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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

新徴組

2020年10月14日 16時45分24秒 | 読書・歴史


無難第一を決め込むつもりだった沖田総司の義兄・林太郎は、酒井吉之丞との出会いにより、時代の渦に飲み込まれていく…。
最新鋭の洋式軍となって鶴岡を戦火から守った新徴組の軌跡を描く。『山形新聞』等掲載を単行本化。


そもそもが草莽(そうもう)の士に過ぎないのだ。
もう江戸じゃ、神様、仏様、清河さま、浪士さまち、それくらいの勢いだ。

「(沖田)総司が尋常じゃないんだ。ありゃ、鬼ですよ。おに。
ひとたび剣を取らせたら、文字通りに豹変しちまう・・・」

清河八郎は死んだ。
泥酔で絵に描いたかの闇討ちだった。
遺体には肩からの大きな刀傷があったという。
ために首は半ば断ち斬られた格好で、胴から離すに難儀するまでもなかった。

以後、新徴組は庄内藩御預かりになるだと。
庄内藩は鶴岡を主城として、石高にして14万3千石、会津28万石にも及ばない。
庄内藩主は酒井忠篤(ただずみ)という。
庄内藩は徳川譜代中の譜代。
水戸脱藩浪士によれば、こうなる。
「井伊掃部頭(かもんのかみ)と同じ穴の狢(むじな)だぞ」
「安政の大獄」「桜田門外の変」

庄内藩士というのは、とくかく喋らない連中だった。
むっつり口を噤(つぐ)んだまま、だんまりも徹底されると気味が悪いくらいで、
それこそ音なしの幽霊が歩いているかと思うほどだ。

「しかし、だ。唯々諾々:いいだくだく:と受けたのでは・・・」

「小器用な秀才を横並びにしてみせることではない。馬鹿と紙一重の天才をこそ、晴れて成り立たせるというのが、
我らが致道館の良き学風ではないか」

宥める(なだめる)
干戈(かんか)を交える運びにはならなかった。
「魑魅魍魎(ちみもうりょう)が通りを跋扈(ばっこ)する体というか、とにかく一筋縄ではいかないんです」

宮川勝五郎→島崎勝太→近藤勇 「かつ」

「それだから、もっともらしい言葉はいけないというんです。横着することになるからです。
自分が正しいのだと唱え、もって相手をけなしたところで、自分が高まるわけじゃない。
相手を低くみているだけだから、自分はひとつも変わっていません」

鶴岡近辺の天領の、大山、丸岡、余目、由利と与えられて、いまやみちのく出羽に17万石を占める大身である。

一騎当千の豪の者ばかり

新徴組を知らぬ者などいない。
庄内藩が江戸の町に繰り出して、何用なのかと問われることもなくなった。
毎日、ぐるぐる、ぐるぐる、江戸を巡回するからだろう。
「おまわりさん」などという、新しい言葉が生まれていた。

京の新撰組のように「壬生浪(みぶろ)」と恐れられたいとはいわないながら、
もう少し厳しい呼び方はなかったのかと、それが苦笑の理由だったが・・・
「おまわりさんが通るからには稼ぎどきだぜ」
「安心して品物を広げられるのは、今だけなんですからね」

庄内藩てところは、意外に気前がいいからな。

無灯(無燈)禁制の触れに反して、提灯も持たない様子なので・・・

慮外千万
今や新徴組と庄内藩は一蓮托生の体である。
話は沽券(こけん)にかかわる

庄内藩が調達したのは、ミニエー銃と呼ばれる代物だった。
「ミニエー」というのは弾丸の種類のことで、ゲベール銃より遥かに使いやすかった。
狙いがつけやすいのだ。

「しかし、そんなことをしても薩摩は斟酌(しんしゃく)しない・・・」

薩摩示現流(じげんりゅう)

「六師応援の儀」
大江戸八百八町に通暁している。

「庄内竿ていっての、このへんで取れる苦竹(にがだけ)で拵(こしら)えだものや」
改めて新徴組が収容されたのは、南西の方向に2里ほど離れた、湯田川という湯治場だった。
ひっそり鈴かな山間の湯治場で、物音はといえば、冗談でなく雉が鳴く声くらいだった。
なんの因果で、こんな辺鄙な湯治場に・・・。
どっこい、庄内は悪くねえや。なんたって飯がうめえ、んでもって、また酒がうめえ。
庄内弁で「クロテ」というのは、黒鯛のことらしかった。
「武士たるもの、黒鯛しか釣らいねもんだ。なに構わず上げんなは、乞食釣りっていっての、・・・。」
「庄内藩士の釣りは武士の嗜(たしな)みださげの」
魚拓の発明も庄内由縁である。
庄内藩で発明された記録法は、近年他領にも広まりつつあるという。

奥羽鎮撫総督府・奥羽鎮撫軍
寒河江と柴橋:幕府天領に置かれた代官所の名前である。所轄の石高は、合わせて7万4千石に上がる。
徳川宗家から新整組の労に報いるため、庄内藩の預け地にするというものだった。
要するに7万4千石を庄内藩にくれてやるというのだ。
寒河江・柴橋は鶴岡から「六十里越え」と呼ばれる山道で、月山を向こう側に抜けるだけという近隣である。
天領を分けるもなにも、それはすべて朝廷に没収されたもの。
いってみりゃ、庄内藩は官軍の兵糧を強奪したも同然なんです。
朝敵と呼ばれるよう、自分で仕向けたようなものなんです
「ばれだが。庄内竿は滅多に逃がさねあんどものう」

そういえば、女房のミツも零(こぼ)していた
「鶴岡じゃ、誰かの紹介がないと、糸ひとつも買えやしない」
鶴岡の店々には客を歓迎する素振りがない。
それどころか、泥棒でもみるような顔をする。
●●さんに教えられて来ましたのでの一言で、それが十年来の得意先を迎えたかのように一変するというのだ。

庄内藩は単純計算で千丁の最新式ミニエー銃を調達した計算になる。
「庄内藩というのは、やっぱり金持ちなんですねえ」
「んだ、金だばある」
「うめもんは、おらだでく(うまいものは自分たちで食べる)」
「食い物さ困らねば、金なの要らね」

「さっき金ならあるって言ったんですよ」
「鶴岡さは、ね」
「じゃあ、どこに金があるというんです」
「酒田さ、ある」
もしや、酒田ってえのは、「西の堺、東の酒田」と謳われる、あの酒田のことなんですかい。
「その酒田さ、本間家でゅうなあっての」
なんでも日本一の大地主だとか。
「たいそうな儲け出してんなや」
「商人から好きに絞り取るのはおかしい。どんな名目で取り立てるにせよ、です」
「酒田の衆は嫌だなんていわねえもの」
「鶴岡は、こういうどきのためにある。武士でゅなはな、そういうもんだ」
「ご心配なく、酒田の本間光美(こうび)ですが、今回は十万両ほど出すそうです」

幅を狭く剃り上げた月代(さかやき)は・・・

清川の関所には村落もある。村人たちとの協力で、官軍迎撃の段取りも組まれた。
舟を用いての侵攻を阻むために、最上川の川底には鎖が張られ、船底を絡める工夫が施された。
川沿いの一本道、いうところの新庄街道には、方々の崖に岩石を運び上げ、いつでも敵の頭上に投げ落とせるようにした。

庄内掃討の兵団を発見したのは、清川村の農婦だった。
早起きして洗濯に励もうとしたところ、村を見下ろす高台に砲列が組まれていたという。
官軍は夜中の行軍に訴えて、布陣を済ませたようだった。

「鶴岡さ運ぶなが、んだ、清川村ではやじゃがね(駄目だな)。とでも養生などできね」

「ええ、清河八郎こと、斉藤元司の父親でございます」
そうなのかい、清川村ってえのは、清河八郎の地元なのかい。
あの御仁は「川」の字だけ「河」に替えて、江戸での名乗りに用いてたってことなのかい。
にしても、よりによって清河八郎が生まれた村で、戦が始まってしまうとは・・・。
なあ、清河先生、これは先生の差し金ということなのかい?

立谷沢川・腹巻岩

「いいなだ。鉄砲なの、いらね。とんと当だらねもの」
お誂(あつら)え向きの的
「凄えや、スナイドル銃ってなぁ」
「いや、まだ余ってましての。せっかく拵(こしら)えだもんださけ、もったいなぐ思いましての」

長州藩・世良修蔵事件
「奥羽皆敵と見て逆撃の大策に致したい」
官軍下参謀ともあろう男を捕らえて、斬首に処し、これで奥羽列藩会議は後戻りできなくなった。

暖簾に腕押しみたいな倅だが・・・

いいかえれば、北斗七星は向かう先に死をもたらす。
これが戦に伴えば、ことごとく敵を屠(ほふ)り捨てる。
ゆえに北斗七星のは、別に「破軍星」の名前があった。


それが証に破軍星旗を掲げているのだ。

血腥い(ちなまぐさい)
惚ける(とぼける)
情に絆される(ほだされる)
ふつふつ滾(たぎ)るものが生まれた

横手城は朝倉城とも呼ばれる
古くから朝倉山に要害

庄内藩は速やかに動き始めた。撤退戦こそ最も困難な芸当なのだと。

「おはん、大丈夫でごわすか」
「おかげで剣客も多かいわれちょいもす」
「でごわすな。さすがの薩摩隼人も庄内藩が相手では、さんざの負け戦でごわした」

「敗残の将を直視することはしない。
庄内藩は貶められるべきではないと、それが薩摩の結論だったのでしょう」

「全て西郷先生の御指示でごわした」
だって、庄内藩は強いもの。
こんな惚けた顔してるくせに、戦となったら馬鹿みたいに強いもの。

あの局面で庄内藩に窮鼠猫を噛むと、やられたくはないはずだった。






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