さて、サミー・ヘイガー。ソロからついにビッグ・チャンスがやってきます!
もちろん「ヴァン・ヘイレン」への参加です!!!
ニール・ショーンとの夢の共演HSAS「スルー・ザ・ファイアー」のあと、サミーは続けざまに「VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)」というこれまた大胆なタイトルのニューアルバムをリリースします。
このアルバムからは「キャント・ドライヴ55」というヒットは生まれるものの、アルバム自体はヒットしませんでした。私的にもHSASの後だったせいか、ちょっと軽い感じがしました。
いかにもアメリカン・ロックという感じのノリのいいシングルヒット向きのロックンロールよりもどっしりと落ち着いたハードロックやバラードが聴きたかったのです。HSASとの中間ぐらいというか、結局モントローズの1枚目になってしまいますが。。。
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HSASの不発でニール・ショーンとのパーマネントなバンド結成は夢と消えてしまいました。
ところが、翌1985年、すごいニュースが入ってきました!なんとサミーがヴァン・ヘイレンに参加するかもしれないというのです!
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そしてファーム・エイドでなんとエディ・ヴァン・ヘイレンと共演!しかも、ツェッペリンのロックン・ロールをやってくれたのです!!!
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1985年は前年のバンド・エイドからUSAフォー・アフリカそして7月のライヴ・エイドへとつながる地球規模のチャリティコンサートがブームとなった年で、このファーム・エイドもその流れの中9月に実施されたものでした。
これがきっかけとなって?ちょうどソロが売れて忙しいディヴ・リーロスは脱退しサミーがヴァン・ヘイレンの新ヴォーカリストとなったのです。
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翌1986年にはサミー加入第1弾の「5150」を発表。いとも簡単に全米第1位を獲得してしまいます。
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ヴァン・ヘイレンも前作「1984」でバンドとしてはかなり勢いがついていた時期なのでサミー加入によってより歌を聞かせる本格的なハードロックバンドとなった結果だと思います。
サミー・ヘイガーのヴァン・ヘイレンへの参加はメチャクチャ嬉しかったです。
ついにメジャーになった!という思いと、ヴァン・ヘイレンではヴォーカルに専念できる。いくらなんでもエディの前でギターは弾けないでしょうから。
と思ったものです。どうも私は昔からサミーがヴォーカルとギターを両方やるのはあまり良く思っていなかったのです。しかし、結果は皆さんご承知の通り、サミーはガンガンギターを弾いちゃいましたが。。。
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サミーはヴァン・ヘイレンで成功を収めました。
これはヴァン・ヘイレンに参加が決まった時点で解っていたことであります。
サミーは人気実力とも、もうそのぐらいのところまできていました。あとは、ちょっとしたきっかけだけだったのです。
私はあの時メチャクチャ嬉しかったけれど、サミーが遠くへ行ってしまうようなそんな寂しさも感じていました。