蔡幸娟-花心
中国の李克強首相は5月26日、訪問先のドイツでブランデンブルク州・ポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿(ポツダム会談会場跡)を見学したそうです。J
日本では、李克強首相は「日本は盗み取った中国の領土を返還しなければならない」と述べ、沖縄県の尖閣諸島を念頭に領有権は中国にあると強調したと、報道されています。P
新華社通信によると、李首相は、第2次大戦終結時に日本が受諾したポツダム宣言には、「日本が盗み取った中国東北部と台湾などの島々を返還するとした、 カイロ宣言の履行をうたっている」と述べたことが報道されています。
確かに、日本が終戦条件を受け入れたポツダム宣言には「カイロ宣言の条項は履行されるべき、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない。」とあります。また、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重が確立されることなども宣言されています。
日本では、あまり知られていませんが、吾等の決定する諸小島とは、連合国側が決めると言う意味であり、文字通り解釈すれば、敗戦時に日本は、沖縄の領有も失ったかも知れないのです。
1943年11月22日、中華民国国民政府主席の蒋介石とルーズベルトとチャーチルとの3者会談をエジプトのカイロで行って、12月1日に発表された声明が「カイロ宣言」です。戦争終結に向けての連合国側の日本に対する基本方針となったものです。
カイロ宣言では、日本軍が占領した太平洋の全島の返還及び日本が中国領土から奪った領土を中華民国へ返還(満洲、台湾、澎湖諸島など)することが宣言されていました。
アメリカ国公文書館にあるカイロ宣言議事録には、ルーズベルトは、蒋介石に対して「(沖縄)琉球諸島全部を中華民国に渡したい」と申し入れたとの記載が明確にありました。当時の連合国側の認識では、(沖縄)琉球諸島全部は「日本軍が占領した太平洋の全島の返還及び日本が中国領土から奪った領土」の範疇であったようです。しかし、これを、蒋介石は拒否したのでした。
中国が断ったため、事実上、今日の沖縄は日本国の一員となることができたのです。また、カイロ宣言では、朝鮮国の日本からの独立も確認されていました。P
琉球王国は約600年独立した国家であった歴史があり、江戸時代には、薩摩の島津藩が軍事侵攻もし、1879年には、明治政府が軍を送って首里城から琉球の尚泰王を東京に拉致して、琉球処分(併合)を行い完全に植民地化しました。
そして、太平洋戦争では琉球人は捨て石にされました。戦後は、日米サランシスコ条約に基づき、沖縄はアメリカの占領下とされ日本統治から一旦離脱しました。1972年の日本「復帰」も住民投票という民主式な手続きを経て実現したものではありませんでした。復帰後も沖縄(琉球人)は差別され、アメリカ基地は押しつけられ、日本政府主導の観光開発や本土の日本企業による搾取下にも置かれ、実質的に植民地のような対応を自民党政府は沖縄に続けました。
そんな歴史経過からか中国や台湾では、沖縄・琉球は江戸時代以前には日本よりも清国や明国との関係が深い国であった歴史も持っており、日本人には全く理解できない感情ですが、沖縄県民は、歴史的には中国や台湾と同様に日本軍国主義に侵略された国でもあり、歴史上もかつては中国帰化人の王朝が支配した国であったという認識や親近感がいまだに強く残っています。(日本軍の琉球26万人虐殺は南京大虐殺に次ぐものだとの意見さえありました。
これには、死者数字や虐殺との言い方では日本政府と見解は分かれるところです。しかし、島津藩の琉球侵攻もそうですが、1879年の明治政府軍の「琉球処分」とは、日本軍が民衆の犠牲を含む武力侵略をもって軍事攻撃したという事実であり、その意味で沖縄民に虐殺を行った歴史も、明確にあり、近代の日本の歴史でも終戦時には、一般市民に自決強要等(一種の虐殺)があったことも事実でした。)
中国の成都市の反日デモでは「収回琉球、解放沖縄」(琉球を取り戻し、沖縄を解放しよう)とした赤い横断幕が登場しました。 かつて毛沢東は、1964年に日本で当時高まった反米運動や、沖縄返還を求めるデモに対し「中国人は心から日本人の正義の戦いを支持する」と述べて沖縄と日本人民の自主独立の運動に連帯を表明した史実も有名です。
5月16日の琉球新報は、琉球の島々に民族的ルーツを持つ人々が独立を目指し、学際的な調査研究を進める「琉球民族独立総合研究学会」が15日に、設立されたことを報道しました。那覇市の県庁で記者会見し、発表された研究会の委員らは米軍基地などを具体例に「沖縄で繰り広げられている問題を解決するには独立しかない」と指摘。「独自の民族として、平和に生きることができる『甘世』(あまゆー)を実現させたい」と話し、自己決定権を行使した基地のない島を目指し、担い手となる人々の参加を呼び掛けました。
今後はグアムや台湾など、独立を目指す地域との連携も模索するそうです。
設立準備委の友知政樹沖国大准教授は、オスプレイの強行配備などを例に「日本や米国による強制が現在進行形で繰り返され、これからも続こうとしている。(学会設立は)私たちの子どもたちの世代に対する責任でもある」と意義を強調、松島泰勝龍谷大教授は「バルト海のオーランド諸島のように、非武装中立にしたことで、周辺国の安定が維持されている事例もある」と指摘。「国家は必ずしも軍隊を持つ必要はないというのが21世紀の国の在り方だ」主張。独立して在沖基地を撤去させることがアジア太平洋の緊張緩和となり、平和構築に有用との考えを示したそうです。
非武装中立オーランドは、新渡戸裁定で有名な話ですが、今日の日本では、妄想的発想と言うひともいますが、意外と沖縄問題解決には斬新な案であると考える人もいます。
中国などでは、少数民族の自治政府が実際ありますが、仮に沖縄が琉球大国として独立の道を目指した場合、日本政府は、やはりこれを弾圧するのでしょうか??。平和大国日本は、そんなことは、無論できないでしょう!。では、中国や台湾は、尖閣諸島の領有を、独立した沖縄に主張できるでしょうか??。これもできないでしょう!!(むしろ、中国は独立を歓迎しそうです。しかし、沖縄県民は台湾への親近感はあっても今の中国には違和感を感じる人が多いそうです。)独立は決して荒唐無稽な話ではありません。
沖縄県民の花心を擽るような話です。
オーランド諸島のように、独立して中立非武装地帯になれば、アメリカ軍は基地を縮小するしかないでしょう!!。しかし、条件があれば、非武装のアイスランドのように直接、沖縄とアメリカが協定を結んで、一定規模の米軍基地を駐留させることも、おそらく出来るでしょう・・・。
(沖縄の普天間基地や嘉手納基地は、アメリカ海兵隊の基地です。海兵隊とは上陸作戦、戦争即応展開を任務とする外征専門部隊であり、そもそも、日本を守る防衛部隊ではないのです。従って、要請があってもアメリカは撤退する気もないのでしょう?アメリカが、GHQ占領後も沖縄の日本への帰属を認めず、本土復帰後も沖縄の基地に拘り続けたのは、台湾・韓国・中国大陸・フィリピン近いアメリカの軍事拠点としての利点であり、そして何よりも、先の大戦で、アメリカに戦争を仕掛けて甚大な被害をアメリカに及ぼした日本が再び反米的な戦闘行動などを取った場合に、ただちに再軍事占領できる条件確保の裏の狙いが、沖縄や本州のアメリカ基地にはあるとも言われています。沖縄も日本も、まだ真にアメリカの占領から独立開放されたとは言えない状況にあるようです。)
<研究会設立趣意書(要旨)>
琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族は独自の民族である。琉球國はかつて独立国家として諸国と外交関係を結んでいた。他方、1879年の明治政府による琉球併合以降、現在にいたるまで琉球は日本そして米国の植民地となり、日米両政府による差別、搾取、支配の対象となってきた。
日本人は、琉球を犠牲にして「日本の平和と繁栄」を享受し続けようとしている。このままでは、琉球民族は戦争の脅威におびえ続けなければならない。
琉球民族は「人民の自己決定権」を行使できる法的主体である。琉球の将来を決めることができるのは琉球民族のみである。日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、世界の国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要がある。
独立を目指し、琉球民族独立総合研究学会を設立する。会員は琉球の島々にルーツを持つ琉球民族に限定し、学際的な観点から研究を行う。担い手は独立を志す全ての琉球民族である。
琉球民族が独自の民族として平和・自由・平等に生きることができる「甘世(あまゆー)」を実現させるために本学会を設立し、琉球の独立を志す全ての琉球民族に参加を呼び掛ける。
「花」の作詞作曲と歌の大ヒットでも知られる喜納昌吉氏の2009年著書「沖縄の自己決定権-地球の涙に虹がかかるまで」(未来社)によると、菅元首相が副首相兼国家戦略担当相だった時代「(沖縄)基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」語り「もう沖縄は独立した方がいい」とまで語っていたそうですが、実際に沖縄で琉球民族独立論議が真剣に起こらざるを得ないほどまでに、沖縄県民を追い込んだ日本政治はもう最悪と言うしかありません。P
花的心藏在蕊中
揺れる花心は、葉しべの中に隠れ
空把花期都错过
空は開花の時期を逸してしまった
イ尓的心忘了季节
あなたの心は、季節を忘れ
从不轻易让人忄菫
人に簡単に理解もできない
为何不牵我的手
なぜ私の手をとらない
共听日月唱首歌
共に日や月の歌を聴こう
鼬夜又白昼
闇夜は白昼に変わる
鼬夜又白昼
闇夜は白昼に変わる
人生为欢有几何
人生は悲喜がいくらもある
春去春会来
春は去ってもまた訪れる
花谢花会再开
花は枯れどもまた開く
只要イ尓愿意
あなたが望みさえすれば
只要イ尓愿意
あなたが望みさえすれば
让 梦 戈刂 向 イ尓 心 海
あなたの心の海に夢は漕ぎ出します
春去春会来
花谢花会再开
只要イ尓愿意
只要イ尓愿意
让 梦 戈刂 向 イ尓 心 海
花瓣泪飘落风中
花びらの涙は風に舞う
虽有悲意也从容
悲しみは受容される
イ尓的泪晶莹剔透
あなたの涙は宝石のように輝き透き通る
心中一定还有梦
心の中にきっと夢はまだあります
为何不牵我的手
なぜ私の手をとらない
同看海天成一色
海と空が一色のさまを一緒に見よう
潮起又潮落
潮は満ちまた潮は引く
潮起又潮落
潮は満ちまた潮は引く
送走人间许多愁
人の世も多くの憂いを送り出す
(沖縄の喜納昌吉氏は、「花」の副題を「すべての人の心に花を」として、「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」という沖縄の平和へのメッセージをこの歌と共に発信し続けているそうです。)
Hana-Natsukawa Rimi