つい先日初日の出ツーリングに行ってきましたが、この前の土曜日も暖かったので走ってきました
今回の目的地は静岡県藤枝市
これといった理由は特になく、暫く静岡方面行ってなかったのでそれだけです(笑)
自宅を出発したのは5時半過ぎ
当初の予定では往路はR1で箱根越えするつもりでしたが、融雪剤情報があったので道順変更
往復ともにR246にしました
この時期のこの時間、走っている車も少なく寒さを除けば極めて順調な走りだしでした
そして最近ツーリングの定番になっている朝マックを沼津市内でとります
マックの何がいいって、郊外のロードサイド店は客が少なくてゆっくりできるのもあるし、
あと単純に店内が暖かくて冷えた体を温めるのにちょうどいいんですよね
沼津からはR1BPで一路西進、一気に藤枝まで突き抜けます
そんなこんなで藤枝には10時前に着いて、散策を開始します
最初に行ったのはこちらの建物
なんでも旧藤枝製茶貿易会社の社屋らしいです
いつ頃建てられたのか不明ですが、近代建築の一つでしょうか
googlemapで社屋を見つけた時は引っ掛からなかったので気付かなかったのですが、
貿易会社社屋の隣に神社があったので立ち寄りました
若一王子神社といって、藤枝の地名の由来になった神社だそうです
そして個人的には何気に初詣になります(笑)
次は上記場所からほど近い場所にある飽波神社です
この辺りの中心的神社なのでしょうか、駐車場もあり参拝客も絶える事無くやってきます
こちらでは御朱印も頂戴しました
時期的に書置きになってしまうのはしょうがないですね
藤枝にも出雲大社がありました
出雲大社の後は藤枝市郷土博物館へ
受付の前にマンホールカードの云々ってポスターが掲示されており気になったので受付の人に尋ねてみると、
「ここにサインくれたらプレゼントしますよー」って言われたので『何処から来ました』的な用紙に記入し、
見事ゲットです
マンホールカード自体存在は知ってましたが、まさか本当に実在するなんて(笑)
こういう想定外の嬉しいサプライズがあるからツーリングって楽しいなってしみじみ思います
館内の展示は藤枝市の今昔についての展示でしたが、ここでも意外な事実を知ります
戦国時代この辺りの地域は今川氏が統治していたのですが、
今川氏輝亡き後に起こった今川義元と玄広恵探との相続争い『花倉の乱』の舞台となった花倉が、ここ藤枝にあったんですよ!
個人的に今川義元は結構好きで(漫画『センゴク』は持っていないけど、外伝『桶狭間戦記』だけは全巻持ってる位に)、
ちょっとテンション上がったので午後からは予定を変更して花倉地域の散策に出ました(笑)
他に今は特別展示で幕末維新と藤枝の関りに関する展示が行われていました
博物館の屋外展示は蒸気機関車がありました
敗戦となった駿遠線ので実際に使用されていた物で、貴重な機関車です
蒸気機関車って聞くとSLのイメージがありますが、こいつはえっらい小さいです
ミニチュアSLみたいで何か可愛らしい奴です(笑)
博物館の前には蓮華寺池が広がります
散歩にはうってつけの場所なんでしょう、暖かかったこの日は多くの人が出ていました
きっとこの辺りでポケGoやったらスポットいっぱいなんだろうなーって思いました
博物館を出てからはちょっと東に進み『田中城跡』に行きました
現在は学校が跡地に立っており、ちょっとした遺構なんかがあります
田中城跡付近にある田中神社
同じく左車神社
左車神社の由緒は後嵯峨天皇第一皇子宗尊親王が鎌倉に行く際に、乗っていた輿の左の車輪がここで壊れたからそれを修繕して、
元の車輪をここに埋めて祠を立てた事だそうです
今は周りを更地に囲まれた寂しい場所に立っています
さて、ここからは花倉です
この花倉がある葉梨郷一帯は駿府府中に移るまで根拠地にしていた場所です
徧照寺
今川氏の居館があったところで、花倉の乱で義元と対立する玄広恵探が一時在していた寺院です
かつての栄華は何処へやら、今ではひっそりとした佇まいをみせています
ここには今川範氏・氏家親子の墳墓があります
補陀洛寺
葉梨郷の古刹
花倉の乱等の影響で荒廃するも後に再興
しかしまた荒廃するが、平成の世に再度再興
駿河三十三観音霊場の七番札所
長慶寺
今川泰範と太原崇孚の墓があるところ
崇孚(雪斎)といえば、言わずと知れた戦国時代を代表する名軍師
八幡神社
今川氏の産土神社として崇敬された神社
花倉はこんな感じです
本当は花倉城跡も山の上にあるのですが、正直時間や装備の面を考えて断念しました
こんな感じで藤枝をフラッと散歩して帰路に着きました
走行距離は400km弱
以上!
今回の目的地は静岡県藤枝市
これといった理由は特になく、暫く静岡方面行ってなかったのでそれだけです(笑)
自宅を出発したのは5時半過ぎ
当初の予定では往路はR1で箱根越えするつもりでしたが、融雪剤情報があったので道順変更
往復ともにR246にしました
この時期のこの時間、走っている車も少なく寒さを除けば極めて順調な走りだしでした
そして最近ツーリングの定番になっている朝マックを沼津市内でとります
マックの何がいいって、郊外のロードサイド店は客が少なくてゆっくりできるのもあるし、
あと単純に店内が暖かくて冷えた体を温めるのにちょうどいいんですよね
沼津からはR1BPで一路西進、一気に藤枝まで突き抜けます
そんなこんなで藤枝には10時前に着いて、散策を開始します
最初に行ったのはこちらの建物
なんでも旧藤枝製茶貿易会社の社屋らしいです
いつ頃建てられたのか不明ですが、近代建築の一つでしょうか
googlemapで社屋を見つけた時は引っ掛からなかったので気付かなかったのですが、
貿易会社社屋の隣に神社があったので立ち寄りました
若一王子神社といって、藤枝の地名の由来になった神社だそうです
そして個人的には何気に初詣になります(笑)
次は上記場所からほど近い場所にある飽波神社です
この辺りの中心的神社なのでしょうか、駐車場もあり参拝客も絶える事無くやってきます
こちらでは御朱印も頂戴しました
時期的に書置きになってしまうのはしょうがないですね
藤枝にも出雲大社がありました
出雲大社の後は藤枝市郷土博物館へ
受付の前にマンホールカードの云々ってポスターが掲示されており気になったので受付の人に尋ねてみると、
「ここにサインくれたらプレゼントしますよー」って言われたので『何処から来ました』的な用紙に記入し、
見事ゲットです
マンホールカード自体存在は知ってましたが、まさか本当に実在するなんて(笑)
こういう想定外の嬉しいサプライズがあるからツーリングって楽しいなってしみじみ思います
館内の展示は藤枝市の今昔についての展示でしたが、ここでも意外な事実を知ります
戦国時代この辺りの地域は今川氏が統治していたのですが、
今川氏輝亡き後に起こった今川義元と玄広恵探との相続争い『花倉の乱』の舞台となった花倉が、ここ藤枝にあったんですよ!
個人的に今川義元は結構好きで(漫画『センゴク』は持っていないけど、外伝『桶狭間戦記』だけは全巻持ってる位に)、
ちょっとテンション上がったので午後からは予定を変更して花倉地域の散策に出ました(笑)
他に今は特別展示で幕末維新と藤枝の関りに関する展示が行われていました
博物館の屋外展示は蒸気機関車がありました
敗戦となった駿遠線ので実際に使用されていた物で、貴重な機関車です
蒸気機関車って聞くとSLのイメージがありますが、こいつはえっらい小さいです
ミニチュアSLみたいで何か可愛らしい奴です(笑)
博物館の前には蓮華寺池が広がります
散歩にはうってつけの場所なんでしょう、暖かかったこの日は多くの人が出ていました
きっとこの辺りでポケGoやったらスポットいっぱいなんだろうなーって思いました
博物館を出てからはちょっと東に進み『田中城跡』に行きました
現在は学校が跡地に立っており、ちょっとした遺構なんかがあります
田中城跡付近にある田中神社
同じく左車神社
左車神社の由緒は後嵯峨天皇第一皇子宗尊親王が鎌倉に行く際に、乗っていた輿の左の車輪がここで壊れたからそれを修繕して、
元の車輪をここに埋めて祠を立てた事だそうです
今は周りを更地に囲まれた寂しい場所に立っています
さて、ここからは花倉です
この花倉がある葉梨郷一帯は駿府府中に移るまで根拠地にしていた場所です
徧照寺
今川氏の居館があったところで、花倉の乱で義元と対立する玄広恵探が一時在していた寺院です
かつての栄華は何処へやら、今ではひっそりとした佇まいをみせています
ここには今川範氏・氏家親子の墳墓があります
補陀洛寺
葉梨郷の古刹
花倉の乱等の影響で荒廃するも後に再興
しかしまた荒廃するが、平成の世に再度再興
駿河三十三観音霊場の七番札所
長慶寺
今川泰範と太原崇孚の墓があるところ
崇孚(雪斎)といえば、言わずと知れた戦国時代を代表する名軍師
八幡神社
今川氏の産土神社として崇敬された神社
花倉はこんな感じです
本当は花倉城跡も山の上にあるのですが、正直時間や装備の面を考えて断念しました
こんな感じで藤枝をフラッと散歩して帰路に着きました
走行距離は400km弱
以上!
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