Mezcla diario

とある地域に家族で移住した人の、色々な事をただつらつら書き連ねたブログ

神社探訪記(日南編)

2017-09-28 21:48:12 | 御朱印
どちらかと言えば油津と言った方がいい気がしないでもないけれど、この週末1泊2日で宮崎ツーリングに行ってきました
目的は先に書いたKYUリーグの宮崎ダービーだったんですがね

この日は下道で自宅から宮崎まで行く予定だったので自宅を5時に出発します
が、当然暗い
八代まではR3を使えば車の通りはあってもその分多少は明るいという利点がありますが、
念のためいつも使っている裏道を使ったら、マジで暗い
正直途中あまりの静けさにビビッてR3に入れば良かったか…なんて何回か思いましたが、
それでも気合で真っ暗の山中を抜けたりして八代に入り、そこからは球磨川沿いのR219を人吉に向かいます
そして人吉に着いたのが6:50頃
ここまでで距離メーターが103kmだったかな?を指していたので、1時間当たり50km以上走っているという、
ここまではなんつー快適なツーリングというところでしょうか

人吉で朝マックをした後はR221を都城に向けて走り、R269、r28と乗り繋ぎ日南市に入ります

そんなこんなで日南市で最初に訪れた神社は戸高にあります『吾田神社』

拝殿

御祭神は≪吾平津媛命≫≪手研耳命≫≪天穂日命≫の3名です

次は西弁分鎮座『曹子神社』

拝殿


次に木山鎮座『霧島神社』

参道途中にはこういった石碑が幾つも立っています

本殿

本殿の裏側へ進むと『4等3角点』の標が

また、ここ油津は明治期に県内初の水道施設が設けられた土地だそうで、
しかもここ霧島神社の在るところが正に施設のあった場所という事で、その史跡も残っています


次は岩崎鎮座『岩崎稲荷神社』


そして堀川運河沿い材木町鎮座『吾平津神社』

ご神木の傍には奇麗な花が

拝殿


吾平津神社の前を流れる堀川運河、ここにかかる堀川橋はちょっとした歴史スポットみたいです

運河沿いに建つ資料館

かつては飫肥杉の出荷や漁業の一大集積地として賑わった油津の歴史を感じることができます

そして油津に来たならば是非寄って頂きたいのが梅ヶ浜鎮座『祇園神社』

鳥居を潜るとこうなります

そしてこうなります

洞窟の奥に本殿があり、何か凄く雰囲気のある場所です
本殿から向かって右脇に順路があります


奥の光の先が出口ですが、ここは素晴らしい場所なので一見の価値ありです
御朱印の有無関係なしに寄ってみては如何でしょう

最後に平山鎮座『駒宮神社』

拝殿


ここからはR220(通称:日南フェニックスロード)を北上します
天気が良ければ最高のツーリングロードなんですが、この日は生憎の空模様で時折雨が…
因みにこれは有名な『鬼の洗濯板』と言われる景勝地です

拡大


この途中にロケーションでは日本屈指ではないでしょうか、そして歴史もある『鵜戸神宮』です

途中には詩人種田山頭火の句碑もあります

拝殿

ここも洞窟の中にあるんですよね
始めて来ればここの自然に圧倒されること間違いなしです
御朱印

因みに鵜戸神宮には広島カープが毎年キャンプの関係で必勝祈願に来ているようで、
この日はこういった看板が出ていました

まぁこの程度の看板くらい別にどうでもいいんですが、非常に残念だったのが広島カープの応援歌が大音量で延々流されていた事
私は神社の境内なんつーのは神域だと思っているんですが、ハッキリ言ってここまで来るとやっている事が俗世過ぎて下品、低俗もいいところです
だから私は野球を好きになれません

そしてこの日最後に参拝したのが『青島神社』
参道入り口

奥の島の方に行きますと、先ほど出てきた鬼の洗濯板を間近に見ることができます

島を一周していますと灯台があり、その近くに釣り人がいました

ジョージ山本辺りが似合いそうな光景です
そんなこんなで入り口です

拝殿

拝殿の右に参道が続いているので行ってみます

元宮

そこには青島神社の元宮がありました
御朱印も頂戴できます


以上、宮崎ツーリング1日目でした





神社探訪記(氷川町編)

2017-06-23 20:10:37 | 御朱印
久々の神社ネタです(笑)
前回から今回までの間、決して行ってなかったって訳では無いんですが、
時間がない事を言い訳に書いてませんでした(;・∀・)

さて、では久々に書く今回ですが、表題の通り今回訪れた氷川町の神社についてつらつらと

因みにこの氷川町、立神峡という観光スポットがあるんですが、
この立神峡という場所は火の国発祥の地としての言い伝えがあり、神龍が封印された土地とも言われているそうです
なので、スタートはその立神峡からです

2枚目の橋を渡り向こう岸に着くと道が二手に分かれるのですが、最初は下る道を進みます
するとこの地に鎮座する神社が見えてきます
『立神熊野座神社』

3枚目の右上に見えるのが、先ほど渡ってきた橋です
御祭神は『速玉男神』、『伊弉諾神』、『事解男神』になります
創建は743年で、平家の一族が社殿を造営した事に発するようです

先ほど降りてきた道を登り橋のところまで戻ってきたら、今度は登る道を進みます
すると沢山の羅漢像群が道の脇に見えてきます

これはどういう状況なのか


羅漢像群道を進むと途中左側に祠みたいのが見えたので立ち寄ります

これは『中宮の不動明王像』と言います
何故ここにあるかは不明っぽいです
ちなみに中宮という事は下宮・上宮もあるのかって話になりますが、それがあるんです
下宮は先ほど訪れた立神熊野座神社、上宮はこれから訪れる場所になります

羅漢像群道に戻り再び登山を進めますが、この中宮以上からは羅漢像群はなくなります
そして見えてきました

展望台(笑)
なおここからの風景ですが…

んー、これはなんとも(;´・ω・)

展望台から更に奥に進むと、こんな標識が

鍾乳洞?面白そうだし、山登りで汗かいたので涼むには丁度良いかなと思い行ってみる事にしました
そしてこれが鍾乳洞の入口、入り口・・・?

取り敢えず中に入ります

奥行きは当然全然ありません、よって間違っても涼しい事は決してありません
あ、ちなみにここが上宮『立神龍神』です
この鍾乳洞が昔から穴洞さん(アナンドさん)と呼ばれており、その中にある石筍をタチガミさんと呼んでおり、
この地区ではそれを信仰の対象として古くから崇拝の対象にしていたそうです
そこから現在の立神という地名が起きたとの事です

さて、次にやってきたのは『天神社』
今(いま)地区に鎮座する神社です

ここには町内最古と言われている銘文を刻んだ板碑がありました

この中にあります
鍵は特に掛かっていなかったので、気軽に見る事ができます

次に訪れたのは早尾鎮座『服巻田神社』

変な場所に在る割には、新しい社殿でした
ここには石碑が立ってます

その日には『建武中興戦場之碑』とあります
『賊将少弐云々』と書いてありますが、正直読みにくいです

続いては宮原鎮座『宮原三神宮』
この辺りの中心的な神社になるんですかね

創建は平治年間で、ここも平家の一族が造営した事が始まりになります
天正年間の大火で一度は焼失しますが、加藤清正が再興したと

ふらふらと寄り道しながらやってきたのが島地鎮座『島地八幡宮』

ここは狛犬でなくて、人の像が両脇に立ってました

んー、由来が気になる、この人像の

そして鹿島鎮座『鹿嶋神社』

創建は久寿か保元のどちらか?
御祭神は鹿島の字の通り『武甕槌大神』と『経津主大神』
鹿島神宮から奈良の春日大社、九州佐賀の鹿島と流れてここ熊本の鹿島に勧請されたそうです
そしてやはりここも平家の一族の造営に歴史を発します
そしてやっぱりここも天正年間に焼失しますが、慶長年間に再建されます
三度目のそしてですが、ここも本宮に倣い『要石』があります


更に西に進んで鹿野鎮座『龍神宮』

周りはぽつぽつと民家がある以外は畑の中にぽつんとある神社です
由緒も何もさっぱりわかりません(笑)

氷川町最後の神社は高塚鎮座『高塚熊野座神社』

この両脇は民家に入る道です
階段を登るとこの道を進みます

広場に出ます

狛犬が…


とにもかくにも神社巡りがひと段落したので、休憩です
今回休憩個所として選んだのは宇城市とのほぼ境目にある『白玉屋新三郎』さんです
書いて字の通り白玉のお店です(笑)

色々悩みましたが、結局外看板にあったお勧めの『甘夏白玉』にします
まず最初にお茶と和菓子が出されました

そしてメインの白玉ちゃん!

1枚目の白玉の隣にある漬物みたいなものは、大根の漬物そのものです
いや、ちょうどいいしょっぱさで漬物が美味しいです(笑)
そして肝心の白玉ちゃんですが、外はツルツル、噛めばモチモチで『おぉ!白玉だ!』
ってな感じの王道の白玉でした
食べている最中、ふと『そういえば妹は白玉作るの好きだったなー』なんて、昔の事も思い出しまし、しばし郷愁に浸ったり←キモイ(笑)

帰路はr32→r105→R218→r28とちょっと遠回りして走るルートで戻ったんですが、途中気になるお堂を見つけたので寄ります
『舞鴫文殊堂』

なんて読むと思います?『もうしぎもんじゅどう』だそうです
しかも、西の太宰府と名乗っていました
そもそも太宰府が西…なんて野暮な突込みはいけませんね

この日最後の参拝は美里町馬場鎮座『若宮神社』です

神社自体は特に特徴も何もないんですが、ここで目を引いたのは狛犬!
楼門の中にあるやつなんですが

よく見ると、なんと木製!
数多く狛犬見てきましたが、木製の狛犬なんて初めて見ました
珍しいような気がするんですが、どうなんでしょうね

以上、久々の探訪記でしたー
















神社探訪記(五木村編)

2017-05-03 21:56:00 | 御朱印
土曜日に五木村行ってきました

ルートは幾つかあるんですが、今回はR445のルートで行きます
美里町から行ったんですが、どんどん道が細くなるなーっと思ったら、これ

これ

これ

おい!仮にも国道だろ!
こんなんありかよ!
バイクだから良いけど、車だったら間違いなく対向とすれ違えない…

途中、湧き水ポイントがありました


他にポストも

いや、ポストがあるのは決しておかしな事ではないのかもしれませんが、
この辺りにある家は、奥にある一軒だけなんですよね
この建物も廃屋っぽいし、いったい誰が使うのか

また、梅の木轟公園なんて公園もあったので寄ってみました

これはそこに至る吊り橋なんですが、橋から見る風景もなかなか乙なものでした
そしてこれが梅の木轟です

滝も立派ですが、何より水が綺麗なんですよ
あ!ちなみになんで梅の木『滝』ではなく『轟』というかというと、
何かこっちの方では理由があって滝ではなく轟っていうらしいです←何の役にも立たない(笑)

そんな寄り道をしながらやってきたのはここ!

『五家荘平家の里』
ここ五家荘は壇ノ浦で敗れた平家の残党が逃れてきた場所で、まぁ成り立ちが成り立ち上ひっそりと生活していたそうです
暫くはそんな生活でしたが、時が経つにつれ里の規模や人口が多くなり色々と不自由が生じてきた為に、
1394年当地を支配下に治めていた阿蘇氏と同盟を結ぶ事になります
そしてそれがこの里が歴史の表舞台に出てくる切っ掛けとなります
途中の道通ったらわかりますが現代でもけっこう険しい道なので、これは言われないと分からないですよ
施設

1枚目は資料館で、2枚目は里の守り神鬼山御前、3枚目は施設内にある平清盛の木像です

帰りはr159を通ってR445に戻ります
合流地点に達するとこういった状況になってました

手前のr159樅木ってなっている方から来て、R445人吉・五木となっている(バイクの向きの)方に行きたいのですが、
その方はバリケード封鎖されており行けなくなっています
徒歩ならいけるので入ってみましたら以下の通りです

あぁこりゃあダメだ…
でも、看板が存在していたんで記念に(上の写真の右側の鉄棒がその看板)


まぁそんなこんなで五木村宮園地区にきました
ここには大イチョウがあり、それが有名らしいです

その対面には釈迦堂があります

そしてその奥には阿蘇神社もあります


R445を南下します
やってきたのは五木村中心部

こういった街道風景なんか好きです
R20を利用した時に必ず休憩した山梨の鳥沢の風景を思い出します
ここには『五木阿蘇神社』があります

ここは合祀して出来た神社なんですが、前身は東俣・西俣大明神となっており、大同年間創建との事だそうです
また、歴代相良藩主の崇敬も篤かったとか
時代は流れ、平成16年川辺川ダムが建造されるにあたり、当地が水没予定地だった事から、
東俣・西俣両阿蘇神社他、清楽の白木神社の3社を合祀して現在の形に至ったそうです

R445を更に南に下り、トンネルを4つ抜けた先に神社があります
『霧島神社』


更に南下しよくわからない道を進んだら瀬目という集落があるのですが、
そこにある『瀬目八坂神社』

勧請は嘉慶二年(1388年)で、安産や農作物、水神との関りがある神社だそうです

ここからは元来た道を戻り、r25で八代方面に抜けますが、途中公園があったので寄ります
白滝公園

本当に恐ろしいくらい水が透き通っていて、めっちゃ綺麗です

木の麓付近に神社があります
『白滝阿蘇神社』

公園の奥には小規模ながらも鍾乳洞があります


以上、清流の街『五木村』でした


FOMAとか懐かしい…





神社探訪記(高森、阿蘇編)

2017-04-25 23:36:16 | 御朱印
行ってきました、一部で話題のスポットに
私がこの神社を知ったのは数少ないリア友から『神社好きならあそこ行ってよ!ほぎほぎ神社とかいうの』というラインが入った事です
彼女曰くテレビで見たそうで、神主不在の時は映像で祈祷するとかなんとか(笑)
この時点で面白そうだなとは思っていましたが、いつ行くかは特に考える事もありませんでした
しかし、その後大分で愛媛サポの知り合いと食事をした際に、その方からも『○○さんはほぎほぎ神社って知っています?』
って話題になり、この短期間でこうも話題になるって事は行った方がいいのかなーと思い、
Jリーグ開始前までの短時間でちょっとツーリングがてら行ってこようと思い立ち、ついに行ってきました

『宝来宝来神社』

いや、これは色々と興味深い
絵馬とか見ても物凄く俗世的な感じがします(笑)

そして噂の映像祈祷

勿論映像も見ました

そして立派な岩

看板には何て書いてあるんでしょう

ほうほう、ロト6が当たると・・・
買った事ないけど、買ってみようかな(笑)

そして他にはこんな神様もいました

猫神様です

まぁ『鰯の頭も信心から』って諺もありますから、これはこれでいいのかなーって思います
面白い場所ではありますし(笑)

宝来宝来神社を出ると、『足手荒神神社』が近くにあるとの事で、行ってみました

先ほどの宝来宝来神社とは全然違う風景です
ただ、神社の目の前には素晴らしい風景も


その後はr28を東へ進んでいますと、神社があったので寄ってみます
『八面社』


そして村山鎮座『祖母神社』
御祭神は『阿蘇都姫命』

この苔むした感じがたまりません


R265を北上し次の目的地『上色見熊野坐神社』に到着です

この階段を奥に進みます

拝殿の写真はありませんでした…
が、神社の奥にある『穿戸岩(ほげといわ)』の写真はあります

これは本殿脇から見上げたところになります(写真中央付近の空洞)
この岩はその昔阿蘇大明神が阿蘇山頂から弓を撃って楽しんでいたところ、
大明神の従者である鬼八法師がいちいち拾いに来ることを面倒に思って、矢を足の指に挟んで投げ返したところ、
それに大明神が激怒して(そりゃそうだ笑)逃げる鬼八法師を追いかけたところ、
法師がこの岩に逃げ道を阻害されたので、蹴破って逃げたという神話が残っているそうです

そして再度走り出しますが、根子岳を左に見ながら走るこのコース
道も走り易くて気持ちいいです

r213に乗り換えやってきたのが『国造神社』

御祭神は『国造速瓶玉命』、『雨宮媛命』、『高橋神』、『火宮神』です
国造以外はどこかでみたことあるなーと思ったら、小国の『小国両神社』と同じ御祭神ですね
どういった縁があるのでしょうね
御朱印もありますが、自分で押すタイプです

何気に初めてです、自分で押すのは(笑)

最後にせっかくなので阿蘇神社にも寄りました

地震で崩壊した楼門はこの状態です

御朱印も頂戴しました

一日も早い建て直しを望みます
なお、熊本地震の際にマスコミは阿蘇地方については神社の楼門以外は殆ど取り上げていなかったので知らないと思いますが、
阿蘇地方も甚大な被害を受けたようです
仕事で取引先周りをしていますと、雑談がてら当地の方から当時の話を色々と教えていただく事ができるのですが、
それはもう大変な苦労を皆さんされたようです
ただ、そんな中でも被害がこの程度で済んだのは阿蘇神社が護ってくれたからって話をまた方々から聞く事も出来て、
本当に地元で愛されるというか、崇敬されている神社なんだなーというのを感じます


このお店は阿蘇神社の門前町にある洋菓子屋で、『たのや』という様です
ちょっと小腹が空いたのでシュークリームを買いました
後で別件で調べ物をしていましたら、『ぐるなび』で高評価のお店だったようです




神社探訪記(延岡編)

2017-04-17 19:48:23 | 御朱印
今回は初めてプライベートで宮崎に行ってきました
(仕事ではちょくちょく行ってはいます)
目的地は延岡
自宅からは110km位なので、比較的近い位置にある都市です
ルートとしてはR218(ひむか神話街道)がメインになりますね

この日は初めて夏用のメッシュジャケットとグローブで行く事にしました
両方とも買ったばかりで、着てみたかったので(笑)
しかし、朝は寒かったです
途中高千穂付近では気温8℃
メッシュジャケットの下はロンTって格好だったので、寒い寒い
手もかじかみました(笑)

ただ、途中通過した日之影町の風景は素晴らしかったです

奥に写っているのは『天翔大橋』という橋です

そして延岡市で始めに参拝した神社がこちら
『鹿越神社』です

小さな集落にある、小さな神社です

続いては北方町角田鎮座『角田神社』

御祭神は『伊弉諾命』、『速玉男命』、『事解男命』

次は舞野町鎮座『舞野神社』

畑の中にポツンと立っている鳥居って、なんか雰囲気ありますよね
この日は神社に併設した集会所で、何かの集まりをしていました

次は松山町『本東寺』です

ここへ来た理由の一つは、松尾城跡の付近にあるという事です

長坂家墓

初代長坂彦五郎信政は松平清康~家康の三代に仕えた槍が得物の部将で、合戦の度に敵の血で穂先を赤く染めて戦ったという事から
『血染九郎』という通名をいただいていたそうです
何故三河の人のお墓が日向延岡にと言いますと、延岡藩歴代藩主の中で内藤氏がいるのですが、
長坂家の人が旗本としてその内藤氏に仕えていた事からだそうです

有馬家墓

こちらは延岡藩二代目(初代は高橋元種)藩主有馬家の墓になります

本堂


御朱印

何故『大黒天』なのかと言いますと、ここ本東寺は日向七福神の一つなのだそうです

そして本東寺の裏に松尾城址へ続く道があるので行ってみました
本丸跡

二の丸跡

二の丸跡には祠がありました

次は本東寺のそばにある『永田神社』です

御祭神は『武内宿祢命』になります

続いて古川町『安賀多神社』

御祭神は『天照大神』、『手力雄命』、『萬幡豊秋津師姫命』
養老元年に『神明社』として創建されたのが始まりで、県北最古の神社になるそうです
明治六年に県社になり、それに合わせて社名も現名に変更されたそうです
すると何故『安賀多』なのかという疑問が当然出てくると思うのですが、
延岡地方は古来より縣と呼ばれ、松尾城も別名縣城と呼ばれたり、延岡藩の前進も縣藩と呼ばれていた事から、
当然の成り行きとして『あがた』になったのでしょうね、『安賀多』の字の由来は不明ですが

そして延岡といえば『今山八幡宮』です

御朱印

そして『今山大師』

御朱印

今年は大師像建立60周年という事で、左上に記念スタンプが付いています

更にこの日は今山大師祭りの真っ最中という事で、境内はすっごく賑わっていました

そして私は当然のごとく下調べ無しの突貫で参拝に来たので、ビビります(笑)
その話を受付のおばさんに話しましたら、おばさんもびっくりされてました(笑)
まぁ普通はそういう下調べをしてくるのが一般的でしょうから(笑)
でも、そこから話が弾んで色々聞けたのは良かったです
おばさんやおじさんに来年もまた来ることを約束して、今山八幡宮を後にします

粟野名鎮座『粟野名神社』


大武鎮座『大武神社』


牧鎮座『牧神社』


柚の木田鎮座『広田荒神社』


無鹿町鎮座『妻耶大将軍神社』


上記の神社は今でこそ別々に存在していますが、
明治三年の一村一社の達示に基づき、一時期は全て粟野名神社に合祀されていたそうです

そして何か折角だしという事で、今居る場所から離れた場所に在る『土持神社』に向かいます

土持神社は大友氏に滅ぼされるまで、ここ日向縣の地を平安期から納めてい有力一族になります
元の姓は田部氏といい、大分の宇佐八幡宮の社人として京より下向してきた氏族らしいです
また、先ほど出てきた松尾城の城主にもなりますね
そして土持神社のある延岡市妙は土持高信が大友氏との合戦に敗れ自害した地に建つ神社となる訳です

腰掛岩

拝殿

墓所


土持氏の興亡に想いを幾許か馳せた後、いよいよツーリング再開です
普通に帰れば来た道を戻るのが一番早い
ただ、この日は天気も素晴らしくよく、海岸線も走りたいという事でやってきたのが
道の駅『北浦』

が!実はR388はトンネルばかりの山中を走る道で、全然海を楽しむ事が出来なかったんですけどね
昼飯


そして一旦延岡方面に戻り、R10号に乗った後は今度はR326で豊後大野を目指します
そう、この前大分行った時にレッカーで走れなかった部分にリベンジという流れです(笑)

道の駅『宇目』
くりソフト

土持氏はこんな奴らに滅ぼされたのか…(苦笑)


R502を走っていると、また道の駅があったので寄ります
道の駅『原尻の滝』


以上、今回の延岡ツーリング報告になります
今回は五ヶ瀬川と祝子川の間を中心に回ったので、次回は別の場所に行ってみたいと思います