東日本大震災の発生から9月11日で半年が過ぎました。天災のあとには復旧への支援の絆が広がりますが、人災のあとには混迷と怨恨ばかりですね。この日は、ニューヨークで起きたアメリカ同時多発テロから10年の節目、今年イラクからアメリカ軍はようやく撤退を完了しますね。
9.11は低迷していた当時のブッシュ政権に高い支持率を与え、アフガニスタン戦争とイラク戦争の口実となり、その結果ブッシュの支持基盤のアメリカ軍需産業に多大な利益をもたらした反面、アメリカ側も含めて多くの罪のない犠牲者と憎しみの連鎖を今日まで拡大している結果となっていることは否定できない事実です。誤った歴史は常に振り返ることが重要だと思います。P
1988年8月20日に、シーア派イランと、フセインイラクとの、8年間に及ぶイラン・イラク戦争が停戦を迎えました。イラン・イラク戦争時、親米クウェートはイラクを積極的に支援し、約400億ドルの資金を提供しました。
終戦後、イラクはクウェートへの負債のために、石油価格上昇を目的に、OPECを通じて石油の減産を求めましたが、OPECはイラクの求めに応じず、クウェートとサウジアラビアは石油の増産を行いました。そのためイラクはクウェート国境付近に軍隊を動員して威嚇すると、クウェートは100億ドルのイラン・イラク戦争時の戦時債務の即時返済を要求、それをイラクが断るとイラク・クウェートの国境地帯にあるルメイラ油田から大量採掘を開始します。
フセインは、クウェート国内の対イラク協力者である陸軍大佐を首相とする「クウェート暫定革命政府」を成立させ1990年8月4日、「クウェート共和国」の樹立を宣言し、さらに8月8日、イラク革命指導評議会は、クウェートの併合を決定しました。
このイラクの軍事侵攻に対し、国際連合安全保障理事会は即時無条件撤退を求める安保理決議660を採択、さらに全加盟国に対してイラクへの全面禁輸の経済制裁を行う決議661も採択しました。しかし、アメリカは「有志を募る」という形での多国籍軍の攻撃を独自に決め、イギリスやフランスなどもこれに続きました。また、エジプト、サウジアラビアをはじめとするアラブ各国にもアラブ合同軍を結成させ戦争に参加させました。
この湾岸戦争で、イラク戦闘犠牲者数は20,000~35,000人、アメリカ空軍の報道でも空爆による戦闘死者数は約10,000~12,000人、地上戦による犠牲者数10,000人、調査機関発表ではイラク市民も3,664人犠牲になり20,000~26,000人のイラク兵士が死亡75,000名の兵士が負傷しました。アメリカはこの戦争でコンピュータ制御レーダー非感知の小型ロケット・トマホークを大量に使用し、ボスニアやコソボでも使用した準核兵器である劣化ウラン弾を大量使用しました。因果関係がはっきりしませんが戦争終結の数年後に劣化ウラン弾の影響で、イラクの子供たちやアメリカ兵の健康被害が深刻になったといわれました。圧倒的な近代兵器の戦争に世界中で軍事関係者が脅威と驚きの声をあげ軍備費が増加しました。
湾岸戦争でアメリカは611億ドルを費やしましたが、その内約520億ドルは関係諸国に請求し、日本はそのなかでも特出した130億ドルを負担しました。日本経済は、この湾岸戦争契機負担と石油価格値上の影響により、経済にダメージを受け、同時にバブルの好景気の崩壊を迎えます。
湾岸戦争を契機にイスラムの過激派は数度にわたって中東に在留するアメリカ軍を襲撃し、1996年のアメリカ軍宿舎攻撃で、十数名のアメリカ兵が死亡。1998年にはケニアなどのアメリカ大使館爆破事件で約200名が犠牲に。2000年にはイエメン沖でアメリカ海軍艦『コール』の襲撃が発生します。
反米テロの高まりはついに、2001年9月11日にアメリカの旅客機4機の同時ハイジャックを発生させます。いわゆる同時多発テロ9.11です。ニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟に旅客機は突入し、自爆炎上させ、そして繁栄の象徴でもあった2つのビルは崩壊しました。また、アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)にもアメリカのハイジャック旅客機が突入しました。自爆テロでは、戦前の日本の特攻隊をイメージした人も多くいました。
このテロ関連の犠牲者は、すべての死者を合計すると2,973人といわれています。
アメリカは、このテロ攻撃がサウジアラビア人のオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカーイダ」によって計画・実行されたと勝手に断定し、彼らが潜伏すると推定したアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求しました。
アフガニスタンは、「アルカーイダのやったこととはまだ断定できない。」と反論したため、アメリカ軍はアフガニスタンに戦争を行い、あっという間にアフガニスタンの国土を壊滅させてしまいます。その後パキスタン政権にブッシュは、協力を拒めば、アフガニスタンの二の舞になるとほのめかした結果、パキスタンはアメリカへの協力を表明します。結局、オサマ・ビンラディンは、実はパキスタンに潜伏していたわけで、今年5月に米軍によってパキスタン内で射殺され9.11テロの犯人達の本当の意図や真相は闇に消えました。
アメリカ政府は、このテロとイラク政府の関与には当初否定的なコメントをしていました。同年10月、フセインは、9.11テロの犠牲となったアメリカ市民に対して弔意さえ示していました。しかし、同時多発テロの後、アメリカ国内ではイスラム教に対する敵視が広まり、ムスリム(イスラム寺院やイスラム教の学校、中東系のコミュニティセンター)に脅迫が相次ぎ、中東系の学生が卵を投げつけられ、労働者が職場解雇され、イスラム系への嫌がらせが多発します。アメリカにある寺院であるモスクさえもアメリカ市民の暴動を恐れて閉鎖されました。
ナイト・リダー社の当時発表した世論調査結果によると、アメリカ人の内44%が、2001年9月11日の同時多発テロのハイジャック犯の一部または大半がイラク人だと認識していました(実際には、犯人の大半がサウジアラビア人で実際はイラク人は一人もいませんでしたし、オサマ・ビンラディンはイラクとも、アフガニスタンとも、イスラム教という以外に深い関係はありませんでした)。
そんな、アルカイーダの犯行とイスラム社会攻撃へのこじ付けは、アメリカ内部で自作自演の疑惑さえ引き起こします。「なぜ事件の世界貿易センタービルに、ユダヤ人がほとんどいなかったのか。堅牢なはずの世界貿易センタービルが簡単に崩壊し、旅客機の衝撃ではないと思われる爆発証言もあったのはなぜなのか、ペンタゴンは、どうして小さな被害ですんだのか等。」しかも犯行犯のアルカイーダはアメリカがかつて育成したテロリスト・ビンラディンによるものでした。
結果として、中東における、イラク・イラン勢力からアメリカはアラブの石油利権を防衛し、ブッシュ政権は支持率を向上さえ、軍需産業はイラク戦争で巨額の利益を得たため、全ては策略との疑惑さえ、説得力を持ちました。
また、アフガニスタンはアヘン栽培大国で、世界のアヘン生産の殆どがアフガニスタンで行なわれていました。しかし、ターリバーンはケシ栽培を禁止し、アメリカ等による開戦直前の2001年の収穫量は前年の185トンへと94%を超える大幅な減少に転じていました。これはターリバーンが価格下落を抑制するために行った減産措置ではないかと非難もされていました。テロリストをアフガン・タリバン政府が庇って引き渡しに応じなかったという詭弁で、アメリカが主導するアフガニスタン戦争が起こされました。
ブッシュ政権は、このテロ事件後のアメリカ合衆国世論の変化を利用し、2002年にはテロ支援国とアメリカが断じた悪の枢軸(イラク、イラン、北朝鮮)との戦いをアメリカの国家戦略とします。「アメリカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」と一方的に戦争をしかけていく方針を決めました。これをもとに、アメリカ合衆国はイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由にして、イラク戦争に踏み切ります。2003年3月17日、イラクに先制攻撃の空爆を突然開始したのです。そしてあっという間にフセイン政権を壊滅させ、8年後の今日までアメリカ軍はイラクを占領下においています。
今日、なお多発するイスラムの自決テロに、てこずってとても勝利したとも思えない泥沼状況が続き、オバマ政権になってようやく撤退が決定できました。
当時のイラクへのアメリカの戦争に対しては、フランスやドイツ、ロシア、中華人民共和国などが、反対しました。イラク戦争の主体のアメリカやイギリスの国内でも多くの市民が反対運動をしました。2003年2月のロンドンで行われたデモには、主催者発表で約200万人のイギリス市民が参加しました。しかし、イギリスのブレア政権と日本の小泉政権は積極的にアメリカの戦争を支持しました。
日本の小泉首相は、湾岸戦争での日本の過小評価を気にし、「アメリカの武力行使を理解し、支持いたします」といち早く、国際社会に日本の賛同を表明しました。平和国家の代表であるはずの小泉首相でしたが、逆に戦争を「支持」という踏み込んだ文言を使用し、開戦前から安保理理事国に積極的にアメリカへの支持を働きかけ、さかんにイラクへの武力行使を国際社会でもあおりました。また、アメリカ世論では日本が日米戦争のおかげで民主化され戦後復興したとのシナリオさえ用いられて、イラク戦争の正当化がはかられました。
2003年アメリカが主体となり、イギリス等の多国籍軍が、イラクの大量破壊兵器所持疑惑を(武装解除義務違反)を理由として、 小泉政権下で日本が全面支持して始まったイラク戦争では、湾岸戦争後クウェートから撤退し、IAEA(国際原子力機関)の武器査察チームも受け入れ始めていたイラクでしたが、「大量破壊兵器保持疑惑やアルカイダとの関係」さえ捏造されました。
フセインの長女の婿フセイン・カメルのヨルダンに亡命に際して、国連査察団に大量破壊兵器やミサイルの設計図を隠し持っていたという証言は、イラクが湾岸戦争後に、すべての化学兵器とミサイルを廃棄したと述べた部分の報道は省かれました。
(イラク戦争の後2004年1月CIAのデビッド・ケイ特別顧問は、米上院軍事委員会の公聴会で「イラクに生物・化学兵器の大量備蓄は存在しない。私たちの見通しは誤っていた」と証言しCIA特別顧問の職を辞しました。イギリスでは、イラクの大量破壊兵器の脅威を誇張したBBC報道の情報源となった国防総省の専門家が自殺しました。実際のところ、アメリカCIAがのイラクの大量破壊兵器所有の疑惑をでっち上げて、意図的に開戦へと導いたと言われます。後になって、実は大量破壊兵器はまったく存在しなかったとパウエル国務長官も正式に謝罪しました。 全てブッシュ政権・CIAの策謀に踊らされて遂行された戦争でした。)
当時の日本国内の世論操作も大本営並みにたくみで、テレビに影響された日本の青少年達の当時の学校の作文では、イラク戦争への賛否は多く取り上げられましたが、教師達の意図した平和志向に反して、アメリカの同盟国としての役割発揮や人を殺す戦争をしてでも石油資源を確保しなければ日本の未来はないと政府に同調する主張が多くありました。
その後の2004年10月、アメリカ合衆国政府調査団は、結果として「イラク国内に大量破壊兵器は存在せず、具体的開発計画もなかった」と結論づけた最終報告書を米議会に提出します。2006年9月には、アメリカ上院情報特別委員会が「旧フセイン政権とアルカイダの関係を裏付ける証拠はない」との報告書を公表しました。アメリカのイラク開戦の論拠や正当性は根底から揺らぎ、嘘で戦争をしたことが明確になった後、民主主義の国でもある、アメリカやイギリス議会では戦争責任をめぐって当時の政権責任への追及がされました。。かつてアメリカ(CIA)自身が中東の利権を確保するため育成していたアルカイダが起こしたテロへの報復のためという、国内世論の怒りの矛先をアメリカ政府でなくアフガン・イラクに転化する、全く濡れ衣の、大儀もなく、一方的に仕掛けられた、捏造に導かれた戦争でした。一般市民も含めた大量の犠牲者も発生しており、これは、近年における、もっともひどい大虐殺という側面もありました。しかし、当時、イラクへの戦闘行為を世界でも真っ先にあおったアメリカの同盟国「日本」は、この事実に完全に沈黙し、当時の過ちを全く今も反省しない点ではアメリカやイギリス以下の恥知らずな国になりさがりました。
ブッシュに代わり2009年1月に就任したバラク・オバマ大統領は、反戦世論と選挙公約を背景に2010年8月までにアメリカ軍の戦闘部隊9万人を撤退させ、イラク軍の育成のために残留する5万人も2011年12月までに全軍撤退を完了させると表明して現在に至っています。イラク、アフガン、パキスタンの一般市民の死者は17万2000人とも発表していましたが、世界にイスラム教徒は19億人以上いると言われます。協和の道を避けてはアメリカの平和に未来もありません。