1969年2月11日タンパで戦うチャンピオンといわれたジン・キニスキーを破り第46代NWA世界ヘビー級チャンピオンとなる。
当時27歳の若き世界チャンピオン、ドリーは新しいタイプの世界チャンピオンとも呼ばれたが、リアルタイムで見ていた印象はタフでテクニシャン。さすがNWA世界チャンプというイメージであった。
得意技はスピニング・トー・ホールド、バック・ドロップ、ダブル・アーム・スープレックス、ドロップ・キック、エルボー・スマッシュなど多彩であった。
私的に印象に残っているのは大技よりも一瞬の隙を突いた逆さ押さえ込みや切れ味鋭いエルボーであった。
1973年5月にハリー・レイスに敗れるまで4年以上にわたる長期政権を築いた。
その後も全の本プロレスにおいてその実力を遺憾なく発揮、弟のテリー・ファンクとともにファンクスとしても絶大な人気を獲得した。
ジャンボ鶴田等若手の育成にも手腕を発揮している。
夢の対決、ドリー対マスカラス戦でのスピニング・トー・ホールド
当時27歳の若き世界チャンピオン、ドリーは新しいタイプの世界チャンピオンとも呼ばれたが、リアルタイムで見ていた印象はタフでテクニシャン。さすがNWA世界チャンプというイメージであった。
得意技はスピニング・トー・ホールド、バック・ドロップ、ダブル・アーム・スープレックス、ドロップ・キック、エルボー・スマッシュなど多彩であった。
私的に印象に残っているのは大技よりも一瞬の隙を突いた逆さ押さえ込みや切れ味鋭いエルボーであった。
1973年5月にハリー・レイスに敗れるまで4年以上にわたる長期政権を築いた。
その後も全の本プロレスにおいてその実力を遺憾なく発揮、弟のテリー・ファンクとともにファンクスとしても絶大な人気を獲得した。
ジャンボ鶴田等若手の育成にも手腕を発揮している。
夢の対決、ドリー対マスカラス戦でのスピニング・トー・ホールド
札幌と室蘭。
室蘭では、
馬場、猪木、大木VSドリー、レイス、ラモス
ホッジ対星野 など
なかなかいいカードです。
猪木(大阪)と馬場(東京)と60分フルタイムで戦いぬいても、まだ、まだドリーは余裕でしたね。
NWA王者短命説とかチーズ・チャンピオンとかゴング誌に書かれていたと記憶しますが、いざ来日するとバックドロップもダブルアーム・スープレックスも難なく使いこなして流石だと思いました。スピニング・トーホールドはナゼ痛いのか僕は未だ解りません。今,掛けられると痛いかな?掛けて~!
来てたら、そりゃ~大騒ぎでし!!!
サミーさんの道場に集まり
プロレスをして遊ぶんだ
バックドロップを掛けようとすると
M君は怖がって逃げたっけ
夕日が時計台に重なるまで
技の研究をして僕たちは燃えたんだ
あの頃の想い出は・・・プロレス
ドウジヨウ!?
桜三月散歩道のセリフに似せました。
狂った僕らの三月も終わりましたね。
byエンドウコウキチ