学習指導要領の改訂がすすんでいるが,
学習指導要領というのは,
本当に読んでもよく意味のわからない文書である。
あれを読んで,何をどこまで教えればよいのかを
解読せよというのは,謎解きの判じ物に近い。
小学校の漢字のように,
明確で具体的なものも少しはあるが,
ほとんどは抽象的でよくわからないのである。
全国学力テストを実施して,
「知識」やその「活用」のレベルを判定しようというのであれば,
どれほどの「知識」が学年ごとに必要なのか,
どれほどの「活用」が学年ごとに到達されればよいのかの
スタンダードとして機能する具体性のある学習指導要領を
国として明確にするべきであろう。
批判されたときの予防線をはっているかのような
どうとでも解釈できるややこしい学習指導要領など
いらないのである。
現場教員で,
学習指導要領をよく読んで実践を行っている人は
どれほどいるのであろうか。
現場では,学習指導要領より教科書と
いうことになるであろう。
その教科書も,とくに義務教育段階では
なんともわけのわからないものになってきている。
いったい何を基準に教えればよいのであろうか。
学習指導要領というのは,
本当に読んでもよく意味のわからない文書である。
あれを読んで,何をどこまで教えればよいのかを
解読せよというのは,謎解きの判じ物に近い。
小学校の漢字のように,
明確で具体的なものも少しはあるが,
ほとんどは抽象的でよくわからないのである。
全国学力テストを実施して,
「知識」やその「活用」のレベルを判定しようというのであれば,
どれほどの「知識」が学年ごとに必要なのか,
どれほどの「活用」が学年ごとに到達されればよいのかの
スタンダードとして機能する具体性のある学習指導要領を
国として明確にするべきであろう。
批判されたときの予防線をはっているかのような
どうとでも解釈できるややこしい学習指導要領など
いらないのである。
現場教員で,
学習指導要領をよく読んで実践を行っている人は
どれほどいるのであろうか。
現場では,学習指導要領より教科書と
いうことになるであろう。
その教科書も,とくに義務教育段階では
なんともわけのわからないものになってきている。
いったい何を基準に教えればよいのであろうか。