画像の扁額は当山10世浅野断流師の揮毫になるものです。
能書の住職であったようですが、帳面類の筆跡は別として拙寺
に残されているものはこの扁額が唯一です。ご門徒の仏間など
にはちょこちょこ見かけることがあります。
このご文は『無量寿経』のお言葉で前2句は「聞法能不忘
(法を聞きよく忘れず)、見敬得大慶(見て敬い得て大いに
慶ばゝ)」のお言葉に「すなわち我がよき親友なり」と続く一
句です。
ここでの「我」とは釈迦如来さまが聞法しお念仏を慶ぶ人を
「私の善き友である」と申されているのです。「友」とは同じ
道を歩む者と云う意味でしょう。非常にほのぼのとした世界が
示されています。
落款の「黙翁」は断流師の号で、「静堂」と署名しているも
のもあります。
断流師は江戸期から維新への動乱期が青年時代、明治期を
寺の住職、そして中四国を中心に布教に専念されていますが、
この扁額は素晴らしいプレゼントを残して下さったものだと感
銘しております。(住職)
能書の住職であったようですが、帳面類の筆跡は別として拙寺
に残されているものはこの扁額が唯一です。ご門徒の仏間など
にはちょこちょこ見かけることがあります。
このご文は『無量寿経』のお言葉で前2句は「聞法能不忘
(法を聞きよく忘れず)、見敬得大慶(見て敬い得て大いに
慶ばゝ)」のお言葉に「すなわち我がよき親友なり」と続く一
句です。
ここでの「我」とは釈迦如来さまが聞法しお念仏を慶ぶ人を
「私の善き友である」と申されているのです。「友」とは同じ
道を歩む者と云う意味でしょう。非常にほのぼのとした世界が
示されています。
落款の「黙翁」は断流師の号で、「静堂」と署名しているも
のもあります。
断流師は江戸期から維新への動乱期が青年時代、明治期を
寺の住職、そして中四国を中心に布教に専念されていますが、
この扁額は素晴らしいプレゼントを残して下さったものだと感
銘しております。(住職)