明治9年。沖田総司の甥で天然理心流の遣い手である芳次郎は、西郷隆盛の警護を命じられる。
死闘を重ねるうち、人には力に勝る強さがあることを知る-。
最後のサムライたちを描く時代長篇。『波』連載に加筆・修正し単行本化。
1968年山形県生まれ。山形大学卒業。東北大学大学院で西洋史学を専攻。作家。
「ジャガーになった男」で小説すばる新人賞、「王妃の離婚」で直木賞受賞。他の著書に「傭兵ピエール」など。
「実際のこつ、好き嫌いの激しか性分にごわす。
庄内の方でもなければ、お会いせんかったところじゃった」
官軍を鶴岡城下に進駐させたとき、西郷は万事寛大をもってなすよう命じた。
藩主酒井忠篤(ただずみ)の謹慎で終わらせて、官軍の兵士にも一切の乱暴狼藉、破壊略奪を許さなかった。
戦後の処分も、藩主酒井忠篤の隠居、その実弟忠宝(ただみち)の相続による御家存続、17万石から12万石への減封、
30万両の政府献金と軽いもので、また他領への転封も免ぜられた。
皆が納得したわけではない。長州、土佐、肥前は厳罰を唱えたし、薩摩藩の中にも異論はあった。
それでも西郷は譲らなかった。
「武士がいったん兜を脱いで降伏したうえは、後の事はみらんもんでごわす。
もしまた叛逆したらば、また来て討伐すればよか。なんも心配するに及ばん」
「じゃっどん、今のおいは、ただの『武村の吉』でごわんど」
「そのせつはお世話になりもした。越後屋さんを紹介していただき、助かりもした」
従僕を二人だけ連れ、日本橋小網町の自宅を出てしまうと、隠れていたのが小梅町にある深川越後屋の別荘だった。
横浜で鹿児島行きの船に乗るまで滞在したが、その越後屋というのが旧庄内藩の御用達だった。
その別荘というのは、在京の庄内士族に融通された場所なのだ。
その庄内士族の中心人物が、酒井玄蕃(げんば)である。
「じゃっどん、玄蕃殿、おはんまで退官することはごわはんじゃった」
「ほんのこつ、退官などせんでよかとでした。静岡と庄内のことは頼むち、きちんと黒田に頼んできもしたし」
「征韓などもってのほか。こまちよくなかこつでごわす」
「おいが征韓、つまり朝鮮を攻めるべしと唱えたわけではありもはん」
「いきなり兵隊を送るごだる真似は、それ自体が火種になりもす」
「おいが殺されでもしたら、そんときはじめて戦争にすればよかとです」
首を傾げたのは旧幕臣の彰義隊を殲滅させたあたりからだった。
気がつけば会津も問答無用の破壊と殺戮の犠牲になっていた。
庄内だけでもと救済に動いたのは、あるいは悔悟の念が働いたからかもしれない。
「戦争というのは、ロシアの話でごわす」
「畢竟ロシアとは戦争になりもす。これは戦争で決着をつけるしかありもはん」
「樺太に収まらず、北海道まで危ういやもしれもはん。」
「札幌のあたり、西蝦夷は幕政の時代は庄内領でしたからね。ええ、明治2年まで警備の兵を置いていました。」
「不凍港を手に入れるのが、氷の国ロシアの悲願じゃっで」
「正直不安でごわす。じゃっで、世界一の海軍国イギリスと組むとでごわす」
「橋本(左内)さあは、それならロシアと結ぶべきじゃいうちょりましたが、おいはイギリスじゃと思いもす」
「いかにも、大陸でごわす。朝鮮問題は上手く処理して、そのあとポシェット湾のほうから陸の奥に進んでいき、
ロシア兵を駆逐する。そいが、おいが政府に上げた戦略でごわした。」
「岩倉公に確かめもすと、そうだち返され、じゃったら、おいは退くしかなかなって、そいで事別れでごわす」
「そげなところにおっても、ほんのこつ仕方なか。そいも、おいが鹿児島に退いた理由でごわす」
長州人・山縣有朋の公金流用事件
京都府参事・槙村正直の職権乱用での裁判
元大蔵大輔・井上馨の尾去沢鉱山事件
佐賀の叛徒を処分するに、拙速の断は避けよ。
東京に拘引して、正式な裁判にかけ、なるだけ寛大な措置に留めよと。
つまり江藤新平に情けをかけろと。
非情の処分を下された輩をみれば、もう政府に逆らおうなどとは考えなくなる。
そのための、みせしめが必要だ。それが、こたび佐賀県なり、江藤なりに与えられた役割なのだ。
「いえ、どうやら江藤は鹿児島へ向かったようです」
明治6年の政変のあと、最も警戒すべきは、いうまでもなく鹿児島県だった。
庄内藩~~今は酒田県を称する、やはり難治県のひとつと接触していた。
なお、大久保が神経を尖らせるのは、この庄内がかねて西郷と結びつき、鹿児島と意を通じさせていたからだった。
これに庄内の士族が立ち上がるなら、もはや絶望的である。
小藩といいながら、背後で動かれれば厄介なのである。
兵力を西に集中できなくなる。
そのこと以上に怖いのは、庄内が立つことで、薩摩の動きが薩摩だけの動きでなくなることだった。
我も薩摩に続け、庄内に遅れるなと、続々決起しないとも限らない。
旧庄内藩の城下鶴岡には、密偵も潜入させていた。
大久保はビスマルクを意識して伸ばしている見事な髭を何度か撫でた。
「捕らえた江藤は東京ではなく、この佐賀へ連行せよ。早急に処分する」
「船は出しもそ。じゃっどん、東京行きじゃなか」
「今の政府はおかしか。正気を取り戻すときを、待たないとなりもはん」
「駄目でごわす。琉球じゃっち、うまく身を潜めていられるか、約束の限りではありもはん」
「そげなこと、できまっせん。ほんのこつ、はしたなか」
松ヶ岡開墾場・・・ここは、どんな余所者も寄せ付けたことがない。開墾を隠れ蓑に、武士団を維持する術でもあったからだ。
アームストロング砲、スナイドル銃、シャープス銃といった新式の銃
狙撃には照準に目盛りが付いたウィットウォース銃、連射なら一度に7発入れられるスペンサー銃と、
用途に応じて使い分けられるようにもしてある。
「蝦夷が島」明治7年・屯田兵制度
護照:パスポート
玄武丸
「庄内に密偵を送ると、滅多に帰ってこないって、政府では有名な話でした」
「探索できて重畳(ちょうじょう)でした」
「いえ、それまた僥倖(ぎょうこう)ですよ」
大きく紅蓮(ぐれん)の光輪に成長する様だった。
西郷どん、おはん、陸軍大将じゃから、今度こそ総大将やってたもんせ。
庄内の輩は厄介だ。何かあるたび、いちいち神経を擦り減らされる。
本当なら戊辰の役で破滅していたはずの連中だ。ここいらで大人しくなってもらわなければならない。
なかんずく危険な男には、そろそろ消えてもらわなければならない。
西郷、おはんは敵じゃ。
大久保は腹に決意を確かめた。ああ、西郷、まずはおはんじゃ。
~~吉野開墾社~~
「庄内の方からみても、大仕事とみえもすか。松ヶ岡を拓いた実績をお持ちじゃのに」
ワッパ騒動
「いかにも、そげんでなければなりもはんあ」
「庄内では酒田県は廃され、近く鶴岡県になります。県庁も昔の城下の鶴岡に移されるそうです」
「かわりに三島通庸(みちつね)という方が、県令になられました。」
「その三島は薩摩の者でごわす」
「大久保公の側近ということですな」
「鹿児島県でも、いつ士族が解職されるか知れもはんな」
松本十郎
「屯田兵こそロシアに対する備えになりもんそ。日本の運命がかかっちょるちいうともよか。
じゃかい、まず北海道でごわす。」
「あのまま開戦してしもたら、日本は大火傷するところでごわした。
まこち大変なことになるところでごわした」
「鹿児島に討たるるべき罪ありてお討ちなさるなら、是非お討ちなさい。急度戦いもんそ」
陸蒸気(おかじょうき)
「江華島事件」「軍艦雲揚」
扱き下ろす(こきおろす)
桐野利秋:中村半次郎:人斬り半次郎:は左の中指と薬指がない。
「とても評判よかですね」
「うちの弟もずいぶん騒いじょりもした」
「ないごて、わかるとですか」
「鹿児島でも語られちょいもす」
「肺病いうとは、ほんのこつ恐ろしかものですね」
~~第二部西郷暗殺~~
明治9年6月12日、大久保利通は鶴岡県を訪ねた。
明治天皇による東北巡幸の計画があった。それにさきがけ、自分がまず東北巡察の旅に出たのだ。
内務省で計画中の目玉、栃木県那須野開拓、福島県安積野開拓、青森県三本木原開拓については、
是非にも実地に検分しなければならなかった。
「朝暘(ちょうよう)学校でございます。」
、1876年(明治9年)に県令三島通庸の命により現在の鶴岡市役所の敷地内に建設された洋風瓦葺3階建ての学校のことである
「山形県境の月山から上がります朝日が、まっすぐ降り注ぎます立地から、朝暘学校と命名いたしました。」
「全42教室、生徒総数1200名を数えますれば、現下日本一の規模となります」
「これから向かいまする赤川も、来年には三川橋という大橋を架ける計画です」
「その松ヶ岡開墾場をみたい」
大久保の本音をいえば、松ヶ岡の視察こそ鶴岡巡察の、いや、東北巡察の最大の目的であるといっても過言でなかった。
庄内は今も臨戦態勢だと、岩倉や大隈は、かねて声高に非難していた。
いずれにせよ、庄内鶴岡は潜入させた密偵が帰らない土地なのだと、それが政府内の定評だった。
松ヶ岡の視察は、翌日の6月13日になった。
「そうか、庄内は養蚕がさかんな土地であったか」
「熊谷県から60万本の桑の苗木を持ってきました」
生糸は日本の最大の輸出品で、輸出の4割から5割まで占められていた。
思えば「茶」も輸出品で、全体の2割から3割を占める
庄内に限らないが、まず金が欲しいから、これら作物を栽培する。
生糸や茶なら、外国にいくらでも売れる。
松ヶ岡の開墾とは、これだったか。帰農といって、米麦を作るのでなく、
貿易を通じて巨額の富を得ようという算段だったのか。
徳川家が移された浜松県でも、貧窮を余儀なくされた旧幕臣が、茶畑の開墾を進めている通りだ。
あの戊辰のときと同じだ。気づいたときには驚くべき実効を上げている。
こんな惚(ほう)けた顔をして、だから庄内の連中は油断ならないというのだ。
「来年には蚕室を、もう2棟増築いたします。全10棟をもって、ひとまず完成とする計画でございます」
庄内藩は健在だ。
いや、独力で立つ術を着々と整えて、時間を与えれば与えるほど、以前にも増して強くなる。
「三島、おはん、なにをやっちょる。庄内藩士に、あげなもの作らせおって」
第二次府県統合
「ほんのこつ、どげんかなりもはんか」
「そげんな大それた話は、軽々しくできもはんぞ」
「じゃっどん、なにもせんと、こんまま倒されるだけでごわす」
「問題は別じゃ。護衛がつくなんてこつ、恐らく南洲先生は喜ばれん」
「おはんらに、その覚悟があっとかち聞いとると」
千島・樺太交換条約
「まったく、ないをしちょっとか」
連れてきた犬が鳴いた:「ツン、どげんしたと」
「そげなこつ、頼んだ覚えはなかど」
「あいすまんことでごわす。じゃっどん・・・」
「よか、じゃっどん、ないごて、おいの様子を探るとね」
熊本県で起きた「神風連の乱」
福岡県で起きた「秋月の乱」
山口「萩の乱」
「千島は元々日本のものでごわそう。それを樺太と交換して、自分のものにするち、全体どんな理屈じゃ」
「待て、おはんら、ちいと待ていうちょる」
「村田さあ、何を待つと」
「皇国を守ることかないもはん」
「こん鹿児島で鍛えちょるは、そんためではごわはんか」
「暴発もありうべきでごわす」
「じゃっで、篠原、おはんと新八さあで、私学校は押さえてくれんね。おいは鹿児島には帰らん」
「担ぐ神輿がないちなれば、祭りにはならんでごわそ」
「それでも解散したのなら、もう重畳とするべきでしょう」
すべては庄内を甘やかしたからではないか。
会津と同じに不毛の僻地に移して、開墾もできないようにしてやればよかったのだ。
「甘やかせば、庄内と同じになる。何度もいってるじゃありませんか、大久保さん」
細かく、くどい、しつこい、まさに木戸節だ。
西郷が政府にいて、庄内を特別扱いしたときには、一言の文句もいえなかったくせに・・・
川路:「送りこむ密偵は、これに。園田、菅井、末広、安楽、高崎、中原、さあ、内務卿閣下にご挨拶を」
大久保:「鹿児島のものだな」
「はい、言葉から何から向こうでも怪しまれる心配はありません。それでいて、私学校派に取り込まれることもない」
「皆が私と同じ地ゴロです」
「そうか、郷士か」
「あの城下士たちに牛馬のように蔑まれたこと、きさまらも覚えていよう。今こそは積年の恨みを晴らすときだ」
まさに狩り三昧の日々なのだ。
大好きな兎狩りも、大隅のほうまで足を伸ばしていた。
「今の政府が禅譲でもしてくれると思うのかい」
「土台が近代国家というものは、政府しか武力を保有できないものなんだ」
「政府は海陸軍の備えを万全にしている。私学校が戦える相手じゃない。
鹿児島から熊本に押し出したとしても、まず鎮台は落ちないだろう。
海陸両面攻撃なんて始めたら、私学校なんて、もう一挙殲滅されるしかないじゃないか」
「だから西郷南洲さえいなくなれば、私学校なんて自ずと瓦解してしまうんだよ」
「私学校の蜂起を阻みたい。城下士なんかのために、郷士を死なせたくない。」
「西郷先生より、あん犬のほうが、狩りはうまかぞ」
「うんにゃ、そこは兎汁でたんと滋養ばつけられとると」
「弁当にはカステラ持参じゃないですか」
「下戸の西郷先生は、甘党であられるからなあ」
「東獅子」:西郷の命を取るべく東京から送り込まれる暗殺者のこと
「そんためには、西郷と刺し違えるしかなかち」
「駄目押しで、桐野、篠原、村田と倒してしもたら、あとはヨリクズじゃ、片付けるのは造作なか、とも」
「東京警視本署の犬が、なめたこつ」
「そん通り。【ボウズ】は西郷南洲のこつじゃが・・・」
「【西の窪】は要するに【クボ】じゃ。【一向衆】は私学校のことじゃ。」
「ただ安心したかだけじゃっち、みせてたもんせ」
「わたし、こわかどす」
「大体のことは、ええ、聞いちょいもす」
「ですから、わたしのこつも連れて・・・」
「ええ、明るくなってきもした」
「耳ば貸さんかもしれもはん」
「そげなこつじゃなかとです」
「そげなこつ、堪えられんとです。好いとうから、まこて好いとうから」
「薩摩御用盗」は庄内藩に討たれた。
江戸における薩摩御用盗摘発、薩摩藩邸焼き討ちの報が西国に伝えられて、
慶応4年が明けて間もなく起きたのが、鳥羽伏見の戦いだった。
大隅半島南端:根占(ねじめ)
「小根占にいると思います。ただ、夜は海にイカ釣りに出たかもしれません」
「おいどん、腹ば切りもす。そいで償わせていただきもす」
「じゃから、おはんらもおいの護衛などせんでよかちいうちょる」
「なんじゃっち」
「ちょっ、しもた」
「ないごて弾薬などおっとったとか。わいどま、弾薬に何の用があっちゅうとか」
「ガントリガンて、聞いたことありませんか」
「あの手回し式の・・・」
「そげんことしたら、殺されてしまいもす」
「ほんのこつ許せん」
桐野:「そろそろ西郷先生の裁決を仰ぐことにしもはんか」
「もう何もいうことはなか。おはんたちがその気なら、おいの身体は差し上げもんそ」
鳥羽伏見で止めるべきだった。戊辰の役まで突き進んだのが間違いなのだ。
結果、生まれたのが、勝者と敗者だった。これが今に至る不幸の源だ。
西郷は心を決めた。
始めなければならないのは、勝たないための戦いだ。
あとに勝者も敗者も残らない戦いだ。
やらなければ道を外れた維新が、いつまでも終わりにならない。
「もう戦うことなかとです。こげな戦いせんとよかです」
「おいどんに良かも悪かもなか」
「ああ、なんもせんで、ただ担がれちょったくせに、ここん来て、賢し顔で議をいうわけにはいかんじゃろ」
「さて、いきもすか」
「決まっちょる。戦いに行くのでごわす。敵軍の陣地を取りに行くのでごわす」
「いきもんそ、今こそ死にに行くのでごわす」
「おいに腹ば切れちいうちょるか。こんまま撃たれたくなかち」
西郷は知らず自分の手で、こぼれる腸を押さえていた。
「お守りでし、先生をお守りすっとじゃ」
「晋どん、晋どん」
「あっ、先生、いけんされもうした」
「もうここらでよかろ」
「介錯をお頼みもす」
「先生、ごめんやったもんせ」
安積疎水
「特に猪苗代湖からの取水工事は困難を究めます。手を尽くしましたが、どうも日本にある技術では・・・」
息子ばかり8人続いた後に恵まれた女の子だった。
「西郷先生からの託があるんです」
「こうです。一よ(一蔵よ)、天下のこつで勝ち負けついたら、いかんでごわすよ」
「命もいらん、名もいらん、官位も金もいらんち人は、始末に困るものでごわす。
じゃっどん、そん始末に困る人でなかな、国家の大業はなしとげられんじゃろ」
死闘を重ねるうち、人には力に勝る強さがあることを知る-。
最後のサムライたちを描く時代長篇。『波』連載に加筆・修正し単行本化。
1968年山形県生まれ。山形大学卒業。東北大学大学院で西洋史学を専攻。作家。
「ジャガーになった男」で小説すばる新人賞、「王妃の離婚」で直木賞受賞。他の著書に「傭兵ピエール」など。
「実際のこつ、好き嫌いの激しか性分にごわす。
庄内の方でもなければ、お会いせんかったところじゃった」
官軍を鶴岡城下に進駐させたとき、西郷は万事寛大をもってなすよう命じた。
藩主酒井忠篤(ただずみ)の謹慎で終わらせて、官軍の兵士にも一切の乱暴狼藉、破壊略奪を許さなかった。
戦後の処分も、藩主酒井忠篤の隠居、その実弟忠宝(ただみち)の相続による御家存続、17万石から12万石への減封、
30万両の政府献金と軽いもので、また他領への転封も免ぜられた。
皆が納得したわけではない。長州、土佐、肥前は厳罰を唱えたし、薩摩藩の中にも異論はあった。
それでも西郷は譲らなかった。
「武士がいったん兜を脱いで降伏したうえは、後の事はみらんもんでごわす。
もしまた叛逆したらば、また来て討伐すればよか。なんも心配するに及ばん」
「じゃっどん、今のおいは、ただの『武村の吉』でごわんど」
「そのせつはお世話になりもした。越後屋さんを紹介していただき、助かりもした」
従僕を二人だけ連れ、日本橋小網町の自宅を出てしまうと、隠れていたのが小梅町にある深川越後屋の別荘だった。
横浜で鹿児島行きの船に乗るまで滞在したが、その越後屋というのが旧庄内藩の御用達だった。
その別荘というのは、在京の庄内士族に融通された場所なのだ。
その庄内士族の中心人物が、酒井玄蕃(げんば)である。
「じゃっどん、玄蕃殿、おはんまで退官することはごわはんじゃった」
「ほんのこつ、退官などせんでよかとでした。静岡と庄内のことは頼むち、きちんと黒田に頼んできもしたし」
「征韓などもってのほか。こまちよくなかこつでごわす」
「おいが征韓、つまり朝鮮を攻めるべしと唱えたわけではありもはん」
「いきなり兵隊を送るごだる真似は、それ自体が火種になりもす」
「おいが殺されでもしたら、そんときはじめて戦争にすればよかとです」
首を傾げたのは旧幕臣の彰義隊を殲滅させたあたりからだった。
気がつけば会津も問答無用の破壊と殺戮の犠牲になっていた。
庄内だけでもと救済に動いたのは、あるいは悔悟の念が働いたからかもしれない。
「戦争というのは、ロシアの話でごわす」
「畢竟ロシアとは戦争になりもす。これは戦争で決着をつけるしかありもはん」
「樺太に収まらず、北海道まで危ういやもしれもはん。」
「札幌のあたり、西蝦夷は幕政の時代は庄内領でしたからね。ええ、明治2年まで警備の兵を置いていました。」
「不凍港を手に入れるのが、氷の国ロシアの悲願じゃっで」
「正直不安でごわす。じゃっで、世界一の海軍国イギリスと組むとでごわす」
「橋本(左内)さあは、それならロシアと結ぶべきじゃいうちょりましたが、おいはイギリスじゃと思いもす」
「いかにも、大陸でごわす。朝鮮問題は上手く処理して、そのあとポシェット湾のほうから陸の奥に進んでいき、
ロシア兵を駆逐する。そいが、おいが政府に上げた戦略でごわした。」
「岩倉公に確かめもすと、そうだち返され、じゃったら、おいは退くしかなかなって、そいで事別れでごわす」
「そげなところにおっても、ほんのこつ仕方なか。そいも、おいが鹿児島に退いた理由でごわす」
長州人・山縣有朋の公金流用事件
京都府参事・槙村正直の職権乱用での裁判
元大蔵大輔・井上馨の尾去沢鉱山事件
佐賀の叛徒を処分するに、拙速の断は避けよ。
東京に拘引して、正式な裁判にかけ、なるだけ寛大な措置に留めよと。
つまり江藤新平に情けをかけろと。
非情の処分を下された輩をみれば、もう政府に逆らおうなどとは考えなくなる。
そのための、みせしめが必要だ。それが、こたび佐賀県なり、江藤なりに与えられた役割なのだ。
「いえ、どうやら江藤は鹿児島へ向かったようです」
明治6年の政変のあと、最も警戒すべきは、いうまでもなく鹿児島県だった。
庄内藩~~今は酒田県を称する、やはり難治県のひとつと接触していた。
なお、大久保が神経を尖らせるのは、この庄内がかねて西郷と結びつき、鹿児島と意を通じさせていたからだった。
これに庄内の士族が立ち上がるなら、もはや絶望的である。
小藩といいながら、背後で動かれれば厄介なのである。
兵力を西に集中できなくなる。
そのこと以上に怖いのは、庄内が立つことで、薩摩の動きが薩摩だけの動きでなくなることだった。
我も薩摩に続け、庄内に遅れるなと、続々決起しないとも限らない。
旧庄内藩の城下鶴岡には、密偵も潜入させていた。
大久保はビスマルクを意識して伸ばしている見事な髭を何度か撫でた。
「捕らえた江藤は東京ではなく、この佐賀へ連行せよ。早急に処分する」
「船は出しもそ。じゃっどん、東京行きじゃなか」
「今の政府はおかしか。正気を取り戻すときを、待たないとなりもはん」
「駄目でごわす。琉球じゃっち、うまく身を潜めていられるか、約束の限りではありもはん」
「そげなこと、できまっせん。ほんのこつ、はしたなか」
松ヶ岡開墾場・・・ここは、どんな余所者も寄せ付けたことがない。開墾を隠れ蓑に、武士団を維持する術でもあったからだ。
アームストロング砲、スナイドル銃、シャープス銃といった新式の銃
狙撃には照準に目盛りが付いたウィットウォース銃、連射なら一度に7発入れられるスペンサー銃と、
用途に応じて使い分けられるようにもしてある。
「蝦夷が島」明治7年・屯田兵制度
護照:パスポート
玄武丸
「庄内に密偵を送ると、滅多に帰ってこないって、政府では有名な話でした」
「探索できて重畳(ちょうじょう)でした」
「いえ、それまた僥倖(ぎょうこう)ですよ」
大きく紅蓮(ぐれん)の光輪に成長する様だった。
西郷どん、おはん、陸軍大将じゃから、今度こそ総大将やってたもんせ。
庄内の輩は厄介だ。何かあるたび、いちいち神経を擦り減らされる。
本当なら戊辰の役で破滅していたはずの連中だ。ここいらで大人しくなってもらわなければならない。
なかんずく危険な男には、そろそろ消えてもらわなければならない。
西郷、おはんは敵じゃ。
大久保は腹に決意を確かめた。ああ、西郷、まずはおはんじゃ。
~~吉野開墾社~~
「庄内の方からみても、大仕事とみえもすか。松ヶ岡を拓いた実績をお持ちじゃのに」
ワッパ騒動
「いかにも、そげんでなければなりもはんあ」
「庄内では酒田県は廃され、近く鶴岡県になります。県庁も昔の城下の鶴岡に移されるそうです」
「かわりに三島通庸(みちつね)という方が、県令になられました。」
「その三島は薩摩の者でごわす」
「大久保公の側近ということですな」
「鹿児島県でも、いつ士族が解職されるか知れもはんな」
松本十郎
「屯田兵こそロシアに対する備えになりもんそ。日本の運命がかかっちょるちいうともよか。
じゃかい、まず北海道でごわす。」
「あのまま開戦してしもたら、日本は大火傷するところでごわした。
まこち大変なことになるところでごわした」
「鹿児島に討たるるべき罪ありてお討ちなさるなら、是非お討ちなさい。急度戦いもんそ」
陸蒸気(おかじょうき)
「江華島事件」「軍艦雲揚」
扱き下ろす(こきおろす)
桐野利秋:中村半次郎:人斬り半次郎:は左の中指と薬指がない。
「とても評判よかですね」
「うちの弟もずいぶん騒いじょりもした」
「ないごて、わかるとですか」
「鹿児島でも語られちょいもす」
「肺病いうとは、ほんのこつ恐ろしかものですね」
~~第二部西郷暗殺~~
明治9年6月12日、大久保利通は鶴岡県を訪ねた。
明治天皇による東北巡幸の計画があった。それにさきがけ、自分がまず東北巡察の旅に出たのだ。
内務省で計画中の目玉、栃木県那須野開拓、福島県安積野開拓、青森県三本木原開拓については、
是非にも実地に検分しなければならなかった。
「朝暘(ちょうよう)学校でございます。」
、1876年(明治9年)に県令三島通庸の命により現在の鶴岡市役所の敷地内に建設された洋風瓦葺3階建ての学校のことである
「山形県境の月山から上がります朝日が、まっすぐ降り注ぎます立地から、朝暘学校と命名いたしました。」
「全42教室、生徒総数1200名を数えますれば、現下日本一の規模となります」
「これから向かいまする赤川も、来年には三川橋という大橋を架ける計画です」
「その松ヶ岡開墾場をみたい」
大久保の本音をいえば、松ヶ岡の視察こそ鶴岡巡察の、いや、東北巡察の最大の目的であるといっても過言でなかった。
庄内は今も臨戦態勢だと、岩倉や大隈は、かねて声高に非難していた。
いずれにせよ、庄内鶴岡は潜入させた密偵が帰らない土地なのだと、それが政府内の定評だった。
松ヶ岡の視察は、翌日の6月13日になった。
「そうか、庄内は養蚕がさかんな土地であったか」
「熊谷県から60万本の桑の苗木を持ってきました」
生糸は日本の最大の輸出品で、輸出の4割から5割まで占められていた。
思えば「茶」も輸出品で、全体の2割から3割を占める
庄内に限らないが、まず金が欲しいから、これら作物を栽培する。
生糸や茶なら、外国にいくらでも売れる。
松ヶ岡の開墾とは、これだったか。帰農といって、米麦を作るのでなく、
貿易を通じて巨額の富を得ようという算段だったのか。
徳川家が移された浜松県でも、貧窮を余儀なくされた旧幕臣が、茶畑の開墾を進めている通りだ。
あの戊辰のときと同じだ。気づいたときには驚くべき実効を上げている。
こんな惚(ほう)けた顔をして、だから庄内の連中は油断ならないというのだ。
「来年には蚕室を、もう2棟増築いたします。全10棟をもって、ひとまず完成とする計画でございます」
庄内藩は健在だ。
いや、独力で立つ術を着々と整えて、時間を与えれば与えるほど、以前にも増して強くなる。
「三島、おはん、なにをやっちょる。庄内藩士に、あげなもの作らせおって」
第二次府県統合
「ほんのこつ、どげんかなりもはんか」
「そげんな大それた話は、軽々しくできもはんぞ」
「じゃっどん、なにもせんと、こんまま倒されるだけでごわす」
「問題は別じゃ。護衛がつくなんてこつ、恐らく南洲先生は喜ばれん」
「おはんらに、その覚悟があっとかち聞いとると」
千島・樺太交換条約
「まったく、ないをしちょっとか」
連れてきた犬が鳴いた:「ツン、どげんしたと」
「そげなこつ、頼んだ覚えはなかど」
「あいすまんことでごわす。じゃっどん・・・」
「よか、じゃっどん、ないごて、おいの様子を探るとね」
熊本県で起きた「神風連の乱」
福岡県で起きた「秋月の乱」
山口「萩の乱」
「千島は元々日本のものでごわそう。それを樺太と交換して、自分のものにするち、全体どんな理屈じゃ」
「待て、おはんら、ちいと待ていうちょる」
「村田さあ、何を待つと」
「皇国を守ることかないもはん」
「こん鹿児島で鍛えちょるは、そんためではごわはんか」
「暴発もありうべきでごわす」
「じゃっで、篠原、おはんと新八さあで、私学校は押さえてくれんね。おいは鹿児島には帰らん」
「担ぐ神輿がないちなれば、祭りにはならんでごわそ」
「それでも解散したのなら、もう重畳とするべきでしょう」
すべては庄内を甘やかしたからではないか。
会津と同じに不毛の僻地に移して、開墾もできないようにしてやればよかったのだ。
「甘やかせば、庄内と同じになる。何度もいってるじゃありませんか、大久保さん」
細かく、くどい、しつこい、まさに木戸節だ。
西郷が政府にいて、庄内を特別扱いしたときには、一言の文句もいえなかったくせに・・・
川路:「送りこむ密偵は、これに。園田、菅井、末広、安楽、高崎、中原、さあ、内務卿閣下にご挨拶を」
大久保:「鹿児島のものだな」
「はい、言葉から何から向こうでも怪しまれる心配はありません。それでいて、私学校派に取り込まれることもない」
「皆が私と同じ地ゴロです」
「そうか、郷士か」
「あの城下士たちに牛馬のように蔑まれたこと、きさまらも覚えていよう。今こそは積年の恨みを晴らすときだ」
まさに狩り三昧の日々なのだ。
大好きな兎狩りも、大隅のほうまで足を伸ばしていた。
「今の政府が禅譲でもしてくれると思うのかい」
「土台が近代国家というものは、政府しか武力を保有できないものなんだ」
「政府は海陸軍の備えを万全にしている。私学校が戦える相手じゃない。
鹿児島から熊本に押し出したとしても、まず鎮台は落ちないだろう。
海陸両面攻撃なんて始めたら、私学校なんて、もう一挙殲滅されるしかないじゃないか」
「だから西郷南洲さえいなくなれば、私学校なんて自ずと瓦解してしまうんだよ」
「私学校の蜂起を阻みたい。城下士なんかのために、郷士を死なせたくない。」
「西郷先生より、あん犬のほうが、狩りはうまかぞ」
「うんにゃ、そこは兎汁でたんと滋養ばつけられとると」
「弁当にはカステラ持参じゃないですか」
「下戸の西郷先生は、甘党であられるからなあ」
「東獅子」:西郷の命を取るべく東京から送り込まれる暗殺者のこと
「そんためには、西郷と刺し違えるしかなかち」
「駄目押しで、桐野、篠原、村田と倒してしもたら、あとはヨリクズじゃ、片付けるのは造作なか、とも」
「東京警視本署の犬が、なめたこつ」
「そん通り。【ボウズ】は西郷南洲のこつじゃが・・・」
「【西の窪】は要するに【クボ】じゃ。【一向衆】は私学校のことじゃ。」
「ただ安心したかだけじゃっち、みせてたもんせ」
「わたし、こわかどす」
「大体のことは、ええ、聞いちょいもす」
「ですから、わたしのこつも連れて・・・」
「ええ、明るくなってきもした」
「耳ば貸さんかもしれもはん」
「そげなこつじゃなかとです」
「そげなこつ、堪えられんとです。好いとうから、まこて好いとうから」
「薩摩御用盗」は庄内藩に討たれた。
江戸における薩摩御用盗摘発、薩摩藩邸焼き討ちの報が西国に伝えられて、
慶応4年が明けて間もなく起きたのが、鳥羽伏見の戦いだった。
大隅半島南端:根占(ねじめ)
「小根占にいると思います。ただ、夜は海にイカ釣りに出たかもしれません」
「おいどん、腹ば切りもす。そいで償わせていただきもす」
「じゃから、おはんらもおいの護衛などせんでよかちいうちょる」
「なんじゃっち」
「ちょっ、しもた」
「ないごて弾薬などおっとったとか。わいどま、弾薬に何の用があっちゅうとか」
「ガントリガンて、聞いたことありませんか」
「あの手回し式の・・・」
「そげんことしたら、殺されてしまいもす」
「ほんのこつ許せん」
桐野:「そろそろ西郷先生の裁決を仰ぐことにしもはんか」
「もう何もいうことはなか。おはんたちがその気なら、おいの身体は差し上げもんそ」
鳥羽伏見で止めるべきだった。戊辰の役まで突き進んだのが間違いなのだ。
結果、生まれたのが、勝者と敗者だった。これが今に至る不幸の源だ。
西郷は心を決めた。
始めなければならないのは、勝たないための戦いだ。
あとに勝者も敗者も残らない戦いだ。
やらなければ道を外れた維新が、いつまでも終わりにならない。
「もう戦うことなかとです。こげな戦いせんとよかです」
「おいどんに良かも悪かもなか」
「ああ、なんもせんで、ただ担がれちょったくせに、ここん来て、賢し顔で議をいうわけにはいかんじゃろ」
「さて、いきもすか」
「決まっちょる。戦いに行くのでごわす。敵軍の陣地を取りに行くのでごわす」
「いきもんそ、今こそ死にに行くのでごわす」
「おいに腹ば切れちいうちょるか。こんまま撃たれたくなかち」
西郷は知らず自分の手で、こぼれる腸を押さえていた。
「お守りでし、先生をお守りすっとじゃ」
「晋どん、晋どん」
「あっ、先生、いけんされもうした」
「もうここらでよかろ」
「介錯をお頼みもす」
「先生、ごめんやったもんせ」
安積疎水
「特に猪苗代湖からの取水工事は困難を究めます。手を尽くしましたが、どうも日本にある技術では・・・」
息子ばかり8人続いた後に恵まれた女の子だった。
「西郷先生からの託があるんです」
「こうです。一よ(一蔵よ)、天下のこつで勝ち負けついたら、いかんでごわすよ」
「命もいらん、名もいらん、官位も金もいらんち人は、始末に困るものでごわす。
じゃっどん、そん始末に困る人でなかな、国家の大業はなしとげられんじゃろ」