学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

教材研究はほどほどに

2013-10-24 | 教育
授業改善のためには教材研究が大切だと言われる。
その通りである。
がしかし,その通りではないとも言える。
とくに,教材研究が大事だと思いすぎている教員にとっては,教材研究のやりすぎがひとりよがりの授業をしてしまう原因になることもある。

「ねらい」だの「児童の実態」だの「教材観」だの「評価」だの,そういった本当は教育にとってちっとも本質的ではないものをいったん離れて,授業をただ楽しむことを考えてみればどうか。
間違ってはいけない。今はやりの「楽しくわかる授業」ではない。これは全くダメである。そうではなくて,教師が授業を楽しむのである。それは,教師自身が体験した知の喜びを子どもたちと共有することを教師が楽しめる授業である。本当は,これがよい授業である。

よい授業をしたいと思ったら,教材研究はほどほどにして,教材を離れた勉強をすべきである。幅広く豊かな知識を教師自らの好奇心に従って求めていけばよい。教材を離れた幅広い教養を身につければ,そして,教師自身が向学心をもてば,それがおのずから授業によい効果をもたらすものである。

ひとことでいえば,「教える」ということの本質に立ち戻るのである。長い人類の歴史のなかで,大人は子供に何をどんな思いで語ってきたのか,それに思いをはせてみることだ。

教師を,教材研究だの研修だのと,授業者の立場を一歩も離れないような近視眼的な努力に駆り立てている限り,決して,授業改善や学校改善はできないのである。

教師集団が教養を重んずる紳士淑女の集まりにあり,職員室が知の喜びに満ちた教養あるサロンになればよいのである。

それには,教師に十分なゆとりと心の安らぎが必要なのである!


最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tsuguo-kodera)
2013-10-25 18:33:17
 凄い教えだと感じました。感服です。
 でも、この歳でもできません。好きなテーマを話すときだけ面白いのです。それは創造性の開発についてです。でも、誰も興味は持たないのです。先生もです。それでは意味がありませんよね。
 皆さんは私に小論指導をして欲しいようです。システム開発の情報教育もして欲しいようです。私にとって新しいことではないので、あまり興味が湧きません。私が労せずできることは私は面白く感じられないのです。できないことをすることが楽しいのです。
 以上からいえる結論は、そんな私は性格的に教師に向いていないのでしょうか。教師とは今を楽しめないと向いていないのでしょうか。
 変なコメントで失礼しました。
返信する
Unknown (藤村眞樹子)
2013-10-29 11:17:49
初めまして。

私が小学校の授業で印象深いのは
先生が見たばっかりという映画「恐怖の報酬」のあらすじを話してくれたことなんです。
たしか1時間では足りず次の時間
も使ったように記憶しておりますが
先生の「びっくり」が児童に伝わった
あの教室の空気が大事だと思っております。

今の小学校で、そういった余談の時間が許されるものでしょうか。
小学生は「びっくり」が多いほうがいいと思うんですが
いかがでしょうか。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。