今日はひな祭りですね、各地でかなりの冷え込みになりましたね。
娘が亡くなりまして、大きなガラス箱の雛飾りも飾らなくなってしまいました。
下にアップしましたように、萩で求めたミニの飾りが、ちょこんと飾っております。
これから何年かしましたら、雛飾りをするようになるかも知れませんが、
元気なうちに、そんな時が来れば良いなあと、思ったりします。
最近寒くて歩くのもままなりませんで、ちょっとメタボ気味で、焦っております。
昨日は歩いたのですが、ほんの僅かでした。
その後、歩かないより、良いかと成ってしまいますから、困ったものでしょう。
良かったら、BGMを鳴らすをクリックして、お聴き下さい。音量にはご注意下さいね。
あっは、クリックしますと、別窓で鳴ってしまいますね。これでは駄目ですね。
お聴きになりたいときに、クリックして下さいね。
上の雛飾りとアニメは、サイト「絵日記-はじめの一歩」さまから、お借りしました。
我が家で、唯一出している、ミニ雛飾り
ちょっと寂しいけど、仕方ないなあ。
Yahoo!百科事典(日本大百科全書)を読んでいましたら、知らない内容の記事
がありました。一般的な内容は、省略しまして、以下に記しました。
ところで『源氏物語』須磨(すま)の巻には、三月上巳(じょうし)の日に陰陽師(おんみょうじ)を召して祓を行い、その人形(ひとがた)を船に乗せて流したという記事がみえ、『建武(けんむ)年中行事』にも、三月節供の「御燈(みあかし)」行事には「人形」に饗応(きょうおう)したあと、それを祓え送るとある。
三月上巳の祓行事は、三月節供の雛祭の源流を知る手掛りで、本来、雛祭の人形の原形は、「罪穢(つみけがれ)」をつけて送り流す「撫物(なでもの)」であったという山東京伝(さんとうきょうでん)の指摘は的を射ていよう。
桃酒や曲水宴を伴う「上巳」の行事は中国陰陽道の習俗の移入であるが、水辺の祓行事が先行習俗として日本にはあって、その習合行事として「上巳の祓行事」が生じ、その「撫物」が雛祭の主役にやがてなったものといえよう。
そして工芸技術の進歩で雛人形の製作に巧緻(こうち)を競うに至ると、それを保存愛玩(あいがん)し連年祭ることにもなり、「流し雛」の古意はやがて忘却されるに至ったとみてよい。
しかし三月節供にはなお「上巳の祓」だけでは解きえない習俗もいくつかある。
たとえば、北九州地方でこの日を「麦ぼめ節供」といい、畑の麦の生育ぶりをほめはやす意味の行事があった。
前記の山遊び、野遊びにもむしろ、春の初めに野外に「農の神」を迎えて饗応する意味のものがかなりあった。
つまりその季節に来往する疫神、精霊のたぐいを饗応して、彼らの退去を求める「神送り行事」が、三月上巳の節供の受容基盤であったともみられる。
皆さま、良いひな祭りをお迎え下さいね。最後までのご拝読に、感謝いたします。ありがとうございました。