231『自然と人間の歴史・日本篇』江戸期の民衆社会思想家(大塩平八郎、熊沢蕃山)
大塩平八郎(大塩中斎、おおしおへいはちろう、1792~1837)は、世直しの乱を起こしたものの失敗し、息子ともに自殺した。幕府の「御政道」を正すための直接行動が失敗し、追手から逃れることができないと悟ったのであった。その彼が蹶起のため用意していた檄文(げきぶん)に、こうある。
「徳川家支配の者に相違なき処、如此隔を付候は、全奉行等の不仁にて其上勝手我儘の触れ等を差出、大阪市中遊民計を大切に心得候は、前にも申通り、道徳仁義を不在拙き身分にて、甚以、厚かましき不届の至、且三都の内、大阪の金持共、年来諸大名へ貸付候利徳の金銀並扶持米を莫大に掠取、未曾有之有福に暮し、町人の身を以、大名の家へ用人格等に被取用、又は自己の田畑新田等を夥敷所持、何に不足なく暮し、此節の天災天罰を見ながら、畏も不致、餓死の貧人乞食を敢て不救、・・・・・」(本文とその口語訳は先進社内同刊行会「大日本思想全集」第十六巻、昭和6年)
大塩がこの檄文を書いた動機としては、日本では中江藤樹(なかえとうじゅ、1608~1648年)が中国の王陽明の思想「陽明学(ようめいがく)」を日本に移植したことがある。中江ならではの思想が窺える著『翁問答』によると、道徳の根源とされる「孝」による徳行とは、生みの親に対する孝に止まらず, 人間の生みの親である天(皇上帝) に対する孝にまで拡げられなければならない。したがってこれを紐解くと、制度としての身分秩序は認めながらも,「万民は皆ことごとく天地の子なれば、われも人も人間の形ある程のものは、みな兄弟なり」と万人平等を主張したのは、紛れもない事実なのである。
この事件の顛末については、誠にあっけなく決着したという他はなかろう。仔細については、後代の人々が様々に紹介し、講釈も加えているのだが、我が国最初のマルクス主義者と目される堺利彦は、講釈「大塩騒動」の中で、蹶起当日の朝から昼過ぎまでの有様を、今観てきたような巧みなタッチででこう述べている。
「さて、大塩勢の出で立ちを見てあれば、大将平八郎および副将格之助は差込野ばかまにて白の鉢巻きをしめ、・・・・・、ゆくゆく市民の屈強なる者を味方に付け、総勢数百人、殺気天を貫くという勢いであった。それから彼らは浪速橋を渡り、左に折れて二手に分かれ、今橋筋と高麗橋とを東に向かい、かねて目指したこの富豪町に片端から炮烙玉(ほうろくだま)を投げ込み、あるいは火具鉄砲を打ち込み、さんざんに焼き建てた。家具も道具も米も金も千両箱もみな一緒くたになってそこら一パイにころがっていた。付き従った何百人の群衆は宝の山に入った思いで、我先にと略奪をほしいままにした。鴻池庄右衛門方では四万両も取られたという話が残っている。・・・・・」(川口武彦編集「堺利彦全集」第五巻、法律文化社、1971)
一とおり、当日の有様を描写した堺としては、「音に名高い大塩騒動はかくのとおり、たった一日間の騒ぎに過ぎなかった。そして天下は再び太平に帰した」と堺は慨嘆している。それにしても、大塩その人は、役人生活を隠居の後は自慢の蔵書に埋もれるようにして読書三昧にふけったり、寺子屋の教師として界隈の子供らに学問して余勢を過ごしてもよかったであろうに、目の前に広がる民衆の窮状を目視するに忍びず、「救民」に文字通り一命を捧げた。そればかりではなく、家族もろとも命も捧げた。これに同意するか否かは別として、このようなことは並の人間にできることではあるまい。
中江の弟子で知られる学者に熊沢蕃山(1619~1691年)がいる。長じて岡山藩の番頭格となった熊沢は、同士を集めて相互に錬磨しあう「花畠教場」を主宰するに至る。これには「花園盟約」というものがあって、武士の職分は人民の守護育成にありと人民本位の政治を掲げる。また、「致良知」に基づく慈愛と勇強の涵養が学問の目的だとした。しかし、このような奇抜な彼の一派の動きをキリシタン思想に関係ありと幕府に疑われ、岡山藩を離れざるを得なくなるのであった。熊沢は、時・処・位に応じて身を処することの大切を説いた。つまり、何時でも、何処にいても、そして誰に対しても説くをもって対応することを重視し、これらを弁えていなければ道徳的に評価されない、というのである。
大塩も、平たくいうと、その系統に属する者であったことは疑いなかろう。長じての彼は大坂町奉行所の与力であったが、38歳で辞職して家塾「洗心洞」を開いて陽明学でもって子弟の教育にあたっていた。ところが、当時打ち続く飢饉で農民や都市貧民が飢えているのに、奉行所や豪商たちは自分の利得や我が身の安全ばかりを考えて行動していた。しかも、彼の信じる陽明学は「知行合一」を教えているのに, これを傍観することはできないと考えているうち、ついに我慢がならなくなって、仲間を募って腐敗堕落した世の中を正そうと蹶起したものと思われる。
(続く)
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