「寒川神社って相模国一之宮なんでしょ?行こうか」と声をかけてくれたので行ってみました。
私は6年ほど前に同い年の友達の結婚式で一度行ったことがあります。
MIFさんは初めてとのことです。
同じ県内にある神社ですが、私は高校生になるまで寒川神社も、その最寄りのJR相模線も存在を知らなかったので、ご縁が無かった地域です。
でも学生時代の先生方の中には、寒川町史の編纂に関わった方がいらっしゃいました。
簡単にいうと相模武士の研究に関われば、外せない地域と言えます。
トップ写真は神社の本殿です。
いつも通り狛犬ちゃんたちです。
年代は確認しませんでしたが、昭和(戦後)か平成のデザインだと思います。
口は阿吽(あうん)の形で、吽像(ほぼ向かって左側)は、口から牙が見える程度の事が多いのです。
しかしこちらの像は上の前歯が見えています。
あまり多くないタイプなので、珍しいなと思いました。
こちらは門です。
木造建築なのですが、細かな彫り物が少ないのにはちょっと驚きました。
私はこの彫り物を見るのが楽しみの1つなのですが、やはり土地柄として鎌倉仏教の影響が少なからずあったのかな?と。
方位盤と混天儀(ほういばんとこんてんぎ)。
説明板では寒川神社が全国唯一の八方除(はっぽうよけ)の神社と書かれていました。
厄除けはよく聞いてきたのですが、八方除がそんなに珍しいとは知りませんでした。
境内にあった君が代の歌碑。
楽譜付きの石碑は初めてみました。
古今和歌集の詠み人知らずの歌から作られているので、世界最古の歌詞を持つ国歌だそうです。
旋律は宮内庁雅楽課が考えたのですが編曲はドイツ人なので、お雇い外国人の手を借りなければ、現在の旋律では無かったと言えます。
さて歌碑では歌詞の終盤でくずし字になっていました。
「苔のむすまで」の表記は「苔乃む寿萬で」。
君が代は、天皇の弥栄(いやさか)をお祝いする歌なので、文字の選び方もそれに準じているのかな?と思いました。
ちなみに「君が代」が国歌になったのは1999年ですから、まだ21年ほどです。
彬姫桜(あきひめさくら)という桜を初めて知りました。
彬子さま(故寛仁殿下のお子さま)のお手植えだそうです。
境内の露店で酒まんじゅうを買って食べました。
私は「相州名物酒まんじゅう(そうしゅうめいぶつさかまんじゅう)」という言葉を知っていたので、それほど珍しいとは感じませんでしたが、MIFさんは知らなかったそうです。
たしか相模原市から大和市辺りの名物だったように思います。
酒粕の風味がほのかにするお饅頭です。
大きさは写真では分かりにくいのですが、土産物の温泉まんじゅうより少し大きいくらいです。
わが家から寒川神社までは、以前は少し遠かったのですが、東名高速道路から圏央道を使うと片道45分くらいです。
意外と近く感じました。
それと急に寒くなった2月の平日なのに参拝者が意外と多くて、私が思っているよりも信仰者が多いのかもしれません。
MIFさんは車に貼る寒川神社の御守りを購入していたのにはちょっと驚きました。
私はMIFさんのことを信心深い性格ではないと思っていたからです。
八方除に御利益がある神社さんなので、あやかろうとしたのかな?と。
今回はMIFさんの「フラッとドライブに出かけたい欲」を満たすために立ち寄ったので、なんの計画性もなく出かけたました。
そのため参拝だけして帰宅しました。
でも昔はさぞかし田んぼの中に突如として現れる鎮守の杜だったのだろう、と思うような場所なのには意外性がありました。
圏央道の寒川北インターチェンジは、寒川神社のためにできたのかな?とも。
今日もちょっと遠くまでドライブに連れて行ってくれて、MIFさんありがとうございました。