神の沈黙を訴える。
以前にこのブログにも書いた、ベルイマンの「沈黙」
彼の沈黙三部作の一作「鏡の中にあるが如く」を観る機会にめぐまれた。
今回はこの作品を紹介していこう。
ストーリーを紹介しておこう。
別荘で過ごしているダビット一家。
父親のダビットと娘のカリン、息子のミーナス、そして娘の夫で医師のマーチン。
マーチンはカリンが精神病で、今後治る見込みがないことをダビットに話す。
そしてカリンはそのことを父親の日記を盗み見ることで知ってまう。
その日記の内容を見た彼女は、また精神病の発作に襲われる。
そして翌日、街に買い物にでた、ダビットとマーチンの留守の中、弟と二人になったカリンは、弟の衝動の中、関係を持ってしまう。
そのことにより、更に精神発作が悪くなったカリン、そして父親のダビットもそのことを知ることになるのだが.......
カリンは二階の部屋にあがり「あの方がもうすぐやってくる」と言う意味不明な言葉を発する。
そう「あの方」とは「神」のことである。
そして自分は解放され、幸せになれると彼女は信じている。
この映画は、以前紹介した「沈黙」と違い、セリフは通常の映画程度でてくる。
抽象化された表現も少なく、理解するにはさほど難しくはない。
そして、やはりカットの構図の素晴らしさは健在で、どのカットでもその構図の完璧さは驚嘆に値する。
神の救いを仰ぐカリンの悲しさは、観る者の心を痛めるであろう。
また、娘と息子の関係を知ってしまった父親は、最初こそ激高するが、最後には息子を許してしまう。
このあたりの描き方は、父親のやさしさと言うよりも、完全に崩壊してしまった「家族」への諦めとも受け止められる。
そう、この家族の行く末は、どうなるのか想像に難くない。
一家族の崩壊を描きつつ、神不在を問うたこの作品、是非観ていない方には観ることをお勧めする。
1960年、スエーデン製作、カラー、89分、監督:イングマール・ベルイマン
以前にこのブログにも書いた、ベルイマンの「沈黙」
彼の沈黙三部作の一作「鏡の中にあるが如く」を観る機会にめぐまれた。
今回はこの作品を紹介していこう。
ストーリーを紹介しておこう。
別荘で過ごしているダビット一家。
父親のダビットと娘のカリン、息子のミーナス、そして娘の夫で医師のマーチン。
マーチンはカリンが精神病で、今後治る見込みがないことをダビットに話す。
そしてカリンはそのことを父親の日記を盗み見ることで知ってまう。
その日記の内容を見た彼女は、また精神病の発作に襲われる。
そして翌日、街に買い物にでた、ダビットとマーチンの留守の中、弟と二人になったカリンは、弟の衝動の中、関係を持ってしまう。
そのことにより、更に精神発作が悪くなったカリン、そして父親のダビットもそのことを知ることになるのだが.......
カリンは二階の部屋にあがり「あの方がもうすぐやってくる」と言う意味不明な言葉を発する。
そう「あの方」とは「神」のことである。
そして自分は解放され、幸せになれると彼女は信じている。
この映画は、以前紹介した「沈黙」と違い、セリフは通常の映画程度でてくる。
抽象化された表現も少なく、理解するにはさほど難しくはない。
そして、やはりカットの構図の素晴らしさは健在で、どのカットでもその構図の完璧さは驚嘆に値する。
神の救いを仰ぐカリンの悲しさは、観る者の心を痛めるであろう。
また、娘と息子の関係を知ってしまった父親は、最初こそ激高するが、最後には息子を許してしまう。
このあたりの描き方は、父親のやさしさと言うよりも、完全に崩壊してしまった「家族」への諦めとも受け止められる。
そう、この家族の行く末は、どうなるのか想像に難くない。
一家族の崩壊を描きつつ、神不在を問うたこの作品、是非観ていない方には観ることをお勧めする。
1960年、スエーデン製作、カラー、89分、監督:イングマール・ベルイマン
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