校務のICT化をより推進するそうである。
MS-DOSの時代からPCを学校で使うことを考え、いろいろ成績処理のプログラムなどもつくってみた経験から考えてみても、少子化が進み、在籍者数が減少傾向にある学校現場にあって、いまさら校務のICT化を推進する理由はどこにあるのだろうか??
コンピュータの得意分野は、大量のデータ処理を迅速に行うことにある。例えば、1万人のデータを処理するというのであれば、コンピュータの導入は効果的であろう。しかし、せいぜい全校生徒数百人という規模でのデータ処理は、アナログで行うほうが合理的である。それに、児童生徒のデータの保管期限は、基本情報以外は5年程度である。データ漏洩のリスクから考えても、アナログのほうが保管が容易であるし、漏洩リスクが低い。例えば、成績処理にしても、数十人規模であれば、PC利用と手計算とどちらが効率的か、なかなか判断しがたいところであろう。それに、手計算で起こるミスよりも、PCを慣れない人が起こすミスのほうが規模が大きいのである。
もともと学校というところは、子どもと教師が対面してコミュニケーションをとりながら教育を行うという、非常にプリミティブな方法で教育を行っている場所である。だから、近代学校制度が始まった頃から確立されてきたシステムを未だに適用可能であり、そのシステムを使うことが理にかなっているのである。黒板やチョーク、出席簿や学級日誌などがなくならないのもそれが最も合理的だからである。
校務のICT化によって、おそらく、このシステムに変化を起こすことはできないだろう。結局は、PCで処理したデータをプリントアウトして、紙ベースで確認し、紙で保管するというやり方から抜け出せないであろう。その結果、教員の多忙化が解消されるどころか、より煩雑な作業が増えるだけなのである。
どうして、こんなに単純なことが、まともに議論されないのであろうか。それが目下の疑問である。