日本野球機構(NPB)が監督・コーチ・選手計858人にアンケートを行った結果、「最高の試合」に選ばれたのは「国民的行事」と名付けられた1994年10月8日の中日ー巨人戦。
一方で「名勝負・名場面」の部門の1位は昨年のパリーグのCS第2ステージの第1戦でスレッジが放った逆転サヨナラホームランが選ばれた。
でMAKOTO的には「名勝負・名場面」を一つ取り上げると、
これは私情がもろに出るのだが、やはり1995年10月8日に行われた原辰徳の引退試合だろう。
ONを知らない昭和50年生まれの私にとって原さんはヒーローだった。
もちろんアンチの人もいろいろと言ったかもしれないが、今のようにJリーグといった娯楽が他になかったので、皆がこの人に感情移入していたと思う。
1995年は確か9月の上旬に延長15回引き分け。当時の制度で引き分けは再試合になるので、その試合が10月8日に組まれた。
チケットの発売は9月中旬。巨人ファンの間では「この試合が原の引退試合になるのでは」と噂されていた。
この年はヤクルトから広沢、ハウエルと役立たず2人が加入。おかげで原さんの出番は減り、ベンチを温める日々が続いた。
「まだやれる。引退なんてありえない」という思いもあったが、「でも現実的には引退だろうな」と思い、10月8日のチケットを手に入れた。
9月下旬にヤクルトの優勝が決まった翌日、引退が発表された。
10月8日当日。その日のドームは異常だった。
まずは駅を降りた瞬間から。ダフ屋の数が尋常じゃなかった。
そしてドームの中に入っても。原さんはグラウンドに出るとカメラのフラッシュの雨。あんなの初めて見た。
そして試合。私は第2打席で原さんの応援歌を歌いながら声を詰まらせてしまった。
「もう、今日で歌うのは最後なのかと」
そして第3打席。
広島・紀藤のストレートを捉えると、これがナント左中間へホームラン。
ドームは壊れるんじゃないかというくらいに、大歓声に揺れた。
すごい、すごすぎる。自分が子供の頃から憧れていた人はホントに偉大で尊敬できる。これからも、この人についていこう
と決心した日でもあった。
引退セレモニーも立派でした。
「私の夢には続きがあります。その言葉を約束して、今日、引退します」
あれから15年。
しっかりと夢の続きを見させてもらってます。これからも応援しますよ。
一方で「名勝負・名場面」の部門の1位は昨年のパリーグのCS第2ステージの第1戦でスレッジが放った逆転サヨナラホームランが選ばれた。
でMAKOTO的には「名勝負・名場面」を一つ取り上げると、
これは私情がもろに出るのだが、やはり1995年10月8日に行われた原辰徳の引退試合だろう。
ONを知らない昭和50年生まれの私にとって原さんはヒーローだった。
もちろんアンチの人もいろいろと言ったかもしれないが、今のようにJリーグといった娯楽が他になかったので、皆がこの人に感情移入していたと思う。
1995年は確か9月の上旬に延長15回引き分け。当時の制度で引き分けは再試合になるので、その試合が10月8日に組まれた。
チケットの発売は9月中旬。巨人ファンの間では「この試合が原の引退試合になるのでは」と噂されていた。
この年はヤクルトから広沢、ハウエルと役立たず2人が加入。おかげで原さんの出番は減り、ベンチを温める日々が続いた。
「まだやれる。引退なんてありえない」という思いもあったが、「でも現実的には引退だろうな」と思い、10月8日のチケットを手に入れた。
9月下旬にヤクルトの優勝が決まった翌日、引退が発表された。
10月8日当日。その日のドームは異常だった。
まずは駅を降りた瞬間から。ダフ屋の数が尋常じゃなかった。
そしてドームの中に入っても。原さんはグラウンドに出るとカメラのフラッシュの雨。あんなの初めて見た。
そして試合。私は第2打席で原さんの応援歌を歌いながら声を詰まらせてしまった。
「もう、今日で歌うのは最後なのかと」
そして第3打席。
広島・紀藤のストレートを捉えると、これがナント左中間へホームラン。
ドームは壊れるんじゃないかというくらいに、大歓声に揺れた。
すごい、すごすぎる。自分が子供の頃から憧れていた人はホントに偉大で尊敬できる。これからも、この人についていこう
と決心した日でもあった。
引退セレモニーも立派でした。
「私の夢には続きがあります。その言葉を約束して、今日、引退します」
あれから15年。
しっかりと夢の続きを見させてもらってます。これからも応援しますよ。
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