誕生寺の本堂の画像です。客殿、庫裏、最近建立された阿弥陀堂など豪壮な建て物があります。また各種小堂も2、3あっていろんな巡礼団がお参りに見えているようです。
境内の植栽も古木がいろいろあるようでこの誕生寺が古くから崇敬されて来たことを物語っています。
境内の植栽も古木がいろいろあるようでこの誕生寺が古くから崇敬されて来たことを物語っています。
法然聖人はここ美作国久米郡南条の稲岡荘に1133年(長保3年)4月7日にご誕生になられました。(実は4月7日は私も同じ誕生日なのです)父は久米郡の押領使漆間時国、母は秦氏の出。
父時国は1141年(永元年)稲岡荘の預所明石定明の夜襲を受けて亡くなられたのです。その今際の遺言は「敵討ち、復讐はしないように」と云う崇高な言葉だったと伝えています。その遺言が幼名勢至丸と呼ばれていた法然聖人の仏道への出家と云う起因があったと伝えています。境内に勢至丸出家旅立ちを彫塑したブロンズ像がたてられていました。
この法然聖人の誕生寺は法然聖人の弟子となった源氏の武将熊谷次郎直実、出家法名蓮生によって聖人ご往生後に一宇が設けられたのが始まりと云われています。法然聖人と直実との出遇いを思います時、わざわざ板東から訪ね来てその思いを遂げたことはむべなるかなと慕われます。
親鸞聖人は法然聖人のことを生涯「よきひと」と申され、慕い続けられました。来年は法然聖人の800回、親鸞聖人の750回大遠忌法要がそれぞれの本山で営まれます。
「よき師」、「よきひと」はいかなる時代においても大切です。なぜなら私どもの人生の道しるべとなり、行く手を照らす光はどうしても必要だからです。暗闇を無灯火で生きる分けにはいかないことです。
ふと、思い立って行った美作への寒中旅行は心に残るものとなりました。
父時国は1141年(永元年)稲岡荘の預所明石定明の夜襲を受けて亡くなられたのです。その今際の遺言は「敵討ち、復讐はしないように」と云う崇高な言葉だったと伝えています。その遺言が幼名勢至丸と呼ばれていた法然聖人の仏道への出家と云う起因があったと伝えています。境内に勢至丸出家旅立ちを彫塑したブロンズ像がたてられていました。
この法然聖人の誕生寺は法然聖人の弟子となった源氏の武将熊谷次郎直実、出家法名蓮生によって聖人ご往生後に一宇が設けられたのが始まりと云われています。法然聖人と直実との出遇いを思います時、わざわざ板東から訪ね来てその思いを遂げたことはむべなるかなと慕われます。
親鸞聖人は法然聖人のことを生涯「よきひと」と申され、慕い続けられました。来年は法然聖人の800回、親鸞聖人の750回大遠忌法要がそれぞれの本山で営まれます。
「よき師」、「よきひと」はいかなる時代においても大切です。なぜなら私どもの人生の道しるべとなり、行く手を照らす光はどうしても必要だからです。暗闇を無灯火で生きる分けにはいかないことです。
ふと、思い立って行った美作への寒中旅行は心に残るものとなりました。
1/27、この小旅行で最初に訪ねたのは蒜山高原、雪景色を見てみたいと云う思いからです。案の定蒜山が近づくと道の左右には雪が見え始め、冠雪した山系が銀色に輝いて見えました。雪の余り積もらない土地に生活しているとこのような景色を見ますと興奮いたします。
画像は高原から雪の蒜山山系を撮影しました。拡大して見ると水彩画のような感じに撮れていて面白いので紹介しておきます。いい雲に出合ったと云う思いです。
画像は高原から雪の蒜山山系を撮影しました。拡大して見ると水彩画のような感じに撮れていて面白いので紹介しておきます。いい雲に出合ったと云う思いです。
昨日と今日と二日間にわたる小旅行を行いました。
岡山県の美作、法然聖人のご誕生地であります「誕生寺」に今一度お参りしておこうと云う思いからの決行です。
湯郷温泉から誕生寺へ向かう道すがら椋の樹の古木に出合いました。その説明する立札を読むとなんと樹齢800年とありました。法然聖人がご往生になられて来年が800回忌、その頃芽吹いた椋の木が今も生き続けていることに驚くとともに法然聖人とそのお生まれになられた風土と時代に思い浸ったことです。
美作の土地は昔を思わすに十分な自然を遺しているところです。
湯郷温泉へ一泊して、湯郷から美作誕生寺まで岡山県の内陸部を横へ横へ山坂を走って参りました。その道すがら長内と云う所で画像のような椋の古木に出会ったのです。大きな幹は洞になって内部は随分と補強されていました。
谷々に段々田がきれいに続きます。全く休耕田らしき田は見られませんから、随分の美田なのでしょう。昔から肥沃した土地と思えます。「美作」(みまさか)と云う地名はその事を云いあらわしているのでしょうか。「美しき坂の田圃、実り多き坂の田圃」と、
岡山県の美作、法然聖人のご誕生地であります「誕生寺」に今一度お参りしておこうと云う思いからの決行です。
湯郷温泉から誕生寺へ向かう道すがら椋の樹の古木に出合いました。その説明する立札を読むとなんと樹齢800年とありました。法然聖人がご往生になられて来年が800回忌、その頃芽吹いた椋の木が今も生き続けていることに驚くとともに法然聖人とそのお生まれになられた風土と時代に思い浸ったことです。
美作の土地は昔を思わすに十分な自然を遺しているところです。
湯郷温泉へ一泊して、湯郷から美作誕生寺まで岡山県の内陸部を横へ横へ山坂を走って参りました。その道すがら長内と云う所で画像のような椋の古木に出会ったのです。大きな幹は洞になって内部は随分と補強されていました。
谷々に段々田がきれいに続きます。全く休耕田らしき田は見られませんから、随分の美田なのでしょう。昔から肥沃した土地と思えます。「美作」(みまさか)と云う地名はその事を云いあらわしているのでしょうか。「美しき坂の田圃、実り多き坂の田圃」と、
この椿は「月輪」と呼ばれています。大輪の椿ですが画像のような三分咲き位の時が一番見頃かと思います。深紅な花弁に白く三日月のような斑があるところから「月輪」と名付けられたのでしょう。葉っぱも大きくて「唐椿」に近似しているように感じられます。
歴史上の人物で「月輪殿」(つきのわどの)と呼ばれていた人は鎌倉時代初期に出られた九条兼實公です。源平動乱の時期に生きられた人なのですが、厚い仏教信仰を持たれ、専修念仏を唱えられた法然聖人の教えの信奉者であられたことでも有名です。法然聖人の著『選択本願念仏集』(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)はこの九条兼實公に対して著されたものでした。54才の折出家されて法名円證を名乗られ、京北西愛宕山の中腹にある月輪寺に隠棲の歳月もあられたようです。この寺には法然、親鸞両聖人の伝説が今も遺っています。
この月輪寺には私の学生時代しばしば訪ねた懐かしい思い出があります。
歴史上の人物で「月輪殿」(つきのわどの)と呼ばれていた人は鎌倉時代初期に出られた九条兼實公です。源平動乱の時期に生きられた人なのですが、厚い仏教信仰を持たれ、専修念仏を唱えられた法然聖人の教えの信奉者であられたことでも有名です。法然聖人の著『選択本願念仏集』(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)はこの九条兼實公に対して著されたものでした。54才の折出家されて法名円證を名乗られ、京北西愛宕山の中腹にある月輪寺に隠棲の歳月もあられたようです。この寺には法然、親鸞両聖人の伝説が今も遺っています。
この月輪寺には私の学生時代しばしば訪ねた懐かしい思い出があります。
境内のあちこちに植わっている薔薇があちこちに咲いています。深紅とか黒に近いエンジ色とか・・・、夏に咲いた花が可愛い実をつけています。花と実が一緒に見れるのも面白い光景です。寒の薔薇は花も色も引き締まっていて気品があって、詩情豊かです。
昨日今日と寒さが弛んだ様ですがまだまだ寒波が来るようです。ご用心ください。
京都の自照社出版から送られて来ます『自照同人』誌1・2月号をボツボツ読んでいま
す。連載の筑波大名誉教授今井雅晴先生のご講述にはいつも新鮮な指針をいただいておりま
す。井上善右衛門先生の講座『正信偈』も有難く読ませていただいております。
極重の悪人はただ仏を称すべし 極重悪人唯称仏
我もまた彼の摂取の中にあれども、 我亦在彼接収中
煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども 煩悩障眼雖不見
大悲ものうきことなくして常に我を照らしたまふ 大悲無倦常照我
源信和尚の『往生要集』のご文を引用しまとめられています、この正信偈のこのお言葉は多くの人を導く道標となってきたことでしょう。千年を超える「いのちのことば」であると銘記しております。
昨日今日と寒さが弛んだ様ですがまだまだ寒波が来るようです。ご用心ください。
京都の自照社出版から送られて来ます『自照同人』誌1・2月号をボツボツ読んでいま
す。連載の筑波大名誉教授今井雅晴先生のご講述にはいつも新鮮な指針をいただいておりま
す。井上善右衛門先生の講座『正信偈』も有難く読ませていただいております。
極重の悪人はただ仏を称すべし 極重悪人唯称仏
我もまた彼の摂取の中にあれども、 我亦在彼接収中
煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども 煩悩障眼雖不見
大悲ものうきことなくして常に我を照らしたまふ 大悲無倦常照我
源信和尚の『往生要集』のご文を引用しまとめられています、この正信偈のこのお言葉は多くの人を導く道標となってきたことでしょう。千年を超える「いのちのことば」であると銘記しております。
今年の親鸞聖人ご正忌法要も厳しい寒さの中終わりました。聖人ご往生から本年が748
年、来年から再来年の1月16日までが750回大遠忌法要の年に当たります。
今日は坊守の属している句会がありました。少し紹介しておきます。
ご正忌の一語一語にうなずきて 篤子
小豆粥四肢温もりて法話聞く 篤子
芹なずな夫摘み帰り三分粥 洋子
ろう梅の今朝咲きそろう日の色に 宏子
冬銀河十七才の犬召さる 千代
三ヶ日豆乳キムチ美人鍋 敏子
ワープロの賀状優しき言葉添え 文子
境内に篝火焚きて去年今年 明慧
お降りや小さな足も濡れてをり 明慧
画像は寺庭の姫沙羅の裸木です。姫沙羅の木は冬にこそより存在を発揮するようです。赤い木肌が暖かさを与えてくれるのです。
年、来年から再来年の1月16日までが750回大遠忌法要の年に当たります。
今日は坊守の属している句会がありました。少し紹介しておきます。
ご正忌の一語一語にうなずきて 篤子
小豆粥四肢温もりて法話聞く 篤子
芹なずな夫摘み帰り三分粥 洋子
ろう梅の今朝咲きそろう日の色に 宏子
冬銀河十七才の犬召さる 千代
三ヶ日豆乳キムチ美人鍋 敏子
ワープロの賀状優しき言葉添え 文子
境内に篝火焚きて去年今年 明慧
お降りや小さな足も濡れてをり 明慧
画像は寺庭の姫沙羅の裸木です。姫沙羅の木は冬にこそより存在を発揮するようです。赤い木肌が暖かさを与えてくれるのです。
1月18日正午より宗方のご自宅仏間で菅久夫さんの葬儀を執行させていただきました。
お通夜にお参りをすると奥さんのヨシカさんが2ヶ月間県病院へ入院していたご主人久夫さ
んの様子を話してくださいました。
救急車で入院し、主治医の先生も看護士さんたちも本当に良くしてくださいました。主人
は目が覚めているときはほとんどお念仏を申していました。また、時によるとお正信偈さま
をお唱えしておりました。「同室の方にご迷惑になるから・・」と申しますと「ああ、ここ
は病院なのだね、」とあまり声にならないように静にお念仏を称えるようになりました。私
や家族、お見舞いの方々に何度も何度も丁寧にお礼を申していました。15日午後4時33
分、主人は静に呼吸が停止しましたと私にお伝え下さいました。
久夫さんありがとう。本当によくお念仏をご相続くださいました。本当にありがとうござ
いました。お浄土につつまれて生き、臨終の一刹那においてお浄土に融化往生させていただ
くことの有難さ、
昭和59年の2月に久夫さんは新しくお仏壇をお迎えしてお入仏の法要をつとめられまし
た。その時のご法話にお正信偈さまの「摂取心光常照護」(せっしゅしんこうじょうしょう
ご。如来さまの私を抱き続けてくださってあるお慈悲からの光は絶え間なく照らし護ってい
てくださいます)についてお話させていただいたことでした。その時のことを私はとおに忘
れていましたが、久夫さん宅のご文章箱を開けてみますと、その折私に書いて下さいとの依
頼でマジックインクで書いた半紙が入っていました。「摂取心光常照護」と、噫々。
奥さんのヨシカさんはこのように云われました「寂しくはなりましたが、心にかかること
はありません、ありがとうございました」と申されていました。
画像は西本願寺蔵の聖人清書本と伝えられる『教行信証』の正信偈摂取心光云々部分。
お通夜にお参りをすると奥さんのヨシカさんが2ヶ月間県病院へ入院していたご主人久夫さ
んの様子を話してくださいました。
救急車で入院し、主治医の先生も看護士さんたちも本当に良くしてくださいました。主人
は目が覚めているときはほとんどお念仏を申していました。また、時によるとお正信偈さま
をお唱えしておりました。「同室の方にご迷惑になるから・・」と申しますと「ああ、ここ
は病院なのだね、」とあまり声にならないように静にお念仏を称えるようになりました。私
や家族、お見舞いの方々に何度も何度も丁寧にお礼を申していました。15日午後4時33
分、主人は静に呼吸が停止しましたと私にお伝え下さいました。
久夫さんありがとう。本当によくお念仏をご相続くださいました。本当にありがとうござ
いました。お浄土につつまれて生き、臨終の一刹那においてお浄土に融化往生させていただ
くことの有難さ、
昭和59年の2月に久夫さんは新しくお仏壇をお迎えしてお入仏の法要をつとめられまし
た。その時のご法話にお正信偈さまの「摂取心光常照護」(せっしゅしんこうじょうしょう
ご。如来さまの私を抱き続けてくださってあるお慈悲からの光は絶え間なく照らし護ってい
てくださいます)についてお話させていただいたことでした。その時のことを私はとおに忘
れていましたが、久夫さん宅のご文章箱を開けてみますと、その折私に書いて下さいとの依
頼でマジックインクで書いた半紙が入っていました。「摂取心光常照護」と、噫々。
奥さんのヨシカさんはこのように云われました「寂しくはなりましたが、心にかかること
はありません、ありがとうございました」と申されていました。
画像は西本願寺蔵の聖人清書本と伝えられる『教行信証』の正信偈摂取心光云々部分。
16日お昼にご正忌法座の「おとき」をお出しいたしました。
今回は口総地区の各組のお世話方が朝早くからお作りくださいました。
ご飯はおもぶり飯、お煮染め、柿なます、ヒジキの白和え、漬物のお味噌汁。おみやげはお供物のお下がり(お餅、饅頭、せんべい、おだんご)。大変おししくいただきました。このような食事は体も脳も心もすっきりします。
写真はお世話下さった方々。ありがとうございました。
今回は口総地区の各組のお世話方が朝早くからお作りくださいました。
ご飯はおもぶり飯、お煮染め、柿なます、ヒジキの白和え、漬物のお味噌汁。おみやげはお供物のお下がり(お餅、饅頭、せんべい、おだんご)。大変おししくいただきました。このような食事は体も脳も心もすっきりします。
写真はお世話下さった方々。ありがとうございました。