脱退後は日本ではまったく取り上げられることはなく、レコードも日本版は売られていなかったようです。
私も、大学へ進みグリーに没頭していたため1981年までサミー・ヘイガーの話題から遠ざかっておりました。

サミーヘイガーは1947年10月13日、アメリカはカリフォルニア州モンタレー生まれ、ですから、なんと今年で還暦になります!
昨年、カリフォルニア州サンバーナーディーノ郡では5月23日をサミー・ヘイガーの日と定めるなどアメリカにおいては絶大な人気を誇っているロッカーであります。

サミーが音楽をやるきっかけになったのはエド・サリバン・ショーでエルビス・プレスリーを見てからだという話です。
その後、1971年にJUSTICE BROTHERSというバンドを結成。
その頃、エドガー・ウンター・グループのスーパー・ギタリスト、ロニー・モントローズと知り合い、自分のバンドを結成したいと考えていたロニーにサミーはチャンスとばかりに自分を売り込みます。一見大人しそうな容姿にみえますが、かなり積極的なようです。

この時ロニーに渡したテープには「バッドモータースクーター」と「メイク・イット・ラスト」が入っていたとか。
ロニーはこのテープを気に入り、サミーはめでたくモントローズの一員となるのでした。今日はここまで!

来日記念特集 ASIA④ 1983年待望の初来日

2007年03月03日 | 洋楽のルーツ
1983年、エイジア、待望の初来日!ライヴはテレビでもやるという!
久しぶりにどきどきしながらその時を待っていました。

しかし、来日直前に入ってきた情報は信じられないものでした。
なんと!ジョン・ウェットンが脱退!
来日公演は代わりに元EL&Pのグレッグ・レイクが来るというのです。
グレッグも素晴らしいプレイヤーですが、エイジアに入っては新鮮さが半減してしまうようなイメージを私は持ったのです。
私的にエイジアはジョン・ウェットンでなければいけないのです!

この時点で私はエイジアからス~ッと引いていってしまいました。
この後も、またレイクが抜けたりジョンが復帰したり活動は続いていたようですが、2枚目ぐらいまではチェックしましたが、あとはもう・・・

しかし、ついに今年、そのオリジナルメンバーで日本に来てくれるというではないですか!
もうあれから大分年月が経っていますので、観に行くかどうかかなり迷いましたが、なるもにあさんのところでアメリカでのセットリストを見たらいてもたってもいられなくなりました!
だって、そうでしょ~このセットリスト見て興奮しないプログレファンはいません!

お目当てはやはりジョンですが、スティーヴも前回のイエスでは怪我のため不調だったし、カールに至ってはEL&Pのライブ自体があまり記憶に無いわけで・・・
要するにこのメンバーでのエイジアは私にとって是非とも見ておきたいバンドなのです。

涙もんのセットリストです!

Time Again (Asia)
Wildest Dreams (Asia)
One Step Closer (Asia)
Roundabout (Yes)
Without You (Asia)
Cutting It Fine (Asia)
Steve Howe Acoustic Solo
Fanfare For The Common Man (EL&P)
The Smile Has Left Your Eyes (Alpha)
Don't Cry (Alpha)
In The Court Of The Crimson King (King Crimson)
Here Comes The Feeling (Asia)
Video Killed The Radio Star (The Buggles)
The Heat Goes On (Alpha)
Only Time Will Tell (Asia)
Sole Survivor (Asia)
Ride Easy
Heat Of The Moment (Asia)
いよいよ明日、名古屋から日本公演が始まります!
オリジナルメンバーでは初来日のエイジア、果たしてこのセットリストでやってくれるのでしょうか~ドキドキ

来日記念特集 ASIA③ Alpha

2007年03月03日 | 洋楽のルーツ
エイジアASIAのセカンド・アルバム「アルファAlpha」です。
当時はシングル・カットされた1曲目のドント・クライを聴いてがっかり。
それはヒート・オブ・ザ・モーメントを上回るポップ・ロックでした。
大げさな前奏だけがプログレの名残を残していました。
そのイメージでテープに録っただけでそれほど聴きこむまではいかなかったと思います。

しかし、最近のアメリカでのライヴのセットリストを見ると、この「アルファ」からの曲もあったので聴き直してみると、これが、予想以上に良かったのです!!!
前作を上回るポップなアルバムには違いないのですが、当時のプログレ回顧的な考えを抜きにして今聴くと実にいい。ただし、1曲目は除きますが。。。

特に最近のライヴでやっているという2、5あたりは好きですね~
ただ、5はちょっとメロディ的に気になるところはありますが。。。

アルファの曲目です。このアルバムもヒットしました。
メンバーは前作と同じ4人、ジャケットもロジャー・ディーンです。

1.ドント・クライ  Don't Cry
2.偽りの微笑み  The Smile Has Left Your Eyes
3.ネヴァー・イン・ア・ミリオン・イヤーズ  Never In A Million Years
4.マイ・オウン・タイム  My Own Time
5.ザ・ヒート・ゴーズ・オン  The Heat Goes On
6.悲しみの瞳  Eye To Eye
7.時の旅人  The Last To Know
8.トゥルー・カラーズ  True Colors
9.ミッドナイト・サン  Midnight Sun
10.永遠の輝き  Open Your Eyes

来日記念特集 ASIA② 詠時感~時へのロマン

2007年03月02日 | 洋楽のルーツ
ファーストアルバム「詠時感~時へのロマン ASIA」です。
A面1曲目のファースト・シングル「Heat Of The Moment」を始めポップでシンプルな曲の中にプログレのエッセンスを凝縮したようなアルバムでした。
私をはじめ70年代のプログレファンがイメージしていたのはもっと叙情的なプログレだったので当時かなり批判はあったようです。(苦笑)

しかし、シングルもアルバムも大ヒット!
確かにファーストアルバムには、まだ70年代のプログレを彷彿させるようないい曲も入っていました。
特に5曲目のタイム・アゲインTime Again以降の5曲は80年代のサウンドでありながら70年代の香りを残していて今聴いても私的には好きな曲です。
ただ、ウェットン、ダウンズの作品がかなりポップでメロディラインは日本の歌謡曲にも使えそうな感じもします。曲としてはいいのですがその辺が気になるところでしょうか。
ジャケットのイラストにはロジャー・ディーンを起用。
やはり、Yesの流れを汲むグループという位置付けであったのではないかと思います。

ファーストアルバム「ASIA」の曲目です。

1.ヒート・オブ・ザ・モーメント  Heat Of The Moment
2.時へのロマン  Only Time Will Tell
3.孤独のサヴァイヴァー  Sole Sourvivor
4.ワン・ステップ・クローサー  One Step Closer
5.タイム・アゲイン  Time Again
6.この夢の果てまで  Wildest Dreams
7.ウィズアウト・ユー  Without You
8.流れのままに  Cutting It Fine
9.ときめきの面影  Here Comes The Feeling

来日記念特集 ASIA① Heat Of The Moment

2007年03月01日 | 洋楽のルーツ
いよいよ、1980年代のスーパー・ロック・バンド、エイジアASIAがやってきます!

今、音楽のルーツの時代は1981年。
グリー4年目も大詰めですが、彼らのデビューは翌年の1982年4月。

久しぶりにファーストアルバム「詠時感~時へのロマン」を聴きなおしてみると、全く新鮮さを失っていないサウンドにびっくり。
それどころか、逆に今の時代にあってるんじゃないかと思うようなメロディとサウンドです。

それでは、当時を思い起こしながらAISAについて簡単に振り返ってみましょう!

70年代後半のEL&PYesをはじめとするプログレッシヴ・ロックの衰退は目を覆いたくなるような状態でした。
大学時代はグリークラブにはまっていたこともあり、洋楽はほとんど聴いていませんでした。
そんな中、ASIAの登場は実にセンセーショナルでした。
忘れかけていた70年代のプログレッシヴ・ロックの興奮がメンバーの名前を聞いただけで蘇ってきました。

そのメンバーは、
ジョン・ウエットン(v,b 元キング・クリムゾンユーライア・ヒープ、UK)
スティーヴ・ハウ(g、v 元イエス
カール・パーマー(ds 元EL&P
ジョフリー・ダウンズ(kbd 元バグルス、イエス

私的に1番、新鮮で興味があったのはジョン・ウエットンでした。
クリムゾン、ヒープ、ロキシー・ミュージック、UKなどロック界の渡り鳥的存在のウェットンはどちらかというと地味な存在でしたが、UKのLPは買っていて、ロックをほとんど聴いていなかったと思っていた大学時代でもプログレバンドやそのメンバーの動向は気にしていたことが今になって分かります。

しかし、エイジアのファースト・シングル「Heat Of The Moment」を最初に聴いたときはちょっと戸惑いました。
あまりにもポップでキャッチーでシンプルなメロディとサウンド!
私がイメージしていたのはもっと叙情的なプログレッシヴ・ロックだったのです・・・

それにしても月日を感じる写真です。
http://www.udo.co.jp/artist/Asia/

プログレッシブ・ロック編:キャメルCAMEL(スノーグース)

2006年10月20日 | 洋楽のルーツ
私がキャメルを知ったのは中学を卒業する頃だったと思います。
やはり、ロック好きな友人が「スノーグース」を聴いてみたところ、予想外によかった!と感激していたのが印象的でした。
という記憶があるのですが、調べたところ「スノーグース」の発売は75年。
75年ということは高校に上がる年なので、1月か2月の発売なのか。
その辺までは記録が残っていないのでなんともいえませんが、もしかしたら記憶違いなのかもしれません。

1975年頃のプログレといえば前述しているキング・クリムゾン、ELP、ピンク・フロイド、Yes、ムーディ・ブルースといった強力なバンドは解散もしくは停滞気味であった時代ではあるものの我々リスナーにとって、その強力なラインナップに割り込むには至難の業だったのです。

しかし、確かに前評判でもキャメルの「スノーグース」は名盤といわれていましたので、私も頭の中には残っていたわけです。
ただその頃(75年ごろ)は、まだキャメルまで聴く余裕がなく、私がキャメルにはまるのはMY MINDレーティングスによると77年ごろだったようです。
この年のレーティングスに初登場し、なんと年間ランキングはピンク・フロイドと同点の第3位!
ランクインした理由はもちろん「スノーグース」というすばらしいアルバムのせいでした。

「スノーグース」はポール・ギャリコの短編「スノー・グース(白雁)」に感銘を受けて制作したアルバムで、全曲インストゥルメンタルなんですが、組曲のようになっていてメロディアスで叙情的で一度聴いてすっかり魅せられてしまいました。
特徴はギターとメロトロンとフルート!これは珍しかった!
「スノーグース」のほかにも「ムーン・マッドネス」「ミラージュ」「ブレスレス」などいいアルバムはあるのですが、「ブレスレス」ぐらいまでがピークでしょうか、その後「ヌード」までは聴いていたと思います。

私的には何といっても「スノーグース」!この一枚がキャメルといっても過言ではありません。

プログレッシブ・ロック編:キング・クリムゾンKing Crimson②

2006年10月12日 | 洋楽のルーツ
クリムゾンの音造りは、私には少しマニアック過ぎたようで2枚目以降「ポセイドンの目覚め」(写真)「アイランド」「太陽と戦慄」ぐらいしか聞いておりません。
というか、1枚目が良過ぎたため2枚目以降が物足りなく感じたのです。
しかし、他のプログレバンドに比べると売れ線やポップ路線に行くことなくわが道を進んでいたように思います。
そういう意味において、クリムゾンこそ真のプログレバンドといえるのかも知れません。

それから1974年に早くも一度目の解散をしてしまったことも私がのめり込まなかった(込めなかった?)理由のひとつでしょう。
私的にはここでクリムゾンは終わってしまいしました。

1980年代になって、バンドの中の2人目のギタリスト、エイドリアン・ブリューが加入。
第2期クリムゾンがスタートしますが、80年代半ばで解散。

1994年に第2期のメンバーを中心に再々結成。
翌年には来日公演も行いました。
ロバート・フリップがいる限り、キング・クリムゾンは活動を続けるのだと思います。