今週
2010年06月11日 | 他
はぁ・・・
今週は 長いようで短く感じ 過ぎ去った1週間でした
何故なら とても大事な そしてお世話になった方が亡くなりました。
そう 先月 お見舞いにいったM叔父さんが 亡くなったのです。
いつかは 来る そう思っていました
でも、先月元気な姿をみたせいか 安心してしまった私。
病魔は 急に 牙をむくんですね
神様は イジワルだ。。。
先月 お見舞いに行った時 抗がん剤が効き 上手く行くかも!と思ったし
本人は とても元気だった。
ところが、 夫が再度お見舞いに行ったら
再度抗がん剤を打つ為に 入院したばかりというのだが
酸素マスク その上 肺炎にかかっているという。
それを聞いた途端、 私は 目の前が真っ暗になったのは事実です。
でもね、とても元気印だった Mさん
抗がん剤を再度打つという病院の話が本当なら、 きっと 大丈夫!
そう思ったのもつかの間 翌日 彼は 天に召されました。
彼は 会社でも とても人望が厚く 毒舌でしたが 誰からも好かれる人。
若い頃は、 何かあると 家に呼んで 振る舞い酒をし 語る
老いても、その姿勢は変わらず 私達は 彼と話をしたいがために
北海道に訪れてたように 思います。
だって 彼の話は 楽しいだけでなく 人として必要な情を教えてくれるから。
夫が お通夜と葬儀に参列することは 決まってましたが なんせ 人望がある為
参列人数がハンパじゃない
その上 交通費の事色々の諸事情ゆえ、 私は「行きたい」とは 言えませんでした。
夫も 少し躊躇っていたみたいなのに
急に「君も 行くか?」と言い出しました。
そして 話し合っているうちに
「行こう! 後で 後悔したくない。とりあえず お通夜だけでも 夫婦で参列しよう」と言ってくれたので
ネットで すぐさま 飛行機を予約しました。
その日の 北海道は 快晴
予報ではそうだったのに、 夕方 お通夜が始まる前から 雨 そして 雷雨になりました。
夕方、祭儀場に 到着 やはり 会社関係の参列者で ごったがえしておりました。
そして 彼の息子さん(私と同年代)と 初めて会って 交わした言葉が
お悔やみの言葉とは・・・
しかし 3人が顔を合わせた途端 それまで 息子さんも気丈にいたのに
夫の一言 「夫婦共とも とてもお世話になって ・・・」と 切り出した途端
3人とも ほぼ同時に 涙が 滴り落ちたのです
下げた頭より 飛んでしたたる涙が 見える
3人とも 声が出せない いえ 出ない。
父親の葬儀前に 涙を流す息子さん 父は尊敬するには大きすぎて 前が見えないと言っていた
そんな父親を持てるというのは とても素晴らしく思えた。
その後、3人は 涙を堪え ただ 頭を下げ続けました。
通夜が始まるので、仲の良い 女の子達と 手を取るように 席に座り 壇上にある写真をみて
「きっと ○さん あの写真を見てテレながら 毒づいてるわよね」と 泣かないように
そして お経を 静かに 聞き入っていました。
お通夜後 数人と ○さんが よく通ったお店を はしごして、訃報を 届けがてら
彼を 偲ぼうということになりました。
行ったお店 3軒
ホテルに帰ったときは、日が変わりそうな時間でした。
長いようで 短い一日・・・
享年 75歳 父親のように 私を気遣ってくれた 彼のような人は きっと他にはいない。。。
私のつぶやきを 聞いてくださった方々 ありがとう
私に 暫く 偲ぶ時間を下さい
今週は 長いようで短く感じ 過ぎ去った1週間でした
何故なら とても大事な そしてお世話になった方が亡くなりました。
そう 先月 お見舞いにいったM叔父さんが 亡くなったのです。
いつかは 来る そう思っていました
でも、先月元気な姿をみたせいか 安心してしまった私。
病魔は 急に 牙をむくんですね
神様は イジワルだ。。。
先月 お見舞いに行った時 抗がん剤が効き 上手く行くかも!と思ったし
本人は とても元気だった。
ところが、 夫が再度お見舞いに行ったら
再度抗がん剤を打つ為に 入院したばかりというのだが
酸素マスク その上 肺炎にかかっているという。
それを聞いた途端、 私は 目の前が真っ暗になったのは事実です。
でもね、とても元気印だった Mさん
抗がん剤を再度打つという病院の話が本当なら、 きっと 大丈夫!
そう思ったのもつかの間 翌日 彼は 天に召されました。
彼は 会社でも とても人望が厚く 毒舌でしたが 誰からも好かれる人。
若い頃は、 何かあると 家に呼んで 振る舞い酒をし 語る
老いても、その姿勢は変わらず 私達は 彼と話をしたいがために
北海道に訪れてたように 思います。
だって 彼の話は 楽しいだけでなく 人として必要な情を教えてくれるから。
夫が お通夜と葬儀に参列することは 決まってましたが なんせ 人望がある為
参列人数がハンパじゃない
その上 交通費の事色々の諸事情ゆえ、 私は「行きたい」とは 言えませんでした。
夫も 少し躊躇っていたみたいなのに
急に「君も 行くか?」と言い出しました。
そして 話し合っているうちに
「行こう! 後で 後悔したくない。とりあえず お通夜だけでも 夫婦で参列しよう」と言ってくれたので
ネットで すぐさま 飛行機を予約しました。
その日の 北海道は 快晴
予報ではそうだったのに、 夕方 お通夜が始まる前から 雨 そして 雷雨になりました。
夕方、祭儀場に 到着 やはり 会社関係の参列者で ごったがえしておりました。
そして 彼の息子さん(私と同年代)と 初めて会って 交わした言葉が
お悔やみの言葉とは・・・
しかし 3人が顔を合わせた途端 それまで 息子さんも気丈にいたのに
夫の一言 「夫婦共とも とてもお世話になって ・・・」と 切り出した途端
3人とも ほぼ同時に 涙が 滴り落ちたのです
下げた頭より 飛んでしたたる涙が 見える
3人とも 声が出せない いえ 出ない。
父親の葬儀前に 涙を流す息子さん 父は尊敬するには大きすぎて 前が見えないと言っていた
そんな父親を持てるというのは とても素晴らしく思えた。
その後、3人は 涙を堪え ただ 頭を下げ続けました。
通夜が始まるので、仲の良い 女の子達と 手を取るように 席に座り 壇上にある写真をみて
「きっと ○さん あの写真を見てテレながら 毒づいてるわよね」と 泣かないように
そして お経を 静かに 聞き入っていました。
お通夜後 数人と ○さんが よく通ったお店を はしごして、訃報を 届けがてら
彼を 偲ぼうということになりました。
行ったお店 3軒
ホテルに帰ったときは、日が変わりそうな時間でした。
長いようで 短い一日・・・
享年 75歳 父親のように 私を気遣ってくれた 彼のような人は きっと他にはいない。。。
私のつぶやきを 聞いてくださった方々 ありがとう
私に 暫く 偲ぶ時間を下さい
外来での実施と入院での実施がどう違うかは分からないけど・・・。
今ではそういうご本人さんやご家族さんと出くわすことがとっても多くなってきました。
仕事でも赤の他人さんであってもキツイ時もあるのに身近でそんなことがあったら本当にどんな悲しみだったかと思うわ。
「お別れが出来なかった」と後悔するよりは多少無理してでも言ったほうが良かったと私は思います。
きっとMさんも喜んでおられたのでは?
心からお悔やみを申し上げます。
こなつちゃんは そういう現場の中にいるので
大変だとホント いつも関心しております。
家族だったら…今から もっと覚悟が必要だと思ってます。
祖母達を見送った時は、陰で支えているうちに
時が過ぎたような気がする。
これからは北海道に行く旅には、どう向き合うか…
ちょっとまだ 辛いです。
う~~ん・・・。数年前の父の事を思い出して。
ホントに抗がん剤治療は本人にとって辛いようです。少し前は元気に見ててもあっという間に
悪くなってしまうんだから。
突然の雨もきっと亡くなった方が空でないていたのかも?
みんな、そんなに泣かないでくれ・・といいながら。
天国でもきっと人望が厚く、お仲間が沢山できるでしょうね。
どうか、安らかに・・・・
貴女こそ落ち着いた?
そうよね 本当に大変な時に貴女はお父さんを
亡くされてたね…
全然駄目です、私。
思い出すとどうしても 涙から離れられません。
これだと、自分の両親が亡くなった時
私は、どうしたらいいのか…今から考えないと
駄目かな。