よく「教員の資質能力の向上をはかる」という表現に出合う。
また,学習指導要領の解説書などでも,
「資質や能力の基礎を培う」といったような表現に出合うことがある。
これが「能力」だけなら分かる。
能力は,教育によって,
向上をはかったり,培ったりできる。
しかし,「資質」については疑問が残る。
広辞苑では,「うまれつきの性質や才能。資性。天性。」とある。
そして,「―に恵まれる」「作家としての―がある」という例示がある。
この語義からみると,
どうしても「資質」というのは生得的なもので,
教育によってどうこうできるものではないように
思われるのである。
英語では,「資質」はnatureである。
どうしても,「資質」を
人為的に向上させうるとは考えにくいのである。
それとも,教育の世界では,
「資質」に別の意味を付与しているのであろうか。
不勉強でそこまではわからないのだが,
どなたか教えていただければ幸いである。
また,学習指導要領の解説書などでも,
「資質や能力の基礎を培う」といったような表現に出合うことがある。
これが「能力」だけなら分かる。
能力は,教育によって,
向上をはかったり,培ったりできる。
しかし,「資質」については疑問が残る。
広辞苑では,「うまれつきの性質や才能。資性。天性。」とある。
そして,「―に恵まれる」「作家としての―がある」という例示がある。
この語義からみると,
どうしても「資質」というのは生得的なもので,
教育によってどうこうできるものではないように
思われるのである。
英語では,「資質」はnatureである。
どうしても,「資質」を
人為的に向上させうるとは考えにくいのである。
それとも,教育の世界では,
「資質」に別の意味を付与しているのであろうか。
不勉強でそこまではわからないのだが,
どなたか教えていただければ幸いである。
> 「資質」に別の意味を付与しているのであろうか。
> 不勉強でそこまではわからないのだが,
> どなたか教えていただければ幸いである。
「資質のない人間は教師になるな」「資質のない人間を排除することが大切である」ということを、お国の人たちは暗に言っているのではないでしょうか。
つまり、お国の人たちが言う「資質を培う」ということの意味は、「資質の無い奴を教師にしない」「資質のある奴だけを教師にする」というものであるという解釈です。
確かに、教師というのは特殊な職業で、向いてない人がいることは確かですが、ある個別的な問題の本質がほんとにそこにあるのかは、注意深い観察が必要です。
そういう注意深い観察をないがしろにして、或いは忘れて、なんでもかんでも教師の資質にその責は帰されるのであるという考え方は、私は安易だと思います。
記事のとおり、「資質」は生後どうのこうのできるものではないでしょう。
法令に用いるに相応しくない言葉です。