前日の雨が嘘かのような好天(ってこともないですが 笑)になった2日目
2日目の目的は噂に名高い呼子のイカと、名護屋城跡の見学でした
はっきり言ってイカはともかく、名護屋城の各大名の陣めぐりもこの段階では非常に楽観的に捉えてました
8時前に唐津から呼子行のバスに乗り、揺られる事30分前後でしょうか?呼子に到着
先ずは恒例の神社に御挨拶
バス停の近くに愛宕神社と呼ばれる神社がありましたので参拝いたしました
これは神社から、呼子市街を撮った写真です
そしてまだ時間があったのでうろうろしてますとまた神社がありましたので、参拝
呼子三神社というそうです
そして9時頃になり朝市が開き、人が徐々に集まってきます
何でも呼子の朝市は日本三大朝市の一つに数えられるとか
そしてこの日のお目当ての一つであるイカを食べに、早速開いているお店に入店
イカのげその踊り食いなんて初めて食しました
あと、写真にはないですがこの後いか焼売も出てきます
そして、イカ刺しの残った部分は天ぷらになります
お腹いっぱいになって満足した後は、いよいよ陣跡めぐり
自転車を呼子で借りるべく、お店の方に伺ったら○○で借りれなかったかな?って教えていただいたので、
早速伺うと、『あ~、うちはレンタル止めちゃって自転車は全部他にあげちゃったんだよ』と言われるも、
『ちょっと待って、借りれるか訊いてみるから』と確認していただき、無事借りれる流れに。有難うございます<(_ _)>
そして、言われたホテルに向かうと受付の方が迎えて下さったのですが、なんと
『ごめん、自転車の鍵が見つからない』、と・・・
で、暫く探すも見つからず、諦めた矢先に『じゃあ悪いから私の自転車貸すよ』と、また有難い申し出が!
そして貸していただいた自転車は、電動アシスト付どころか、ギア切り替えもないただのママチャリ
ぶっちゃけ海岸沿いに動けば大した事ないと舐めてましたんで、まぁいっかと借りましたが、これが・・・
最初は加部島にある、田島神社に向かいました
というのも、こちらで御朱印がいただけるそうなので、唐津に来ることも早々ないので折角だからいただこうかと
すると加部島に渡る呼子大橋の麓に早速第一陣跡発見!
賤ヶ岳七本槍の一人であり、伊予松山の大名『加藤嘉明』の陣跡です
本当はこの先に幟があるんですが、途中の道が上は蜘蛛の巣まみれ、下は前日の雨でドロドロの泥濘
とてもじゃないですが、当日の装備で挑むには心もとなかったので諦めました
呼子大橋から名護屋大橋を望む
加部島から呼子大橋を望む
そして、この段階ですでに『ただのママチャリ』でこの行程に挑んだ事が如何に軽率だった事か思い知ります(笑)
海岸沿いは確かに起伏少ないですが、一歩中に入れば起伏しかない土地だなんて一切想定してませんでした
でも、本当の地獄は加部島を出て、鎮西地区に入ってからでしたが・・・
話を戻して、田島神社に到着
第一感想が『でけぇ!!!』の一言
言っちゃ悪いですが、こんな僻地にこんなに立派な構えの神社があるとは思ってもいませんでした
神社の方に伺いますと、以前は国が管理していたそうです。なるほど、納得
今はそうじゃなくなったから、ホント修繕費用等含めての管理が非常に難しいと嘆いてらっしゃいました
先週伺った伏見稲荷大社との格差を感じましたね
そして、いよいよ鎮西地区にある名護屋城跡等に向かいます
名護屋大橋から、呼子大橋を望む
ここからは見つけられた陣跡の写真を列挙
うちの祖先の陣跡もありましたし、それにはちょっとした感動を覚えました
そしてそのうち、堀秀正と豊臣秀保は規模が大きい事もあり覚悟を決めて実際に跡地にも行きました
堀秀正陣跡
こちらはベンチなんかがあったり、説明版も新しく、最近整備された感がありました
豊臣秀保陣跡
こちらは説明版は古い感じがしており、ところどころ割れたり壊れたりしており残念な状態でした
で、両者どころか大体の陣跡に言える事なんですが、実際の跡地に向かう道がこれが苦行以外のなにものでもありません(笑)
道があればいい方、ある道も前日の雨でぬかるんでおり、道なき道を進む方はもう悲惨でしたからね
ただ、私にとっては学生の頃に地元にあったアイヌ砦の跡地探索をした頃の気持ちをちょっと思い出させてくれて、それはそれで楽しかったですが(笑)
よくまぁただのママチャリでよくこんだけ回ったなって思いますけど、極めつけは全く予定になかった波戸岬に行った事です
これはホントに予定になく、陣跡巡りをしていたらいつの間にか岬付近まで来ており、それなら序に行っちまうかって事で行きました
あと、何か恋人の聖地だとからしくこんなモニュメントも
左端に写っているのはハートの石です
そしてこの付近で寝転がって暫く休んでいたら、やたら家族やカップルから写真頼まれました
何で大した幸せでもない私が幸せな人間に協力しなければならないのかと自問自答しながらも、快く撮影には応じましたが(笑)
で、やっぱりママチャリでこんなとこにいるから地元の人と間違われたりしたんですが(途中道訊かれたり)、
関東から遊びに来ていて、ママチャリで呼子から加部島回ってここまで来ましたって言うと、皆さん普通に驚かれました
まぁこの行程の厳しさを知った今の自分なら同じく普通に驚きますよ、基地外か体力バカかってね(笑)
そして波戸岬に着いた時点で結構な時間になっており、何より肝心の名護屋城跡に行ってないので、急いで戻ります
で、名護屋城跡に着いた時点で悲劇が襲います
そう、デジカメのバッテリーがなくなりました
なので写真はありません、僅かにスマホで撮った程度です
(そのスマホも元々バッテリー消費が早いうえに、ナビ役も今回は担っていたので、最終的に同じくバッテリーなくなりました)
本当はもっと回りたかったですが、上記の状態にプラスして、日が沈み始めるという時間だったので、呼子に撤収し、自転車を返し、唐津にバスで帰還しました
最後になりますが、自転車に乗ったのなんて実に8年ぶり位になります
そして学生時代はサッカーとアメフトやっていましたが、それから10年は大した運動もせずに過ごしていたにも関わらず、
いきなりここまで動けるんですから、若いころの積み重ねって大事なんだなーって感じましたね
2日目の目的は噂に名高い呼子のイカと、名護屋城跡の見学でした
はっきり言ってイカはともかく、名護屋城の各大名の陣めぐりもこの段階では非常に楽観的に捉えてました
8時前に唐津から呼子行のバスに乗り、揺られる事30分前後でしょうか?呼子に到着
先ずは恒例の神社に御挨拶
バス停の近くに愛宕神社と呼ばれる神社がありましたので参拝いたしました
これは神社から、呼子市街を撮った写真です
そしてまだ時間があったのでうろうろしてますとまた神社がありましたので、参拝
呼子三神社というそうです
そして9時頃になり朝市が開き、人が徐々に集まってきます
何でも呼子の朝市は日本三大朝市の一つに数えられるとか
そしてこの日のお目当ての一つであるイカを食べに、早速開いているお店に入店
イカのげその踊り食いなんて初めて食しました
あと、写真にはないですがこの後いか焼売も出てきます
そして、イカ刺しの残った部分は天ぷらになります
お腹いっぱいになって満足した後は、いよいよ陣跡めぐり
自転車を呼子で借りるべく、お店の方に伺ったら○○で借りれなかったかな?って教えていただいたので、
早速伺うと、『あ~、うちはレンタル止めちゃって自転車は全部他にあげちゃったんだよ』と言われるも、
『ちょっと待って、借りれるか訊いてみるから』と確認していただき、無事借りれる流れに。有難うございます<(_ _)>
そして、言われたホテルに向かうと受付の方が迎えて下さったのですが、なんと
『ごめん、自転車の鍵が見つからない』、と・・・
で、暫く探すも見つからず、諦めた矢先に『じゃあ悪いから私の自転車貸すよ』と、また有難い申し出が!
そして貸していただいた自転車は、電動アシスト付どころか、ギア切り替えもないただのママチャリ
ぶっちゃけ海岸沿いに動けば大した事ないと舐めてましたんで、まぁいっかと借りましたが、これが・・・
最初は加部島にある、田島神社に向かいました
というのも、こちらで御朱印がいただけるそうなので、唐津に来ることも早々ないので折角だからいただこうかと
すると加部島に渡る呼子大橋の麓に早速第一陣跡発見!
賤ヶ岳七本槍の一人であり、伊予松山の大名『加藤嘉明』の陣跡です
本当はこの先に幟があるんですが、途中の道が上は蜘蛛の巣まみれ、下は前日の雨でドロドロの泥濘
とてもじゃないですが、当日の装備で挑むには心もとなかったので諦めました
呼子大橋から名護屋大橋を望む
加部島から呼子大橋を望む
そして、この段階ですでに『ただのママチャリ』でこの行程に挑んだ事が如何に軽率だった事か思い知ります(笑)
海岸沿いは確かに起伏少ないですが、一歩中に入れば起伏しかない土地だなんて一切想定してませんでした
でも、本当の地獄は加部島を出て、鎮西地区に入ってからでしたが・・・
話を戻して、田島神社に到着
第一感想が『でけぇ!!!』の一言
言っちゃ悪いですが、こんな僻地にこんなに立派な構えの神社があるとは思ってもいませんでした
神社の方に伺いますと、以前は国が管理していたそうです。なるほど、納得
今はそうじゃなくなったから、ホント修繕費用等含めての管理が非常に難しいと嘆いてらっしゃいました
先週伺った伏見稲荷大社との格差を感じましたね
そして、いよいよ鎮西地区にある名護屋城跡等に向かいます
名護屋大橋から、呼子大橋を望む
ここからは見つけられた陣跡の写真を列挙
うちの祖先の陣跡もありましたし、それにはちょっとした感動を覚えました
そしてそのうち、堀秀正と豊臣秀保は規模が大きい事もあり覚悟を決めて実際に跡地にも行きました
堀秀正陣跡
こちらはベンチなんかがあったり、説明版も新しく、最近整備された感がありました
豊臣秀保陣跡
こちらは説明版は古い感じがしており、ところどころ割れたり壊れたりしており残念な状態でした
で、両者どころか大体の陣跡に言える事なんですが、実際の跡地に向かう道がこれが苦行以外のなにものでもありません(笑)
道があればいい方、ある道も前日の雨でぬかるんでおり、道なき道を進む方はもう悲惨でしたからね
ただ、私にとっては学生の頃に地元にあったアイヌ砦の跡地探索をした頃の気持ちをちょっと思い出させてくれて、それはそれで楽しかったですが(笑)
よくまぁただのママチャリでよくこんだけ回ったなって思いますけど、極めつけは全く予定になかった波戸岬に行った事です
これはホントに予定になく、陣跡巡りをしていたらいつの間にか岬付近まで来ており、それなら序に行っちまうかって事で行きました
あと、何か恋人の聖地だとからしくこんなモニュメントも
左端に写っているのはハートの石です
そしてこの付近で寝転がって暫く休んでいたら、やたら家族やカップルから写真頼まれました
何で大した幸せでもない私が幸せな人間に協力しなければならないのかと自問自答しながらも、快く撮影には応じましたが(笑)
で、やっぱりママチャリでこんなとこにいるから地元の人と間違われたりしたんですが(途中道訊かれたり)、
関東から遊びに来ていて、ママチャリで呼子から加部島回ってここまで来ましたって言うと、皆さん普通に驚かれました
まぁこの行程の厳しさを知った今の自分なら同じく普通に驚きますよ、基地外か体力バカかってね(笑)
そして波戸岬に着いた時点で結構な時間になっており、何より肝心の名護屋城跡に行ってないので、急いで戻ります
で、名護屋城跡に着いた時点で悲劇が襲います
そう、デジカメのバッテリーがなくなりました
なので写真はありません、僅かにスマホで撮った程度です
(そのスマホも元々バッテリー消費が早いうえに、ナビ役も今回は担っていたので、最終的に同じくバッテリーなくなりました)
本当はもっと回りたかったですが、上記の状態にプラスして、日が沈み始めるという時間だったので、呼子に撤収し、自転車を返し、唐津にバスで帰還しました
最後になりますが、自転車に乗ったのなんて実に8年ぶり位になります
そして学生時代はサッカーとアメフトやっていましたが、それから10年は大した運動もせずに過ごしていたにも関わらず、
いきなりここまで動けるんですから、若いころの積み重ねって大事なんだなーって感じましたね