拙寺の到来物のお茶碗の中に薩摩焼の玉子手茶碗があります。玉子手とはお茶碗の肌が玉子色であることから呼ばれているのです。到来の時に箱がなかったものですから余り注意を払っていなかったのですが、ある時、高台横に筆書きで入れられている名を虫眼鏡で読んで驚きました。「薩摩寿官」とあったのです。これはあの沈寿官さんの作、改めて両手に包み胸に構えて見る、お茶を何度も点てていただいてみる、しばらく興奮状態にあったことを思い出します。色も形も全てにおいてやさしさがいっぱい薫るお茶碗です。ですがお茶はたちにくいお茶碗です。ここがまた寿官さんのポリシーなのでしょうか。
何年か前の雑誌「アエラ」の沈寿官さんの人物紹介記事の中に、寿官さんの戦前の中学校から進路をどうするか、友人は陸士とか海軍兵学校などに希望している、自分も同じような希望を抱いた。そのことを父に相談すると、父は静に次のように
云われた。「人間の生き方には動物的な生き方(欲求にしたがって行動範囲を広げていく)と植物的生き方(種が芽吹いて根を下ろした場所で成長しいかなることがあろうと動かない)とがある。樹木はどこまでも大地に根を張って大樹となり世の動きを静に見つめる。と云うようなことを父が淡々と語られたことが大きな指針となって陶芸の道に全てをゆだねるようになられたことを述べておられ強烈な感動を覚えたことでした。
寿官さんは「故郷忘じがたく候!」と薩摩の国に武力で以て異国に来なければならなかった14代前の先祖の悲しみを受け継いでおられる方とうかがい知りました。
国際問題、民俗の心の意味するところは深くてデリカシーです。
何年か前の雑誌「アエラ」の沈寿官さんの人物紹介記事の中に、寿官さんの戦前の中学校から進路をどうするか、友人は陸士とか海軍兵学校などに希望している、自分も同じような希望を抱いた。そのことを父に相談すると、父は静に次のように
云われた。「人間の生き方には動物的な生き方(欲求にしたがって行動範囲を広げていく)と植物的生き方(種が芽吹いて根を下ろした場所で成長しいかなることがあろうと動かない)とがある。樹木はどこまでも大地に根を張って大樹となり世の動きを静に見つめる。と云うようなことを父が淡々と語られたことが大きな指針となって陶芸の道に全てをゆだねるようになられたことを述べておられ強烈な感動を覚えたことでした。
寿官さんは「故郷忘じがたく候!」と薩摩の国に武力で以て異国に来なければならなかった14代前の先祖の悲しみを受け継いでおられる方とうかがい知りました。
国際問題、民俗の心の意味するところは深くてデリカシーです。