休日を利用してドライブ
久々に地元・佐倉市にある岩名運動公園に行ってきた。
まずは思い出の地・岩名第2球場へ。ここは少年野球をやっていた時によく試合をした球場で、6年生最後の大会・長嶋茂雄杯で優勝したのもこの球場。サヨナラ勝ちしてみんなで喜んだことは今でもはっきりと覚えている。
1塁側には200人くらいの人が座れるスタンドがあったが、いつの間にかなくなっており、ご覧のように、こじんまりとした椅子があるだけである。
広場ではお年寄りがラウンドゴルフをやっていた。最近のお年寄りはゲートボールはやらないそうだ。というのもゲートボールは敵のボールを弾いたりして妨害できるルールがあり、対戦相手との間にしこりができやすく、それが原因でトラブルになるケースが増えているとのこと。また団体戦(チーム戦)のためミスした人がリーダーから責められることもあるらしく、それが嫌でゲートボールをやらない人が増えたとこの前、テレビで放送していた。
いつの間に人工芝のサッカー場ができていたことは知っていたが、初めて見た。この日は高校生が練習試合をしていた。
国内4校目のACミランスクールはこの地で練習が行われている。未来の本田が佐倉から生まれるか?
以前は岩名第1球場だったが、長嶋茂雄さんが国民栄誉賞を受賞してからは長嶋茂雄記念岩名球場と名前が変わった。
両翼92メートルの球場で私が小学生の頃は巨人の2軍戦が行われてスタンドで観戦した。当時ルーキーの水野雄仁が見れた時はうれしかった。小学生時代、この球場でも試合をしたが、あまり好きではなかった。というのも子供には広すぎて、例えばランナー1塁で投手がワイルドピッチをするとランナーが一気に3塁まで進むケースがあったからだ。
最後は陸上競技場。ここでの思い出は小学5年生の時のクラス対抗リレー。私は第3走者だったのだが、第2走者からバトンを受け取る際にミスをしてしまい、予選敗退となってしまった。アンカー(第4走者)は学年で1番の俊足だったので、ミスさえなければ準決勝に進出できていただけに悔やまれる。今となっては苦い思い出だ。
この岩名の地には私の少年時代の喜び・悲しみ・悔しさが染みついているのだ。
久々に地元・佐倉市にある岩名運動公園に行ってきた。
まずは思い出の地・岩名第2球場へ。ここは少年野球をやっていた時によく試合をした球場で、6年生最後の大会・長嶋茂雄杯で優勝したのもこの球場。サヨナラ勝ちしてみんなで喜んだことは今でもはっきりと覚えている。
1塁側には200人くらいの人が座れるスタンドがあったが、いつの間にかなくなっており、ご覧のように、こじんまりとした椅子があるだけである。
広場ではお年寄りがラウンドゴルフをやっていた。最近のお年寄りはゲートボールはやらないそうだ。というのもゲートボールは敵のボールを弾いたりして妨害できるルールがあり、対戦相手との間にしこりができやすく、それが原因でトラブルになるケースが増えているとのこと。また団体戦(チーム戦)のためミスした人がリーダーから責められることもあるらしく、それが嫌でゲートボールをやらない人が増えたとこの前、テレビで放送していた。
いつの間に人工芝のサッカー場ができていたことは知っていたが、初めて見た。この日は高校生が練習試合をしていた。
国内4校目のACミランスクールはこの地で練習が行われている。未来の本田が佐倉から生まれるか?
以前は岩名第1球場だったが、長嶋茂雄さんが国民栄誉賞を受賞してからは長嶋茂雄記念岩名球場と名前が変わった。
両翼92メートルの球場で私が小学生の頃は巨人の2軍戦が行われてスタンドで観戦した。当時ルーキーの水野雄仁が見れた時はうれしかった。小学生時代、この球場でも試合をしたが、あまり好きではなかった。というのも子供には広すぎて、例えばランナー1塁で投手がワイルドピッチをするとランナーが一気に3塁まで進むケースがあったからだ。
最後は陸上競技場。ここでの思い出は小学5年生の時のクラス対抗リレー。私は第3走者だったのだが、第2走者からバトンを受け取る際にミスをしてしまい、予選敗退となってしまった。アンカー(第4走者)は学年で1番の俊足だったので、ミスさえなければ準決勝に進出できていただけに悔やまれる。今となっては苦い思い出だ。
この岩名の地には私の少年時代の喜び・悲しみ・悔しさが染みついているのだ。
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