なんか体調が良くないなあ
気分が乗らないまま Webを眺めていたら
私の好きな画家の作品を見つけた
ちょっと興奮したなあ やったと思った
前は憧れて 書き方の真似をしていたが
なかなか思うようには似てこない
素人に描けるはずもないのだが
天才の真似をしようなんて どだい無理な話である
こんな絵に憧れがあり 素人でも下手でも
描けるのではという発想が幼稚である
皆さんはもうとっくに この画家はお分かりだろう
そうですね ピカソなんです
全部英語のサイトなので 絵の解説は分からない
分からない方が 自分で想像できるし
好きなように解釈すれば良いことだと思う
でも嬉しかったなあ
さすがだなあ ピカソは
いくらか元気が出てきたかなあ
今日は5月最後の日ですね。
どうしてこんなに、月日が経つのは早いのだろう、と思いませんか?
ゆとりがないのかなあ、生き急いでいるのかなあ、あせりでもあるのかなあ?
もっと一日を楽しみ味わって、暮らしていきたいものですね。
今日は朝から、簡単なソースを入れているけど、駄目だった。勉強が足りないの
だろうなあ、難しいものだ。
最近、食事でソース使っていないからかなあ (変な冗談
)
貯まりに貯まったメールを少しメンテしようかと思う。
外は朝方は小雨だったが、昼から持ち直した。はっきりしない曇り空だ。、
諦めて、室内での作業をすることにした。
メールが相当、沢山になって、パソコンからあふれ出そうだ。
受信メールのほとんどを、MOに入れることにした。もの凄い量だからね
はかどらない。失敗しないようにしないと、大変だ。7割方終わったところで、
送信したメールも保管することにしたが、なんかコピーみたいなのが出て、
成功したのか、自信がない。
今日はこの辺で止めとこう。
ハードディスクが少しは、減ったかと思ったら、なんら変わらない。メールの
ファイルが画像などに比べて、少ないからだろう。まだ、画像もまったく
最近はバックアップしていない、トラブッたら、パーである。恐い
昨日の昼に、突然嬉しいことが、ついに起きた。
子供の頃なら、たぶん飛び跳ねて喜んだかも。
でも、今はそうはいかない。ただ、心の中で
大いに喜んでいる。
皆さんには、大したことではなかろう、と前に書いたなあ。
でも、恥ずかしいから、言えない。でも、嬉しい。
今朝はまた、嬉しいことがあった。
勝手にブログの先生と尊敬しているKさんからメールを貰った。
心暖まる内容に、感激した、そして赤面した。
本当にありがとうございました。
今後は全うに生きていこう、と反省した次第です。
でも、嬉しかったなあ、さすが私の師匠である。
勝手に決めつけてすみません。ありがとう。
次の画像は、前にあげましたが、再び。
あんまり嬉しいこと、良いことが有ったので、宇宙を飛び回りました。
今後とも、温かい眼で、見守って下さいね。
ここにアップしていました内容については、5月27日付けを持ちまして、削除いたしました。あるお方からの、心あるアドバイスを受けまして、深く反省しているところです。
ご迷惑をお掛けしました関係者の皆様に、心からお詫び申し上げます。今後このようなことのないように注意いたします。
今後は内容のあるブログになりますように、心がけて生きたいと思いますので、変わらぬ応援をよろしくお願いします。
今日は 珍しく楽しいことが あったなあ。
でも何かって 内緒だけど 後でどこかに出るかもな。
自分にとっては 嬉しいことには 違いない。
みんなには なんだそんなことかって 言うだろうけど
ちょっと 待ち遠しい おっと ばれちゃうぞ。 シーッ、内緒だよ。
なんだか子供と一緒だなあ 眠れないなあ、そうか二度寝だもんなあ。
「今日の天気」 ここに、天気図出したいのに、出来ない。難しい
ご両親の喜びは如何ばかりであろう、またまなちゃんを救う会の皆さんの活動も大きな実を結んだわけである。そして日本中の善意の輪が広く大きくなって心臓移植の実現が出来たことは、日本もまんざらではないなあ、と嬉しいし喜ばしいことだ。
後は移植を無事に終えて、元気な姿で帰国してくれて、普通の子供のように育ってくれることを祈りたいと思う。良かったね、頑張ろうね、まなちゃん。
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不安が当たり、大分の叔父が亡くなったという。だいぶ高齢だったが、母方の
兄妹がだんだん亡くなる、7人いたのに、もう二人になってしまった。
日頃、元気なうちに訪れようと、話していた矢先である。人の命ははかないものだ、いつどうなるかは分からない。思い立ったとき、行動するのが良い、とは思っていても、つい現実にとらわれて、後回しにしてしまう。そして、後で後悔することになる。
世代交代になっているとは言え、会いに行くだけで、喜んでくれる人がいるというのに、その人には時間が無かったのだ。いま自分は元気なつもりであるが、じわじわと病魔が近づいて来ている恐怖がある。掛かり付けの医者の言葉が先の長くないことを感じさせる。
睡眠は死の練習である、と思っている。だから、願わくば眠ったまま行けたら、最高に幸せなことだと思う。残されたものも、世話も要らず、喜ぶに違いない。
こんな内容では、読む人も憂鬱なことだろう、人生は暗いことばかりではない、別れがあれば出会いが、必ずあるものだ。希望の光で照らされる人でありたい、
願えば必ずそうなることを期待して、充実した日々を過ごしたいもの。
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