パワーフォワードというポジションは元来、目立つポジションではない。チームの汚れ役を一手に担う。90年代、そんな選手の代表格がチャールズ・オークリーだった。彼はニックスのイメージが強いがキャリアのスタートはブルズだった。当時はマイケル・ジョーダンがまだ若手で、しかも点を取りまくる故に、ラフプレーのターゲットになりやすかった。そんな時はオークリーの出番である。ラフプレーをした相手に強烈なスクリーンをかまし「マイケルに手を出すんじゃねえ」と言って凄んだという。
また同じく若手で精神的に脆かったスコッティ・ピッペンにもいろいろアドバイスを送るなど、後にNBA最高のコンビとなる2人の良き兄貴分だった。
だがホーレス・グラントを獲得し、純粋なセンターを欲したブルズのフロントはナント、ニックスのビル・カートライトとのトレードに踏み切る。この時、ジョーダンは「なぜオークを(トレードで出すんだ)…」と憤慨したという。
オークリーのそのハードワークはニューヨークのファンの心をつかみ「ニックスのハート&ソウル」とまで言われるようになった。チームのエースのユーイングからは「彼がチームを去るならオレも去る」と言わしめるほど、チームメイトの信頼は厚かった。
だが90年代はジョーダンの全盛期。優勝を果たすことはできず、98年にはチームの若返りの方針ともと、マーカス・キャンビーとのトレードでラプターズへ。今度はヴィンス・カーターの番人となった。その後、ブルズ、ウィザーズ、ロケッツとチームを転々とし2003-04シーズンを最後に引退。決して華やかなプロ生活ではなかったが、そのチームへの献身性は評価されて然るべきである。最近の若手プレイヤーは自身が目立つことばかり考えているように見えるのでオークリーの献身性を見習ってほしいものだ。
また同じく若手で精神的に脆かったスコッティ・ピッペンにもいろいろアドバイスを送るなど、後にNBA最高のコンビとなる2人の良き兄貴分だった。
だがホーレス・グラントを獲得し、純粋なセンターを欲したブルズのフロントはナント、ニックスのビル・カートライトとのトレードに踏み切る。この時、ジョーダンは「なぜオークを(トレードで出すんだ)…」と憤慨したという。
オークリーのそのハードワークはニューヨークのファンの心をつかみ「ニックスのハート&ソウル」とまで言われるようになった。チームのエースのユーイングからは「彼がチームを去るならオレも去る」と言わしめるほど、チームメイトの信頼は厚かった。
だが90年代はジョーダンの全盛期。優勝を果たすことはできず、98年にはチームの若返りの方針ともと、マーカス・キャンビーとのトレードでラプターズへ。今度はヴィンス・カーターの番人となった。その後、ブルズ、ウィザーズ、ロケッツとチームを転々とし2003-04シーズンを最後に引退。決して華やかなプロ生活ではなかったが、そのチームへの献身性は評価されて然るべきである。最近の若手プレイヤーは自身が目立つことばかり考えているように見えるのでオークリーの献身性を見習ってほしいものだ。
カーターとマグレィディが仲違いしていた時に、取り持ったのも彼でしたね。「おまえと話したい奴がいる」とかいって、マグレィディからの電話を渡すなんてオークリーぐらいしかできないでしょうね。
そのカーターは今季はグリズリーズですか。すっかりジャーニーマンとなってしまいました。コービーと比較されてた時期が懐かしい…。