memory of caprice

浮世離れしたTOKYO女子の浮世の覚書。
気まぐれ更新。

作家の読書道 平野啓一郎

2015-02-18 11:04:33 | BOOK
水曜日の朝日書評欄。日曜日のそれと違って全面広告なのですが、インタビュー記事「作家の読書道」が面白い。
いえ、勿論、今までの読書歴を披露する内容ゆえ、その作家によって面白さには天地の隔たりがあるのですが。
2015年2月18日(水)朝日朝刊より。

今回は平野啓一郎。
1975年愛知生まれ。京都大学法学部卒。
在学中の1999年「新潮」に投稿した「日蝕」により芥川賞を受賞。

面白いのでQ&A全てを転記しますね。

―一番古い読書の記憶を教えてください。
■最初は絵本になりますね。ラドヤ―ド・キプリングの小説を絵本にした「ジャングル・ブック」や「ア―サー王伝説」の絵本とかと、日本の絵本をいろいろ読みました。でも、読書は嫌いでした(笑)

――読書が好きになったのはいくつの頃ですか?
■中学2年生の時に、三島由紀夫の『金閣寺』を読んで「これはやっぱすごいな」と思ったんです。
それから趣味は読書になりました。三島は多読な作家だったので、三島を通じて彼が好きだったいろんな作家を読んで行きました。あとは、大江健三郎の作品を読むようになりました。『万延元年のフットボール』は大学に入ってから読んだんですけれど、あの緊迫感は衝撃的でした。

――そして京都大学に進学し、京都に住まいを移してからの読書生活といいますと
■渋澤龍彦とか。それからミルチャ・エリアーデという宗教学者がすごく好きになりました。その一方で、三島の影響もあってジョルジュ・バタイユを読んで、神秘主義とエロティシズムとの結びつきに興味を持つようになりました。その辺から『日蝕』の構想につながっていくような関心が芽生えていきました。

――京大在学中に芥川賞を受賞。卒業後もしばらく京都にお住まいでしたよね。
■学生時代を含めて10年ほど京都にいました。学生時代のうちに読んだものでは、森鴎外も好きでした。あの人、いろんなものを書いていますけれど、小説は学生時代に全部読みました。それが僕の中では大きな財産になっていますね。

――今、趣味で読むものはどんな小説ですか?
■イアン・マキューアンやミシェル・ウエルべックは新刊がでるとチェックします。でもやっぱり僕はちょっと古い小説のほうが好きなんですよね。去年一昨年は『空白を満たしなさい』を書き終わった後、『透明な迷宮』を書くためにまたしばらく短編を読んでいたんです。昔買ったまま寝かしている本が書棚にいっぱいあって、ギヨーム・アポリネールの『異端教祖株式会社』という白水社から出ている短編集も昔買って食指が動かされないまま10数年放っておいたんです。でもふとひらめいて読んでみたら、すごく面白くて。同じように寝かせておいた本で、マルグリット・ユルスナ―ルの『とどめの一撃』という中編には感動しました。なんでもっと早く読まなかったのか、というくらい。文体も何もかもが素晴らしいと思いました。

――今後のご予定は。
■3月から毎日新聞で連載が始まるので、今はもっぱらそれの準備をしています。恋愛小説です。タイトルは『マチネの終わりに』。マチネの終わりになにかがある話です(笑)。単純に言うと、運命に翻弄されながらお互いに想いを寄せあっている男女が会えるか会えないかという、古典的なテーマですね。




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「迷宮としての世界~マニエリスム美術」

2014-12-09 03:16:02 | BOOK
2014年12月7日 書評欄「思いだす本忘れない本」コーナーで。

JAZZ喫茶に行く時にアクセサリーのように持ち歩いた、との記述に、ある年代の 知的に背伸びすることにダンディズムを感じる姿勢、という今や失われつつある美徳・・・に再会したような共感を覚えました^^

随筆家坂崎重盛さん(42年生まれ。『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活』(求龍堂))のおすすめ。

グスタフ・ルネ・ホッケ「迷宮としての世界 マニエリスム美術」種村季弘・矢川澄子訳、岩波文庫 上・1231円、下・1015円


面白いので全文転載。

 青春の季節には、キツネがピョンと跳び上がり化けるように、まったく別の人間にクルッと反転してしまうことがあるようです。
 東京下町生まれのせいか、中・高校生のころから落語、端唄、俗曲、あるいは浮世絵の情趣にのめり込んでいたのが、大学に入る頃には一転、音楽はジャズ、ビジュアルはダダ、シュールレアリズムにうつつをぬかすことに。
 そして当時、日本に上陸したモダンジャズを聴かせる喫茶店を求めて東京中を巡り歩くこととなる。その挙句、一学年25人しかいない学科(造園学科)で、コンボを結成してしまうのだから、軽薄にも念がいっている。
 手にする本も、それまで撫でるように慈しんできた東京懐古の安藤鶴夫、木村荘八、正岡容(いるる)といった傾向から一変、コリン・ウィルソン、ジョルジュ・バタイユ、ガストン・パシュラ―ルという洋物系に。そんな時期に、真打ち登場!という感じで出会ったのが、このグスタフ・ルネ・ホッケ著の『迷宮としての世界』でした。
 ドイツの文化史家によって60年ほど前に書かれたマニエリスム美術の先駆的著作。版元は美術出版社。
 まず、その造本に魅了された。平背、ハードカバー。タイトル金箔押し、函入り。しかも、函は下部中央部分が切り抜かれ、本表紙の図柄が見える、という凝った装丁。
 持っているだけで晴れがましい気持ちになった。ジャズ喫茶に行く時など、アクセサリーとして持ち歩いた。そのため函は傷み、本も珈琲などで汚れたがその実、本文はほとんど読めずにいた。ただひたすら異様にして綺想な図版の数々に喜び親しんだのでした。
 いま手元にあるのは二代目、古書店で美本を見つけ買い足した。
ところが―この『迷宮としての世界』が岩波文庫に。本文・図版の組みにも配慮があり、読みやすい。
 ついに読めなかった愛読書、この本を読了してしまう予感が・・・。
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「わたしを忘れないで」カズオ・イシグロ

2014-09-08 06:50:45 | BOOK
2014年9月7日の朝日日曜日の読書欄で。
「想い出す本忘れられない本」のコーナーに故・中島らも氏の娘であり作家である中島さなえさんが登場。

この本が出た2006年(彼女は1978年生まれだから28歳で読んだのですね)
ライターの仕事をしながらバンドを組んでサックスを吹いていました。
仲間から勧められ、分厚いなと思いながらページを開いたら、もう止まらない。
あんな一気読みは鈴木光司「リング」父の中島らも「ガダラの豚」以来でした。
1ページ目から謎だらけです。主人公はどんな経歴で何の仕事をしているのか。一切説明がなく、語りももごもごしている。でもどんどん引き込まれる。私は元来、飽きっぽくて、バイオリン、アコーディオン、英会話、簿記・・・続いているのはサックスと卓球くらいなんですが、この本には最初からハマりました。
 ある特別な”提供者”として施設で育てられた子供たちは外の世界を知らず、その目的のためだけに生きる。読むとすごく残酷な話なのですが、そこで育ってその環境しか知らないとそれが残酷とも不幸とも思わない。人間は遺伝子じゃなくて環境で作られると思うんですよ。この小説の世界は奇妙で異常だけど、それは外から見てのことで、中にいる者には普通なんです。自分だって、外から見ると不幸なのに知らないから満足しているだけかもしれない。広い世界があるとしても、ここでしか生きられないのは同じです。
 登場人物の中に、ルースという意地悪な女の子に興味を引かれます。他の子にはない嫉妬心や自己顕示欲があるいやな子。でも人間らしいんですよ。ルースみたいな子は私たちの周りにもよくいるけど、小説の中で他の子示す反応がわたしたちと違っていて、なんだか不気味で、それが「変だな」と思う要因のひとつかもしれません。重要なキャラクターですね。
 この本を読んで、「自分も小説を書きたい」と思いました。1人語り、一人称で書くことが多いのはイシグロの影響かも。これより好きな本はまだ見つからない。イシグロの本をもっと読みたいのに、なかなか出してくれないんです。

土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫 864円
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ダニエル・キイス考

2014-08-03 13:14:07 | BOOK
2014年6月に亡くなった「アルジャーノンに花束を」の著者、作家のダニエル・キイスとその仕事から、現代人の「自分探し~自己承認欲求の形」の状況をつづった 朝日新聞読書欄に同年7月27日に精神科医香山リカが寄せた一文を、掲載させていただこうと思います。

人間の精神、知と情のバランスについて、非常に痛切に考えさせられた一冊、20代前半に読んで印象深かったのと、その後ベストセラーになった「24人のビリー・ミリガン」についてはそれほど普遍的な真実を突き付けている、というよりも、興味のある方向にちょっと枝葉を伸ばして深めてしまったなという感じを受けたのを思い出しつつ・・・。


ダニエル・キイスがこの6月に亡くなった。『アルジャーノンに花束を』で知られるSF作家だが、ノンフィクションライターとしての代表作は、実在の解離性同一性障害者を描いた『24人のビリー・ミリガン』だ。
 オハイオ州の強盗強姦事件で逮捕・起訴されたビリー・ミリガンという名の男性が、心理学者と話す中、「ぼくはビリーじゃない」「ビリーは眠っている」と言い出す。弁護士らが精神鑑定を求め、ビリー本人の他に、23人もの人格を持つ解離性同一性障害者(当時は「多重人格者」)であることがわかる。交代人格には女性や子供もいたが、彼の犯行は「フィル」「ケヴィン」など凶暴な人格によるものだったのだ・・。

 裁判の記録や周囲の人たちの証言も交えたビリーの半生記が米国で出版され、日本語版が出たのは1992年だ。当時、精神科臨床の現場で解離性同一性障害の患者さんに会う機会はほとんどなかった。出版社から日本語版の解説を依頼された私は、「こんなに稀有な障害の記録に一般の人が興味を持つのか」と疑問も抱きつつ、不安も感じていた。キイスの筆によるビリーという極端な多面性を持った存在、またそれぞれの交代人格たちが、あまりに生き生きと魅力的に描かれ過ぎていたのだ。中には芸術家肌や外国人もおり、この障害が虐待からのサバイバルを目的として生じることを知らなければ、「ひとりでたくさんの人生を生きている人」というあこがれの対象にもなりかねない。
 この作品が出版される前、80年代半ばから日本ではちょうど「私さがし」と呼ばれる自己探求、自己啓発のブームが起こっていた。しかし、誰も平凡な答えにたどり着きたいわけではない。「私さがし」の潮流は自己愛と連結して次第に「私の中に眠る無限の可能性」を目指すようになり、さらに「多少ブラックであっても”実はすごい人”でありたい」と願う人も出てきた。『羊たちの沈黙』の天才精神科医にして連続殺人鬼でもあるハンニバル・レクタ―が人気者になったのも、「ブラックな私さがし」と関係あるはずだ。
 『24人のビリー・ミリガン』はあっという間にミリオン・セラーとなった。数奇なビリーの人生に興味を惹かれた読者も多かったとは思うが編集者にきくと、「ビリーの気持ちはよくわかる」「私の中にもいくつもの私がいる」など過度に共感、感情移入する手紙が多く届いたと言う。

 そして間もなく、臨床の場にも「私、多重人格かも」と訴える人たちが押し寄せるようになった。その中には、医学的にそう診断出来る人と先ほどの「ブラックな私さがし」の答えとしてそこにたどり着いた人とがいた。しかし、その境目はあいまいで、私は「もしあの本が出なかったら、多重人格はこれほどポピュラーな病にならないままだったのでは」とも想像した。
 「私さがし」のブームは続き、95年には「ソフィーの世界」という哲学入門書がベストセラーとなったが、少女が「あなたはだれ?」と書かれた謎の手紙を受け取って哲学探究の旅に出るという本書も「私さがし本」として読まれたのだろう。
 生きて行くのはつらい。「自分が思っているよりあなたはずっとすごい」と誰かに言ってもらいたい。とはいえ、「私さがし」は本の中の旅にとどめ、現実では平凡な自分をやさしく受け入れるべきではないか。最近はそんなこともよく考える。


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ファストファッション考

2014-07-27 10:54:58 | BOOK
もう、書評だけで内容もわかるような・・・。
そしてもう、共感するしかない内容。肝に銘じたい。

2014年7月20日書評欄より。

「ファストファッション クローゼットの中の憂鬱」エリザベス・L・クライン著
鈴木素子訳 春秋社 2376円
Elizabeth L. Cline 米国の作家・編集者。雑誌「ニューヨーク」などに執筆。

 今や私たちの日常生活を覆い尽くしている、「ファスト」な消費文化。規模の拡大と、時間やコストの削減とを至上命令として、その伸展は留まることを知らない。とりわけ目を引くのは、H&MやForever21、ZARAなど世界規模で展開する格安ファッションチェーン(ファストファッション)だ。これは「問題の多い現代の消費文化の縮図」と著者は述べる。
 ファストファッションが普及し、衣料品の単価が安くなるのに反比例し、購入点数は増加の一途を辿っている。アメリカでは、過去20年間で国民1人が年間に購入する衣料品の点数は倍になった。それにともない、繊維ごみの量も約10年間で4割増加したと言う。日本も他人事ではない。
 近年ファストファッションの生産拠点は中国やバングラデシュなどに移されているが、繊維産業に用いられる殺虫剤や合繊染料などの有害物質は、現地の大気や水質を汚染している。下請け工場は厳しい納期やコスト削減を強いられ、労働環境は劣悪だ。近年ダッカの衣料品工場が崩落事故や火災を起こし、多くの死傷者を出して問題視された。メ―カ―、アパレル企業、そして消費者の間に横たわる物理的・文化的な隔たりこそが、これらの悲劇の遠因であると著者は指摘する。
 先進諸国の消費者たちは、消費の社会的意義に気付きつつある。リサイクルや手作りなどスローファッションや、現地工場の労働者の待遇まで気を配るエシカル(倫理的)消費への関心の高まりは、この証左であろう。本書の魅力は消費者目線から懺悔に満ちた買い物遍歴が忌憚なく語られる点にもある。著者はかつてファストファッション中毒患者だった。安価な服の魅力に抗うことは大変に難しい。自宅は洋服であふれ、日常的に身につけるのは、そのうちたった4%程度。おかしい?
 そう思ったら見直してみるべきだ。評者も・・・頑張る。

評者は水無田気流氏(詩人・社会学者)
  


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