数ヶ月前、末弟の徳正唯生(尊丸)から電話があり「一度、姉弟会を開いたらどうでしょうか、」と云う内容でありました。そう云えば、結婚式や法事で会うことはあっても、姉弟4人だけで話をしたことは、もう何十年もなかったことを思わされました。そうだ、今年は亡父の25年回の年でもあるから、京都のご本山へ一緒にお参りをしよう。と計画を立てました。
ご本山西本願寺にお参りして次に西大谷本廟で法要を営みました。そして栂尾(とがのお)高山寺を訪ねました。この寺には40年位前に両親がお参りしているからです。その折、父が数首の短歌を詠んでいます。
催邪輪(さいじゃりん)ついに読み竟(お)えその著者の住みしみ寺に今訪ね来ぬ
法然に強くあたりし論敵の人とも見えず我が心ひく
山気浸々一眸新緑映ゆる中古き聖に接するおもい
嵯峨野落柿舎 釈迦堂 大徳寺高桐院
5日夜は嵐山に宿を取り、深夜まで話し込んだことです。6日は嵯峨野を巡り、続いて茶道の寺、紫野大徳寺を散策いたしました。姉は今もお茶のお弟子が何人かいるようです。
徳正(末弟)より手紙が届き、俳句が数句添えてありました。
父母の納骨すまし初紅葉
論敵の遺徳偲びし紅木槿
語らひは深夜に及び冷酒かな
落柿舎や姉兄弟揃ひ萩の花
台風一過遺筆訪ねし二尊院
台風10号はまたも東北から北海道方面に向かい猛威を振るいました。今までに経験しない豪雨に多くの家屋、田畑が洪水に流され、多くの人命が失われました。衷心お悔やみとお見舞いを申しあげます。お体に十分気を付けられて復興に当たって下さいますように、
9月カレンダーをめくると、
一生悪を造るとも 弘誓(ぐぜい)に値(あ)いて救わるる とお正信偈の道綽禅師さまの『安楽集』のお味わいを引かれて「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」(一生悪を造れども弘誓に値いぬれば 安養界に至りて妙果を証せしむといえり)
「一生悪を造る」とは誰のことかと云えば、これはこれは私のことであります。何事もない時は、どうにか国法や世間の道徳に従っているようですが、内面と外面は大方相反していることが多く、縁によってはどのようなことを行ってしまうか分からないような「我」を抱えて生きております。そのような無知、無明な私に光明で照らし、「恐れるでない、必ず救う、お浄土へ一緒に帰ろう!」と呼んでいて下さるのです。
台風が過ぎて、少し秋めいて参りました。夏の疲れを癒やしつつお過ごしくださいませ、