Wind of Mind

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自作の音楽や美味しいものなど気ままにアップしていきます!^^ゞ

若馬 ドリー・ファンク・ジュニア

2007年03月31日 | プロレス館
1969年2月11日タンパで戦うチャンピオンといわれたジン・キニスキーを破り第46代NWA世界ヘビー級チャンピオンとなる。
当時27歳の若き世界チャンピオン、ドリーは新しいタイプの世界チャンピオンとも呼ばれたが、リアルタイムで見ていた印象はタフでテクニシャン。さすがNWA世界チャンプというイメージであった。
得意技はスピニング・トー・ホールド、バック・ドロップ、ダブル・アーム・スープレックス、ドロップ・キック、エルボー・スマッシュなど多彩であった。
私的に印象に残っているのは大技よりも一瞬の隙を突いた逆さ押さえ込みや切れ味鋭いエルボーであった。
1973年5月にハリー・レイスに敗れるまで4年以上にわたる長期政権を築いた。
その後も全の本プロレスにおいてその実力を遺憾なく発揮、弟のテリー・ファンクとともにファンクスとしても絶大な人気を獲得した。
ジャンボ鶴田等若手の育成にも手腕を発揮している。

夢の対決、ドリー対マスカラス戦でのスピニング・トー・ホールド

ゴング1970年3月号別冊

2007年03月30日 | プロレス館
1月から昔のゴング誌を紹介しているところですが、廃刊の噂が飛びその後ついに休刊となってしまったようです。
でも、続行しましょう!

今日は1970年3月号別冊です。
Bブラジルのインター、インタータッグ等挑戦。
カラーブロマイドは田吾作スタイルの坂口征二!

猪木のブラジルへの高い姿勢での卍がかっこよかった!



詳細はウルトラ記念館へウルトラ記念館

本丸亭 塩ラーメン

2007年03月28日 | 食道楽
前から気になっていた、塩ラーメンが美味しいという「本丸亭」へ行ってきました。
スープは豚骨とトリガラと鴨!そして焼きあごと魚介系もブレンド。
かなりあっさりしていますが、故郷、函館の昔ながらの塩ラーメンに少しコクを加え、そして体に優しい感じがしました。

麺は青竹平打ち麺で有名な栃木の佐野から取り寄せているらしい。
佐野ラーメンは昔食べたことがあるが思ったほどこしがなかった。しかし、この麺はこしもあり、もちもちして美味しい。

チャーシューはバラのロールで厚めのやつが2枚。油が程よく抜け私好み!
さらにワンタンが1個入っていてこれが又結構ボリュームがあり美味しい!
そして、気になったのは春菊ですが、殆ど違和感を感じませんでした。
ただ、普通にメンマやほうれん草の方がいいかもしれません。

でも、これで750円はまずまず妥当だと思います。
北海道ラーメン以外では、もしかしてはじめて美味しいと思った塩ラーメンかもしれません。

川崎BEラーメン・シンフォニー

ROSE 飯島真理

2007年03月26日 | 女性ロッカー・シンガー
1983年の2月ごろでしょうか?
本田美緒に続き新人発掘に燃える私はデビューアルバム「ROSE」をレコード店で発見。
そのジャケットの可愛らしさに思わずジャケット買いしてしまいました。
飯島真理はTVアニメ「超時空要塞マクロス」の中のアイドル歌手リン・ミンメイ役声優に抜擢され「架空のキャラクターから現実の歌手が生まれる」というボイスアイドルの先駆者でありました。それなら結構歌も上手いのでは!?と思い切って購入しました。
翌1984年には劇場版「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」の主題歌「愛・おぼえていますか」を歌いヒットさせました。

デビューアルバム「ROSE」では全曲彼女の作詞・作曲で、なんと坂本龍一がプロデュース!
なかなかの曲ぞろいでこれから十分に期待できると思いました。

しかし、期待して待った翌年のセカンド・アルバム「Blanche」では今度は吉田美奈子が全面プロデュース。
しかし、ちょっと私の好みではなく、さらにジャケットがなんとも子供っぽい!?ファーストの方がよっぽど大人っぽくて素敵だったのに。。。
なんか、まるで売れないアイドルのレコード・ジャケットのようで私はすっかり引いてしまいました。

私的にはこれ以降、すっかり興味が無くなってしまったのですが、今回調べてみますとその後もコンスタントにアルバムを発表し精力的なツアーをこなしていたようです。
しかし、89年に米国の音楽プロデューサーと結婚をしたことにより米国へ移住。それによりL.A.を拠点に女優業など新たな可能性にも挑戦しているというではありませんか!?
この話を知ってちょっと八神純子とダブりましたが、最近のCDを聴いてみたくなりました。

飯島真理公式HP

Blanche


何と大人っぽくなった!?



1982年 再び函館へ ポプコン・テープ審査

2007年03月25日 | 音楽のルーツ
札幌には10月ぐらいまでバイトをしていたでしょうか。
確か11月はじめにグリーのOB会があって、それまで札幌にいたと思います。

彼女とは結局色々な心のすれ違いがあり、恋人としては付き合うことが出来なくなってしまいました。
お互いにお互いが重かったのだと思います。実はこの頃すでに就職が内定していたのですが、時すでに遅く、もう札幌にいる目的もなくなった私はまた函館に戻ることを決めたのでした。
しかし、今回の別れはお互いに1歩前に踏み出すためのもので、ある意味吹っ切れていたせいか、前回ほどの悲壮感はありませんでした。

函館に戻るとB君からポプコンのテープ審査があるので一緒に行かないかと誘われ、2人で挑戦することになりました。
確か場所は函館のデパートの中に入っている楽器屋さんの小さなスタジオのようなところだったと思います。そこで、一人ずつ録音し、終わったあと講評をもらいます。

その時やったのは当時自分では1番だと思っていた「ラスト・フライト」と「時には恋人のように」でした。
「ラスト・フライト」は想像で書いた曲で、飛行機の窓から雲海の切れ目から日光が差し込む様を見ながらふと思ったことを曲にしたものです。
もういない恋人を追って最後に異国後へ会いに行く「ラスト・フライト」。
なぜかそんな映画のワンシーンのような情景が脳裏に浮かびました。
この曲はまだ録音していませんが、例のグリーでやったコンサートで1回だけやっています。ですから、作ったのは結構前だったのです。
しかし、この曲がきっかけとなり私はひとつの物語を思いつきました。
「ラスト・フライト」を中心にした何曲かでひとつも物語を作ろうと思ったのです。
まだ未完成ですが、このフォーク組曲?を完成させるのが私のこれからの夢でもあります。

もう1曲は「時には恋人のように」。これは前に聴いた方もあると思いますが、タイトルとは裏腹に派手な曲です。そしてサビの部分は当時でもよほど調子がいいときでないと出ない高音域でした。

私はこの対照的な2曲を何としても完璧に歌いたかった。私は勝負を賭けました。ギターの音を半音下げてチューニングしたのです。「時には・・・」のサビの部分を歌いやすくするために。。。
しかし、それによって逆に「ラスト・フライト」が低くて歌いにくくなり、結果として2曲とも中途半端に終わってしまいました。
講評では「高音はそんなに出るとは思わなかった。」と驚かれたものの「言葉の使い方が気になった。」というようなことを言われました。
それより、半音下げてまで望んだのに満足行くように歌えなかった自分にガックリ。。。

一緒に行った彼も「どうだった!?」と聞くと、顔をくしゃくしゃにして「ダメだった~。。。」とがっくり。
結果は2人とも不合格。
それでも、やることはやったし悔いはありませんでした。でも、変な小細工はするもんじゃない。

私はそれから年末はデパートの配送品回収サンリオフェスティバルなどバイトに明け暮れ、それ以降B君には会っておりません。
いつの日か再会したいものです。

懐かしい味 鞍馬天狗スープ

2007年03月25日 | 食道楽
かなり前の話ですが、俳優の高橋英樹さんがドラマで「鞍馬天狗」をやってたときの話です。
テレビの料理番組に出た高橋さんは「鞍馬天狗スープ」という超簡単で美味しそうな料理を公開。
さっそく母にねだり作ってもらいました。自分も味付け等手伝った記憶があります。もしかするとこれが私の料理のルーツか!?

材料はキャベツとコンビーフ、塩、胡椒、バターだけ。

鍋に水を入れキャベツを入れて煮込みキャベツが柔らかくなったらコンビーフを入れてさらに煮込む。味付けは塩・胡椒のみ。

最後に火を止めてからバターを入れて出来上がり。
このスープ、1日おいたほうが美味しくなります。

今回は、バターがなかったので入れておりませんがこれでもあっさりしてうんまい!!!
最近はコンビーフの油がちょっと気になりますが、味的にはクドイ感じはまったくなく時々食べたくなる私的懐かしい味なのであります。

くずまき高原 クリーミーチーズケーキ

2007年03月24日 | お菓子な話
葛巻町は盛岡市から車で約1時間半のところにある東北一の酪農卿「北緯40度ミルクとワインの里」です。
葛巻高原牧場のとびっきり新鮮な生乳を使用したクリームチーズは熟成させないフレッシュタイプ。火を入れすぎないように焼き上げました。

小さめのチーズケーキですが、食べてみると、

すんごい軽くて!クリーミー!!!

こ、これは。。。うんまい!!!

まるで、生クリームのようなチーズケーキにちょっと感激!

http://www.saitoseika.co.jp/proc/index.php

哀・ダンサー:本田美緒

2007年03月24日 | 女性ロッカー・シンガー
本田美緒は1982年の第24回ポプコン(ポピュラー・ソング・コンテスト)「哀・ダンサー」でグランプリを獲得。
この曲はオリコン最高52位のスマッシュ・ヒットとなったようです。
「哀・ダンサー」は緊張感あふれるアップテンポのポップスで、途中スローバラードになる部分もあり、その歌唱力は今後スターになる可能性を十分に秘めていました。しかも、なかなかの美人!

    お~ど~り~ましょう~お、こん~んやは~
        すろ~おな わ~るつで~

このフレーズ聞き覚えのある方もいると思います。
私にとって彼女はかなり期待の新人でありました。
しかし、残念ながら後が続かずフェイド・アウト。。。
1984年頃佐々木幸男とデュエットの「愛のゆくえ」(日本語カバーバージョン)を出しているようですが、現在の詳細は分かりません。
実力派の美人シンガーだっただけに実に惜しい!

同じポプコン出身者でこの年デビューした明日香という女性シンガーソングライターもいましたね~。
デビュー曲「花ぬすびと」は途中で急にファルセットになったりしてなかなか印象的な曲でした。
確か音大でクラシックを勉強していたとかで、なぜポピュラーソングをやるのかという質問に「数学の問題を解くにも微分・積分を知ってて解くのと知らないのとでは違うはず、音楽も一緒」というよう独特のコメントをしていた覚えがあります。
彼女は現在も活動を続けているようです。

1982年のミュージック・シーン

2007年03月22日 | 音楽のルーツ
私の音楽のルーツ1982年の途中ですが、この年のミュージック・シーンを振り返ってみましょう。
この年は去年の「ルビーの指輪」のような大ヒットがなく、あみんの「待つわ」が代表曲か?また、中森明菜、松本伊予、柏原よしえ、早見優、堀ちえみなどアイドルが次々とデビューした年でありました。
レコード大賞は細川たかしの「北酒場」。もっといい曲あるだろう!と誰もが思った?
個人的には岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」に取らせたかった。
「北酒場」は当時、欽ちゃんの番組で強力にプッシュされており、振り付けまでありました。

では、年間シングルトップ50です。(Wikipedia)

待つわ/あみん
セーラー服と機関銃/薬師丸ひろ子
聖母たちのララバイ/岩崎宏美
心の色/中村雅俊
北酒場/細川たかし
悪女/中島みゆき
ハイティーン・ブギ/近藤真彦
チャコの海岸物語/サザンオールスターズ
情熱☆熱風せれなーで/近藤真彦
ふられてBANZAI/近藤真彦
渚のバルコニー/松田聖子
赤いスイートピー/松田聖子
ウエディング・ベル/シュガー
哀愁のカサブランカ/郷ひろみ
小麦色のマーメイド/松田聖子
ジェームス・ディーンのように/Johnny
誘惑/中島みゆき
シルエット・ロマンス/大橋純子
色つきの女でいてくれよ/ザ・タイガース
い・け・な・いルージュマジック/忌野清志郎+坂本龍一
すみれSeptember Love/一風堂
赤道小町ドキッ/山下久美子
原宿キッス/田原俊彦
夢の途中/来生たかお
男の勲章/嶋大輔
ホレたぜ!乾杯/近藤真彦
君に薔薇薔薇…という感じ/田原俊彦
NINJIN娘/田原俊彦
ラ・セゾン/アン・ルイス
みちのくひとり旅/山本譲二
YES MY LOVE/矢沢永吉
$百萬BABY/Johnny
約束/渡辺徹
少女A/中森明菜
ダンスはうまく踊れない/高樹澪
デザイアー/もんた&ブラザーズ
ギンギラギンにさりげなく/近藤真彦
完全無欠のロックンローラー/アラジン
カサブランカ/パーティ・ヒギンズ
匂艶THE NIGHT CLUB/サザンオールスターズ
野ばらのエチュード/松田聖子
暗闇をぶっとばせ/嶋大輔
100%…SOかもね!/シブがき隊
誘惑スレスレ/田原俊彦
ハロー・グッバイ/柏原よしえ
おまえにチェックイン/沢田研二
すずめ/増田けい子
横恋慕/中島みゆき
NAI・NAI16/シブがき隊
だって・フォーリンラブ・突然/三原順子

やはり、「待つわ」あみん、「 セーラー服と機関銃」薬師丸ひろ子、「聖母たちのララバイ」岩崎宏美、「心の色」中村雅俊などのヒットの印象が強いが、ポプコングランプリの本田美緒「哀・ダンサー」、同じくポプコン出身の明日香「花ぬすびと」 などもスマッシュ・ヒットだったと思います。
さらに、アニメ「超時空要塞マクロス」からは飯島真理がデビュー、そして美人ジャズシンガー・ブームにのって秋本奈緒美などもデビューしました。

洋楽ではあの、サミー・ヘイガーが「THREE ROCK BOX」を発表。前年の「STANDING HAMPTON」からGeffenに移籍し、洗練されたジャケットとサウンドで日本でも注目され始めていました。
またジョー・ジャクソンがアルバム「Night and Day」をリリース、これがよかった!前年に「エスケイプ」をヒットさせていたジャーニーにも注目していました。
そして70年代の匂いを引き継ぐ私が最後に期待したバンド、ヴァンデンバーグが鮮烈なデビュー!!!
忘れてはならないのはこの年コンパクト・ディスク(CD)が発売されたこととASIAがファーストアルバムを発表。ASIAが成功した背景には前年の1981年に放送を開始したMTV(ミュージック・テレビジョン)の存在が不可欠であったともいわれています。

1982年 夏 札幌

2007年03月21日 | 音楽のルーツ
再び札幌での生活が始まりました。
私はグリーのH君に頼んでIアパートへ転がり込むことに成功。
屋根裏のような部屋でした。
H君は札幌で就職してまだこのアパートに住んでいました。

私はアルバイトを探しに毎日出かけましたがなかなか生活をするだけの給料をもらえるところがない。
しかも、この年の夏は暑く、数時間外を歩いていると日射病になりそうでした。
それでなくても精神状態が不安定なのにこの暑さですから判断も鈍ります。
給料が高いと思っていけば、なにやら怪しげな教材販売だったりしたこともありました。

それでも2ヶ月ほどのバイトとをようやく見つけなんとか食いつないでいましたが、彼女とは心がすれ違うことが多くなり徐々に心が離れていきました。
当時彼女も仕事で不安定な時期にあり、お互いに疲れてしまったのだと思います。
皮肉にも私が札幌に来たことが裏目に出てしまったのだと思いました。
こういう時って、どんどん心が離れていくのが手に取るように分かるのです。
信じたくなかったけれど。。。

そんな中、IアパートではH君と色々な話をしたり、カレーライスを作って一緒に食べたりしました。
彼も心配していたと思いますが、常に明るく接してくれたのが嬉しかったな~
あの頃彼はローラースケートをやっていて、「やりたかったら使っていいよ!」といわれ、休みの日に気分転換に近くの公園まで行ってやってみた事があるのですが、これが意外に難しい!アスファルトの上で転んで膝を擦りむいてしまい血を流しながら、近くに住んでいた後輩のMちゃんのところに行き手当てをしてもらったことがありました。

IアパートにK君はもう住んでいませんでしたが、札幌で就職したS君やイルカちゃんも時々様子を見に来てくれました。
卒業しても心の支えはグリーの仲間達でした。

このIアパートでもその当時の思いを曲にしています。今でもその曲を歌うとあの頃のことを思いだしで胸が締めつけられる思いですが、ようやく、最近、思い出として振り返ることができそうな気がします。

想い出の味 ヤキスパ

2007年03月21日 | 食道楽
大学時代、グリーのH君はPPという喫茶店の常連でした。
私も何回か連れて行かれるうちに自然にマスターと顔なじみになりました。

ここのマスターが作るスパゲティがヤキスパです。
スパゲティに塩コショウ、ウスターソースで焼きソバのように味付けし、いり玉子を混ぜて炒めできあがり!
特別な隠し味があったかどうかはわかりません。
これに、黒パンを一緒に出してくれました。
これがシンプルながらうんまい!!!
やっぱソースが食欲をそそります!

KさんやMちゃんもよくここに来ていました。
私の彼女もときどき。。。
色々な話をしました。
ここで彼女とけんかしたこともありました。

久しぶりにこのヤキスパが食べたくなって作ってみました。。。